Friday 30 January 2015

テロリスト達を隠密にしたてる秘伝"taqiyya"とは

Charlie Hebdoを襲撃した容疑者の1人Chérif Kouachiについてフランスの情報機関が入手していた情報からというと,彼が行っていた衣料や香水などの偽造品の売買に関するもの程度でした.また,ヴァンサンヌのスーパーマーケットを襲撃し買い物客を人質をして立てこもったAmédy Coulibaly容疑者は,就職先を探している極めて普通の若者でした.彼は,以前に当時のサルコジ大統領が主催した若者達との対話集会へ招待された1人でした.

また,2004のマドリッドで起きた列車爆破事件に関与した罪で終身刑が確定したJamal Zouganも,事件が起きる迄,誰も彼が200人近くもの犠牲者を出すことになる計画に関与していることに気づく人はいませんでした.マドリッドの繁華街の一角で小さな携帯電話店を営む彼は,誰が見ても飲酒と女性との交際,そしてディスコテーク通いが趣味のごく普通の若者だったのです.

このように,完璧に社会に溶け込み,何年もかけて恐ろしい無差別殺人の計画を立て実行するテロリストたちは,皆,シーア派イスラム教徒の急進的指導者によって確立された教えに従っていました.それがtaqiyyaです.歴史的には,taqiyyaが広まったのはシーア派が少数派だった時代でした.当時,彼らは,多数派のスンニ派の迫害を避けるために自分たちの信仰を隠す必要があったのです.そして,シーア派の学者達は,クルアーンのスラート第14章"ミツバチ"を論拠にして信仰を隠すことの正当性を見いだしました.つまり,taqiyyaは,生き残る為に背信者の振りをすることも認めてるのです.

テロリスト達は,基本的にイスラムの教えが異教徒により危機に陥れられている,そのため如何なる手段を用いてもイスラムの教えを守り抜かなければならないと信じています.taqiyyaは,イスラムを守る為であれば,イスラムが禁じていることを犯しても罪にはならないと教えます.

アル・カイダは,すでに1990年台からtaqiyyaをその行動規範として採用しており,アフガニスタンの彼らの訓練施設では,この教えに基づいた教育が行われました.そして,そこで学んだうちの1人,エジプト人のMohammed Attaは,ニューヨークの世界貿易センタービル破壊計画の調整役になりました.彼は,髭を剃り,イスラムの急進的な教えを示唆する言葉は一切漏らことはありませんでした.

taqiyyaの教えは,ベン・ラデンの側近でアフガニスタンで戦闘に加わり,パキスタンでCIAによって逮捕されたMustafa Nasar(Abou Moussab al-Souri)が,2008年にインターネット上に公開した"The Global Islamic Resistance Call"によって世界中のテロリストたちへ伝えられました.そして,今や,この教えは,アル・カイダ系のテロ集団の中で最も危険と言われるAqap(アラビア半島のアルカイダ)の公の行動規範となっており,そして,2009年にFort Hood米軍基地で起きた13人の米軍士官事件の犯人で同じく士官のNidal Malik HasanやフランスのMontaubanやToulouseでの連続殺人事件の犯人Mohamed Merahらの犯行にも直接的な動機を与えたとみられています.

以上,L'OBSのKouachi, Coulibaly, Merah... Comment ils sont parvenus à endormir les soupçonsからの抜粋でした.

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