Sunday, 28 December 2014

1858年以降の英国人4100万人もの遺書をウェブ上で公開

ハッキングによるものではありません.英国のThe National Archivesが昨日から開始した公共サービスです.苗字,または没年を入力することで当該書類を探すことができます.なお,コピーの入手は有料です.公開されたもののなかには,もちろん,チャーチル首相やダイアナ王妃,そしてチャールズ・ディケンズ,ジョージ・オーウェルなどの遺書も含まれています.

以上,L'EXPRESSの"Diana, Churchill, Dickens: 41 millions de testaments britanniques mis en ligne"からでした.

以下,これを読んで思ったことです.

まず,日本では絶対と言って良い程,実現される可能性がないプロジェクトであること.そして,その場合,一番反対するのは大学であろうということ.何故ならば,日本の大学はどういうわけか,自分のところに収蔵されている資料の公開を嫌うからです.(国際なんとか大学というように,"国際"という枕詞をつけていようがいまいが,情況は全く同一.)ようするに知の独り占め,知的エゴイズムの固まりなのです.日本に存在するすべての組織は,多かれ少なかれ農耕村落共同体的意識によって支配されていますが,大学程それが顕著なところはないようです.公共という言葉が彼らの頭には存在していないのではないかといぶかしく思う程です.

それに比較すると,西側諸国の大学やアーカイブスは,自分たちの公共における使命を極めて明確に認識していて,実際,英米で保存されている日本に関する貴重な資料は,これまで自由に閲覧させていただくことができました.例えば,米国のあるアーカイブスは,メールのやりとりだけで必要な書類をPDFファイルにして送ってくれました.有料でしたが,安価で,しかもPayPalでの送金が可能でした.

日本の大学やアーカイブスの知的エゴイズムは,恐らく,上で述べたように村人的意識がその基盤となっていると思うのですが,まず,日本人の大多数が持つ心霊信仰,つまりスピリチュアリズムから,昔の資料をよそにみせると,その資料に関係した死者の祟りがあることを無意識に恐れている可能性があります.さらに,それが,すぐに自分たちの利益になることがなくても, 将来,そうなることも考えて公開を避けていることも考えられます.日本人は,世界に存在している"運",あるいは"Luck"は,田んぼに入れる水同様,有限であると無意識のうちに考える傾向があります.そのため,所有しているものは,なんであろうと自分が属する集団の外に出すのを嫌います.それと一緒に"運”が去って行くのを恐れるからです.そして,それらを言葉に出すことも嫌います.それは古く狩猟採取時代に,豊富な獲物がある場所,あるいは山菜が生えている場所の情報は,他の村に知られることを恐れた名残りなのでしょう.

幼稚で非合理,非近代的.まさにガキンチョ的意識です."Gakinchoism",あるいは,"Gakiism"という言葉を日本の大学の非公共的姿勢を形容するためにつくってもよいのではないでしょうか.(もっとも,彼らのマーケッティングのターゲットであるほんとのガキンチョの数も,これからますます少なくなって行きますが.)

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