Showing posts with label 日本ヨーロッパ比較文化考. Show all posts
Showing posts with label 日本ヨーロッパ比較文化考. Show all posts

Saturday, 22 August 2015

Saturday, 27 June 2015

英国工業の再生力のひとつの鍵 - 個人的所感

サッチャー首相の時代を転機に急激に衰退した伝統ある工業都市でシェフフィールド.(サッカー誕生の町とも言われています.) しかし,今では様々な企業が進出,失業率も大幅に下落し,活力が蘇ってきました.こうしたリポートを見て思い浮かぶのは,保存鉄道における子供たちのボランティア活動.ドイツ等,他の国でも同様ですが,昔の技術でも若いときから動く実物に触れる.そうしたチャンスがあるというのは多くのヨーロッパ先進工業国に共通して見られるものです.一番下のTweetにあるように,各国間で若者向けの保存鉄道でのボランティア体験の交換制度もあります.ゲームやロボットの製作に熱中するのももちろん素晴らしいことだと思いますが,先達が残し,今でも息づく技術遺産に直接手で触れさせてみるというのも未来のエンジニア育成のための一助になるのではないでしょうか.

Saturday, 20 June 2015

ヨーロッパで放送される番組の子供や特定の視聴者に対する配慮の例

先日,ARTEで放送されたウォータールの戦いについてのドキュメンタリーでは,壮絶な戦闘シーンが再現されていますが,中には特定の視聴者にはショックを与えかねないと思われる映像が含まれていました.日本では,絶対に放送されないと思われるものです.が,以下のスクリーンショットでご覧いただけるように,視聴を開始したときに注意書きが表示されます.

フランス語版.番組を選択すると,最初に表示される画面に注意マークと子供や特定の大人にショックを与えかねない映像が含まれているとの記載.
上掲画面上のプレイボタンを押すと,さらに確認を促す画面が表示され,「続ける」のボタンを押すと始めて本編の再生が始まります
ドイツ語版も同様

ある人々が,しきりに口にする「平和ボケ」という言葉を聞くたびに,行政にしろニュースメディアも,過去のものにせよ現在のもの(例えば,NATOとロシアの悪化する緊張関係やイラク,アフガニスタンなどにおけるNATO諸国軍の駐留体験)にせよ,戦争の実態をできるだけ客観的に示そうとせず,むしろそれを隠そうとしているのが不思議に思えてなりません.現実の戦争の実態も知らないまま,安全保障法制や集団的自衛権について議論したり,国民投票における投票年齢を引き下げるするなど,すくなくとも政府与党および行政の言行動には,まったく整合性が見い出せません.(政府与党および行政当局は,国民全体が意思を持たず,思考もせず,前者が望むことのみ行う都合の良いロボットになってくれるようにひたすら腐心しているように見えます.)

戦争の実態を知る為には,ときには凄惨なシーンを再現する必要があります.(上記の番組においては,戦闘に参加した人々の残された証言に基づいて,それらのシーンが再現されていました.ドキュメンタリーとしては当然の作り方と言えます.) もし,日本の行政やニュースメディアが,死者たちの祟りを恐れる御霊信仰に基づいて,戦争の実態を隠そうとしているとしたら,西洋近代社会の民主主義の前提となっている'Die Entzauberung der Welt' (「世界の脱呪術化」,Max Weberの言葉)を経験していないことを自ら証明していることになります.ようするに,日本は,実態として長州藩らによる幕末のクーデターによって成立した絶対主義的封建制中央集権国家の構造を保っている極めて特異な前近代的な国と言えるでしょう.(凄惨な現実は隠蔽しつつ,映画などでは『悪の教典』に見られるような極めて残虐性が強く凄惨なシーンが子供たちの目に触れるのを許していますが.さらに,裁判員が参加する裁判では実際に起きた凄惨な事件の被害者の画像を裁判員達は見せられています.)

もうひとつ,凄惨なシーンを不特定多数の人に公開しないのは,私たち日本人には,西洋ではルネサンス期以降のキリスト教神学者や人文主義者によって提唱された'Libre Arbitre'(「自由な判断」)という概念,または風習がないからかもしれません.具体的に言えば,上記の『ウォータールーの戦い』の例で示したように,もし,観る側に観るか観ないかの自由な選択の余地を残してしまうと,それを観るのをためらう人達が,他の人達のみが観ることができる映像を公開するのは自分たちに対する情報秘匿であり,差別であるとして公開する側の姿勢を非難することになるでしょうから.どういう訳か,私たちは,昔から生きるのも死ぬのも一緒という強い'絆'で結ばれているようです.「一億玉砕」などという戦時下のスローガンが思い出されます.そして,子供が虐殺される等,凄惨な事件が起きると,ひたすら皆で「命を大切にしましょう」という呪文を繰り返すばかりで,具体的にどういう行為が「命を大切にする」行為で,反対に「命を粗末にする」行為というのはどういう行為なのかも示そうとしません.(欧米のニュースメディアは,イラクで起きた民間人誤射事件やアフガニスタンでの民間人誤爆事件を検証するための映画やドキュメンタリーを制作しています.また,ドイツのARDは,13年間に亘る連邦軍のアフガニスタン駐留のクロニクルを放送,また,駐留した兵士による証言集等,多くの書籍も出版されています.特定秘密保護法が施行された今の日本で,仮にそうでなくても,今の日本人にそうした過去に自ら犯した過ち,さらに,将来,同様の事件を起こした場合,それらをメディアという手段を用いて,この国の歴史,文化,さらに精神的特性を踏まえた上で体系的且つ論理的,客観的に検証,分析し,日本国民はもちろん,人類普遍の教訓として共有させ,そうした過ちを避けようとする姿勢や能力があるでしょうか.) いずれにせよ,この国は自らを近代化を了え,民主主義によって統治されていると言ってはいますが,少なくとも西洋の近代化し,民主主義によって統治されている国々とは全く異なる要素や構造が保たれている国であることは間違い有りません.宗教から政治,ありとあらゆる領域でこの国はパラノイアック,インコシステント,チャイルディッシュな国であるとためらうことなく断言できます.

Sunday, 14 June 2015

日本の表層的な民主主義 - 憲法解釈による集団的自衛権行使容認論を聞いて思ったこと

元々,西洋のような,世界の外にいる超越神が絶対的な権威によって価値を与える啓示宗教の文化圏と異なり,純粋に自然宗教が精神文化の基礎を成している日本に於いて,前者に於ける契約という概念は存在しません.ユダヤ教も,イスラム,キリスト教も,神との契約がその教理の根幹を成しています.契約とは,こちらも拘束されますが,相手も拘束されます.つまり,その契約を人間と結んだ神自身も拘束されるのです.*1) 契約という人工的な関係を知らない日本では,伝統的に強者が弱者を支配するという図式が今日迄続いています.弱者は,強者との間に言葉を覚える前の幼児,あるいは乳児と母親の関係に例えられる'自然な'情緒的な関係を築き,強者より恩恵を受けようとします.正に'甘え','依存'の関係です.そして,この場合の母親の立場にある者は,自らの欲求のままに子供の立場にある者が行動すれば,つまり,自らに依存し,自らの支配を受け入れる限り慈母となり続けますが,ひとたび,その欲求が裏切られると恐母になります.それは,私たちの祖先が長い期間をかけて,自然から刷り込まれた集団の無意識とでも呼べるものでしょう.日本の自然は,豊かな恵みを与えると同時に,ときには残酷な災害をも引き起こすからです.

ここ数十年の世の中の動きを見ていて,不気味に感じることがあります.それは,地方自治体から交通機関などが,さまざまなマスコットキャラクターを宣伝に使うようになり,あたかも世間が遊園地のような様相を見せている一方で,女子高校生が同世代の男子の集団によって殺害され,死体がコンクリート詰めにされたり,中学生が,仲間だった集団に殺害されるといった,子供が子供を残虐な方法で殺す凶悪犯罪も発生していることです.

