フランス,ドイツ,スイス(ドイツ語圏)のごく限られたニュースメディアの記事に目を通しただけですが,そのなかから印象に残ったものをご紹介します.(判決文の要約等は,国際司法裁判所のサイトのこちらのページからダウンロードができます.)
まず,全体の論調としては,国際司法裁判所の判決は至極当然といったもので,日本の調査捕鯨は「科学調査という隠れ蓑を着た事実上の商業捕鯨」と断じています.(例えば,ドイツのシュピーゲル誌の3月31日付"Japan könnte weiter töten"や,フランスではCourrier internationalの3月31日付"Chasse à la baleine : les arguments "scientifiques" un peu légers du Japon" ,スイスのTages Anzeigerの3月31日付"Kruder japanischer Nationalstolz"など.)
さらに前掲のシュピーゲルの記事は,2005年の調査捕鯨Jarpa II開始後,専門家によって構成された第三者委員会に提出された調査報告書が僅か2件であることを挙げ,そのために3,500頭もの鯨を殺す必要があったのかとも述べています.同様の内容は,フランスのLe Mondeの4月1日付日本通で知られるフィリップ・ポン記者による"La justice internationale ordonne au Japon de stopper la chasse à la baleine dans l’Antarctique"にも見られますが,その中で同記者はさらに,鯨肉の消費は日本に根ざした食文化の一部という日本の主張に対し,現在,40歳以下の日本人で鯨肉を食した人はほとんどいないこと*1),また,1962年の日本における鯨肉の消費量は250,000トンであったのが,商業捕鯨が禁止される1年前の1985年には13,000トンまで激減していたことなどを挙げて反論しています.また,捕鯨船の母港である下関が安倍晋三首相の地元であることから,日本の調査捕鯨に固執する姿勢には政治的な思惑もあるとしています.
鯨肉の消費が日本の文化という主張に対する反論は,前掲の"Kruder japanischer Nationalstolz"にも見られ,太地町のイルカ漁も含め,日本における鯨類の捕獲が今日のような形態で行われるようになったのは第二次世界大戦後のことと伝えています.
そのほか,興味深い内容を含む記事というと, Le Nouvel Observateur Le Plusの4月1日付"Le Japon arrête la chasse à la baleine : en France, nous sommes aussi des braconniers"を挙げたいと思います.当該記事を書いたのは作家のArmand Afrrachi氏ですが,日本のことを密猟者,よたもの(Voyau)などと言ってかなり過激な議論を展開しています.この記事の中で目を引いたのは,判決の採決の際にソマリア,モロッコなどの裁判官に加えてフランスの裁判官Ronny Abraham氏がオーストリアの訴え,つまり日本の調査捕鯨の禁止に対し反対の立場をとったということでした.Afrrachi氏は,Abraham裁判官の姿勢をサルコジ政権時代,漁業団体のロビー活動を受けて黒鮪の保全のためのいかなる措置にも反対した当時の農漁業相Bruno Lemaire氏の姿勢に結びつけ,所詮フランス人も密猟者であることに変わりないとまで言っています.
