このことに気づいたのは,ニュース共有サイトのRedditの利用者のようです.そして,それを証明する一連のスクリーンキャプチャーがTheGhostWhoHatesSpillsさんによってimgurのウェブギャラリーに掲載されました.
それらの写真を見ると,確かに,『トイ・ストーリー』,『モンスターズ ユニバーシティ』,『レミーのおいしいレストラン』("Ratatouille"),"メリダとおそろしの森("Brave")等々における一場面に必ず"A113"という奇妙な文字と数列の組み合わせが見えます,
謎解きをしてくれているのはニュースサイトのHuffingston Postで,これは,今日ピクサーで働く多くのアーティストを輩出したCalfornia Institute of the Artsのにある教室の名称だそうです.つまり,ピクサーで働く卒業生たちは,この《暗号》を制作する作品のどこかに挿入することで,それらを観る同窓生に挨拶を送っているのだそうです.
以上5月2日付Le Monde Blogsの"SUBLIMINAL – Pourquoi le code A113 se cache-t-il dans presque tous les films de Pixar ?"からでした.なお,このポストの一番下に,当該の教室につけられたA113の名称を指差している生徒たちの写真が掲載されています.
では,ピクサー作品を愛する良い子の皆さん,そして,良い大人の皆さん,これからはそれらを観るとき,どこにA113が出てくるか注意してみてみましょう.(もっとも,そればかり気にしていたら筋が追えなくなるかもしれませんが.)
ここからは,上でご紹介した記事を読んで思い出した私の子供時代のことです.そのため,時間を無駄にしてしまう可能性もあるので無理に読んでいただく必要はありません.
私たちの学校,北区立某第五小学校は,京浜東北線上中里駅の北東,同じく王子駅と東北本線尾久駅のほぼ中間,東北本線沿いに位置し,また,北には都電荒川線(当時は,32系統と27系統.祖父母たちの年代からは王子電車,略して王電とも呼ばれていました.)が走っていて,その荒川車庫も至近距離にありました.そして,近くには田端機関区,同貨車操車場,尾久客車区などが集中していて,北区の教育委員会としてはまったくその意図はなかったと思いますが,鉄道好きの子供たちのため,あるいは,鉄道好きの子供たちを育てるために設立されたような学校でした.実際,クラスメートの中には上記の鉄道関連施設に勤務する親御さん持つ子供もいました.
この,他にはあまり例のないような環境に恵まれた(少なくとも鉄道好きの子供達にとってみれば)学校において,特に思い出深い教室が音楽室でした.もちろん,音楽の授業が好きだったからではありません.他の大半の授業は,校庭があるために東北本線からやや離れた位置にある教室で受けていましたが,音楽室は東北本線をすぐ下に見下ろす場所にあったのです.そのため,私たち鉄道少年たちは,特に音楽の授業がお気に入りの列車が通過する時刻にマッチしたりでもしたらまっさきに音楽室へ移動し,窓際の席に陣取ったものです.そこから,毎日必ず一度通過するクモユニ+クモニの2両編成の郵便荷物列車,あるいは,かなり以前に東北本線から退いていたキハ81系のディーゼル特急いなほ等々を観るために.さらに,今思えば当時の音楽の先生にたいへん申し訳ないことでしたが,思いがけなく電気機関車の重連回送(当時現役だったはEF56, 57, 58などの)が通過しようものなら,それに気づいた子供の合図で私たちは授業はそっちのけで一斉に窓の下に注目(なかには身を乗り出して見る子もいました.)することもありました.
休日には,蒸気機関車を観に新小岩機関区や高島貨物線などにも友達と足を伸ばし,クラスでの休み時間には鉄道関連の話題で盛り上がる,そんな小学生時代でした.もちろん,近場の田端の操車場などの見学は私たちの日常のスケジュールにルーティーンとして組み込まれていました.見学と言っても正式な許可を申請することなどなく無断で敷地内に足を踏み入れるのですから,ときには入れ替え作業中のDD13の機関士の方に見つかり,運転台の窓からから身を乗り出した彼から大声で叱られることもありました.反対に,見つけても別にこれといった反応を示さない機関士の方もおられました.そういった異なる対応を見て,いつでも物事を冷静に分析する癖のある仲間の一人が「ああして叱る人は僕たちのことを心配して叱ってくれるのだが,会っても何も言わないひとは僕たちがどうなろうと別に気にしないのだ.」と解説してくれたので,少し社会の仕組みを知ったと思った私たちは引き続き無断見学を続けました.
さらに,先生につけるニックネームまでも鉄道に関連していて,ある年配の女性の先生に,その容貌からつけたのがブルドックでした.確かに彼女の顔が当該の犬種に似ていたことも事実ですが,実は,当時私たちの間では上述のキハ81系のニックネームがやはりブルドックだったのです.ですから,ブルドックという言葉から連想されるこのボンネット型ディーゼル特急の形状にその先生の顔立ちが似ていたからというのが本当の理由なのですが,さすがに大好きな車両の形式名をその先生にニックネームとして献上するのにはいささかというか相当抵抗を覚えたため,つまりキハ81系に対して相済まないという気持ちからのことだったと思います.
