Saturday 4 November 2017

JR山田線宮古駅の「超我の礎」いまいずこ

明日,盛岡,宮古間の直通運行が再開される山田線の宮古駅近くのホテルの一室でこれを綴っています.

ところで,宮古駅には,昭和19年3月12日に起きた貨物列車の転落事故で殉職された機関士の方と機関助士(軽傷)の方の記念碑(「超我の礎」)が建っていたのですが,残念ながら,少し前に撤去され,その後は行方知れずとなっているそうです.(実は,そうではなかったことが,運行再開の日,すなわちこれを書いた翌日の朝に判りました.右側のお知らせをご参照ください.)

事故の発生現場は,平津戸 - 川内間の小滝鉄橋.午前7時56分に平津戸駅を発車した盛岡発・釜石行下り貨物465列車(宮古機関区所属C58形283号蒸気機関車牽引・現車13両・換算14.8両・重量148トン)第二小滝隧道を出たときに小雪崩に襲われ,視界が悪くなっていたため,その先にある該鉄橋の橋脚が,以前に発生した雪崩によって傾いていた状態にあることが確認できず,突っ込んだようです.(Wikipedia,日本の鉄道事故の項より)

事故機は,のちに引き上げられ,修理されて現役に復帰.山田線が無煙化される1970年の2月に蒸気機関車お別れ列車を牽引して山田線のスチームエイジの終焉を飾りました.そして,解体された際に外されたナンバープレートが上述の記念碑の二人の鉄道員の名前の傍らに埋め込まれたのでした.なお,C58形は,大正時代の国産の名機,かつて花輪線の三重連で鉄道ファンたちを魅了した8620形の速度と9600形のけん引力を併せ持つ後継機,すなわち客貨両用の万能機として多数製造され全国で活躍(413両),個人的に日本の機関車で最も好きな形式のひとつです.理由は,ボイラーが細身だから.そのため,プレーリー(1'C1')ながら軸重が13.50 t(第3動輪)と軽く,日本のどこでも走ることができました.

悲惨な鉄道事故ですが,一方で,そうした緊急事態に遭遇した際に乗務,あるいはたまたま乗り合わせていた鉄道員の方の採った行動が多くの乗客の命を救ったというエピソードも残っています.有名なものをひとつ挙げるとすると,三浦綾子さんの小説『塩狩峠』のプロットとなった宗谷本線の同名の峠で発生した事故.上り勾配の途中,機関車と客車を繋いでいた連結器(自動式)が自然に開放し,機関車から離れた客車が下り勾配を速度を上げながら逆行するのを自らの体を線路の上に投げ出し,カーブの手前で脱線寸前の車両を止めたのは,鉄道院(国鉄の前身)職員で庶務主任の長野政雄さんでした.1909年(明治42年)2月28日のことです.

そういえば,前述の山田線の貨物列車転落事故は,映画『大いなる旅路』(1960年,東映)で再現されました.また,機関車が転覆する事故は,同様に映画『喜劇 各駅停車』(1965年,東宝,原作は信越線の機関士だった清水寥人の著作『関士ナポレオンの退職』)でも取り上げられていました.
(下は,数年前に釜石線の遠野駅構内で撮影したSL銀河号を牽引するC58 239号機.トンネルの多い山田線の機関車は集煙装置を装備していました.)




明日は,朝9時30分宮古発の快速リアス号で盛岡に戻る予定です.

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