Tuesday, 29 April 2014

昭和の日に思い出した米内提督の論文の文章

 凡そ歴史的大事件といふものは、その客観的意義と主観的意義との間に大なる開きを有するもので、しかも革命の時ほどその開きの大なるものはない。平和の時代に於ける歴史は、極めて緩漫に萬人の目の前に展開され、統計とか告示とかいふ温順な『聖衣』を着て居るが、いざ革命となると歴史はソフィストヘルの『法衣』に着換ゆる。卽ち政治の常道は無くなり、目的と手段との釣合が取れなくなる.しかもこの魔性の歴史は人々の脳裏に幾千となく蜃氣樓を現はし、又その部分部分を切り離して、種々様々に之を配列し、又自らは姿を晦まして置いて、所謂時代政治屋を操り、一寸思案してとこの人形政治屋に狂態の踊を舞らせるのであるが、彼等は斯る踊こそ自分等の目的を達することの出来る見事にして且つ荘重なものであると思込んでしまう。斯くして魔性の歴史は人々を歩一歩と思ひも寄為ぬ險崖に追詰むるのである。然し荒れ狂ふ海が平穏におさまれる時の如く、狂踊の場面から静かに醒めて来ると極端なものでも穏健なものでも、又反動主義者でも自由主義者でも又革命者でも反革命者でも誰れでも彼れでも、彼の狂踊の場面で幻想したこと現實の場面で展開されたことは、まるっきり似もしない別物であることに氣附き驚異の目を見張るのである。

米内光政 『露國革命の論理(内戰と外交關係に就いて)』(『外交時報』昭和2年6月1日号所収)より
米内には第一次世界大戦の最中,大正4年の2月から二度に亘ってロシアでの駐在経験があり,二月革命を現地で目撃しています.この論文については,高田万亀子氏の著書に詳しい解説が載っていますが,*1)彼は大正11年末にヨーロッパ出張から帰国し,春日,磐手,扶桑,陸奥の艦長を歴任した後,大正14年には少将に昇進すると同時に第二艦隊の参謀長に着任,そして,その翌年から昭和3年12月に第一遣外艦隊司令官を拝命するまでは軍令部第三班長(情報担当)の任に就いていたので,その間に執筆したようです.*2) 太字で示してあるのは,緒方竹虎著『一軍人の生涯』で紹介された,自らが首相を務めた内閣が陸軍などの抵抗によって倒された後の昭和15年8月に,時世を憂い,風刺して親友の荒城二郎宛に米内が書いた手紙の一節とほとんど同文と高田氏が指摘している箇所です.



*1) 高田万亀子『静かなる楯 米内光政 上』東京,原書房,1990年,pp47ff;高田氏の解説によると,「米内が本音と建前を弁別し,徹底して現実的立場からものを見る人」であり,「列国の対外政策はギヴ・アンド・テイクで,友好的なものでもすべては実利と権謀の中に指摘」しているとのことですが,こうした米内の姿勢には,西南諸藩によるクーデターの際に賊軍の汚名を着せられ,明治政権による処罰の対象となった南部藩の士族の家系に生まれたことも影響しているように思えてなりません.

ここからは本題から外れます.米内が三国同盟そして日米開戦に反対し,最後はその幕引きに尽力したことはよく知られたところですが,結果的には真珠湾攻撃という大博打に出た開戦時の
連合艦隊司令長官山本五十六(その前は米内海相の下で海軍次官)も三国同盟や日米開戦に大反対でした.そして,もう一人,やはり三国同盟や日米開戦に反対し,戦争の最終段階で米内海相の下,海軍次官として戦争を終わらせる上で重要な役割を果たした井上成美(米内海相,山本海軍次官時代には海軍省軍務局長)という人がいますが,面白いことにこの三人の出身地はすべて西南諸藩によるクーデター勃発時奥羽越列藩同盟のメンバー藩でした.(米内はすでに述べたように南部藩,山本は越後長岡藩,そして,井上は盟主の仙台藩出身.)

さらに話を脱線させると,南部藩出身の有名人として,国際連盟事務次長を務め『武士道』の著者でもある新渡戸稲造,平民宰相と呼ばれる原敬などが挙げられますが,後者は西園寺内閣における内相兼鉄道院総裁当時,後藤新平や島安次郎技師(新幹線の生みの親,島秀雄技師の父)らが練り上げて来た日本の鉄道の広軌改築計画を葬り去った張本人であり,個人的にはあまり好きな人物ではありません.(そのため,日本の鉄道の軌間は標準軌4フィート8.5インチ
(1,435 mm)が採用された新幹線,京成電鉄,都電,都営地下鉄などごく一部を除き,植民地用軌間(Colonial gauge)と呼ばれる貧相な3フィート6インチ(1,067 mm)のままです.(様々な軌間が入り乱れるインドなどよりは若干ましかもしれませんが.)もちろん,元を辿れば,明治政府内で鉄道建設には人一倍熱心だったにも拘らず,何も知らずに狭軌を選択した大隈重信(佐賀藩,当時大蔵大輔))や英国留学の経験がありながら,日本には狭軌が適当と判断した初代工部省鉄道頭井上勝(長州藩)たちの責任でしょうけれど.)Cf. 橋本克彦『日本鉄道物語』(講談社文庫),東京,講談社,1993年,pp85ff, p271
*2) 高田 前掲書, pp39ff

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