それらの写真を見ると,確かに,『トイ・ストーリー』,『モンスターズ ユニバーシティ』,『レミーのおいしいレストラン』("Ratatouille"),"メリダとおそろしの森("Brave")等々における一場面に必ず"A113"という奇妙な文字と数列の組み合わせが見えます,
謎解きをしてくれているのはニュースサイトのHuffingston Postで,これは,今日ピクサーで働く多くのアーティストを輩出したCalfornia Institute of the Artsのにある教室の名称だそうです.つまり,ピクサーで働く卒業生たちは,この《暗号》を制作する作品のどこかに挿入することで,それらを観る同窓生に挨拶を送っているのだそうです.
以上5月2日付Le Monde Blogsの"SUBLIMINAL – Pourquoi le code A113 se cache-t-il dans presque tous les films de Pixar ?"からでした.なお,このポストの一番下に,当該の教室につけられたA113の名称を指差している生徒たちの写真が掲載されています.
では,ピクサー作品を愛する良い子の皆さん,そして,良い大人の皆さん,これからはそれらを観るとき,どこにA113が出てくるか注意してみてみましょう.(もっとも,そればかり気にしていたら筋が追えなくなるかもしれませんが.)
おまけ
ここからは,上でご紹介した記事を読んで思い出した私の子供時代のことです.そのため,時間を無駄にしてしまう可能性もあるので無理に読んでいただく必要はありません.
私たちの学校,北区立某第五小学校は,京浜東北線上中里駅の北東,同じく王子駅と東北本線尾久駅のほぼ中間,東北本線沿いに位置し,また,北には都電荒川線(当時は,32系統と27系統.祖父母たちの年代からは王子電車,略して王電とも呼ばれていました.)が走っていて,その荒川車庫も至近距離にありました.そして,近くには田端機関区,同貨車操車場,尾久客車区などが集中していて,北区の教育委員会としてはまったくその意図はなかったと思いますが,鉄道好きの子供たちのため,あるいは,鉄道好きの子供たちを育てるために設立されたような学校でした.実際,クラスメートの中には上記の鉄道関連施設に勤務する親御さん持つ子供もいました.
この,他にはあまり例のないような環境に恵まれた(少なくとも鉄道好きの子供達にとってみれば)学校において,特に思い出深い教室が音楽室でした.もちろん,音楽の授業が好きだったからではありません.他の大半の授業は,校庭があるために東北本線からやや離れた位置にある教室で受けていましたが,音楽室は東北本線をすぐ下に見下ろす場所にあったのです.そのため,私たち鉄道少年たちは,特に音楽の授業がお気に入りの列車が通過する時刻にマッチしたりでもしたらまっさきに音楽室へ移動し,窓際の席に陣取ったものです.そこから,毎日必ず一度通過するクモユニ+クモニの2両編成の郵便荷物列車,あるいは,かなり以前に東北本線から退いていたキハ81系のディーゼル特急いなほ等々を観るために.さらに,今思えば当時の音楽の先生にたいへん申し訳ないことでしたが,思いがけなく電気機関車の重連回送(当時現役だったはEF56, 57, 58などの)が通過しようものなら,それに気づいた子供の合図で私たちは授業はそっちのけで一斉に窓の下に注目(なかには身を乗り出して見る子もいました.)することもありました.
休日には,蒸気機関車を観に新小岩機関区や高島貨物線などにも友達と足を伸ばし,クラスでの休み時間には鉄道関連の話題で盛り上がる,そんな小学生時代でした.もちろん,近場の田端の操車場などの見学は私たちの日常のスケジュールにルーティーンとして組み込まれていました.見学と言っても正式な許可を申請することなどなく無断で敷地内に足を踏み入れるのですから,ときには入れ替え作業中のDD13の機関士の方に見つかり,運転台の窓からから身を乗り出した彼から大声で叱られることもありました.反対に,見つけても別にこれといった反応を示さない機関士の方もおられました.そういった異なる対応を見て,いつでも物事を冷静に分析する癖のある仲間の一人が「ああして叱る人は僕たちのことを心配して叱ってくれるのだが,会っても何も言わないひとは僕たちがどうなろうと別に気にしないのだ.」と解説してくれたので,少し社会の仕組みを知ったと思った私たちは引き続き無断見学を続けました.
さらに,先生につけるニックネームまでも鉄道に関連していて,ある年配の女性の先生に,その容貌からつけたのがブルドックでした.確かに彼女の顔が当該の犬種に似ていたことも事実ですが,実は,当時私たちの間では上述のキハ81系のニックネームがやはりブルドックだったのです.ですから,ブルドックという言葉から連想されるこのボンネット型ディーゼル特急の形状にその先生の顔立ちが似ていたからというのが本当の理由なのですが,さすがに大好きな車両の形式名をその先生にニックネームとして献上するのにはいささかというか相当抵抗を覚えたため,つまりキハ81系に対して相済まないという気持ちからのことだったと思います.
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