Sunday 18 August 2013

尚武の国,スイス...?

(このポストを公開した際,スイスが世界第2位の武器輸出国と誤った記載がありましたので当該の文章は削除させていただきました.実際は,12位です.Cf. "Arms industry" in Wikipedia.以上,お詫びして訂正致します.)

来月22日に予定されているスイスの国民投票について,最新の世論調査の結果がSwissinfo.chの記事"Obligatorische Wehrpflicht bleibt den Schweizern heilig"*1)
に紹介されていました.下に示されている一番上の円グラフは,国民皆兵制度廃止に対して賛成,反対のどちらに投票するかを訊ねた結果ですが,赤い部分が反対およびどちらかというと反対という回答の割合を示していて,合計で57%の人が廃止には反対票を投じる予定のようです.

Resultate 1. Abstimmungsbarometer gfs.bern/SRG  - via swissinfo.ch

スイスという国には不思議というか,面白いというか,ユニークなところが少なくありませんが(日本も向こうの人にすれば変わった国と思えるでしょうが*2),国民皆兵制度は特にドイツ語圏では文化の一部になっているというようなことを聞いたことがあります.(フランス語圏ではそれほどでもないそうです.)それにより友達の輪が広がるとか(国民同士の団結が強まる),兵役において昇進するなど優秀な成績を残すと勤務先の企業でも優遇されるとか...映画でも少々変わった兵士を題材にした"Soldat Läppli"というコメディーがありますが,いわば,チェコの『善良な兵士シュベイク』のスイス版です.日本にも故春風亭柳昇師匠の『与太郎戦記』がありますね.

最後に,誤解を避けるために付け加えますが,国民皆兵制度自体が不思議な制度ということではありませんので念のため.もっとも,以前,スイス人のある実業家の方から伺ったことですが,スイスが独立していられるのは経済的にうまく行っているからであって,もし経済がだめになれば,スイスは周辺の国に吸収されて消滅してしまうだろうと,その方をはじめ考えている人もいるようです.恐らく冗談まじりだったと思いますが.とはいっても,スイスというと軍事産業が盛んなことでも知られていますし,国民皆兵制度を始め,防衛政策もかなり実践的です.例えば,高速道路上で戦闘機が離着陸出来る区間があちこちに設定されていて,たまに当該区間が閉鎖され訓練が行われることもあります.その他,大規模な建物には必ず核シェルターの設置が義務づけられていますし,あちこちに人々が普段でも実弾をつかって訓練できるように射撃場が設置されています.

日本でも,先日の参議院選挙で,少なくとも投票に赴いた方の大半は国防軍なるもの(今の自衛隊と比べてどこがどう違うのかよくわかりませんが)の設置を希望しているようなのですが,国防に関してはスイスのような国を希望されているのでしょうか...ただ,軍事大国といえないこともないスイスですが,その一方で,最低年3週間の有給休暇もばっちりとります.*3)さらに,OECDの統計を見ると単位時間当たりの国内総生産もトップクラスです.ようするに労働効率が良いということですが,同じデータで下から数えたほうが早い日本の順位*4)を見るとき,ほんとうにスイスみたいになれるかなと首をひねってしまいます.さらに戦争遂行には用兵においてはもちろん,兵器開発および生産においても合理性が必要であることは論をまちませんが,先の戦争において結果としてその両方において合理性を欠いていたことが明らかになっています* 5)果たして,そうした合理性を今の日本人が身につけているかおおいに疑問です.さらに加えるならば,自国の存続のためのみならず,そのために自らの命を捧げて悔いる事のない崇高且つ普遍的な大義(建前だったとしても)と国民全体が付き従う事のできるリーダーも,少なくとも第二次世界大戦における連合国側を見る限り,勝利を目指して戦争を遂行するためにはあったほうがよさそうです.*6)連合国側が掲げた大義は,自由を守ることだったでしょうし,また,国民全体を団結させる指導力を持っていたのが,英国のW. チャーチル首相であり,米国のF. D. ルーズベルト大統領です.こうした要素が今の日本にあるでしょうか.最後にもうひとつ加えたいのが,透明性です.戦争の見通しや資源の備蓄などについて,日本の軍部は天皇にさえ真実を伝えませんでしたが,The Times(US)を始めアメリカのニュースメディアは戦死した兵士たちの写真を掲載し*7),また,ルーズベルト大統領も,参加した海兵隊員10000名のうち1/3が死傷したというタラワ島の戦闘の模様を撮影した死傷者の映像も含むニュースフィルムの上映を命じています.もちろん,結果的にこうした情報開示は,アメリカ国民の日本人に対する憎悪を増大させ(たちまち,"Death to the Japs!"の大合唱が巻き起こりました),同時に,早く戦争を終わらせなければならないという強い使命感も形成させ,それによって国民全体が団結し,戦争の早期終結へ向けて一丸となったことも事実であり,それがこれらのメディアを使う側の意図だったかもしれません.しかし,少なくとも国民は限られた形にせよ,真実を目にすることができ,自分たちが置かれた状況を知ることができたのでした.こうした透明性が,現在,多くの有権者が望んでいるという改訂憲法において担保されるでしょうか.

なお,国民投票の結果に興味をお持ちの方は,22日付のスイスの各ニュースサイトを閲覧されるか,あるいは,http://www.suedostschweiz.ch/multimediaなどで配信されるニュースなどを視聴されるとよいでしょう.*8)後者はグラルスのTV局で地元の言葉で放送されます.(アルプスの少女ハイジが話している言葉.)