以上,簡単ですがご報告に替えさせていただきます.が,以前からどうも腑に落ちないことですが,何故西洋の国々は(鯨の話題だからというわけではありませんが)目くじらを立てて日本の捕鯨に反対するのでしょうか.もちろん,判決にあるように日本が調査捕鯨を実施するにあたり認められたルールを守らなかった(判決にあるように捕獲数量超過,事実上の加工船である日新丸の使用,そして捕鯨が禁止されている海域での捕獲*2))ということであるならば,それは禁止されて当然とは思います.しかし,あたかも世界の大悪党に正しい審判が下ったと喝采するような独仏語圏のメディアの姿勢が不思議でなりません.昔,こうした反捕鯨の運動は元々政治的なものでアメリカから始まったといったことを聞いたことがありますが,とりあえず個人的な考えを述べさせていただくと,近年,少なくとも海洋資源保護における日本の立場を悪くした伏線のようなものはあったと思います.例えば,地中海における黒鮪の乱獲の責任の大部分は日本にあるといった見方です.詳しくは,グリーンピースの報告書*3)などをお読みいただくとよろしいかと思いますが,一般のニュースメディアでは,例えば,フランスのLe Nouvel Observateurの2010年3月13日付"Vers une interdiction du commerce du thon rouge?"は,地中海で捕獲される黒鮪の80%は日本に向けて輸出されており,さらに大西洋の黒鮪の漁獲割当は大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT) によって19,500トンと定められているものの現状では大半が成魚になる前に捕獲されて肥育されていると述べています.(そのため漁獲割当が意味をなさなくなっているというわけです.)*4)
そして, 前段でご紹介したグリーンピースの報告書には,2003年に開催されたICCATの会議において,同機関に加盟していない国(イスラエルやエジプトなど)における地中海黒鮪の肥育事業が盛んになっており,当該国から多くの黒鮪を輸入している日本のMitsubishi CorporationやMaruha Groupなどがこれらの事業に深く係わっていることが報告され,ICCATの委員長から当時の川口順子外務大臣宛に,こうした状況が黒鮪の減少を招かないように日本政府として適切な措置を講じて欲しい旨を伝える書翰が送られたと書かれています.*5) 同報告書は,こうした事実に加えて,中国や東南アジアなどの第三国を通って非正規の経路で日本に輸入されている地中海産の黒鮪も無視出来ない量で存在しているはずだが,日本政府はそれについて何も報告していないとも伝えています.*6)
つまり,日本はすでに地中海の黒鮪を,肥育という手段で漁獲割当をごまかすなどして結果的にその量を減少させるという前科を犯している,あるいは犯し続けているということです.その思い込みからか,例えば,スイスのタブロイド紙20 Minutenには,4月1日に"Zwei Tricks So kann Japan das Walfan-Verbot umgehen"(「日本が捕鯨を続けられる2つのトリック」)と何か,日本人は狡猾な民族であるからとでも言いたげなタイトルが付された記事が掲載されていました.記事中で紹介されている2つのトリックとは,1つはIWCからの脱退,2つめは,2000年に開始された南極海における調査捕鯨JarpaIIの継続と別にトリックでもなんでもない単純な事実でしかないことでした.なお,こちらの記事にも,3,600トンの鯨を殺して僅か2件の調査報告書と記されていました.
さらに想像をたくましくすれば,昨年の橋下徹大阪市知事やその他の政治家の従軍慰安婦についての発言や福岡8区選出の麻生太郎副総理兼財務大臣の現行の憲法を事実上の改正へと導くにはナチスが採った方法を手本にすればよいといった発言,さらに過去における日本のアジア各国に対する行為に関する安倍晋三首相の一連の発言を,ヨーロッパの主要メディアは詳細に伝えており,日本人は過去における自らの非人道的な行為を認めようとしないのみか,欧州連合の重要な基盤のひとつであるナチスの哲学および行為に対する反省を無視するような態度を示していることは,今やヨーロッパのニュースメディアにおける日本人のイメージのひとつの側面として固定してしまったといってよいでしょう.*7) そうした日本人の潜在的な"野蛮さ","非人間性",そして過去の歴史に対する無責任さは,欧米のある人たちにとって日本の鯨類の捕獲にそのままあてはめることも可能です.つまり,すでに今,鯨たちの無用な殺戮を行っている*8)ことに加え,仮に将来,日本の商業捕鯨が解禁された場合,地中海鮪のような乱獲を招き特定の鯨類が絶滅したとしても日本人は自らの責任を認めようとしないだろうというレトリックも彼らにおいては成り立ってしまうということです.*9)
ところで,今日の40歳以下の日本人で鯨肉を食した人は殆どいないと言うLe Mondeのポン記者の記事を先に紹介しましたが,昭和33年生まれの私にとりまして,当時嫌いなものが殆どだった給食のメニューの中で唯一好きだったものが鯨の肉のフライでした.それをコッペパンにはさんでかぶりつくときの幸せといったら...(あり得ないことですが,もし仮にどこかのハンバーガー屋さんが鯨肉のフライバーガーを売り出したら,真っ先に買いに行くと思います.若い皆さんは見向きもしないと思いますが.)
などとついどうでも良いことを書いてしまいましたが,最後に2点だけ結論として個人的な意見を世代による偏向があることを承知の上で述べさせていただきますと,
*1) Courrier Internationalの2006年6月20付"Les baleines prises dans les filets de ladiplomatie nippone"には,50歳以下の日本人は鯨肉など食べたことはないと書かれています.