こうした最近の社会の二つの側面の間には,際立った隔たりがあるように思えますが,実は,いずれにおいても上述した疑似母子関係が存在しています.前者に於いては, 特定の集団がマスコットキャラクターという,子供が喜びそうな道具,つまり'玩具'を使って,不特定多数の他者とそうした関係を築こうとつとめ,後者では,集団の中で最も力の強い者がリーダーとなり,他の力の劣ったメンバーを自らの支配下に置き,彼らを自分に対して依存するように仕向けるのです.前者では,マスコットキャラクターを用いる側が,そして,後者ではリーダーが母親的な存在です.いずれの場合も,支配する側が子供となる疑似母子関係を築き,自らの欲求を満たす為に利用します.ただ,前者の場合,構築された,あるいは構築されようとしている関係に於ける役割が逆であるとも考えられます.つまり,マスコットキャラクターを用いる側が子供で,それによるアピールを受ける側が母親です.こうした関係においては,前者は,支配,というより恩寵を受けようとする側となります.いずれの関係も,時によって交代したり,あるいは同時に存在することも可能です.言語によって明確に規定された契約がないので,各当事者の役割は簡単に入れ替わることができるのです.また,少年の集団による凶悪犯罪の場合は,その関係を保っている構造が崩れそうになると,つまり,支配体制が崩れそうになると,その原因であるメンバーを殺害することで,この世界から消去させてしまいます.「可愛さ余って憎さ百倍」と言う訳です.こうした構造は,一連のオウム真理教の事件にもあてはまりますし,多かれ少なかれ,日本社会のすべての集団を動かしているダイナミックと言えるでしょう.そして,それは,最近,頻繁に報道される親による自分の子供の殺害及び子供による自分の親の殺害(とりわけ母親や祖母の)に於いても見いだせる構造でもあります.前者の場合は,親の支配というより拘束を逃れるために,そして,後者の場合は,支配を拒む対象の消去です.以上のように考えて来ると,日本の,特に現代社会は,ユング派のErich NeumanやSiegmund Hurwitzの言う'Great Mother'の恐母的側面,あるいはユングの言う女性性('Anima')の暗黒的側面の力が異常に強くなっていると言えるかもしれません.(とりわけ児島惟謙*2)大審院長のような人物がいた明治維新前後の時代に比べるとですが.)

ユダヤキリスト教文化圏に於けるものと同様の'契約'という概念を持たず,従ってそれを尊ぶことを知らず,ことごとく情緒的な甘えの構造に本能的に支配されている社会において,西洋のような近代民主主義が育つのは極めて困難なことと言わざるを得ません.この国では,国民の代表である議員を選ぶ側と議員に選ばれる側との間の関係も上記の関係に自分達を位置づけているのです.そして,標記の憲法解釈による集団的自衛権行使容認論も,自分たちが,日本とアメリカとの間の関係もこうした疑似母子的関係であるという蜃気楼に踊らされていることに気づかない時代政治屋たちが,'母'であるアメリカから嫌われることを極端に恐れている証左にしか過ぎないように思えてなりません.それに加えて,今の総理大臣を務めている方の出身地は,明治維新以前に欧米連合艦隊からの艦砲射撃によってこてんぱんに叩かれ,敗北を味わった伝統があることも彼の無意識に何らかの影響を及ぼしているかも知れません.(馬関戦争)

蛇足になりますが,子供の間で起きる「暴行」や「障害」行為の「いじめ」という言葉への置き換えも,言葉が目に見えない超自然的な力を持つと言う日本人の伝統的な言霊信仰に則した,事象を穏やかな言葉で表現することで,そうした事象が過激化,深刻化することが抑えられるという無意識の思い込みが存在していることも否めないとは思いますが,上述した疑似母子的関係から捉えても納得がゆきます.子供は,社会,あるいは国が,さらに正確に言えば,実際に支配している人間たちにとって都合の良い存在で有り続ける必要があります.後者にしてみれば,子供たちは,後に述べるような自ら思考することが可能な'大人'になってもらっては困る訳です.そのため,「いじめ」あるいは「命を大切にしよう」などという定義が極めて曖昧な,すなわち現実的内容が殆ど無い,言わば架空の概念を生み出す言葉を用いて現実から切り離し,彼らを子供,つまり素直な被支配者に留めようとするわけです.さらに,それは明言されない赦しの行為とも言えます.赦す目的は,子供を自分につなぎ止めておく,つまり母と子としての関係を維持するためです.また,政府が病的な迄に報道,特にテレビ報道の影響を恐れるのは,支配される側,つまり国民が'子供'でなくなり,自分で思考し,自分なりの価値体系を持つこと,すなわち大人になることを恐れるからです.もちろんビジネスにおいても同じです.そもそも消費社会の発展には,消費者が自らの価値体系を築かずに,絶えずそれを外界ないしは他者に求め続ける子供に留まることが重要なのですから.

残念ながら,今日の日本に於いては,民主主義にとって欠くことのできない正確な議論を可能にする共通の言語体系が定義されていないように思えます.つまり,国会議員も含め多くの人が,そうした言語による論理的な情報交換ができる関係を築くことができない状況にあるようです.言葉に於ける貧困とも形容できる状況です.自らが生きている世界を言語によって思考上に再現し,それを基に未来を想定する能力に乏しいならば,法律の制定はもちろん,民主主義政治を実現させることなど不可能です.今,この国を支配しているのはLOGOSではなくPATHOS,つまり,理性によって導かれた合理性ではなく情緒の言いなりとなる非合理性のようです.




*1) 興味深ことに,日本の海軍軍人で軍縮条約に詳しかった横山一郎少将は,軍縮条約とは,こちらも縛られるが,相手も縛っておけるという認識を持っていましたが,後にクリスチャンになっています.
*2) 鳥羽伏見戦に際しては,あまりにも勤王の志が強ったため,脱藩して鹿児島藩長州藩連合軍側に参加しましたが,それまでは宇和島藩士であり,当然,武士階級に属するものとして朱子学などの宋学の素養があり,言語による思考に慣れていたという背景があったことも見逃せません.

Wednesday, 3 June 2015

ヨーロッパの旧いものを再生させる文化の実例

例えば,私たち,日本人にもファンが多い英国で制作された一連のTVシリーズ(『シャーロックホームズの冒険』,『名探偵ポワロ』,『ミス・マープル』,『ブラウン神父』など)の時代設定は,1930年代から1950年代ですが,そうした名作群が生まれる背景には,こうした文化が存在しているように思えてなりません.幾重にも積み重なった歴史の層の重み,あるいは深さとでもいうのでしょうか.そして,それらに対する誇りと愛着がこれらのドラマにも滲み出ているように思えるのです.KERのサイトへはこちらから.プルマンダイニング列車も運行されています.
下は,A1形(パシフィック)60163'Tornado'に関するTweet.
さらにおまけとして.

Thursday, 14 May 2015

アニメ『怪談レストラン』は,子供向け現代版『日本霊異記』と『往生要集』

確か,かなり以前にテレビで放映されていた番組です.最近,その中で使われていた音楽のCDが販売されていることを知り,それを紹介しているサイトでは,それらの視聴もできるようです.そこで,このアニメ番組の内容をWikipedediaで見直しているうちに頭に浮かんだのが標題の言葉です.

手元にある『日本霊異記』は,上中下巻から構成され,現代語訳付きの講談社学術文庫版ですが,原典は,薬師寺の僧,景戒(きょうかい)によって編集された日本最古の仏教説話集です.彼が紹介する説話の中には,必ずしも仏教とは関係のないものもありますが,全体として,彼が深く信奉していた仏教が説く因果応報の原則を裏付けるものです.以下に,上記版の現代語訳と注釈を担当された中田祝夫さんが書かれたはしがきの最後の部分を引用させていただきます.
日本霊異記の編者,薬師寺の僧景戒は,仏教の因果応報を真剣に信じきっていたらしい.善行には善果報があり,悪行は必ず悪因果で報いられるというのである.その真剣さは,下巻の末尾などに見えるが,それよりも何よりも,日本霊異記のすべての説話こそ,因果応報の理(ことわり)が現実に存在すること,また,それが人間と人間社会を支配しているということの証拠そのものであると見ているのである.

因果応報は,景戒にとって,歴史観・社会観の原理であった.景戒は日本の歴史と社会の中に,この原理が強く働いていることを指摘したかった.仏教の因果応報は知識としては知られているが,この原理を日本の歴史と社会戸の上にあて,これを実証しようという試みは未だなされていない.そこが景戒にとって活動すべき新分野であった.そこに景戒は意欲を感じた.

景戒はまた,因果応報の現存することを世の人々に自覚させ,人々に警告し,人々を善導したいと熱心に考えていたに違いない.また,そうすることによって,その当時の社会の,天変地異,貧困,疫病,飢饉などの諸の原因が除去され,安らかな社会が実現するとも考えていたに違いない.
(中田祝夫 訳注『日本霊異記』(講談社学術文庫), 上巻 (全3巻), 東京, 講談社, 1978年, pp4f)
それと,第19回に「あの世の旅のご案内」というエピソードがありましたが,それを入れると,もうひとつの有名な仏教説話集,源信(みなもとのまこと)著『往生要集』*1)の内容も部分的にせよ含めていると言えると思います.このように考えると,冒頭で紹介したサイトにある「原作が累計800万部を突破した」という記述もむべなるかなと思えてきます.このアニメーションは,古代から私たち,日本人の言わば集団の無意識のなかに植えられ,仏教やその他の宗教者によって育てられて来た,必ずしも100%仏教とも言えない固有の民族信仰(柳田國男が『先祖の話』の中で考察した祖霊信仰,あるいは御霊信仰,氏神信仰と呼べぶことのできる自然宗教の一種)の表出だったと言えるのではないでしょうか.

