Thursday, 4 September 2014

映画『オリエント急行殺人事件』(1974)に登場した車両

今年の夏,パリのアラブ世界研究所に於いて,この映画の撮影で使用された車両が展示されました.

フランス国鉄の230 G形353号機.1963年の『007 ロシアより愛をこめて』など,他の多くの映画に出演したそうです.国鉄に編入される前はパリ・オルレアン鉄道の機関車で,普通/急行旅客/貨物列車の牽引に活躍.16 tという軽軸重のため,大体どの線区でも走れる万能機として重宝がられました.ただ,その軽い軸重のため,勾配区間はやや苦手だったようです.*1) ニックネームは" La Chieuvre".(山羊:Chèvreのことのようです.)右奥に見えるのは,食堂車n°2869"Anatolie"(61 87 08 70 019-9).*2) 230 Gの後ろの建物はアラブ世界研究所の本館で,屋上はパリの街が一望できるお薦めスポットです.(入館無料.但し,入口で持ち物チェックあり.)
食堂車n°2869"Anatolie"(61 87 08 70 019-9)*2) 内部観覧が可能な3両は,この食堂車とL字を描くように奥の建物の手前に平行に配置されていました.なお,ミュルーズの鉄道博物館には,食堂車n°3348が展示されています.
元々,Flèche d'Or号に連結されていたプルマン車n°4159 "Flèche d'Or"(61 87 09 70 159-2)*2) 左手の階段が観覧順路の入口.実際に大陸内でオリエント急行にプルマン車が連結されたのは,第二次世界大戦後のことで,しかも試験的なものだったようで需要が少なかったため,すぐに廃止されたそうです.(Wikipediaの"Pullmanwagen"の情報.)
食堂車,プルマン車,サロン・バー車の側面中央のワゴン・リ社(CIWL)の紋章.車両番号(プルマン車)の左には,登録されているフランス国鉄を表すSNCFの文字が見えます.
展示されていたのは4両ですが,内部が観覧できるのは3両のみ.左奥からプルマン車,寝台車,サロン・バー車.4両目の食堂車アナトリーは,レストランとして営業中でした.(アナトリーの内部の画像は,"voiture restaurant anatolie"などのキーワードで検索してみてください.また,ヨーロッパの鉄道車両のイラストレーションやスクリーンセーバーを提供しているサイトがありますが,その中のCIWLの車両のページへはこちらから.)
7つのシングル/ダブル個室と4つのトリプル個室から構成される寝台車Yt形n°3927.この車両の内部のみ撮影禁止でした.(CIWLの最も旧いタイプ(Y)のため,傷み易いからとのこと.)なお,ミュルーズの鉄道博物館には,最高グレードの寝台車LX形n°3532が展示されています.また,英国シルドンの国立鉄道博物館には,かつてロンドン,パリをフェリー経由でダイレクトに結んだNight Ferry号用に製造されたF形のn°3792が展示されています.(ナイト・フェリー号は,かなり以前に一度だけ利用したことがあります.)同じくロンドン,パリ間を結んでいたゴールデン・アロー号では車両の航送は行われなかったので,乗客はフェリーで英仏海峡を横断し,ドーバーとカレーで同名の別列車に乗り換える必要がありました.
サロン・バー車n°4160 "Train bleu" (61 87 09 70 160-0)*2)
1両目のプルマン車内部.奥は,『スタンブール特急』や『第三の男』などの作者として知られるグレアム・グリーンの座席を再現したもの.(揺れる車内でタイピングは可能でしょうか.)
3両目のサロン・バー車内部.手前は,アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』の登場人物の1人アーバスノット大佐の席のようです.
サロン・バー車内に再現されたアガサ・クリスティーの座席.コートには彼女の写真と説明が書かれた札が下がっています.それを見ると,彼女はシンプロン・オリエント急行およびイスタンブールとアダナを結ぶタウルス急行の常連客だったとのこと.(置かれている写真や新聞の切り抜き(『オリエント急行殺人事件』の着想を得たという,実際に起こったチャールズ・リンドバーグの息子誘拐殺害事件の記事)などから,まさにこの作品を執筆中といった雰囲気.(出版された本もテーブルに載っていますが.)彼女の席の向かい側は再婚した夫の考古学者マックス・マローワンの席.さらに個々の車両の内部の写真は,ジェローム・ギャランさんのFacebookをご覧下さい.
以下,La Chieuvreの写真を数枚.
フレンチロコによく見られる運転台の窓のアーチが優美な印象を与える230 Gのプロフィール.二気筒で動輪直径は1,750 mm(そのせいもあるのか,炭水車(17 D)の車輪がやたらに大きく見えます.),最高速度は100 km/hです.なお,今回の催しで展示された353号機の動態復活計画がAPPMFによって進められていて,同団体は2015年の工事完了を目指しているとのことです.詳しくは,APPMFのFacebookをご覧下さい.(フランス語)(寄付も受付中だそうです.)また,フランス国鉄の同機に関するページへはこちらから.(フランス語)
折角なので,正面も.先輪2軸,従輪無しの3動軸のテンホイラー (Ten-Wheeler)にもかかわらず,軸重16 tとあって,ボイラーはかなり細身.気品を感じさせるシルエットです.白く塗られた緩衝器もおしゃれですね.ちなみに,緩衝器はフランス語で(le)tamponです.
そして,1日も早い動態復活を願って,最後に正統的ポジションから.
アラブ世界研究所の近くで見かけた朝の街の風景
フランス国鉄の発表によるとオリエント急行の展示会には,期間中,250,000人もの入場者が訪れたそうです.なお,同国鉄は,新しい内部デザインのオリエント急行の運行を企画しているようですが,写真を見る限り,あまり魅力は覚えません.(ウェブギャラリーへはこちらから)また,Le Monde Cultureの4月7日付関連記事"L'Orient-Express, la traversée de l'Histoire à toute vapeur"へはこちらから.

