Sunday 29 September 2019

森友・加計問題の日本の首相には絶対に真似のできない故シラク元大統領の偉業の一例 (フランス語)

夜間でも気温40度のドーハで開催されたマラソン大会で次々に倒れたアスリートたち.東京オリンピックでは如何なることに (フランス語)

Sunday 22 September 2019

世界において高まる核戦争の危険性と日本の核災害再発の危険性 (フランス語)

Saturday 7 September 2019

最近,印象に残ったYouTubeの2つの動画

著作権上の問題はあると思いますが,まず,最初はこちら.サイモンとガーファンクルの『太陽が燃えている』です.実は,趣味で執筆しているドラマの脚本のラストシーンで使ったのですが,どうも歌詞の意味が今一つ判らず,果たして適切な選曲だったか,悩んでいたのですが,この動画を視聴して,その問いに対する回答は否であることが判りました.歌詞の中の「地球に来た太陽」とは,原爆のことだったのですね.勉強と思慮の不足を猛省させられました.


なお,正確に原爆に言及しているのは,4節と5節であることは言うまでもありません.以下に4, 5節を引用します.
Now the sun has come to Earth
Shrouded in a mushroom cloud of death
Death comes in a blinding flash
Of hellish heat and leaves a smear of ash
And the sun has come to Earth

Now the sun has disappeared
All is darkness, anger, pain and fear
Twisted, sightless wrecks of men
Go groping on their knees and cry in pain
And the sun has disappeared
次はこちらの動画です.オーストラリア放送が2001年に放送した番組"Our Australian History"で取り上げられた当時93歳のかつて日本軍の従軍慰安婦にされたオーストラリア人女性のドキュメンタリーです.これを視て思ったのは,従軍慰安婦と云うと,とかく朝鮮半島出身者が注目されますが,Ruff-O'Herneさんのように,コーカサス系の女性で日本軍の性奴隷にされた人たちもいました.そこで思ったのは,もし,こうした欧米人女性が従軍慰安婦の多数を占めていたなら,日本国民や政府は,彼女たちの抗議に対し,どういった反応を示していただろうかと言うことです.

Sunday 23 June 2019

激しく共感した橋本章の言葉

今年は,福島県を代表する近代画家の1人橋本章の生誕100年ということで,県内各地の美術館で回顧展が開かれました.限られた時間の中でそれらのすべてを観ることはできませんでしたが,県立美術館で『しんかんせん』と題された作品に目をひかれました.以下は,該作品の出品当時に彼が河北新報のコラムに綴った文章です.新幹線こそ,近代日本の精神的貧困さと文明の醜さの象徴のひとつであると強く感じるひとりとして激しく共感しています.
昨年,私は「国鉄新幹線」という,百号キャンパス四枚をつないだ絵をかき,ある展覧会に出品した.
実は,その展覧会には別な絵をだすつもりでいたんだが,展の一ヶ月ほど前になって急に新幹線の絵がかきたくなり,そうしたのだった.
東北新幹線の橋りょう工事が進んでいるのは知っていた.汽車に乗ればいやでも車窓にその風景は見えるのだし,なによりも,自宅から歩いて五分のところでも工事はなされていたのだから.
鈍感と言えば本当にそうだった.
工事が,政治と経済を先行させたところの強引な施策によるものであることは明りょうだったから,出来上がった時の橋りょうの姿が美しくあるはずがないことは分っていた.しかし私はそれがどれほどに美しくないものか,しかとは想像できずにいたのだった.
こういう強引さを私は許していないつもりだが,どうしようもないといった,あきらめの気持ちが先に立つ.近代の,とくに先進国といわれる国土では大体がそういう成り行きでできたのであって,それを改めようにももう手遅れだとするそれだ.
私をして鈍感にさせた一番の理由は,どうやら私もいずれは新幹線に乗ることになるだろうとする,そのことにあったようだ.科学技術とやらで,汽車を今より遠く走らせるそうだが,また今より上等な車両を作るそうだが,ともに私には全く必要でないことだ.が,といって乗らずにガンバルだけの覚悟もない.
さてと,私に新幹線の絵をかかせる時がやってきたのである.工事がさらに進み,橋りょうが連なって,その全貌を見せてきたのだ.
なんたる醜悪か.
その醜悪ぶりは想像をはるかに越えていた.コンクリートの大物量が横たわる,そのずうずうしい姿に対し私は恐怖を感じた.
そういう状況を描こうとしたのだった.
(「新幹線を描く」橋本章『河北新報』文化コラム計数管より 1981年11月19日)

Sunday 16 June 2019

カトリーヌ・ド・メディチ生誕500年の今年,南フランスで訪れたいところと言えば...