ついでなので,上で言及した自然宗教と啓示宗教との大きな違いを紹介すると,そのひとつは,それぞれの霊魂観です.例えば,日本人の99%以上が意識下,無意識下に拘らず持っている祖霊信仰においては,霊魂は永遠に不滅です.しかし,キリスト教やイスラム教などの啓示宗教においては,霊魂は不滅ではありません.霊魂を造るのも神ですし,また,最後の審判の結果如何では,やはり神によって永遠に滅ぼされます.これらの宗教において,他の全ての存在に依存すること無く,存在出来るののは神だけなのです.しかし,日本の祖霊信仰においては,魂は永久に不滅です.*2) そして,それが,どのように発生したかも問うことはしません.同じように,例えば,太陽が赤色巨星となった膨張し,地球がそれに飲み込まれてしまったとしても,その時点で地球上(?)に存在するすべての魂(生物,無生物も含めて)がどこへ行くのかも問いません.もっとも,量子力学がその存在を示唆する平行宇宙に移動して存続するかもしれませんが.もうひとつの違いは,悪魔の観念です.実は,これは,上述の霊魂観とも関係していて,日本人にはあまりぴんとこない存在なのです.『怪談レストラン』のなかで,西洋の悪魔が登場するエピソードもいくつかあったと思いますが,ごく少数でした.仏教では,悪魔とは仏教修行の妨げになるもの,あるいはことを意味するのみですが,上記の啓示宗教においては,悪魔は,ひたする人間の魂の永遠の滅びを望む存在です.つまり,彼らの行動の前提として,人間の魂が永遠不滅ではないということが必要なのです. しかし,日本の祖霊信仰では,魂は永遠に不滅です.言わば,霊魂自体が啓示宗教の神と共通する属性を持っている存在なのです.祖霊信仰に於いては,定期的な供養により死者の魂が,生者に害を与えかねない荒御霊(あらみたま)から,逆の性質を持つ和御霊(にぎみたま)へと変化します.このように祖霊信仰とは,死者が神,あるいは神に近い存在に変化するのが正常という'教理'がその根幹をなしている宗教なのです.

このように考えて来ると,やはり,日本の漫画やアニメーションが,全体的に,そうした日本人の悪の観念に基づいていることも見えてきます.特に,1930年代に生まれた,日本を代表する漫画家の石ノ森章太郎,横山光輝などの作品において,それは顕著です.彼らの作品において,アメリカ映画の『エイリアン』のような,結果的にその存在自体が人間の滅亡に結びつく,あるいは,共存し得ない存在は登場しません.エイリアンは,悪魔の概念が投影された存在です.しかし,日本の漫画には,そうした存在は,まず登場することはありません.悪が描かれていたとしても,それは,人間の心の中に存在するもので(Cf. 『サイボーグ009』のラストシーン),宇宙の死(より正確に言えば,熱的死)のようなものを実現させることだけを目的にして生きる存在ではないのです.あるいは,仮にそのように見えたとしても,供養というプロセスにより,逆の,つまり善神にもなりうる存在なのです.

最後に,第二次世界大戦中に日本が敵のアメリカと英国のことを何と形容していたかというと'鬼畜米英'です.'悪魔米英'とは言いませんでした.(中には,そう言っている人もいたかもしれませんが.) 単にゴロが悪かっただけかもしれませんが,アメリカの大統領が特定の国を'悪魔'と形容するのに比べて,憎悪の,あるいは否定のレベルが低いように思えます.鬼は,二十四節気の節分に現れるといわれますが,先祖の変身したものという考えもあります.男鹿半島の'なまはげ'は,恐ろしい異形で家々を訪ねる'鬼'とも呼べる存在ですが,その一方で,子供たちを良い子でいるように諭す存在でもあるのです.そして,蓄とは,畜生,つまり動物のことで,害獣もいれば,益獣もいるわけですから,こちらも100%悪とは言えない存在です.

以上,つい思いつくまま書きなぐってしまい,読みづらい文となりましたことをお詫びします.



*1) 源信 著, 石田瑞麿 訳注『往生要集』(全2巻, 岩波文庫), 東京, 岩波書店, 1992年; 西洋で同様のものを敢えて挙げるならば,修道士 マルクス / 修道士 ヘンリクス 著, 千葉畝之 訳『西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄』(講談社学術文庫), 東京, 講談社, 2010年など.
*2) 日本人の大多数が,死刑制度の存続を支持する理由のひとつと言えると思います.つまり,殺害された後も,人格を維持しつつ存在し,この世界で起きていることを観察し続ける被害者の怨念をはらすことができる.さらに,どのみち,死刑囚の人格も処刑の後も,同様の形態で存続し続けるわけですから,死刑も究極の苦痛を経験させることでのみ他と異なる刑罰でしかないからです.

Sunday, 26 April 2015

昨日,ドイツで火力発電所への課税強化に反対する炭坑労働者のデモと火力発電所停止を求めるデモ

火力発電所への課税強化は,連邦環境大臣がCO2削減のために打ち出した政策ですが,ベルリンでは,昨日,数千人の炭坑労働者が自分たちの職場を奪うものとして反対のデモンストレーションを行いました.
同じ日,ノルトラインヴェストファーレンのガルツヴァイラーでは,逆に火力発電所の停止を求めるデモンストレーションが行われました.
ルクセンブルグでも.
ドイツへ向かう列車の車内で目にしたというラリーの参加者の持ち物.
こうしたニュースを目にするたびに,ラリーやデモンストレーションに参加する,しないはともかく,私たち日本人の内面に政治に対する意見を持とうとはさせない力が働いているように思えてなりません.少なくともそのように訓練,つまり思考せずに,ひたする従順にお上に従う人間を養うという教育の成果のようです.もっとも,網野善彦さんによれば,日本人の思考には,伝統的に支配者と被支配者というカテゴリーが必ず存在していたとのことなので,やむを得ないことなのかもしれません.(Cf. 網野善彦 著『日本の歴史をよみなおす (全)』(ちくま学芸文庫),東京,筑摩書房,2005年,pp217ff) 幕末のクーデターと絶対主義的中央集権支配を行う明治政権の樹立は,鹿児島藩と長州藩を中心とする,当時,もっとも封建制が色濃く残る二藩とそれらに協力する他の西南諸藩によって成し遂げられましたが,上で述べた日本人の性質に鑑みれば,それは,民主主義や人権尊重とは相容れない,国民にとって相当危険な側面をも持ち合わせていたように思えるのです.以下は,あくまで個人的な所感に過ぎませんが,普遍的な個人の価値と人権の尊重といった概念は,キリスト教などの啓示宗教と呼ばれる宗教を基盤とする文化圏においてのみ,萌芽の条件が揃っていて,私たちのように自然宗教を基盤とする文化圏にはそれが存在していないと思っています.以前,フランスの防衛省に務める旧友から「日本人は民主主義を必要としているのか」と訊ねられ,少なくとも私たち日本人は,あなた方が理解しているようには理解していないと思いますと答えたことがあります.

Friday, 6 March 2015

'Meine Tochter Anne Franck' - 新たな視点から映像化された『アンネの日記』 

先月ARDで放送されたセミドキュメンタリー.(制作されたのは2014年.)アンネのクラスメート達や彼女の家族のことを知る人達の証言も含まれています.ところで,この番組を観たとき,興味深く思ったのは,挿入されていたアンネのお父さんオットー・フランク氏のインタビューの中で彼がフランス語で話していたことでした.ビジネスマンだったこともあり,様々な言葉をご存知だったのだと思います.ドキュメンタリーの中では,アンネ達の隠れ家をゲシュタポに密告した可能性があるとされる人々が登場しますが,果たして,そのうちの誰が密告したのかは未だに判ってはいません.ことによると,アンネたちのうちの誰かがふと窓辺に立って外を見下ろしたときなどに,偶然,外にいた人に見られてしまった可能性も指摘されています.

Monday, 16 February 2015

世界的に有名なYouTube説教家5人

特に若い人に人気があるとされる人たちです.

▶Pierre Vogel
*危険人物とされスイスへの入国禁止
▶Joel Osteen (メガチャーチ牧師, 作家)
▶Jefferson Bethke
▶Joyce Meyer (宣教師, 著書100冊以上)
▶Shmuel Boteac (ラビ)
以上,SRFのYoutube und seine Predigerからでした.(内容を少し補完しました.)