*2) 国際司法裁判所の当該訴訟に関するSummeries of Judgement and Orders, pp9f,Courrier Internationalの3月31日付"Chasse à la baleine : les arguments "scientifiques" un peu légers du Japon"にもNaoko Funahashi氏によるDNA分析の結果として,日本の市場に流通している鯨肉の半数は保護対象となっている鯨類であり,日本の調査捕鯨によって捕獲された鯨の中には捕獲対象となっていない種も存在していると伝えています.
*3) Greenpeace, Mais où est donc passé le thon rouge de Méditerranée ?, Paris, 2006(引用文や数値データなどの出典が明確に示されておらず(特に日本を名指しで批判する際の),些か信頼性に欠けているように思えます.)
*4) 地中海の黒鮪は東大西洋の黒鮪に含まれます.Ibid, p7, "Menaces sur le thon rouge" in LEXPRESS fr, 2002年11月7日.
*5) Greenpeace, Mais où est donc passé..., p28, "Menaces sur le thon rouge"には,地中海鮪の肥育事業が開始に際して日本が果たした役割などが詳しく述べられています.
*6) Greenpeace, Mais où est donc passé..., p13
*7) Cf. 本ブログ内「尚武の国,スイス...?」の脚注*2).昨年の5月,大阪市長の従軍慰安婦に関する発言があった際,たまたまスイスに滞在中でしたが,滞在先で目にした同月31日付のNZZ(チューリヒ新報)に大きな写真付きでほぼ一面を使った韓国の元従軍慰安婦に関する記事("Die verlorene Ehre der Yi Ok Seon")が掲載されていたことに驚いたことを思い出します.日本の政治家,そして私たち日本人全体に共通する悲劇的というか喜劇的な性質として,思考が蜂の巣のように個別分裂的であることが言えます.様々な事象を関連付けてより大きな事実を見いだすという能力に欠けているのです.そのため,将来については自らの言動や行動がどういった結果を招くかというシュミレーションが空間的,時間的に極めて限定的な形でしかできません.個人的には,こうした性質が日本の外来文化の導入において役立った面もあるので決して全くの短所であるとはおもいませんが,いわゆる地球化なるものが進んだ今日においては,国益にとって必ずしも好ましい影響を及ぼすとは限らないようです.ただ,地方レベルから国レベル迄政治家たちのこうした姿勢を許しているのは私たち,彼らを選出している国民であることは,"民主主義"に基づいた現行の政治制度の存続を望む限り忘れてはならないことも確かです.
*8) こうした日本の無知な政治家の軽はずみというか,まったく思慮に欠ける発言が,日本の捕鯨がかつてナチスドイツが多くのユダヤ人を殺戮したイメージと結びつける契機を形成してしまう可能性さえあります.
*9) 鯨がかわいそうという議論もありますが,いくつかの動物保護団体が糾弾しているように,世界中で牛や豚などの食肉として売られる多くの家畜が屠殺の際に完全に死ぬ迄に解体が行われていることもしばしば映像で伝えられています.先日,ARTEで再放送された"Hunger"においても,ブラジルのある屠殺場の内部の映像が紹介され,解体される牛の脳に高圧の圧搾空気を打ち込んで脳死させようとはしているものの,完全に死ぬ前に,つまりまだ動いている段階で皮を矧ぎ,解体を開始してしまう様子が映し出されていました.(Cf. 「肉食が人類と地球に及ぼしている影響」)もっとも,動物保護団体にしてみれば,捕鯨も反動物愛護の行為であることには違いないでしょうが.なお,日本における家畜の屠殺解体の状況については確認しておりません.
*10) 3月31日付Courrier internationalの"Chasse à la baleine : les arguments "scientifiques" un peu légers du Japon"は,世界的動物保護団体IFAWのVassili Papastavrou氏の「日本は調査捕鯨と言っているが,それに科学的価値は全くない」というコメントに加え,2000年の始めにオーストリアの研究者Nick Gales氏が鯨の糞の分析することで日本が実施している調査捕鯨で得られるものと同等のデータを得られる方法を開発し,それを用いた調査の結果を東京で開かれた国際捕鯨委員会の際に報告したとも伝えています.(この記事によると,そもそもこのGales氏の報告が,日本の調査捕鯨の正当性についての議論を過熱させたようです.)他にも,マサチューセッツ漁業研究所のPhilippe Clapham氏が開発した方法による調査でもも鯨を殺さずに必要なデータを得られているとこの記事は伝えています.そして,日本側の主張は,鯨が大量の魚を食べるプレデターなので,他の水産資源保全のために捕鯨は実施すべきであり,その実態を把握するために鯨の胃の内容物の調査は必要というものですが,それに対して外国の専門家が展開した全く逆の理論も紹介されています.後者は,例えばカナダのGuelph大学のPeter Yodzisによると,鯨はむしろプレデターのプレデターでもあるため,鯨を殺せばむしろ魚の量は減少するというのです.