このポストを一旦公開した後,ちらっとTages-Anzeigerのヘッドラインを見たら,国民皆兵制度廃止を望む団体の意見として,志願制のほうがより効率的な運用が可能であることが挙げられているという内容の記事が目につきました.*9)



*1) Written by Sonia Fenazzi, Swissinfo.ch
*2) 例えば,今年になってヨーロッパ(少なくとも仏独語圏)のニュースメディアは,日本の政治家たちの言動に関してやたらにたくさんの記事を載せましたが,ほとんどが第二次世界大戦中の日本が周辺国に対して行った非人間的行為を否定する発言や,ヨーロッパでは考えられないようなナチス礼賛についてのものでした.なお,「従軍慰安婦」は,英語では"Confort women"ですが,フランス語では,"Femmes de réconfort",そしてドイツ語では"Trostfrauen"(仏独語ともに複数形)と訳されています.こうしたキーワードでLe Monde(仏),Die Spiegel(独),NZZ(瑞)などのサイトで検索すると,はっきり言っておびただしい数の記事が表示されます.なお,Le Mondeなどのフランスのメディアで検索する場合は,femmes réconfort Japonなどと入れた方が結果が絞られるようです.気になるのが,従軍慰安婦についての記事では,ほぼ例外無く「20万人のアジア人女性が日本軍兵士のために強制売春させられた」というように,その数を20万としていることです.いずれにせよ,今や,ヨーロッパでは,日本は第二次世界大戦当時,従軍慰安婦としてアジア人女性20万人に兵員たちに対し強制売春をさせ,それを罪悪として認めていない(あるいは,認めたがらない)ということは,常識として定着したようです.日本人政治家の先生たちの確固とした信念から発せられた数々の言葉によって.(数字はともかく歴史的事実であることは確かですが.)
*3) 古いデータで恐縮ですが,例えば,こちらの2009年のデータでは,スイスの年間の有給休暇は20日となっています.日本は10日.そして,トップのフランスは30日.
*4) 日本の単位時間当たりの国民総生産の生産量は,OECD全加盟国の平均44.6USDより低く41.6USD.なお,一応日本も含まれるG7の平均は53.3USD.
*5) Cf. 例えば,内藤 初穂 著『海軍技術戦記』,東京,昭和51年,図書出版社など.また,最近では,中田 整一 編『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田満津雄自叙伝』も戦争に挑む日本人の姿勢における非合理性について多くの示唆を含んでいます.
*6) 吉田 茂 著『鎮魂 戦艦大和』の中で言及されている兵学校卒の士官と短期現役士官たちの間の衝突の原因も後者が普遍的な大義を求めていたからだったといえるでしょう.古来,地縁血縁によって自然成立した共同体の中でのみ生きて来た日本人は普遍的な倫理という概念には慣れていないのですが,それは兵学校以外で高等教育を受けた若者たちが死を直前にして感じた実存的な疑問の素直な表明でした.伝統的に日本人にとっての善とは,自分が属する集団の存続,繁栄のために犠牲となることであり,それが家族より高位のレベルに対する場合は「忠」,親や家族の目上のものに対する場合は「孝」なのであって,それらの枠組みから離れての善,悪,あるいは,それらを超越する善,悪といった倫理概念はあまり発達しなかったのです.それが,*2)で述べたような政治家の発言を招いてしまっていると言えると思います.問題とされる発言をする政治家及び彼らを支持する人たちにとっては,国家という共同体に自らを犠牲として捧げたと認められる行為が善,逆の行為が悪という価値付けのみが可能なのです.言い換えれば,国家を超えた次元に於ける善,悪の価値付けには意味や必要性を見いだせないのです.しかし,一神教の啓示宗教の文化圏に属している西洋諸国にとって,所属する集団の利益,例えば国益も重要ですが,同時に人類共通の普遍的な価値を考慮することも重要なのです.そのため,ことさらに自国の戦死者のみを慰霊および崇敬の対象として祀り,日本の侵攻および支配によって被害を受けた周辺諸国の犠牲者について関心を示さない姿勢は,西洋諸国から奇妙と思われて不思議ではありません.

ルネサンス,宗教革命,啓蒙主義運動,市民革命といった一連のプロセスによって人権等の普遍的とされる倫理的価値を築いてきた西洋諸国に比べ,我が国においては,自らの出生によって自然に成立した家族やそれを含む村落という共同体の存続および繁栄のために無条件で尽くすことが唯一の倫理であり,その倫理に対して疑問を持つ事自体あまりなされてこなかったのみならず,時には疑問を持つ事がタブーとされてきました.そのため,自分が属する共同体を超えて存在し得る価値などが議論の対象となる契機が封じられてきたことも事実です.それはまた,ユダヤ教やキリスト教のように,万物の創造主である超越神による被造物である人間への普遍的な価値の啓示という経験を持たない私たちの限界とも言えるかもしれません.ところで,このように所属する集団への無条件の服従をひたすら教え込んだ我が国の歴史は,日本人の無責任と見える姿勢をも生み出しましたが,同時に彼らの運命主義的な姿勢をも培ったとも言えます
*7) The Three Americans in The Times, Sept. 20 1943.ニューギニアの海岸に横たわるアメリカ軍兵士の死体を撮影した写真が掲載されました.
*8) 先日,新しくなったSFのサイトですが,どういうわけか以前視聴出来たTagesshauが視聴できません.ファイルのダウンロードはできるのですが,面倒なので最近は上記の東南ドイツ放送のニュースを視聴しています.ご参考迄に,自宅の環境はMacとFirefoxなのですが,そのせいとも思えません. 
*9) «Eine Freiwilligenarmee ist leistungsfähiger» 8月15日付の記事ですが,すでにコメントが250以上も寄せられています.

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