以上の啓示宗教に比べ,自然宗教である日本の宗教の場合は,基本的にこうした現象は起こりえません.それは自然宗教は言葉より情緒による関係(神 / 仏と人間,教祖 / 伝道師と信者との間の)が基底にあるからです.神道にせよ,日本に根付いた仏教にせよ,そのことは混成宗教も含むほぼすべての日本の宗教に当てはまります.

Monday, 9 February 2015

シリアへ渡航しようとする自国民に対するフランス,ドイツ,スイス政府の姿勢

基本的には,「渡航は極力避けて下さい.」,そして,特にスイスは「(出かけるのはご自由ですが,) その結果,そこでどうなろうとも政府として支援を行うのは事実上不可能です.」ということのようです.(下記のスイス政府のサイトのシリアへの渡航に関する勧告(抜粋)参照)  加えて,スイスでは,政府によって危険地域に指定された地域に赴き,そこで誘拐事件の被害者となって救出された場合,政府が救出のために支出した費用の国庫への返還が,今年11月から法律によって義務化されます.(本ブログのこちらのポスト参照)
  • ドイツ語: "Schweizer Bürger, die beschliessen, im Land zu bleiben oder entgegen der Empfehlung des EDA nach Syrien zu reisen, müssen sich bewusst sein, dass die Schweiz praktisch keine Möglichkeiten zur Erbringung von Dienstleistungen oder Hilfeleistungen in Notfällen hat."
  • フランス語: "Les citoyens suisses qui décident de rester dans le pays ou de voyager en Syrie malgré les recommandations du DFAE, doivent être conscients que la Suisse n’a pratiquement plus de moyen de porter assistance à ses ressortissants ou de porter secours en cas d’urgence."
フランスでは,今年1月15日から,フランス国籍を有する者で,それがDaechなどのテロ集団に加わることが目的であるという十分な証拠が認められた場合,当該者のフランスからの出国を禁止するという内容の内務省令が発令されました.なお,フランス政府が提供するシリアへの渡航に関する勧告はこちらのページに記載されています.そして,在シリアフランス人へのお知らせはこちら

ドイツ政府が提供するシリアへの渡航に関する勧告はこちらです.ドイツ政府も,近い将来,フランス同様,テロ行為に関与することを目的としたシリアやイラク等の紛争中の地域への渡航を禁止する法律を制定する予定です.(Cf. dpa-Nachrichtenüberblick Politik in Focus.de)

各国の旅券に関する法律についてご興味を持つ方は,以下の政府の関連サイトでご確認下さい.(ざっと目を通しただけですが,少なくとも標記3国の旅券に関する法律においては,日本の旅券法第十九条第四項に相当するものはなさそうです.)

Saturday, 7 February 2015

日本語の"スクールハラスメント"はフランス語の"Harcèlement à l'école"と同義語か

最近,日本のニュースメディアなどによって使われ始めた"スクールハラスメント"という言葉ですが,もし,それが教師による児童生徒に対する"いやがらせ","いじめ"を意味するものであれば,フランス語の"Harcèlement à l'école"とは必ずしも一致しません.後者は,どちらかというと日本で使われる"いじめ",つまり行為の主体と対象が児童生徒である事象を表す言葉とほぼ同義語です.もし,行為の主体が教師で対象が児童生徒の場合,もし性的なものであれば,"Abus sexuel d'enseignant sur ses élèves" (もし,フランスでこのような行為が発覚したらとんでもないことになりますが*1)),教職者の権威を使ったものであれば,"Abus d'autorité ..."といった表現になります.英語でも,"Harassment at school"というと,一般的には児童生徒間で発生する事象という印象を個人的には持っています.(Cf. L'OBSの記事: Harcèlement à l'école : 700.000 victimes et des mesures)

以下,日本においての"いじめ","ハラスメント"の使われ方についての所感です."いじめ"は,行為者と対象者がほぼ同一の社会的地位に置かれた集団に属している場合の"mobbing",または"bullying"の意味で多く用いられていて,個対集団のケースも多い.ハラスメントは,行為者と対象者が異なる社会的地位に置かれていて前者は後者に対して権威上優位に立っている場合に主に用いられていて,個対個のケースが一般的のようです.




*1) 例えば,15歳未満の児童への性的意図による接触は,暴力的なものでなくとも刑事罰の対象であり,最長10年の懲役および当時の金額で最高100万フランの罰金が課せられます.(1997年現在. Cf. Education Nationale : circulaires sur les violences sexuelles) その一方で,こうした厳しい刑事罰の対象である事から,教師などへの仕返しのために虚偽の訴えがなされる場合もあります.

Sunday, 18 January 2015

ドラマ『オリエント急行殺人事件』を見て思い出した新書『英国紳士の植民地統治』

日本が韓国併合後に韓国民に実施したのが皇民化政策でした.つまり法律上の名前を日本人の名前のようなものに変えさせる創氏改名や皇居の遥拝などを強要したわけです.そして,標記のによると,例えばイギリスによるインド統治は全く異なっていて,民主主義等の原則は教えても,現地の文化や習慣については尊重していたと言います.どちらが優れている,あるいは良いかという議論は意味を為しませんが,こうしたイギリス的な考えが,イギリスITV制作,ダヴィット・スーシェ主演『オリエント急行殺人事件』のなかの以下のポワロの言葉に表れているように思えました.

ドラマの冒頭でイスタンブール市内で姦通の罪で現地人の女性が群衆から石を投げられ殺害されるシーンがあります.それを,その夜,ポワロとオリエント急行車内で再会するデベンハム嬢が目撃していました.そして,その彼女もまたポワロによって目撃されていたのですが,車内で2人は以下の会話を交わします.太字がポワロの台詞ですが,黄色でマークした箇所が特にそうしたイギリス的な考えが見て取れるような気がするのです.

Are you all right, mademoiselle?
Yes. Yes, l'm fine. Thank you.
Hercule Poirot.
Mary Debenham. l've been, uh -- l've been teaching in Persia. l'm on my way home.
Yes, l saw you this afternoon in the streets of lstanbul.
You saw that?
Oui. Well, you are not too distressed by what happened, l hope?
Yes, of course, l am. And distressed l could do nothing to help. Aren't you?
Oui, bien sûr. But Justice is -- is often upsetting to witness.
Justice?
lt's like the gallows in England. But, uh, in another culture it is best not to intervene, mademoiselle.
The woman was adulterous. She had not killed anyone.
No, but she had broken the rules, and she knew what that would mean.

ところで,イスラムを自称する残忍なテロ集団のDaechもボコ・ハラムもイスラムを国教とした世界中の全ムスリムを統一する王国(カリファ)の成立を目指しており,それをカリフィズム(caliphism)と言うそうですが,冒頭で述べたように,日本の台湾統治や併合した韓国の統治のイデオロギーと多くの共通性を持っていることも否定できません.

Monday, 5 January 2015

L'EXPRESS Stylesでもっとも多くの人に読まれた記事は日本の正月に必ず起こる悲惨なできごとに関するもの

"VIDEO. Japon: les gâteaux collants du Nouvel an tuent neuf personnesをご覧下さい.gâteaux collants(くっつくお菓子)というのはお餅のことです.(以前,あるフランス人の方は,"riz compressé"(圧縮米)と呼んでいました.)上記の記事のタイトルを日本語にすると「お餅で9人が死亡」という意味ですが,ほとんど《殺人菓子》と言ったニュアンスがこもったタイトルです.確かに,フランスのみならず西洋の人たちにしてみれば信じられないことに見えてしまうでしょうね.ただ,この問題を解決するには,統計的に割り出して死亡する確率の高い世代は法的に餅の摂取を禁止するか,医療機関で餅による窒息死が防げる十分な身体機能を保持しているかの検査をし,保持していることが認められた人には証明書が公の交付され,それを持たない人に家族らが食べさせて死亡した場合は,食べさせた人を処罰するといったややこしい規制を設けるしかないでしょう.本来,お餅は生命力のシンボルなのですが,それを喉につまらせて亡くなるというのは極めて悲しいことです.長寿と長命は違うとある方から伺ったことがありますが,こうした出来事は長命が招いている悲劇と言えるのかもしれません.

L'EXPRESS Stylesのページ.右側の枠のなかが多くの人に読まれている記事のリスト.(1月2日現在)日本の《殺人餅》の記事が最上位に.