もちろんサロン.今年のルネッサンス祭が目前に迫っています.と言うことは,かのレオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年でもありまして,出身国のイタリアではもちろん,フランス,イギリスなど所縁のある各地で特別な催しが予定されています.なお,サロンでのご宿泊は,オーナーがかつてのアラン・デュカス氏のお弟子さんで南仏食文化に関する比類なきガイドであるホテル セレクトで.

Wednesday 8 May 2019

三陸地方への応援歌

Tuesday 7 May 2019

ドイツ連邦共和国基本法(憲法)の70年間の変遷 (ドイツ語)

Saturday 4 May 2019

帰宅困難地域で国道6号線沿いに設置された線量表示板の数値(例)

Thursday 2 May 2019

日米原子力協定とウォルト・ディズニーとディズニー映画『海底二万マイル』

ここのところ,時間に余裕がなく更新することができませんでしたが,最近,読んだ矢部宏治氏の著作『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか」(集英社インターナショナル,2014年)の'Part 2 福島の謎 - 日本はなぜ,原発を止められないのか' (pp53ff)の中の日本の原子力政策をアメリカが自由に操るための道具である日米原子力協定(2018年に内容は変更せずに更新)に関する説明を読んで標記映画のラストシーンにおける以下のネモ船長の言葉を思い出したので,ここにそれを綴ることにしました.(上記協定のほかにも,"United States-Japan Joint Nuclear Energy Action Plan"なるものが,2007年に締結されています.)

ネモ船長 : We are nearing Vulcania.
I want you to see the extent of these secrets for which they have hounded me.
The knowledge which cost the lives of those dearest to me, the power which is still mine.
Enough energy to lift mankind from the depths of hell into heaven... or destroy it.

[...]

ネモ船長 : - Every man to his station.
副長 : - Every man to his station.
ネモ船長 : Stand by engines. Prepare for diving.
船員 : Aye, sir. Prepare for diving.
副長 : Shall I take over?
ネモ船長 : Half ahead.
Four degrees down.
Ahead full.
Slow on engines.
All controls eight degrees down.
Lash the wheel.
副長 : Aye, sir. Lash the wheel.
アロナックス教授 : Captain.
ネモ船長 : We are taking the Nautilus down for the last time.
副長 : We understand, sir, and we're with you.
ネッドランド : Wait a minute. I don't understand.
What's that gotta do with us?
ネモ船長 : I'm dying, and the Nautilus is dying with me.
- Professor?
アロナックス教授 : - Yes.
ネモ船長 : In a matter of minutes, an explosion, such as the world has never known, will destroy my island and all its works forever.
That is why I have brought the Nautilus... here, to its last, deep resting place.
Here at least we will die in peace.
Let every man go to his quarters and remain there.
ネッドランド : Why do you take us down with you?
ネモ船長 : - Lock them in their quarters.
副長 : - Aye, sir. Take them out.
ネッドランド : I don't want to die.
Don't let him do it.
I want no part of this!
アロナックス教授 : Captain, you cannot do this.
There is more at stake here than just our lives.
Yours was a dream of the future come true.
I beg you to reconsider.
ネモ船長 : A power greater than mine makes that impossible.
But there is hope for the future.
When the world is ready for a new and better life, all this will someday come to pass... in God's good time.
アロナックス教授 : I'm sorry, Ned.
ネッドランド : Don't give up, mates!
We're no part of any suicide pact!
副長 : Put him in his cabin.

(ネッドが一人で反乱を起こし,ノーチラス号を乗っ取ります.)

ネッドランド : Come on, I'm taking over the ship.
Let's get outta here.
We're on the surface. Stand by.
Let's get the skiff out and shove off.
- Professor, where ya goin'?
アロナックス教授 : - My journal.
ネッドランド : - The island's gonna blow up any second.
アロナックス教授 : - I must get my journal.
ネッドランド : Shove off.
コンセイ : What's the matter? Is he hurt?
ネッドランド : We forgot Esmie. (ネモ船長のペットのあしか)
Esmeralda, come on. Quick!
Come on. Come on.
In the boat, come on. In the boat.

(ネモ船長の秘密基地であるブルカニア島が爆発.東宝映画『海底軍艦』のラストを思い出させるシーンですが,本作品では,巨大なキノコ雲が上空高く立ち昇り,それが核爆発であったことを明確に示す演出がなされています.)