*11) 食肉の生産に必要な飼料を生産するためなどに必要な農地の面積は,穀物の生産に必要な農地の7倍と言われています.そして,過去10年間に大豆等,肉牛の飼育に必要な飼料を生産するための農地を得るために破壊された南米等の熱帯林は1,000万ヘクタールと言われます.使われる水に関しても,牛肉1kgの飼育に必要とされる水の量は15,000リットル.1kgの小麦の生産に必要な1,300リットルの10倍以上の量です.(2010年に南西ドイツ放送によって制作され,先日,ARTEで再放送された"Hunger"の中で紹介されていたデータ.その他の情報もARTEの世界の飢餓も問題に関するページで提供されています.(フランス語版,ドイツ語版)(Cf. 本ブログの「肉食が人類と地球に及ぼしている影響」)なお,食品の生産に必要な水の量を比較したグラフが,UNESCO-IHCやWaterfootprint.orgの資料をもとに作成され公開されています.
まず,全体の論調としては,国際司法裁判所の判決は至極当然といったもので,日本の調査捕鯨は「科学調査という隠れ蓑を着た事実上の商業捕鯨」と断じています.(例えば,ドイツのシュピーゲル誌の3月31日付"Japan könnte weiter töten"や,フランスではCourrier internationalの3月31日付"Chasse à la baleine : les arguments "scientifiques" un peu légers du Japon" ,スイスのTages Anzeigerの3月31日付"Kruder japanischer Nationalstolz"など.)
さらに前掲のシュピーゲルの記事は,2005年の調査捕鯨Jarpa II開始後,専門家によって構成された第三者委員会に提出された調査報告書が僅か2件であることを挙げ,そのために3,500頭もの鯨を殺す必要があったのかとも述べています.同様の内容は,フランスのLe Mondeの4月1日付日本通で知られるフィリップ・ポン記者による"La justice internationale ordonne au Japon de stopper la chasse à la baleine dans l’Antarctique"にも見られますが,その中で同記者はさらに,鯨肉の消費は日本に根ざした食文化の一部という日本の主張に対し,現在,40歳以下の日本人で鯨肉を食した人はほとんどいないこと*1),また,1962年の日本における鯨肉の消費量は250,000トンであったのが,商業捕鯨が禁止される1年前の1985年には13,000トンまで激減していたことなどを挙げて反論しています.また,捕鯨船の母港である下関が安倍晋三首相の地元であることから,日本の調査捕鯨に固執する姿勢には政治的な思惑もあるとしています.
鯨肉の消費が日本の文化という主張に対する反論は,前掲の"Kruder japanischer Nationalstolz"にも見られ,太地町のイルカ漁も含め,日本における鯨類の捕獲が今日のような形態で行われるようになったのは第二次世界大戦後のことと伝えています.
そのほか,興味深い内容を含む記事というと, Le Nouvel Observateur Le Plusの4月1日付"Le Japon arrête la chasse à la baleine : en France, nous sommes aussi des braconniers"を挙げたいと思います.当該記事を書いたのは作家のArmand Afrrachi氏ですが,日本のことを密猟者,よたもの(Voyau)などと言ってかなり過激な議論を展開しています.この記事の中で目を引いたのは,判決の採決の際にソマリア,モロッコなどの裁判官に加えてフランスの裁判官Ronny Abraham氏がオーストリアの訴え,つまり日本の調査捕鯨の禁止に対し反対の立場をとったということでした.Afrrachi氏は,Abraham裁判官の姿勢をサルコジ政権時代,漁業団体のロビー活動を受けて黒鮪の保全のためのいかなる措置にも反対した当時の農漁業相Bruno Lemaire氏の姿勢に結びつけ,所詮フランス人も密猟者であることに変わりないとまで言っています.