なお,ドイツのシュピーゲルの5日付の記事Tödliche Reiskuchen: Mindestens neun Japaner ersticken an Neujahrs-Mochiも,《殺人餅》により少なくとも9名が死亡と伝えています.
ところで,あてになるかどうかは別として,GFKが行った最新の調査の結果,他の国の人たちから良いイメージを持たれている国の中で6位に挙げられた日本ですが,こういった出来事が他の国の人が知ると,ミステリアスな国としてますます魅力を覚えられるかもしれません.なお,GFKの調査対象となったのは20カ国の20,000人で,調査結果では1位がドイツ(WMの優勝によるもの?),2位がアメリカ,3位がイギリス,4位がフランス,以下,カナダ,日本,イタリア,スイス,オーストラリア,スウェーデンだったそうです.(Cf. "Les pays qui ont la meilleure image dans le monde" in L'EXPRESS Tendances)(個人的には,日本がスイスより高位だったことが嬉しい.)

Sunday, 28 December 2014

ドイツ語圏,フランス語圏のニュースメディアの安倍政権に対する視点

まず,ドイツ語圏ですが,少なくともよくみるSPIEGEL(ドイツ)とNZZ(スイス)では,それぞれの姿勢がはっきりしていて,とても判り易いと言えます.例えば,先日の衆議院議員選挙の結果を伝える前者の12月14日付"Japans Premier und Atomfreund Abe. Strahlender Sieger"では,「輝かしい勝利者」や「原発の友達("Nuclear Friend),安倍」といった言葉が使われていますが,後者の同日付"Abes Wette geht nicht ganz auf"では,むしろ自民党が議席を減らしたことを挙げて,必ずしも勝利した訳ではないとコメントし,沖縄では県民の現政権の安全保障政策に対する怒りが渦巻いていると伝えています.そして,12月28日付"Japan legt Konjunkturpaket über 29 Milliarden Franken auf"では,政権のいわゆる「ばらまき」政策を紹介して来年予定されている参議院選挙をにらんだものと報じ,日本のニュースメディアに近い論調が感じられます.(スイス放送のニュースサイトにも同様の記事が掲載されました.)おしなべて,スイスのメディアのほうが日本に対して冷静と言いますか,深く洞察している印象を持っていますが,最近の記事では,選挙とは関係ありませんが,カジノを導入しようとしていることを報じる記事,今年9月11日付"Japan liebäugelt mit Spiel-Casinos"(「カジノゲームに魅了されている日本」)の中でパチンコにのめりこむ日本人の姿を紹介し,その他国に比べて異常に高いギャンブル依存度を数字を挙げて伝えていました.余計なお世話とは言いたくなるものの,読者に考えるための十分な情報を整理して提供するという姿勢は日本ではあまりお目にかかりません.ドイツは,日本に対しては,捕鯨(欧米のメディアはほぼ全面的に反対)と原発や環境政策以外のテーマには,さほど関心を持っていないようです.(いずれの分野でも殆どの場合,批判的な論調が目立ちます.)

フランス語圏では,基本的にフランスの主なニュースメディアしか目を通していませんが(無料の記事のみ),ドイツ語圏ほど丁寧には扱うことは殆どないように見受けられます.例えば,Le Mondeの選挙結果を伝える12月24日付"Troisième mandat de premier ministre pour Shinzo Abe"は,事実を簡単に伝えただけでした.Le Figaroの記事はさらに簡単でした.ただ,Le Mondeは消費税率の引き上げと衆議院の解散が首相によって発表された日に,その経済政策が行き詰まりを見せていることを伝えていました.(Cf. 11月18日付"Au Japon, Shinzo Abe cherche à se relancer") L'EXPRESSは,選挙結果について比較的長い記事(12月24日付"Japon: Shinzo Abe réélu Premier ministre par le Parlement")を載せていましたが,内容はというと,やはり事実を淡々と述べるだけでした.しいていえば,唯一,L'OBSが,12月14日付"JAPON. Shinzo Abe, l'audace gagnante"という「その大胆さが勝利」という言葉を含む大仰な見出しをつけた記事の中で,安倍政権の政策について,首相の祖父の岸信介にまで言及し,歴史を踏まえたかなり詳しい分析をしていました.L'OBSのこうした記事を読むと,上の段落で述べたような考える為に必要な情報に加え,歴史的経緯もかなり遡って伝えるヨーロッパのメディアの姿勢に大いに共感を覚えるものです.(日本の場合は,「年忘れ〜」という言葉に表されるように過去(特に災い)を簡単に忘れる,あるいは忘れようと努力するので仕方が無い部分もあるのですが.)

なお,アベノミックスが転じてアベゲドン"Abegeddon"になるという論説は,英語圏およびドイツ語圏において多く見られますが,フランス語圏では確認した限り見られませんでした.

結論めいたことを言うならば,あくまでも個人の好みではありますが,日本について深く冷静に考えるのであれば,例えば,NZZなどのスイスのニュースメディアの日本についての記事を読むとよいのではないかと思います.(ドイツ語に馴染みがなくても,翻訳ツールで英語に訳せば大半の意味は理解できます.試しにNZZのサイトで"Japan","Abe"といったキーワードで記事を検索してみることをお薦めします.)

Thursday, 18 December 2014

第二次世界大戦中の兵器開発にみるドイツと日本の相違 - 無人誘導爆弾を巡って

結論から言うと,日本の″奮竜″は,B29迎撃用に構想された画期的な自動追尾式の地対空ミサイルで,開発が遅れたため実戦投入には至りませんでしたが,ドイツで水上標的用に開発された目視による無線遠隔操縦方式の爆弾"PC 1400 Fritz X"および"Henschel Hs 293"は実戦投入されています.特に,前者にはイタリアの戦艦Romaを撃沈した記録が残っています.なお,装甲の厚い艦艇攻撃用で装填爆薬量1 tのFritz Xには推進装置は搭載されていませんでしたが,商船攻撃用で装填爆薬量500 kgのHs 293には推進装置が搭載されていました.

まず,″奮竜″の開発経緯を内藤初穂氏著『海軍技術戦記』の中にみてゆきましょう.
「捷号作戦」前夜の航空機開発を語るとき、見逃すわけにはいかないものが、もう一つあるそれは、後に″奮竜″とよばれることになった誘導弾、今でいえば、対空ミサイルである。
 その風洞試験が、艦政本部第四部から航空技術廠に依頼され、科学部の私のところにまわってきたのは、″秋水″の試験がたけなわのころだった。″秋水″と同じく、″B29″迎撃用とされていたが、″秋水″とは違って、無人で目標をとらえるという十文字翼つきの飛翔体であった。まず、レーダーで目標を追尾して、未来位置をわりだし、その方同をねらって、電波のビームを放つ。このビーム上に飛翔体を乗せる。飛翔休はロケットを噴射しながらビームに沿って飛んでいくが、途中でビームからはずれかけると、自分で自動的に操舵してもとに戻る。飛潮体の動きもレ―ダーでとらえていき、目標と重なった瞬問、信号を送って起爆させる。目標からはずれそうになれは、ビームをよって、飛翔体を誘導する。すでに六月ごろ、新聞紙上に「火のかたまりのようなもの」が,轟音をを発してイギリス本土に飛来したという記事がでていた。この"V一号"は固定した目標に向かって突進していくものらしかったが、十文字翼飛期体は動く目標でもとらえ得るはずであった。
 十文字翼は、飛翔体の位置を二次元的にとらえるためのものである。計画によれば、とりあえず、火薬ロケット式の三式噴進弾に十文字翼と操縦装置とをとりつけて、基礎データをつかみ、本番では、″秋水″と同じく、○呂(○の中に呂)液で推進する。薬液を燃料室に噴きだすために、″秋水″ではポンプの設計に苦労していたが、この飛翔体の場合は″秋水″ほどの薬液を必要としないから、圧搾窒素ボンベを積み、その圧力で押しだすだけでよかった。
 多くの開発計画が特攻兵器に傾斜していったなかにあって、この誘導弾計画は、特攻隊員の生命を機械におきかえるはずのものであった。しかも、その発想が艦艇関係者によって実現に移されようとしていたことは、航空関係者にとって頂門の一針と受けとられるべきものであった。しかし、当時の航空技術廠は、この誘導弾に対して、つきあい程度の態度しかしめさない雰囲気だった。発想者の古田隆技術少佐(昭一一、九大卒、造船)自身も、当時を回顧して、つぎのように書いている(『造船官の記録』)。
 「……十文字翼とした場合に操縦性能がどんなものになるか、参考とすべき前例は情無であった。
 横須賀の航空技術廠の風洞が唯一の頼みであったが、空技廠では有人邀撃ロケット戦闘機″秋水″に全力をあげていた。同じくB29の”の邀撃をめざして、人が乗らぬ自動迫尾などの夢のような話に、一日たりとも風洞を使わせることはできないという態度であった。だが捨てる神があれは拾う神があるとか、私のクラスの造兵科の機体屋(科学部の左冶木清一技術少佐)のお蔭で、ようやく引き受けてもらうことになって、本格的な風洞試験の段取りができ上がった」
 風洞試験には、発案者の吉田技術少佐も姿をみせた。その態度のすみずみから、憑かれたようなひたむきさがにじみでていて、私は嫉妬めいたものさえ感じた.
 「約一米半の磨き上げられた十文字翼の縮尺棋型が風洞に吊ろされて、轟々と響く風路で操舵時の諸性能が解明されていった。以前に持ちまわった木製の模型が、今日このように変貌して、風洞で実験されている。眼前の姿を見ると、いつの間にか、これか空を自在に飛んでいるような錯覚にとらわれる。主翼や尾翼の操縦翼の修正などが厳密に行なわれてゆく」
 吉田技術少佐は、ミッドウェイ海戦当時、呉工廠造船実験部にあって、すでに自動操縦装置と取りくみ始めていたが、昭和一七年一〇月、艦政本部に転勤したのち、誘導弾の構想をかため、艦政本部や技術研究所の上司に開発許可を請願してまわった。そのとき、説得材料として持ちまわったのが、文中に書いている「木製の模型」である。
 古田氏の語るところによれば、当時の反応は、「人間自身が操作しないような兵器は、とても信頼できない」というほどの状況であったようである。今から考えると、とても想像もつかないが、用兵側にかぎらず、技術側でさえ、そうであったという。
 ともかくも、お百度を踏んで、何とか試作の許可をとりつけ、機体関係の設計を東京帝国大学工学部の谷一郎教授に依頼するいっぼう、噴進薬、自動操縦装置などについても、内外の権威者を動員して、海のものとも山のものともわからなかったものに形をつけ、ようやく風洞試験にまでこぎつけたのである。
 風洞試験から数日後、私は測定結果を整理して、技術研究所の打ち合わせ会議に届けた。
 「席上で久しぶりに大学の恩師、谷一郎先生にお会いした。なつかしかった。試験の結果は私の計算通りでしたと丁寧に礼を言われ、各担当部員と討論を重ねられた。言葉ひとつひとつを考えるようにして話される、その口ぶりからも、黒板に端正な図を画かれてゆく、その手つきからも、学生時代の教室の一駒一駒が思いだされた。あのような平和な秋のあったことが、人ごとのように思えてならなかった」『プロモート』22号、日本工房)*1)
次にドイツで実用化された無人誘導爆弾"Fritz X"及び"Hs 293"のケースをみてゆきます.参考にしたのは,"FliegerRevue X"40号に掲載されたUwe W. Jack氏による記事"Reichenberg - die bemannte Selbstopfer-Bombe"ですが,これら2つの誘導爆弾についてWikipediaが日本語の説明を提供しているので,詳しくはそちらをご覧下さい.以下,簡単な説明です.

