Sunday 21 October 2012

ノイエンマルクト蒸気機関車博物館

正式名称は,Deutsches Dampflokomotiv-Museum,ドイツ蒸気機関車博物館です.ウェブサイトは,ドイツ語のみでこちらです.

ノイエンマルクト(Neuenmarkt-Wirsberg)は,しばらく前迄,ここからマルクトショルガスト(Marktshorgast)までの6.7km,Schiefe Ebeneと呼ばれる急勾配区間(最大勾配23.0‰)を通過する列車の補機として用いられる機関車の基地だったところです.

まず,こちらの博物館を訪れるにあたって気を付けたほうがよい点をニ点ほど.

  1. 博物館のサイトに記載されているとおり,現在,博物館は大規模な改装工事中で,特に機関車の屋内展示場である扇形機関庫内に,工事や清掃のための道具があちこちに置かれ,それらが障害物となって機関車が思うように撮影できない.いずれにせよ,機関車群を撮影したい場合は,それらが屋外に移動される,特別なイベントに合わせて訪れたほうがよい.(今年の5月26日から28日にかけて開催されたイースター蒸気機関車祭(Pfingst-Dampftage)など.詳細は,イベント案内(Veranstaltungen)や年間予定表(Jahresprogramm)を参照ください.)
  2. ノイエンマルクト駅では,リヒテンフェルス(Lichtenfels)方面からやってくる列車がホーフ(Hof)行き編成とバイロイト(Bayreuth)行き編成に分離されるため,これらの駅に向かう場合は,乗車する編成に注意すること.(今回,滞在先のニュールンベルグからバイロイト経由でノイエンマルクトを訪れたのですが,戻る際に,間違えてホーフ行き編成に乗車してしまい,検札にきた車掌さんに注意されるまで気がつきませんでした.)

さて,今回,この博物館を訪れた第一の目的は《ブラック・スワン》("Schwarze Schwäne")のニックネームを持つ,ドイツ連邦鉄道*1)の最後の蒸気機関車10形を見るためでした.*2) ただ,見ることは見たのですが, 展示されている機関庫のサイズが小さいため,機関車の周囲に空間的余裕がなく,全体を思うように撮影することができませんでした.そして,これも機関庫のサイズが小さいためと思いますが,特定の機関車は,炭水車がはずされて展示されています.

10形は,三気筒のパシフィック(2'C1' h3)で,それまで活躍していた急行旅客列車用の01, 03, 18.5, 普通旅客列車用39の代替機として設計された機関車です.1957年から2両だけ製造され,1968年に現役を引退しました.動輪直径は2000mm,最高速度は140km/hです.なお,1号機は石炭重油併用燃焼方式,2号機は重油燃焼方式です.(cf. Wikipedia, "DB-Baureihe 10") ノイエンマルクトに保存されているのは,1号機(10 001)です.*3)*4)

博物館の入り口 受付は左側の建物の中.建物の奥が機関庫(屋内展示場)です.
ワンちゃんは,入れません.
機関庫の隅に展示されている10形 緩衝器まで含めると26mを超えるので,このサイズではきつそう.それにしても,白い柱が邪魔です.前方のフェンスは,改装工事のために設置されているもののようです.流線型カバーのフェンダの白線のデザインは,ハイルブロンの鉄道博物館に保存されているブルーレディこと,01 1102と同じ.何かをシンボライズしたものと思うのですが,何をシンボライズしているのか,今のところ不明です.が,フランスの《女神》こと232 Uのボディに引かれたラインが白鳥を表しているとのことなので,なんとなくこちらも白鳥が羽を広げたように見えなくもありません.
ロッドと動輪との接合部分が,他形式における角形のフライ返しのようなそれと比べ,円形であることが,独特の形状の流線型カバーと相まって,このマシンに無類の優美さを与えているような気がします.主動輪の上には,クルップ社の社票が見えます.
炭水車の側面の表記 炭水車を含む車両重量,高速制動重量,旅客列車用制動重量,貨物列車用制動重量の各値,炭水車に積載可能の水の量,重油の量などが記されています.
後ろ姿も華麗な10形なのですが...なにぶん屋内展示場になっている機関庫は清掃中だったもので.
このポストを公開してからおよそ4年後の2016年11月5日.0110と41が特別列車を牽引しましたが,当日,10 001は,博物館のヤードでその優美な姿を見せてくれました.下は,その折に撮影した2枚です.


次に目を引かれたのは,ドイツの貨物用蒸気機関車の進化を象徴する44,50,52の三形式の展示です.44形は,三気筒1E,50形は同様の車軸配置ですが,ニ気筒ながらも44形を上回る性能を持った機関車.そして,52形は,50形をベースにした戦時機関車というわけです.*5)  三形式とも,動輪直径は1400mmで,国鉄D51形と同じ.同じくタンク機関車E10の場合は,車軸配置は1E2で,動輪直径は,1250mmです.なお,参考迄に,ドイツの蒸気機関車の中で最も動軸数が多いのは,マレー式の貨物用タンク機96.0(旧バイエルン国鉄のGt 2x4/4)形で8本,テンダー機では59(旧ヴュルテンベルグ国鉄貨物用K)形で6本でした.