ここからは,クリスティの『オリエント急行殺人事件』で殺人の現場となった当時の列車がどのようなものであったのかを見てゆきます.本作品が出版されたのが1934年であるため,その頃のオリエント急行です.まず,路線図から.
クリスティーの『オリエント急行殺人事件』が執筆された時代の路線図.(Wikipediaのオリエント・エクスプレスより)これを見ると,上記のシンプロン・オリエント急行(Simplon - Orient - Express)が,彼女がよく利用したというカレー(およびパリ)とイスタンブールを結んでいた列車の正確な名称であることが判ります.その理由は,スイスのシンプロン・トンネルを抜けてイタリアへ入るからです.実際に,クリスティも作品の中で,この名称を用いています.また,グラアム・グリーンの『スタンブール特急』(1932年出版)の舞台はオランダのオステンデからインスタンブールですが,上の図と下の編成表を見る限り,直通の客車は1両(最後尾から2両目の寝台車)のみだったようです.(上の図での細い線は,本編成に合流する駅迄,別列車に併結されるKurswagenと呼ばれる客車を表しています.なお,オステンデ・ウィーン・オリエント急行という列車も存在していました.)
上の図から,一口にオリエント急行と言っても,厳密には,その名称を含む複数の列車,具体的には'Orient Express'(パリ東駅-ミュンヒェン-ウィーン-ブダペスト),1919年4月から運行が開始された'Simplon Orient Express'(パリ・リヨン駅/カレー-ミラノ-ベニス-トリエステ-ザグレブ-ベルグラード-アテネ/-ソフィア-イスタンブール)が存在していたこと,そして,それらのおのおのが発着駅が複数あり,異なる駅を出発した編成が途中で併結分離を行い,それぞれの目的の駅へ向かっていたことが判ります.クリスティの作品の中でも,アテネ発の編成がベルグラードでイスタンブール発の編成に併結されることが記されていますが,上で述べたように事実です.