まず,技術面についてですが,誘導の仕組みは,どちらも目視による無線誘導です.違いについて言うと,Fritz Xには推進装置は搭載されていませんでしたが,Hs 293はロケットエンジンが搭載されていました.そして,装填された爆薬の量は,前者がおよそ1 t,後者が500 kg,また,投下可能距離は,標的(艦艇)から前者が10 km,後者が12 kmでした.なお,標的となる艦船の種類は,前者が装甲の厚い戦艦など,そして,後者が商船とされました.これら2つの爆弾は,1942年以降,とりわけ誘導装置に改良が重ねられ,1943年夏には実戦配備されるに至りました.なお,Fritz XはDr Max Kramerによって,Hs 293はHerbert Wagnerによってそれぞれ開発された兵器です.

次に,戦艦ローマ撃沈までの経緯です.1943年,6月には南部戦線におけるドイツ軍の劣勢は明らかでした.ヒトラーの盟友ムソリーには辞任に追い込まれ,逮捕されていました.シシリア島は,すでに英米軍によって占領され,連合軍によるイタリア本土上陸が秒読み段階に来ていましたが,新たに発足したイタリアのパドリオ政権が連合軍との休戦交渉を開始し,9月8日には休戦が宣言されました.その夜,英米軍の武装解除の要求に応じて,イタリア海軍の艦艇の大部分が,旗艦である戦艦Roma上のCarlo Bergamini提督に率いられ,La Speziaから南西方向へ移動を開始しました.この動きは,直ちにドイツ軍の知るところとなり,フランス南部のIstres駐留の第100飛行爆撃隊第3部隊に緊急出撃が命じられ,各機1つのFritz Xが搭載された複数のDornier Do 217 K-2が離陸したのでした.そして,そのうちのKlaus Deumling搭乗機が,ジグザク航走を続けるローマの上空およそ7000 mからFritz Xを投下したところ,艦底まで突き抜け直下の海中で爆発,同艦の操舵機能を破壊しました.続いてKurt Steinborn搭乗機が投下した2つ目が艦橋と前部砲塔との間(弾薬庫)に命中.この2つ目の爆発の直後,艦は2つに裂け沈没し,Bergamini提督を含む乗組員1254名も運命を共にしたのでした.そして,両機は無傷で基地に戻りました.

斯くも晴れがましい結果となったFritz Xの初陣ですが,そのあとは,あまり実戦で用いられることはありませんでした.その理由は,以下にご紹介する1943年の秋に行われた当時の戦闘機部隊の司令官アドルフ・ガラント(Adolf Galland)と爆撃機部隊の司令官ヴェルナー・バウムバッハ(Werner Baumbach)の話し合いの内容から判るように,当時の追いつめられたドイツの情況だったのです.なお,後者は以前に公開したポストでも言及していますが,日本の神風特別攻撃隊のような体当り攻撃の採用には一貫して反対の姿勢を示し,最終的に体当り攻撃専用兵器ライヒェンベルグ(Reichenberg Re)実戦投入のプロジェクトを中止させた人物です.話し合いに臨んだ二人の将軍は,連合軍の大陸上陸は,もはや阻止出来ないという認識で一致していました.ただ,すでに無条件降伏を要求している連合軍との交渉による停戦を実現するには,なんとしても優勢な軍事力を維持する必要がありました.1943年7月27日の夜,ゴモラ作戦という名の下に実施された英軍機の空爆の標的となったハンブルグの居住地区において30,000を超す民間人が犠牲となっており,それ以降,ドイツは,まさに背水の陣に追いやられていたのです.ドイツ軍にとって自国の制空権の脆弱化は,連合軍の地上部隊の迅速な上陸を可能にしてしまうものでした.そして,同時に,爆撃によりドイツの軍備も着実に破壊されつつあったのです.こうした情況を踏まえ,二人は,Fritz Xの戦果をさらに上のレベルへ報告するか迷いました.もし,この誘導爆弾の華々しい戦果を報告したなら,恐らく上層部は爆撃機の製造を優先させるだろう.しかし,今,必要なのは,少なくとも自国の制空権を回復させる為に,戦闘機であるという認識でも二人は一致していました.そこで,彼らは,今回の報告書には当該の戦果は誘導爆弾によるものとは記さず,単に特殊爆弾("spezielle Bomben")によるものとしたのでした.そのため,Fritz Xの威力は,その後,指導者層において殆ど知られることはなかったのです.*2)

つまり,日本においては,開発側においても用兵側においても,共通して人間が操縦しないものはあてにならないという固定概念があったため,開発が進まなかった.しかし,ドイツに於いては,開発され,実戦投入もされたものの,そのときはすでに戦況を巻き返すことができる段階ではなかったと言えます.少なくとも当時の実戦部隊の司令官たちの判断はそうだったようです.

最後に,Fritz Xの卓越した命中率を示すデータを紹介しておきます.Fritz Xを搭載した爆撃機で構成された第100航空爆撃隊による報告に記載されていたものです.それによると,水上標的に対し投下された215発のFritz Xのうち,66発が命中,40発が至近着弾,さらに諸事情により目視による確認はできなかったものの38発が何等かの損害を生じさせ,70発は標的上を通過したとされています.つまり,命中率は37%ということになります.(打率が4割近いというのは,メジャーリーガーの中にもそれほどいないと思います.)これが如何に驚異的なものであるか知る為に,1941年にフランスのブレスト港に停泊中の独海軍のGneisenauScharnhorst(両方とも後の大和型にシルエットが似ている.)に対し実施された英軍機による爆撃のデータを挙げると,その際の命中率は2870発に1発でした.つまり0.069%となります.(恐らく,水平爆撃によるもの.急降下爆撃だったならば,この数値は多少は改善されていたかもしれません.)Fritz Xの高い命中率を十分に認識していた技術者達は,1944年8月15日に誘導爆弾の早急な追加配備を嘆願する内容の書翰を親衛隊長ハインリヒ・ヒムラー(Heinrich Himmler)に送ります.以下,当該書翰の一部です.*3)
,,Die ungeheure Bedeutung der ferngelenkten Bomben für die deutsche Kriegsführung ist auch von den heutigen Männern in keiner Weise erkannt worden. Die Einsatzergebnisse, die von den am Feind abgeworfenen Bomben 40 Prozent Volltreffer verzeichnen, trotzdem diese Waffe erst ganz jung im Einsatz steht und trotzdem diese Erfolge unter schwierigen Einsatzbedingungen erzielt wurden, sind von den entscheidenden Männern nicht zur Kenntnis genommen worden. Der Befehl des Reichsmarschalls, jede weitere Beschäftigung mit den ferngelenkten Körpern sofort einzustellen, wurde in der Form ausgeführt, dass auch Bomben, die schon zu 80 Prozent fertig waren, zur Verschrottung bestimmt wurden, ...". *4)
この中で,技術者達は,40%にものぼるFritz Xの命中率を指導者達は認識しようとしないこと,そして,国家元帥(ヘルマン・ゲーリング)の遠隔誘導爆弾の製造中止の命令を受け,80%迄完成していた爆弾もすべて廃棄されることになったことを嘆いています.ゲーリングの命令は,ヒトラーの暗殺未遂事件を受け,こうした兵器が同様の目的で使用されるのを恐れたために下されたものでしたが,これもFritz Xの大規模な実戦投入を妨げた要因のひとつと言えます.