以上,簡単ですがご報告に替えさせていただきます.が,以前からどうも腑に落ちないことですが,何故西洋の国々は(鯨の話題だからというわけではありませんが)目くじらを立てて日本の捕鯨に反対するのでしょうか.もちろん,判決にあるように日本が調査捕鯨を実施するにあたり認められたルールを守らなかった(判決にあるように捕獲数量超過,事実上の加工船である日新丸の使用,そして捕鯨が禁止されている海域での捕獲*2))ということであるならば,それは禁止されて当然とは思います.しかし,あたかも世界の大悪党に正しい審判が下ったと喝采するような独仏語圏のメディアの姿勢が不思議でなりません.昔,こうした反捕鯨の運動は元々政治的なものでアメリカから始まったといったことを聞いたことがありますが,とりあえず個人的な考えを述べさせていただくと,近年,少なくとも海洋資源保護における日本の立場を悪くした伏線のようなものはあったと思います.例えば,地中海における黒鮪の乱獲の責任の大部分は日本にあるといった見方です.詳しくは,グリーンピースの報告書*3)などをお読みいただくとよろしいかと思いますが,一般のニュースメディアでは,例えば,フランスのLe Nouvel Observateurの2010年3月13日付"Vers une interdiction du commerce du thon rouge?"は,地中海で捕獲される黒鮪の80%は日本に向けて輸出されており,さらに大西洋の黒鮪の漁獲割当は大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT) によって19,500トンと定められているものの現状では大半が成魚になる前に捕獲されて肥育されていると述べています.(そのため漁獲割当が意味をなさなくなっているというわけです.)*4)
そして, 前段でご紹介したグリーンピースの報告書には,2003年に開催されたICCATの会議において,同機関に加盟していない国(イスラエルやエジプトなど)における地中海黒鮪の肥育事業が盛んになっており,当該国から多くの黒鮪を輸入している日本のMitsubishi CorporationやMaruha Groupなどがこれらの事業に深く係わっていることが報告され,ICCATの委員長から当時の川口順子外務大臣宛に,こうした状況が黒鮪の減少を招かないように日本政府として適切な措置を講じて欲しい旨を伝える書翰が送られたと書かれています.*5) 同報告書は,こうした事実に加えて,中国や東南アジアなどの第三国を通って非正規の経路で日本に輸入されている地中海産の黒鮪も無視出来ない量で存在しているはずだが,日本政府はそれについて何も報告していないとも伝えています.*6)
つまり,日本はすでに地中海の黒鮪を,肥育という手段で漁獲割当をごまかすなどして結果的にその量を減少させるという前科を犯している,あるいは犯し続けているということです.その思い込みからか,例えば,スイスのタブロイド紙20 Minutenには,4月1日に"Zwei Tricks So kann Japan das Walfan-Verbot umgehen"(「日本が捕鯨を続けられる2つのトリック」)と何か,日本人は狡猾な民族であるからとでも言いたげなタイトルが付された記事が掲載されていました.記事中で紹介されている2つのトリックとは,1つはIWCからの脱退,2つめは,2000年に開始された南極海における調査捕鯨JarpaIIの継続と別にトリックでもなんでもない単純な事実でしかないことでした.なお,こちらの記事にも,3,600トンの鯨を殺して僅か2件の調査報告書と記されていました.
さらに想像をたくましくすれば,昨年の橋下徹大阪市知事やその他の政治家の従軍慰安婦についての発言や福岡8区選出の麻生太郎副総理兼財務大臣の現行の憲法を事実上の改正へと導くにはナチスが採った方法を手本にすればよいといった発言,さらに過去における日本のアジア各国に対する行為に関する安倍晋三首相の一連の発言を,ヨーロッパの主要メディアは詳細に伝えており,日本人は過去における自らの非人道的な行為を認めようとしないのみか,欧州連合の重要な基盤のひとつであるナチスの哲学および行為に対する反省を無視するような態度を示していることは,今やヨーロッパのニュースメディアにおける日本人のイメージのひとつの側面として固定してしまったといってよいでしょう.*7) そうした日本人の潜在的な"野蛮さ","非人間性",そして過去の歴史に対する無責任さは,欧米のある人たちにとって日本の鯨類の捕獲にそのままあてはめることも可能です.つまり,すでに今,鯨たちの無用な殺戮を行っている*8)ことに加え,仮に将来,日本の商業捕鯨が解禁された場合,地中海鮪のような乱獲を招き特定の鯨類が絶滅したとしても日本人は自らの責任を認めようとしないだろうというレトリックも彼らにおいては成り立ってしまうということです.*9)
ところで,今日の40歳以下の日本人で鯨肉を食した人は殆どいないと言うLe Mondeのポン記者の記事を先に紹介しましたが,昭和33年生まれの私にとりまして,当時嫌いなものが殆どだった給食のメニューの中で唯一好きだったものが鯨の肉のフライでした.それをコッペパンにはさんでかぶりつくときの幸せといったら...(あり得ないことですが,もし仮にどこかのハンバーガー屋さんが鯨肉のフライバーガーを売り出したら,真っ先に買いに行くと思います.若い皆さんは見向きもしないと思いますが.)