次に,殺人が行われたイスタンブール発の編成ですが,2両の寝台車と1両の荷物車だけの至って簡素なもので,食堂車はトルコとブルガリアの国境の駅カピクレ(Kapikure)まで連結されていませんでした.つまり,列車内での食事は,翌朝の朝食から提供されるのみで,出発当日の夕食は乗車前に予め済ませるか,個人で用意しなければなりませんでした.もっとも,イスタンブール発は22:00なので,列車内で夕食を提供する必要もなかったのではないかと思われます.2両の寝台車のうち,1両がカレー行きで殺人事件の現場となった車両です.そして,もう1両パリ・リヨン駅行きです.なお,週に3回,Orient Expressのパリ東駅行きの寝台車1両,またはOostende Orient Expressのブリュッセル/オステンデ行きの寝台車1両が連結され,さらに,週に4回ベルリン行き寝台車1両,またはプラハ行き寝台車1両が連結されました.

ところで,これらの寝台車はSタイプと呼ばれるもので,Sは'Steel'を意味し,それまでの木の台枠に変わって鋼鉄製の台枠を用いており,デビューは1922年.青に金線の塗装は,このタイプから採用されました.車内は1人個室と2人個室によって構成され,2人個室は割増料金を払えば1人で利用できましたが,通常は別の同性の乗客との共用でした.そして,シャワーや風呂も設けられていませんでした.(以上は,マーク・スミスさんのSeat 61のサイトで提供されている情報に基づいています.) なお,クリスティの作品の各登場人物が利用していた個室の位置がWikipediaのこちらの図に記されていますが,これから判断するとS1タイプのようです.(もちろんプルマンカーは,あくまでも物語の小道具(または大道具)でありフィクションです.) 

ここで,テレビの『名探偵ポワロ』シリーズで放映された『オリエント急行殺人事件』で撮影に使用された車両について少し解説させていただくと,イスタンブールのスルケチ駅でポワロが乗り込もうとする車両は,旧ベルギー国鉄の1/2等座席車 n°23009 (50 88 39 48 004-5)*3)で,寝台車でもプルマン車でもありません.(撮影されたのは1等側の出入り口.)また,すでにご説明したように,1930年代当時,イスタンブール発の列車は青塗装に金色の帯の入った寝台車と荷物車のみで構成されていたため,白青塗装の車両は連結されていなかったはずです.なお,英国内で保存されているヴィンテージ車両を調べるには,イングローの鉄道旅行博物館のサイト検索ページが便利です.

なお,気になるクリスティーの『オリエント急行殺人事件』の中で事件が発生したとされる1938年当時の牽引機関車ですが,手元の"BAHN Epoche"の2012年4(秋)号に掲載された1939年8月にブルガリアのソフィアで撮影されたシンプロン・オリエント急行の写真を見る限り,当時,この国における牽引機は,ドイツのハノマグ社によって1930年に製造されたミカド機01形などだったようです.*4) (見た目は,どことなくドイツの03に似た形状をしています.同形の動態保存機の写真はこちら.また,SLMで製造された7両のブルガリア国鉄用01のうちの1両,22号機の動態復活計画が,現在,スイスのフル(241A65協会の本拠地)で進みつつあるようです.)トルコ国内,つまり,イスタンブールからの牽引機は,想像するしかありませんが,恐らくドイツ製の4動軸機45000形から46000形のタイプではなかったかと思います.(上記雑誌に,1939年8月に撮影された,タウルス急行*5)を牽引する46011(2'D)の写真が掲載されていますが,構造的には,旧プロイセン国鉄のP 8をベースに,同じくG 10のシリンダと弁装置,同じくT 18の動輪と先輪を組み合わせたものと言われ,ヴァグナー式除煙板を備えています.)また,製造年代から言って,56000形から57000形も考えられないことはありませんが,これらはすべて5動軸機なので,急行旅客列車の牽引に使用された可能性は極めて低いと思われます.*5) そして,フランス国内では,マウンテンタイプの強力機241Aでした,その他,ドイツ語版のWikipediaにも詳しい情報が記載されています.