ネッドランド : There she blows!
Sorry I had to wallop you, Professor.
Wasn't time to stop for souvenirs.
アロナックス教授 : Perhaps you did mankind a service, Ned.
アロナックス教授の脳裏で甦るネモ船長の言葉 : There is hope for the future.
And when the world is ready for a new and better life, all this will someday come to pass... in God's good time.

お読みいただけば,お分かりのように,ジュール・ベルヌの原作には上記のような場面は全く描かれていません.ただ,フェロー諸島とロフォーテン諸島の間の激しい潮流に巻き込まれたノーチラス号の動揺する船内で,どこかに頭を強くぶつけたアロナックス教授は気を失い,気がつけば,近隣の漁師の漁船内のベッドの上に寝かされていて,教授の様子を心配そうに見つめめるネッドとコンセイと共に,無意識のうちにノーチラス号から無事に船外に脱出していたと書かれているだけです.その後,ノーチラス号とネモ船長がどうなったかについては,何も記されておらず,この驚異的な性能を持つ潜航船とその船長の無事を祈るアロナックス教授の言葉で原作は終わります.

ウォルト・ディズニーと言えば,神学的には恐らく今のアメリカ大統領の信仰に近いものを持っていたと思われますが,組合教会の信者でした.そして,子供向けのテレビ番組"Our Friend the Atom"を制作したことからも判るように,原子力(の平和?)利用の積極的な支持者でした.この二つの点を知ったうえで上のネモ船長(ジェームズ・メイソン)の言葉を読むと,クリスチャンとしてのディズニーの原子力に関する後千年王国的思想が,その背景にあることが理解できると思います.(映画の中でノーチラス号が核エネルギーによって推進力を得ていたことは,下に引用する彼の言葉から明らかです.そして,同名の米海軍の原潜は,1958年,北極海の潜航横断に成功しています.潜水艦博物館のサイト参照.)

以下は,その内容を書籍としてまとめたものの序文の抜粋ですが,この序文はディズニー自身が執筆したものです.

Fiction often has a strange way of becoming fact. Not long ago we produced a motion picture based on the immortal tale 20,000 Leagues under the Sea, featuring the famous submarine ‘Nautilus.’ According to that story the craft was powered by a magic force.
Today the tale has come true. A modern namesake of the old fairy ship — the submarine ‘Nautilus’ of the United States Navy — has become the world’s first atom-powered ship. It is proof of the useful power of the atom that will drive the machines of our atomic age.
The atom is our future. It is a subject everyone wants to understand, and so we long had plans to tell the story of the atom. In fact, we considered it so important that we embarked on several atomic projects. … Of course, we don’t pretend to be scientists — we are story tellers. But we combine the tools of our trade with the knowledge of experts.

(Cf. Our Friend the Atom: A Walt Disney Story Promoting Nuclear Energy in Relatively Interesting)

ところで,東宝が『ゴジラ』を制作したのも『海底二万マイル』と同じ1954年(第五福竜丸がビキニ環礁で実施された水爆実験で被ばくしたのもこの年)であり,また,面白いことにどちらにおいても,軍事,非軍事の両分野で利用可能であるかもしれない技術が,それの発見者の自らの意志による死によって葬り去られてしまいます.ただ,相違もあり,前者でにおける芹沢博士の言葉からは,彼が神や新しい時代に希望を持っていることは凡そ想像できず,人間に対して絶望感を抱いていたことがうかがい知れますが,ネモ船長は,神の存在も,また,神によって導かれた人間(おそらくアメリカ人.彼らにとってみれば,これもManifest Destinyのドクトリンのひとつと言えそうです.)が,その技術を'平和'や人類の'幸福'のために役立てるようになることを信じていたようです.つまり,それこそがディズニーの確信だったと言えるでしょう.核爆弾によって攻撃され降伏した国と,それを開発,実戦に使用して勝利した国の違いなのかも知れません.

以下は,尾形や恵美子の議論の後,テレビに写される悲惨な映像を見て,芹沢博士がゴジラに対してオキシジェンデストロイヤーの使用を決断する場面の彼らのやりとりです.