44形のシリンダに貼られたクラウス・マッファイ社の社票
ニ気筒の50形 エプロン部がすっきりしています.右隣は,浴槽形炭水車が特徴的な52形.
50形の走り装置
まさに戦時機関車そのものといった形状のノイエンマルクト博物館の52形.
細部に至まで徹底的な省略化が図られていることがわかります.
運転室の側窓の前半分は省略されています.
52形の後部

この他,急行旅客列車用機関車の花形01,18も展示されています.

二気筒の01形のシリンダに貼付けられているシュヴァルツコプフ社の社票
四気筒の18形
18形のシリンダ部
ドイツの蒸気機関車の形式名(新表記)の解説 例えば,急行旅客列車用は,01から19までが割り当てられており,07, 08, 09, 11, 12形は存在しない等々.さすが,ドイツ蒸気機関車博物館というだけのことはありますね.なお,ドイツの蒸気機関車の形式番号については,Wikipediaのこちらの項目(英語)をご覧下さい.ところで,知人曰く,私たちのように機関車の構造(もちろん,あまり詳しいことはわかりませんが)に興味を持つ鉄道マニアは,《メカ鉄》などというのだとか.
ついでにこちらも.運転室の窓下のサインの説明です.煙突に火粉止が装着されているサインや特定箇所がEBO(Eisenbahn-Bau- und Betriebsordnung=Ordinance on the Construction and Operation of Railways)の車両限界を超えていることを示すサイン等々.勉強になります.

次は野外展示されている車両の主なものです.

右側の食堂車は,営業中です.初めて食べるケシ(Mohn)のあん入りケーキとコーヒーで一服しました.
可愛らしい狭軌用機関車99.51-60形(旧ザクセン国鉄IV K).タイプは,B'B' n4vt(タンク型複式4気筒飽和蒸気機関車).このバリエーションは,密着連結器が装備されていて,緩衝器がありません.
片側二シリンダが向かい合うという面白い構造のランニングギアが特徴的.メイヤー式と呼ばれるこの方式は,似たようなマレー式よりも誕生が早く,99.51-60の場合,前部のシリンダは低圧蒸気用.後部のシリンダは高圧蒸気用です.四つのシリンダを向かい合わせに配置するのは,高圧蒸気用シリンダから低圧用シリンダへの蒸気の移動距離を短くするため.また,マレー式では,通常,前部動軸群のみが台車に取り付けられていますが(例えば,旧バイエルン国鉄の貨物用タンク機Gt 2x4/4.後に帝国鉄道の96.0),メイヤー式では,前部,後部の各動軸群がそれぞれ別の台車に取り付けられているため,両方の動軸群が,それぞれ独立してカーブに沿って向きを変えられる構造になっています.(99.51-60のタイプ表示であるB'B' n4vの両方のBに付けられたアポストロフィがそれを表しています.ちなみにGt2x4/4のタイプ表示はD'D h4vt.後部動軸群にはアポストロフィがついておらず,カーブに沿って回転することはできないという意味です.)

キャプには,"Deutsche Reichsbahn"のプレートが貼られています.タンクに貼られたどくろマークは,「飲み水」ではないという意味.なお,彼女の妹達,99 582と99 585が,現在,シェーンハイデ保存鉄道で元気に活躍中.この保存鉄道では,99形が牽く列車内で結婚式も挙げられるそうです.なかなか風流な趣向.同形機は,他にもいくつかの保存鉄道で活躍中です.なお,99形のバリエーションについては,Wikipediaの"BR 99"をご参照ください.また,この機関車のナンバープレートに付記されているダッシュ付きの一桁の数字の意味については,こちらを参照ください.
ノイエンマルクト(Neuenmarkt-Wirsberg)からマルクトショルガスト(Marktshorgast)に至る急勾配区間(Schiefe Ebene)を通過する列車の後補機として用いられたタンク機関車95形(1'E1' ) 頼りになりそうな,たくましい面構えのこの形式は,上記のドイツ最大のタンク機関車Gt 2x4/4(96.0)形とほぼ同じ馬力を備えていて,その意味でドイツ最大級のタンク機関車と言えます.この車両の妹にあたる95 027が数年前に復活し,現在"山の女王"としてRübelandbahnで元気に活躍しています.

なお,機関庫に併設された建物の二階にSchiefe Ebene区間を再現した模型レイアウトがこの路線の歴史の説明とともに展示されています.