以下はおまけの情報です.まず最初は,1988年,はるばる日本までやって来た現代のオリエント急行の写真.寝台車のタイプは最高級クラスのLX

VGBのLegendäre Zügeのお試し閲覧で公開されていたドイツ国内を走行する様子.(厳密に言うと,著作権上問題無きにしもあらずですが...) 牽引機は01 137(現在はドレスデン鉄道博物館で静態保存)+01 531(現在でも各地で運行される特別列車を牽引して大活躍中のアルンシュタット鉄道博物館所有の動態保存機).なお,個人的にこの列車の牽引機として最もふさわしいと確信しているのは,ブルーレディこと01 1102です.彼女は,現在,チェチェニアにて動態修復工事中のようです.
Wikipediaに掲載されていたフリー画像
次は,はるか時代を遡って1921年に於けるシンプロン・オリエント急行のミラノ,トリエステ間の編成表.(Wikipediaより)
面白いことに,食堂車(WR)は先頭の郵便荷物車のすぐ後に連結されています.サロン車はかなり後方ですが,ミラノとトリエステ間のみで連結されていたようです.また,上述したように,この時期,プルマン車は連結されていません.また,使用されていた車両も木製の台枠が用いられた旧式のものでした.
そして,最後は実現しつつある高速列車版のオリエント急行.
2016年春には,パリ,ストラスブール間の新線が全線開通し,両都市間の所要時間が現状より30分短縮されて1時間50分となります.やがては,パリからストラスブール,シュトゥットガルト,ミュンヒェン,ザルツブルグ,ウィーンを経てブラチスラバ,さらにプタペストまでの1500 kmが高速列車で結ばれることになるとのことですが,まさに(シンプロンを経由しないほうの)オリエント急行の現代版といえるでしょう.(全線開通は早くとも2025年以降.)






*1) 粘着重量は,48.6 t.参考迄に,同じ動輪直径を持つ国鉄最大の旅客用機関車C62形では48.23 t(原形),44.59 t(軽軸重形).なお,230 Gの軸配置が2'Cであるのに対し,C62は2'C2'です.
*2) 車両の側面に表記された番号ですが,1922年に国際列車用車両について定められたRICのシステムに従っています.それぞれの数値の意味を知るには,例えば,イタリアの鉄道模型に関するサイトSocietà Lepontina FerroviariaのUICの車両番号システムの解説が記載されているEuropean Freight Car NumberingEuropean Passenger Car Numberingのページ(英語) が判り易く参考になります.

展示された車両のうち,少なくとも寝台車を除いて3両は番号が確認出来たので,上記のページを参考に調べてみると以下のような意味のようです.

  1. 食堂車n°2869"Anatolie"(61 87 08 70 019-9)
  2. プルマン車n°4159 "Flèche d'Or"(61 87 09 70 159-2)
  3. サロン・バー車n°4160 "Train bleu" (61 87 09 70 160-0)
まず,3両に共通の最初の61はEurocity(欧州国際急行/特急)用車両であること,次の87はフランス国鉄登録車両であることをそれぞれ示しています.(ワゴン・リ社はベルギーで設立されましたが,後に本社がフランスに移ったため.)次の数値,08は食堂車,そして他の2両の09はPullman/saloon/party/special carであることを示しています.そのあとの70も3両に共通していますが,これは許容最高速度を表していて,時速160 kmでの走行が可能であるということです.それに続く3桁は製造番号.最後のダッシュの後の数値はセルフチェックディジットです.