などとついどうでも良いことを書いてしまいましたが,最後に2点だけ結論として個人的な意見を世代による偏向があることを承知の上で述べさせていただきますと,
- あくまで調査が目的というのであれば,鯨を殺さずに実施する方法があれば,無用な殺生を避けるという意味で採用することに賛成です.*10)
- 鯨類資源の管理が適切に行われることが条件ですが,日本の商業捕鯨の再開には賛成です.とはいうものの,果たして水産資源を正確に把握する方法など存在しうるのか極めて疑わしいことは事実です.ただ,日本における鯨肉の需要に限って言うならば,前掲のLe Mondeの記事によれば,今日,日本における鯨肉の消費量は年間一人平均40gを上回ることは殆どないので,そう遠くない将来的に完全に無くなる可能性は十分にあり得ますが,増加に転じることはまずないと言ってよいでしょう.そのため,日本が国内の需要を満たすことのみ目的にした場合の捕鯨であれば,それによる鯨類の減少は考えにくいのではないでしょうか.ただ,こうした国内市場の縮小及び今後の鯨類が実質的に愛玩生物となってしまった欧米などにおける市場の拡大の可能性も極めて少ないことなどを考慮すると,再開したとしても長期にわたって日本が商業捕鯨を継続することはほぼ不可能にも思えます.なお,鯨類の生息数やそれへの捕獲による影響などをほぼ正しく把握することが条件であることには変わりはありませんが,一般論として,多量の水や飼料の耕作地*8)を必要とする牛肉の生産に比べ,環境負荷が殆どないと言えるタンパク源である鯨肉は,毎年深刻化する世界の飢餓の問題のひとつの解決策にもなりうる食料資源ではないかと思うのです.*11)
*1) Courrier Internationalの2006年6月20付"Les baleines prises dans les filets de ladiplomatie nippone"には,50歳以下の日本人は鯨肉など食べたことはないと書かれています.
*2) 国際司法裁判所の当該訴訟に関するSummeries of Judgement and Orders, pp9f,Courrier Internationalの3月31日付"Chasse à la baleine : les arguments "scientifiques" un peu légers du Japon"にもNaoko Funahashi氏によるDNA分析の結果として,日本の市場に流通している鯨肉の半数は保護対象となっている鯨類であり,日本の調査捕鯨によって捕獲された鯨の中には捕獲対象となっていない種も存在していると伝えています.
*3) Greenpeace, Mais où est donc passé le thon rouge de Méditerranée ?, Paris, 2006(引用文や数値データなどの出典が明確に示されておらず(特に日本を名指しで批判する際の),些か信頼性に欠けているように思えます.)
*4) 地中海の黒鮪は東大西洋の黒鮪に含まれます.Ibid, p7, "Menaces sur le thon rouge" in LEXPRESS fr, 2002年11月7日.
*5) Greenpeace, Mais où est donc passé..., p28, "Menaces sur le thon rouge"には,地中海鮪の肥育事業が開始に際して日本が果たした役割などが詳しく述べられています.