芹沢「尾形...許してくれ...
もし,これが使用できるなら,誰よりも先に俺が持って出たはずだ.
だが,今のままでは,恐るべき破壊兵器に過ぎないんだ.
わかってくれよ.な! 尾形!」
尾形「よくわかります.だが,今ゴジラを防がなければ,これから先一体どうなるでしょう.」
芹沢「尾形,もしも,一旦このオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後,世界の為政者たちがだまって観ているはずがないんだ.
必ず,これを武器として使用するに決まっている.
原爆対原爆,水爆対水爆,その上さらにこの新しい恐怖の武器を人類の上に加えることは,科学者として,いや,一個の人間として許すわけにはいかない.そうだろ.」
尾形「では,この目の前の不幸はどうすればいいんです.
このまま放っておくより他,仕方はないんですか.
今,この不幸を救えるのは,芹沢さん! あなただけです!
たとえ,ここでゴジラを倒すために使用しても,あなたが絶対に公表しない限り,破壊兵器として使用される恐れはないじゃありませんか.」
芹沢「 尾形,人間というものは弱いものだよ.
一切の書類を焼いたとしても,俺の頭の中には残っている.
俺が死なない限り,どんなことで再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる.ああ...こんなものさえ造らなければ...」

(テレビに映し出される女性コーラスとゴジラの放射能火炎によって灰塵と化した街.そして,バックに流れる彼女たちに歌声)
〽平和(やすらぎ)よ 太陽(ひかり)よ とくかえれかし
いのちこめて いのるわれらの
このひとふしの あわれにめでて

さらに,"Walt Disney Nuclear Power"といったキーワードで記事を検索すると,下のような記事が目につきました.
余談ですが,同様に潜水艦艇が登場するBBCが制作したジェリー・アンダーソンの名作テレビシリーズ『海底大戦争』でも登場する海底安全パトロール隊のフラッグシップのスティングレイ号も,原子力潜水艦であったことも付記しておきます.別にそうした設定自体,不思議でもなんでもありませんが...

冗長な文章が続いて恐縮ですが,最後に,冒頭でご紹介した矢部氏の著書が全体として投げかけている「なぜ,日本の対米隷属は続くのか」と云う疑問に対する答えをどユング心理学的視点に立ったうえで簡単に言うと,「日本民族の精神性が,世界に例を見ないほどアニマに強く支配されているから」に過ぎません.そして,同じく元型論に従うならば,日本人はプエル(永遠の男の子)でありつづけるしかないのです.(その理由は,時間があれば別の機会に私見を綴らせていただきます.)  要するに,永久に日本人は自らが象徴的意味で父親になれないため,父親的なものを外,つまり外国に求めるしかないのです.歴史を遡れば,比較的新しい例として国風文化の時代がありましたが,その間にあっても貴族の間で高級品として,もてはやされたものは衣類から紙などの文房具まで全て唐物,つまり輸入品だったのです.さらに,別の例を近代に求めるならば,漢意(からごころ)を批判し,尊王攘夷思想の基盤を形成したと言われる国学ですが,イギリスとのアヘン戦争における,それまでの日本の象徴的父親だった中国(清)の敗北後は,その政治思想における優位性を実学に譲らざるを得ず,そうした時代の流れのなかで,幕府を始め,諸藩が取り入れ始めたレアルポリティークを一層重んじた明治政府においては,事実上,その影響力を完全に喪失してしまったのです.(国家神道は,明治政府の権力を強化するため伊藤博文や井上毀によって人工的に作り出された疑似宗教に過ぎず,イデオロギーと呼んだほうが適切なものです.余談ですが,明治政府のレアルポリティークの顧問となったのは,オランダ改革派宣教師G. F. フルベッキでした.)

なお,上で日本人はプエルであると述べましたが,その母親が天照大御神であることは,言うまでもありません.古事記によれば,世界が誕生したときに存在した神は,天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) ,高御産巣日神(たかみむすひのかみ), 神産巣日神(かみむすひのかみ)であり,天照大御神は伊邪那岐命が黄泉の国から立ち戻った時に,その鼻から生まれた女神に過ぎず,第42回先進国首脳会議の際に世界の首脳を伊勢神宮へ招待したのは,政治家や官僚たちの「ボクたちのママを見に来て(Come to see my mam ! whom we are proud of」と言う無意識の欲求の表れにすぎません.その目的は,もちろんママを喜ばせるためです.(Surely it'll make to her a real pleasure.)

