昔の人の言葉を集めた個人的なメモです.ご参考迄に.(尚,決して戦争礼賛を意図したものではありませんので誤解の無きよう.)
About the irrationality of Japanese people's mind, perhaps everlastingly incorrigible :
About the spirit to be reminded by all those working as public servants of a constitutional state governed by law :
About the attitude to be adopted by all the statesman and public servants engaged in the sphere of foreign affairs, valid expressionlessly in every diplomatic negotiation with a foreign country and to be supported by every citizen, who has voted for the parties forming the actual government and, consequently, must be ready to assume his or her responsibility as member of a democratic civil society, even at the risk of his or her own life :
*1) 「幕政変動期の諸藩の改革」in『「藩政改革」のすべて』(別冊歴史読本 歴史ロマンシリーズ 1994年秋号),1994年,東京,新人物往来社,pp282ff,村磯栄俊,「地方別 幕末維新三〇〇藩の動向」in『戊辰戦争』(別冊歴史読本特別増刊 歴史読本セレクト 幕末維新シリーズ②,1963年,東京,新人物往来社,p382
About the irrationality of Japanese people's mind, perhaps everlastingly incorrigible :
- 江原素六:
又吾々の是非共記憶せねばならぬことは、大和魂と愛國心とさへ強ければ必ず勝てると思ふのは大いなる誤解であって、戦争には新しい教育と新しい器械といふものは最も重大なる利器であるということである。今後の教育や、器械の改良に就いては、十分に當局者の精神を助けて其の實行を妨害せざる様にせねばならぬ。
- 江原素六「新國民の自覚を促す」in 『中央公論』1904年8月号,p9
- 米内光政:
「陸軍がさかんに精神論をやる。そりゃ精神の無いところに進歩も勝利も無い。しかし、海軍は精神だけでは戦争出来ないんだよ。工業生産の量、機械の質、技術の良し悪しがそのまま正直に戦力に反映する。国民精神総動員とか、陸軍のような大和魂々々々の一本槍で海のいくさはやれないんだ」
- 阿川弘之『米内光政 下』,新潮社,東京,1978年,p27
(1940年1月16日から同年7月16日の内閣総辞職までの首相在任中のある日,横須賀から館山へ向かう陸奥の艦上で,内務省から出向していた高橋総理秘書官に米内が語った言葉.)
About the spirit to be reminded by all those working as public servants of a constitutional state governed by law :
- 児島惟謙:
凡そ社会に法律程窮屈のものはあらざるべし。今回の如きも、法律に正条あるを以て、閣下等を満足せしむるの結果を得る事能わざるなり。法理の己むを得ざるものあるは、了解せられよ。唯戦争を開始すると否とは、閣下等の方寸にあり。希くは礼譲を以て、平和の局を結ばれん事を望めども、露国にして野心を挟みて、兵力を弄し、蛮力を以て帝国に殺到襲来する事あらば、遂に避け難からん。事茲に到らば、小官等亦法官の一隊を組織して、国民軍となり、閣下等将軍の指揮に服従し、以て一方面に当るを辞せざるなり。勿論其際は法律を擔い出さざるべし。
- 児島惟謙,家永三郎 編注,『大津事件日誌』,東京,平凡社,1971年,p112
(大審院長児島から,大津事件の犯人津田三蔵に彼が下した判決の報告を受けた,閣僚の中でも際立ってルソフォビアだった西郷内相の「何故に凶悪なる津田三蔵の生命を絶つを得ざるか。国家の安寧は之れによりて傷けられ、今や戦争は必然避くべからざるものとなれり。」との言辞に対する児島の言葉.なお,児島は旧宇和島藩士.幕末の九賢候の1人に数えられた八代藩主伊達宗城は,富国強兵策や殖産興業の振興を断行し,必要な人材を育成するため高野長英,大村益次郎を藩内に招き藩士たちの教育当たらせるなどの開明派君主だった.将来,天皇を首長とする連邦国家の建設を構想していたが,公武合体論者であり西南諸藩の軍事クーデターには藩兵を参加させようとしなかったため,徹底した勤王主義者だった児島はそれに反発し,脱藩してクーデター軍に加わり幕府軍と戦った.*1))
About the attitude to be adopted by all the statesman and public servants engaged in the sphere of foreign affairs, valid expressionlessly in every diplomatic negotiation with a foreign country and to be supported by every citizen, who has voted for the parties forming the actual government and, consequently, must be ready to assume his or her responsibility as member of a democratic civil society, even at the risk of his or her own life :
- 青木周蔵:
露・仏にして之を請求せば、英国亦之を請求するの権あらん。然れども、道理に背反し、敢て暴威を我に加へて不法の請求を為す者あらんには、共の露たると仏たると、将た又何れの邦国たるとを問はず、我等は日本全国を挙げて焦土と為すも、敢て之に反抗するを辞せざるなり。抑〻我国は、国民、言語、風俗を一にし、二千余年の歴史を有する旧国なり。共の四千万の人衆は、悉く一致して皇帝の軍令に服従するを以て、一旦緩急あらんか、欧式に編成し訓練されたる二十五万の貔貅〔勇猛な軍隊〕は何れも干戈を取て立ち、屍を戦場に暴すを以て満足と為すべし。故に、刀折れ矢尽き城下の盟を〔屈辱の講和〕忍んで余生を貪らんとする敗残の懦夫〔気弱な男〕あるにあらざるよりは、寸分の土壌と雖も、之を他国に譲与するは我国の断じて為さぎる所なり。
- 青木周蔵,坂根義久 校注『青木周蔵自伝』,東京,平凡社,1970年,pp270f
(公使として英国に駐在中の明治27年5月2日,英国政府の商議バアルチー委員(Hon. F. L. Bertie外務次官補)との雑談のなかで,条約改正に話題をかえた同氏からの「若し露・仏より貯炭場(Coaling Station)を請求せば如何。」との問いに対する青木の返答.もし,ロシアやフランスが条約改定の条件として日本に不条理な請求をして来た場合の対応について述べたもの.この青木の言動により,英国側が日本に対して抱いていた懸念が無くなり,条約改正交渉に弾みがつくことになったという.当時,ロシアとフランスの関係が親密化しており,両国の軍事同盟(露仏同盟)に対し警戒心を抱いていた英国は,日本がそれに対してどのような姿勢を持っているか,いわば鎌をかけてみたのだった.大げさに言えば,ここで英国が日本と組めると判断したわけで,この時の青木公使の言葉が,将来の日英同盟への布石にもなった.)
*1) 「幕政変動期の諸藩の改革」in『「藩政改革」のすべて』(別冊歴史読本 歴史ロマンシリーズ 1994年秋号),1994年,東京,新人物往来社,pp282ff,村磯栄俊,「地方別 幕末維新三〇〇藩の動向」in『戊辰戦争』(別冊歴史読本特別増刊 歴史読本セレクト 幕末維新シリーズ②,1963年,東京,新人物往来社,p382
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