*6) Greenpeace, Mais où est donc passé..., p13
*7) Cf. 本ブログ内「尚武の国,スイス...?」の脚注*2).昨年の5月,大阪市長の従軍慰安婦に関する発言があった際,たまたまスイスに滞在中でしたが,滞在先で目にした同月31日付のNZZ(チューリヒ新報)に大きな写真付きでほぼ一面を使った韓国の元従軍慰安婦に関する記事("Die verlorene Ehre der Yi Ok Seon")が掲載されていたことに驚いたことを思い出します.日本の政治家,そして私たち日本人全体に共通する悲劇的というか喜劇的な性質として,思考が蜂の巣のように個別分裂的であることが言えます.様々な事象を関連付けてより大きな事実を見いだすという能力に欠けているのです.そのため,将来については自らの言動や行動がどういった結果を招くかというシュミレーションが空間的,時間的に極めて限定的な形でしかできません.個人的には,こうした性質が日本の外来文化の導入において役立った面もあるので決して全くの短所であるとはおもいませんが,いわゆる地球化なるものが進んだ今日においては,国益にとって必ずしも好ましい影響を及ぼすとは限らないようです.ただ,地方レベルから国レベル迄政治家たちのこうした姿勢を許しているのは私たち,彼らを選出している国民であることは,"民主主義"に基づいた現行の政治制度の存続を望む限り忘れてはならないことも確かです.
*8) こうした日本の無知な政治家の軽はずみというか,まったく思慮に欠ける発言が,日本の捕鯨がかつてナチスドイツが多くのユダヤ人を殺戮したイメージと結びつける契機を形成してしまう可能性さえあります.
*9) 鯨がかわいそうという議論もありますが,いくつかの動物保護団体が糾弾しているように,世界中で牛や豚などの食肉として売られる多くの家畜が屠殺の際に完全に死ぬ迄に解体が行われていることもしばしば映像で伝えられています.先日,ARTEで再放送された"Hunger"においても,ブラジルのある屠殺場の内部の映像が紹介され,解体される牛の脳に高圧の圧搾空気を打ち込んで脳死させようとはしているものの,完全に死ぬ前に,つまりまだ動いている段階で皮を矧ぎ,解体を開始してしまう様子が映し出されていました.(Cf. 「肉食が人類と地球に及ぼしている影響」)もっとも,動物保護団体にしてみれば,捕鯨も反動物愛護の行為であることには違いないでしょうが.なお,日本における家畜の屠殺解体の状況については確認しておりません.
*10) 3月31日付Courrier internationalの"Chasse à la baleine : les arguments "scientifiques" un peu légers du Japon"は,世界的動物保護団体IFAWのVassili Papastavrou氏の「日本は調査捕鯨と言っているが,それに科学的価値は全くない」というコメントに加え,2000年の始めにオーストリアの研究者Nick Gales氏が鯨の糞の分析することで日本が実施している調査捕鯨で得られるものと同等のデータを得られる方法を開発し,それを用いた調査の結果を東京で開かれた国際捕鯨委員会の際に報告したとも伝えています.(この記事によると,そもそもこのGales氏の報告が,日本の調査捕鯨の正当性についての議論を過熱させたようです.)他にも,マサチューセッツ漁業研究所のPhilippe Clapham氏が開発した方法による調査でもも鯨を殺さずに必要なデータを得られているとこの記事は伝えています.そして,日本側の主張は,鯨が大量の魚を食べるプレデターなので,他の水産資源保全のために捕鯨は実施すべきであり,その実態を把握するために鯨の胃の内容物の調査は必要というものですが,それに対して外国の専門家が展開した全く逆の理論も紹介されています.後者は,例えばカナダのGuelph大学のPeter Yodzisによると,鯨はむしろプレデターのプレデターでもあるため,鯨を殺せばむしろ魚の量は減少するというのです.
*11) 食肉の生産に必要な飼料を生産するためなどに必要な農地の面積は,穀物の生産に必要な農地の7倍と言われています.そして,過去10年間に大豆等,肉牛の飼育に必要な飼料を生産するための農地を得るために破壊された南米等の熱帯林は1,000万ヘクタールと言われます.使われる水に関しても,牛肉1kgの飼育に必要とされる水の量は15,000リットル.1kgの小麦の生産に必要な1,300リットルの10倍以上の量です.(2010年に南西ドイツ放送によって制作され,先日,ARTEで再放送された"Hunger"の中で紹介されていたデータ.その他の情報もARTEの世界の飢餓も問題に関するページで提供されています.(フランス語版,ドイツ語版)(Cf. 本ブログの「肉食が人類と地球に及ぼしている影響」)なお,食品の生産に必要な水の量を比較したグラフが,UNESCO-IHCやWaterfootprint.orgの資料をもとに作成され公開されています.
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