話を父親,あるいは父親性に戻しましょう.動物における父親の役割というと,一般的に

  1. 家族を守ること
  2. 子供を教育し,独立させること
  3. 家族に食物を提供すること

とされています.(例えば,下のWWFの記事をご参考にされてください.)
しかし,今の日本の現実を見れば,1.はアメリカ頼み,2.は行政(特に国のレベルで)は全く逆の行動をしています.すなわち,国民に情報を隠し,彼らが自ら思考する能力を身に着けないよう,必死になって【幼児退行】させようとしています.(幼児退行オペレーションは官民挙げて実施されていると言えます)と言った理由は,ひたすらアメリカからの指示に盲従する日本国民を作るためです.そして,最後の3.も,もっぱら外国頼みです.というか,外国製のものほど優れていると思い込んでいます.驚くべきことには,水までも...ウォーターフットプリントなどへの配慮など全くないままに...

このような視点に立つと,オーム真理教のような宗教団体の構造を支えているのも,決してマチェズモなどではなく,絶対的母子関係であることも容易に理解できます.(本ブログのこちらの2013年9月3日付ポストでも同じテーマに少し触れています.)

最後に,『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』に登場する'安保村','原子力村'という言葉で思い出したのが,下の写真のエペソスの女神アルテミスです.これら二つの村の村民たちは,皆,この女神の胸の複数の豊かな乳房から蜜ならぬ乳を吸い続けているのです.そして,その母乳は,多くの日本国民,特に沖縄や福島の人々の血や涙,そして命から生成されたものなのです.アルテミスは,ユダヤの密教カバラにおける最初のエバであり,悪鬼化したリリト(Lilith)やギリシャ神話のラミアと共通性を持っていますが,上記二村の構成員である政治家,官僚,企業にとってのアマテラスも,象徴的意味において類似の女神であることは言を俟ちません.(アルテミス(ΑΡΤΕΜΙΣ, Ἄρτεμις)とアマテラス(ギリシャ語で綴ればAματερας),アナグラムである可能性もあります.さらに,個人的には,奈良の唐招提寺の弥勒菩薩の光背を飾る迦陵頻伽も,少なくとも形状から視て前者と何らかの関連があると想像しています.)

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同じ村と言っても,三陸の吉浜村のように,他者に頼らず自分たちの安全を自分たちの決断だけで守った真の意味での自治体としての村と大違いです.

そして,こうした疑似母子的関係を驚くほど明白に表現しているのが【絆】という言葉です.少なくともヨーロッパでは,日本ではこの言葉が用いられる状況に於いて【連帯】という言葉が用いられます.前者の根底にあるのはアニマ的衝動であり,後者において,それはアニムス的衝動です.

この絆という言葉は,かつて東日本大震災後に耳にたこができるくらい,各方面で用いられましたが,その根底をなしているのが,日本古来の氏神を中心に地縁血縁でまとまった運命共同体としての村落共同体的意識です.こうした共同体の構成員は,その土地に生まれた時点でその土地の祖霊の融合体である氏神の氏子となりますが,その土地を離れた時点でそのステータスを潜在的に失います.が,主に企業などですが,日本人が所属するすべての集団は疑似村落共同体であり,絆という言葉は,構成員同士の関係を端的に表現していて,生きるのも死ぬのも皆一緒という(暗黙の裡に強制的に結ばされた)契約のようなものです.それは,かつて第二次世界大戦で叫ばれた「進め一億火の玉だ.」,「一億層玉砕」などのスローガンもすべてこの【絆】意識による発想であり,国民服やモンペなどの全員着用も同様です.そして,言うまでもありませんが,原子力ムラにせよ,米軍基地ムラにせよ,それらを構成している企業,個人を互いに結び付けているのもこのきわめて日本的な【絆】意識なのです.このような,天皇を日本人全員の'氏神'と位置付け,本来,地形によって周囲から切り離された個々の村落共同体の構造を少なくとも精神レベルに於いて強制的に国のスケールに拡大したのが,前述した山口県出身の伊藤博文と熊本県出身のイデオローグ,井上毅だったのです.

絆の対極にあると思われる連帯と云う言葉については,機会を改めて綴りたいと思っていますが,後者はユダヤ-キリスト教文化に根差した思想や意識を強く表すものです.それでも,あえて一言で絆と連帯の違いを述べるなら,以下のようになるかも知れません.すなわち,前者によって支配された集団の束縛を逃れたい場合は,物理的にその場から去れば済みますが,それは,それまでにその集団に属することで得ていた利益をすべて放棄することをも意味します.後者においては,地縁血縁は何の意味もありません.連帯によって結びついている人々は,特定の価値観の共有がそうさせているのです.