プルマン車n°4159の側面下部のRICプレート.最初の160は許容最高速度(km/h).そして,RICの右側のアルファベットは運行可能な国を示しています.("CH"はスイス,"TC"はトルコ("Turkish Republic"の略)です.他は何となく判りますが,"S"はスウェーデンでしょう.スペインは1990年代初頭から新規に敷設された標準軌の高速鉄道路線以外,元々イベリアゲージと呼ばれる広軌(1,668 mm)であり,また,表記は"E"となるはず.さらに,"J"は,もちろんユーゴスラヴィアで,日本を意味したものではありません.)その右の錨のマークは,フェリーによる航送が可能であるという意味です.
*3) 最初の2桁が50なので,国内運行専用車,次の2桁の88はベルギー国鉄に登録されていることを示しています.同じく39は,1等/2等座席車を,最後の製造番号前の48は,許容最高速度が140 km/hであることを示しています.n°23009は,英国のNene Valley Railwayに保存されていますが,食堂車n°2975,1/2/3等寝台車n°3916の2両のCIWL車両も同鉄道によって保存されています. 他にも,英国ではCIWLの1/2等寝台車n°3801Bluebell Railwayによって保存されています.ところで,ドラマに出演したのがNVRのn°23009だとすると,共演した牽引機も,確認出来た形状や車軸配置から言って,ほぼ間違いなく同鉄道で動態保存されている73050 - City of Peterboroughでは?そう思ってWikipediaのBR Standard Class 5の解説を読んだら,正解でした.ということは,撮影地はNene Valley Railway沿線である可能性が高く,そうでなくても英国内ということになります.同機は,同じドラマシリーズの『青列車の秘密』("The Mystery of the Blue Train")にも出演したそうです.それを知って,改めて『青列車の秘密』をみると,列車がパリのリヨン駅に到着した際に映し出される機関車前面のナンバープレートが,フランス風の230 D(またはG) 116(または118)に替えられているのに気がつきました.しかも,軸配置は73050と同じテンホイラー.いやはや芸が細かいと言いたいところですが,1928年のフランス国鉄は設立後はもちろん,それ以前の私鉄の機関車でも煙室扉にナンバープレートがついているものは恐らくなかったと思います.フランスの蒸気機関車の前面ナンバーは,伝統的にフロントバッファービームに表記されているのみです.(英国でも同様のケースが多いように思いますが,まあ撮影クルーたちのご愛嬌だったと思います.)同じく,ニース駅に停車中の列車にも,確認出来たNVR所有の旧ベルギー国鉄1等オープン座席車n°21013(50 88 18 40 013-9)に加え,恐らく,やはり同鉄道所有の旧ベルギー国鉄1等個室(?)座席車のn°21033(50 88 18 40 033-7)も使用されていたようです.(両方の車両番号に共通する18は1等車であること,そして,オープン座席車の場合は16から17列配置,個室車の場合は8室による構成であること,40は,許容最高速度が140 km/hであることを示しています.)

73050は,他にも(ストックショットだと思いますが,)『三幕の殺人』にも出演したようです.なお,この作品にはWSRA7821も出演していました.このように,注意してドラマのポワロシリーズの各作品を眺めてゆくと,他の出演車も目に止まるようになります.例えば,『プリマス行き急行列車』と『二重の手がかり』に出演していたのは,Wikipediaの解説にあるように,GCRLSWR N15Sir Lamiel,また,『ABC殺人事件』,『マギンティ夫人は死んだ』,『負け犬』,『ハロウィーン・パーティー』,『死人の鏡』には,Bluebell RailwayのSR U1638,『スタイルズ荘の怪事件』には,同じくタンク機No. 488,さらに『葬儀を終えて』には,同じくNo.75027,『ジョニー・ウェイバリー誘拐事件』および『西洋の星盗難事件』には,同じくSR Q-class No.541,そして,『猟人荘の怪事件』には,ELRNo.45407.『コーンワルの毒殺事件』には,SDRのGWR 0-6-0PT No 6412.さらに,海を渡ったフランスのドーヴィルが舞台となった『ゴルフ場殺人事件』にフランス国鉄の231 G 558も顔を見せています.同ドラマの中で,やたらに出番が多かったこのエンジンですが,Le Pacific Vapeur Clubが所有しており,オーバーホールも終わりつつあるようで,再び,元気な走行シーンが見られそうです.(フランスのパシフィック機関車のリストはこちら.)なお,ポワロは,長距離を移動するときは,車より列車を好むようです.『ジョニー・ウェイバリー誘拐事件』のラストシーンで,ロンドンまで自分の車で一緒に帰ることを勧めるヘースティングに対し,ポワロは,「列車は車よりすぐれているところがありますよ.燃料切れでストップはしません.」と言って,ロンドンへは列車で帰っています.("Hastings, the train has an advantage on the cars. It is not left without coal.")
*4) "Fuhrmeisters Heimreise im Sommer 1939 Teil 2 (Basra - Hamburg)" in BAHN Epoche,2012年4(秋)号,p44
*5) 『オリエント急行殺人事件』で,スルケジ駅で遅れて来たスウェーデン人の宣教師が慌てて列車に乗り込みますが,そのとき「タウルス急行が遅れたので...」と言いますが,その列車です.

*6) 前掲書, p43

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