以下は,歴史における"If"ですが,確かに日本の技術者たちが開発しようとした奮竜は,当時としては世界に類のない画期的な兵器だったと思いますが,Fritz Xのような目視による遠隔操縦方式の爆弾であれば,少なくとも技術的には,日本でも十分に実戦投入にこぎつけられたのではないかと思います.そうなっていたのであれば,老朽化した零戦や桜花を用いた無謀で極めて非合理な体当り攻撃は行う必要はなかったのではないないかと思えるのです.*5) 必要であれば,同盟国のドイツから技術支援を受けることも可能だったはずです.実際,潜水艦製造など,様々な兵器開発において,日本はドイツから技術を借用しています.*6) 航空機の分野ではメッサーシュミット Me 163 Bからヒントを得て,"秋水"と命名されたロケット戦闘機の開発も試みられています.

以前のポストで,日本では敗戦間際に「死が目的化してしまった」と書きましたが,同時に,戦果はどうであろうと命を失うこと自体が兵員の使命であるといういうこの思想を深く国民の心に植え付けるために用いられた《軍神》という存在を製造するということも目的化していたと言えるかもしれません.そうした軍神製造に,いつしか当初の目的から離れ,アイデオロジカル,あるいはドグマティカルな支えを提供することになってしまったのが靖国神社と言えるのではないでしょうか.つまり,この神社の体裁をとっている宗教施設は天皇および国家(あるいは,国体)のための死をプロモートする装置と化してしまったのではないかと.

ところで,こうしたドイツの誘導爆弾の技術は,今日の誘導ミサイルの技術の基礎となったと言われますが,それは,ジェット機についても同様です.詳しくは,FliegerRevue X 40号の記事"Messerschmitt-Projekte"をご覧下さい.





*1) 内藤初穂『海軍技術戦記』, 東京, 図書出版社, 1976, pp210ff;なお、内藤氏は、『機密兵器奮竜』という本も著されています。(東京、図書出版社、1979)
*2) Jack, U. W., "Reichenberg Die bemannte Selbstopfer-Bombe" in FliegerRevue X 40,pp18f
*3) Ibid., p17
*4) Idem.
*5) 前掲の内藤氏の著作に次の文章がありますが,それに基づいて特攻機の命中率を計算すると0.02984%になります.

1945年4月の「菊水作戦」発動以降の体当り攻撃に関する以下のデータを挙げています.中央の方針は本土決戦へ切りかわってしまったが、九州方面の航空部隊は、水上偵察機、練習機″白菊″までくりだして、「菊水一〇号作戦」までの特攻出撃をつづけ、けっきょく、海軍機延べ八五八六機、陸軍機を含めると、一万機以上が投入される。そして、沖縄をめぐる戦果は、沈没二四隻、損傷三四九隻(アメリカ側資料)、その八〇%は、特攻機によるものと推定された。
内藤, 『海軍...』p234
話は少し飛躍しますが,日本軍の非合理性は,鈴木眞哉氏の『刀と首取り 戦国合戦異説』の中の次の記述によっても明らかにされています.長文ですが,引用します.

 江戸時代人ことに武士たちが争う場合、たしかに刀はもっとも重要な武器であった。甲冑を着けて戦うわけではなく、弓・鉄砲はおろか、槍・薙刀さえそうそうは持ち出せない状況であれば、刀だって役に立つのは当たり前である。たくさんの剣術流派が生まれ、いわゆる剣豪たちが輩出したのも不思議ではない。
 幕末の動乱期となっても、最初のうちは刀がかなり活躍した。万延一年(一八六〇)の桜田門外の変では、襲撃側がピストル一挺を用意していたというが、主武器は刀であったし、文久二年(一八六二)の坂下門の変なども同様である。翌文久三年の天誅組騒動、元治一年(一八六四)の水戸藩の内訌などの記録を見ていても、刀で切った切られたという話が驚くほど出てくる。
 この元治一年六月には、有名な池田屋騒動があり、クーデターの準備に集まった尊壌派の連中の中へ近藤勇ら新選組の面々が討ち入って、七人を斬り伏せ、二三人を捕らえた。このとき討ち入った側も討ち人られた側も、ほとんどが刀でわたり合っている。
 こういうことを見れば、「チャンバラ幻想」が人びとに素直に受け入れられていたとしても、あまり不思議はない。ただ、それを「常識」としていられたのは、あくまでも当時のわが国の社会の特殊な状況を前提にしてのことであった。したがって、前提が変われば通用する話ではなくなるが、実は、池田屋事件の前年にはその後の対外戦争の走りのような薩英戦争が起こっている。最新鋭のアームストロング式後装施条砲を積んだイギリス艦隊が鹿児島湾に押しかけてきて、薩摩藩の砲台と砲撃戦を展開したという事件である。
 果たして、というべきか、間もなく状況は一変する。慶応二年(一八六四、長州藩征討に加わった紀州藩は、その経験から、戦闘がすべて「砲戦」(銃撃戦の意味)に終始したこと、刀槍による「接戦法」などはまったく役に立たなかったことを率直に認め、藩士を銃隊に編成し直した。慶応四年(明治一年、 一八六六)の鳥羽・伏見の戦いに参加した新選組の副長・土方歳三も、これからの戦いは槍や刀では駄目だ、鉄砲にはかなわないということを悟らざるをえなかった。土方のような人斬りのプロがそう思ったくらいだから、以後「チャンバラ幻想」など、消しとんでしまったのも当然である。
 洋式銃の導入によって、ふたたび鉄砲が戦場の主役となり、刀槍による接戦が廃れていった経緯については、すでに『鉄砲と日本人』で詳しく述べているので、ここではくり返さない。戊辰戦争や一連の士族反乱の過程の中では、刀を抜いて振りまわす場面も、まったくなかったわけではないが、槍や刀ではもはや戦争にはならないという土方的認識を覆すには至らなかった。
 いったん消え失せたはずの「チャンバラ幻想」が息を吹き返すきっかけとなったのは、おそらく明治四二年(一九〇九)に改正された『歩兵操典』が自兵主義を打ち出したことであろう。これが火力を軽視する日本陸軍の「伝統」をつくってしまったことは、旧軍人の人たちにも指摘されているが、ただ、この時点では、わが国だけがとび抜けて頑迷固陋だったわけではない。欧米諸国も長らく白兵重視の姿勢を崩してはいなかった。むしろ、本格的な白兵主義の伝統を持たなかったわが国としては、そうした自兵主義自体が近代的な陸軍の建設に伴って、欧米から移植されたものだったというほうが当たっている。
 そのあたりの事情も『鉄砲と日本人』でかなり記しているので、これ以上立ち入らないが、不可解なことが一つある。欧米諸国の陸軍が第一次世界大戦(一九一四〜一八)を境に自兵主義と手を切る方向へ向かっていったのに、わが国の陸軍ばかりは、積極的に自兵主義を打ち出したのである。他の国でも刀剣がまったく姿を消したわけではないが、第二次世界大戦中、刀を実用兵器として重視していたのは、日本陸軍だけだったそうである。こうした姿勢は、満州事変(一九三一)の直後から目立つようになり、翌昭和七年(一九三二)には、従来の軍刀に代えて、新たな乗馬刀・徒歩刀がとりあえず制定された。他の兵器の刷新に先がけて、まず軍刀の改良がはかられたところからして問題だが、それだけでは終わらなかった。陸軍部内に「日本精神」作興の声が高まり、それまでサーベル式外装となっていた将校の軍刀が旧来の日本刀の形式に改められることになった。「チャンバラ幻想」は、名実ともに息を吹きかえしたことになる。
 もっとも明治四二年の『歩兵操典』改正から、一直線にそこまで行ってしまったのかというと、そういうわけでもない。刀剣鑑定家の本阿弥光遜氏は、第一次大戦後、よく士官学校へ講演に行ったが、若い上官候補生の中には軍刀不要論を主張する者が多かったという。それはまた軍部全般の空気でもあったのではないかと思われる。それが一転して、従来型の軍刀が維持されたくらいならまだしも、旧来の日本刀が復活したのだから、後世の日から見れば、自昼に幽霊が出現したょうなものである 。

鈴木眞哉氏の『刀と首取り 戦国合戦異説』(平凡社新書036), 東京, 平凡社, 2000, pp61ff
ところで,日本刀への執着というと思い出されるのは,三島由紀夫の最後ですが,彼の考えには共感するところは少なくないものの,自殺(or他殺?)に至るまでの行動は全く理解できません.目的を達成するための複数あったと思われる選択肢の中で,最も成功率が低いものを選ぶというのは非合理の一言に尽きます.その意味では,ナルシスト且つロマンチストとは言えるにせよ,例えば,レーニンのようなリアリストの革命家とは言えません.

