Friday, 5 December 2014

Twitter上で黒人差別を告発する白人たち#CrimingWhileWhite

こういう動きが自然と始まるのがアメリカの好きなところです.(Cf. "Les Blancs américains tweetent leurs délits pour défendre les Noirs" in L'OBS)

以下,今回の一連の人種差別の話を聞いて思い出したエピソードのひとつ,真珠湾攻撃総隊長淵田美津雄さん(当時中佐)が日本が降伏した後に体験したことです.開戦劈頭,ハワイの太平洋艦隊基地を攻撃した飛行隊の総隊長として,連日,アメリカ軍の取り調べやアメリカの新聞記者のインタービューの対象となっていたころ,ある日,淵田さんは以下の体験をしました.

 するとその日の午後であった。黒人兵二人が、私の宿舎にやって来て、部屋の窓ごしに覗きこみながら、スターズ・アンド・ストライプスに載っている私の写真と、私の顔とを見くらべている。気味が悪いったらありゃしない。
 こうして首実検が済んだと見えて、黒人兵たちは、指で私に出て来いと招く。薄気味悪いけれど、さからっては何を仕出かすか分らないので、私はおとなしく部屋から出て行くと、案の定、彼らのやって来たジープに乗れという。私は誘拐されるのかと思ったが、勝手にしやかれと観念して、ジープに乗ると、やがて三十分ほど走って、丸の内の郵船ビルの裏手に着いた。そこで彼らは私を下車させたのであるが、この前後から私は、彼らの態度を通して、彼らに悪意のないことを覚えつつあった。
 その郵船ビルは、占領軍進駐の当初、米軍将校たちの宿合に当てられていたので、この黒人兵たちは、そこのバーで働かされていたのであった。こうして私はビルの裏手から連れ込まれて、エレベーターは用いずに、せまい階段を這うように上がって、彼らの働くバーの楽屋裏に案内された。そして、案に相違の大歓迎であった。
 この三人の黒人兵のほかに、バーで夕方の準備に忙しく働いている大勢の黒人兵たちも、みんな私に手を差しのべて、飲みねえ、とばかり、ウイスキーのグラスをつきつける。食いねえ食いねえとばかり、クラッカーをさし出す。
 私には、何のためにこのような歓迎を受けるか見当がつかなかったが、だんだんと分って来たことは、彼らのジェスチャーで、「真珠湾空襲を誰が一番喜こんだと思うか」との問いかけであった。そしてその符えは、われわれ黒人だよ」と言うのであった。
 私はこのとき初めて身をもって、自と黒との人種的トラブルの申告さを味わった。黒人は自人に対して、先天的に、蛇に呪まれた蛙みたいに頭が上がらないものとされて来た。しかし彼らは、白と黒との差別待遇には我慢のならない思いを、いつも泣寝入りさせられて来たのであった。それが真珠湾で小気味よく白人の横づらをなぐり飛ばして呉れた。われわれ黒人は溜飲を下げた。そのお礼にいまサービスするというのである。しかし占領政策で、占領軍兵上の日本人との交歓は禁止されているので、大びらに出来ないから、このような楽屋裏で我慢して呉れとの申出であった。
 私は、この皮膚の色が違うというだけの宿命的な人種的偏見の悲劇の一こまをここに見て、胸ふさがる思いであった。真珠湾のお礼などと、とんでもない。人種を超える人類愛こそ、万世の為に太平を開く日本の使命である。
 顧みれば日本が,大東亜開放という大義名分をかざしたのはよい。しかし,自分こそ最優秀の天孫民族で、大東亜の盟主であると思い上がったところに、傲慢と人種的優越感とが存在しなかったか。このたびの敗戦は、それを懲らしめる天譴であったと、私は受けとめていた。

中田整一 編/解説 『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』,東京,講談社,2007年,pp273ff

個人的には,上記引用分の中の淵田さんの言葉「 人種を超える人類愛こそ、万世の為に太平を開く日本の使命である。」が好きです.これこそが,日本軍人として敗戦に対して採るべき詔勅必勤の姿勢の根底に在るべき認識だったと思います.

その他,ケン・バーンズ監督のドキュメンタリー作品"The War"の中でも,戦争中,アメリカのある町のバスの中で制服姿の黒人兵が,黒人に割り当てられた車内後部に行かなかったために居合わせた客の1人から射殺された事件などが紹介されています.もちろん,軍隊の中での差別も相当ひどいものだったようです.

でも,今日の日本社会においても,人の振り見て我が振り直せと自らに対して言うべき行為が少なくはないのではないでしょうか.

No comments:

Post a Comment