模型レイアウトですが,ふと旅情さえ感じてしまうほどの精巧さ.
転車台ニ機を備えた全盛時のノイエンマルクト
もともと,この区間は,ルートヴィヒ南北鉄道の一部でした.そして,この路線の起源は,1835年12月7日,ニュールンベルグ–フュルト(Fürth)間に開通したルートヴィヒ鉄道まで遡りますが,最初に走った列車が運んだものが,ビールの樽ニ樽だったそうです.さすがは,10月のビール祭で知られるバイエルン.
1852年当時の時刻表 《王立バイエルン鉄道》の表記.
1935年当時のノイエンマルクト構内図 赤い部分が増設された施設 二つ目の扇形機関庫が増設されました.
ノイエンマルクトから始まる急勾配区間の後補機に使われた機関車 真ん中の95形は,ノイエンマルクト蒸気機関車博物館に野外展示されています.(上掲写真) また,一番下のGt 2x4/4形(96形)は動軸数8のドイツ最大のタンク機関車です.
Schiefe Ebene区間を疾走する最後の蒸気列車 1975年1月11日(展示写真) また,ドイツ鉄道開業175周年の2010年に運行された特別列車の写真はこちらから.写真に写っている35形は,23形の改良モデル.そして,この特別列車の映像が納められた南西放送の番組"Eisenbahn Romantik"の2011年1月6日放送分の動画はこちらから.前補機に35形,主務機01 5型(オーストリア鉄道歴史協会所有),そして列車後尾の後補機38形が協力して勾配を登っています.(再生開始後およそ10分過ぎごろから.)今年の11月9日には01 20201 150の重連がヴュルツブルグ,ノイエンマルクト間で特別列車を牽引し,シーフ・エーベネに挑みます.詳しくは,こちらのポストをご覧下さい.さらに,来年2014年の2月8日には,ウルム鉄道友の会が主催して01 150牽引の特別列車がシュトゥットガルト,ノイエンマルクト間で運行され,再びシーフ・エーベネを駆け登ります.詳しくは,こちらのフライヤーをご覧下さい.(運行番号14020801.大人往復2等:89 €;1等:119 €.食堂車連結.)
駅に戻る途中,見かけた,たわわに実ったりんごの木 奥に見えるのは50形
スイスに戻る途中,カルルスルーへの駅で




*1) 現在のDeutsche Bahn AG (DB)は,ドイツの再統合後の1994年,旧西側のドイツ連邦鉄道(Deutsche Bundesbahn)と同東側のドイツ帝国鉄道(Deutsche Reichsbahn)が併合されて誕生しました.
*2) 東西ドイツ国鉄時代,西ドイツ国鉄(ドイツ連邦鉄道)で新たに製造された"Neubaulokomotive"のひとつ.西ドイツ国鉄のNeubaulokとしては,10形のほかに旅客用テンダー機23形, 旅客用タンク機の65形66形, 貨物用タンク機82形があります.(下の画像はWikipediaの""Einheitslokomotiveに掲載されている写真です.撮影地は旧Bochum-Dahlhausen機関区.現在は鉄道博物館があります.)

また,東ドイツ国鉄によって開発された機関車は,旅客用テンダー機の23.10形25.10形, 貨物用テンダー機50.40形, 旅客用タンク機65.10形, 貨物用タンク機83.10形, 狭軌用タンク機の99.23–24形99.77–79形です.
*3) フランス,ミュルーズの鉄道博物館に展示されている,フランス国鉄最後の旅客用蒸気機関車,《女神》こと232U1と動輪直径や最高速度を比べると性能的には同等であり(構造上は,10形は3気筒,女神は4気筒.また,軸配置では,前者は2C1ですが,後者は形式名からも判るように,両方とも当時の鉄道車両技術の最高水準に位置するものと云えるでしょう.
*4) これで,以前に載せたポストで紹介いたしました,憧れのドイツの蒸気機関車のすべてにお目にかかることができたので,とりあえず気がすみました.
*5) ドイツ帝国鉄道中央機関車開発局長のFriedrich Witteが最初に手がけたのが52形の開発であり,彼の名前がつけられたヴィッテ式除煙板が最初に装着されたのがこのマシンでした.それまでの,視界を妨げすぎるとして機関士たちの不評を買っていた,前任者のPaul Wagnerの名前がつけられた大きなヴァグナー式除煙板に比べて材料の節約のみならず,視界の改善にも大きく寄与した発明でした.日本でもこれに習って九州の門司鉄道管理局が開発した門鉄式除煙板が,主に九州の機関車に装着されましたが,こちらのほうはドイツのSLに比べて,個人的にはどこかしっくりしないものを感じました.また,52形は枠およびボイラーが完全溶接によって製作された最初のマシンでもあります.部品を徹底的に省略した効果と相まって,車両重量はベースとなった50形を下回っていました.

No comments:

Post a Comment