西洋列強を手本として軍事大国化しようとした近代日本の非合理性の象徴とも言える日本刀を用いて自らの生涯に終止符を打った三島は,こうした日本が培養してしまった非合理性が受肉した存在と言えるのかもしれません.しかし,そうした存在であったからこそ,逆に日本の伝統文化や精神性に対する感受性も豊かであったことも事実でしょう.であれば,なぜ,もっと生きて文筆や言論によって社会に影響を与えようとしなかったのか,そう思うと残念に思えてなりません.ただ,誤解していただきたくないので,三島が非合理主義者であったからといって,日本の伝統文化,特に技術については非合理であったとは必ずしも思いません.むしろ,それらは各時代において目的合理性にのっとって開発されたものであったと思っています.ただ,それらを条件が全く異なる現在において使用するという姿勢が時代錯誤そのものであり,且つ非合理以外なにものでもないということです.さらに,三島の思想(と呼べるものがあるとすると)には,無形の精神性への崇敬がみられますが,彼にとって,その無形の精神性宿る寄りしろとして天皇が必要になるのであり,彼の天皇への思慕はそれゆえのもののようです.そこには,中性の武士道を形成していた主君と家来との情緒的な関係に近いものが見えます.魂,あるいは精神と言っても,結局,それを象徴する何らかの形象を崇拝の対象とするのであれば,それは偶像崇拝であり,唯物論との違いがぼやけてきてしましいます.日本の伝統的な氏神信仰を無批判で受け入れ,前提としている思想にはこうした不明瞭性がつきまといます.
*6) 例えば,吉村昭 著『深海の使者』(文春文庫)参照.また,敗戦直前の1945年にドイツから日本へ向けて出航したU-234には,分解されたジェット戦闘機Me 262Aggregat 4 (A4)の設計図及び部品,さらに日本の核兵器開発を支援するための560 kgの酸化ウランなどが積載されていました.(1993年に制作された映画"Das letzte U-Boot"("The Last U-Boat")の基となった実話.映画の中では米内海相の役を児玉清さんが演じておられました.それぞれの国民性が良く描かれていて,お薦めの一本です.)

Wednesday, 17 December 2014

《死の目的化》が起きた日本と起きなかったドイツ - 第二次世界大戦中の体当り攻撃を巡る両国の比較

始めに,《死の目的化》という言葉は,元海軍技術大尉の内藤初穂氏の著作『海軍技術戦記』の「特攻兵器の原理」という文章中の次の文を短く言い換えたものです.内藤氏は,特別攻撃と呼ばれた体当り攻撃の発想の三つの論拠を挙げていますが,その三つめを述べた箇所です.
第三に、日本の軍隊組織のなかでは、もともと、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の葉隠れ思想や、「死は鴻毛より軽し」の軍人勅諭思想がひろく賞揚されていたことである。つまり、アッツ島いらいの玉砕思想が特攻思想ヘと移行して、戦間の結果であった死が戦間の目的にすりかわっても、ごく自然のことと受けとめられ、おもてだって批判する素地はまったくなかったのである。*1)
そして,1945年4月の「菊水作戦」発動以降の体当り攻撃に関する以下のデータを挙げています.
中央の方針は本土決戦へ切りかわってしまったが、九州方面の航空部隊は、水上偵察機、練習機″白菊″までくりだして、「菊水一〇号作戦」までの特攻出撃をつづけ、けっきょく、海軍機延べ八五八六機、陸軍機を含めると、一万機以上が投入される。そして、沖縄をめぐる戦果は、沈没二四隻、損傷三四九隻(アメリカ側資料)、その八〇%は、特攻機によるものと推定された。特攻隊については、これを日本歴史の栄光とみるか、恥部とみるか、思いは人さまざまだろう*2)
こうした体当り攻撃は,日本だけに限ったものではなく,当時の同盟国ドイツでも敗戦直前に実行されました.1945年3月17日オーデル川(Oder)の浮橋(Pontoon Bridge)に対する爆弾を搭載したHe 111,Ju 88-Bomber,Ju 87 Stukaおよび1機のFW 190による混成飛行隊による攻撃です.この作戦には,志願者によってのみ組織された体当り攻撃専門部隊レオニダス飛行中隊(第200飛行爆撃隊第5中隊.通常"5./KG 200"と略記.後にSonderstaffel Einhornに名称変更.)所属のパイロットに混じって,新たに志願したパイロットたちも加わっていました.翌18日に実施された同様の攻撃において,Ernst Beichel操縦のFW 109がZellin付近の浮橋の破壊に成功しました.その後,東部戦線において,迫り来る赤軍の進攻を阻むための橋梁破壊作戦には,無人誘導爆弾(恐らくFritz X)や無人飛行爆弾Mistelgespanneなどが投入されましたが,中には,双発爆撃機が全搭乗員諸共標的に激突した例もあったようです.また,ナチスの総統親衛隊(Schutzstaffel)の中にも体当り攻撃専門の部隊が組織されていましたが,必死作戦遂行のために前線に派遣された者の中にはパイロット以外の兵員も含まれていたようです.これらの作戦の結果,オーデル川の架かる17の橋梁が破壊されました.*3)

実は,上で述べた作戦の前にも,連合国軍の補給艦艇に対する体当り攻撃が計画されたことがありました.そのひとつの例を以下に紹介します.1943年6月13日,体当り攻撃(ドイツ語では自己犠牲攻撃)の発案者であり,5./200 KG隊長ハインリヒ・ランゲ(Heinrich Lange)に,FW 109による体当り攻撃作戦準備の命令が下りました.ただ,ランゲは,この作戦の実施には消極的でした.何故かというと,FW  109に搭載可能の爆弾は最大1000 kgであり,しかも,仮にそれを標的の艦艇近くで投下しても,ランゲが望んでいたように,確実に標的を撃沈させるためにそれらの直下で爆発させる(後に説明するライヒェンベルグによる攻撃方法.)ことは不可能だったからです.なお,こうした戦法が,何故,自己犠牲攻撃と呼ばれたかというと,敵艦艇の至近距離で爆弾を投下するためには,限りなく垂直に近い角度で急降下を行い投下する必要があるのですが,その場合,それらの艦艇との激突は避けられないからでした.

結局,この作戦は実行には移されませんでした.パリの北方に用意されるはずのフォッケ・ヴルフ11機と搭載可能な特殊爆弾の用意が間に合わなかったこともその理由でしたが,最終的に,このあまりにも成功の確率が低い作戦の実施を拒否したのは,ランゲ自身でした.*4) ランゲのこうした姿勢に対し,上層部から以下の文言を含む自己犠牲兵員の義務を記した通達が届きました.
,,... der Totaleinsatz ist nicht mehr auf eine bestimmte Waffe abgestimmt, sondern gilt für jeden Einsatz, zu dem der Mann befohlen wird ..."*5)
"Totaleinsatz"という言葉は,当時,自己犠牲("Selbstopfer")と同義語として用いられましたが,「全的挺身」とでも訳せましょうか.つまり,軍の上層部によると,特殊部隊に求められる全的挺身とは,特定の兵器の使用時にのみ求められるものではなく,すべての作戦において求められるとしたのです.言い方を換えれば,どのような攻撃方法による作戦であろうと,その実施の命令を受けたら,自らの命を犠牲にすることを拒否してはならないということです.これは,ランゲたちの意向を完全に無視したものでした.彼らが望んだのは,自らの命と引き換えに敵戦力に対し確実に甚大な損害を与えることであり,そのためには,その目的を最も高い確率で叶えることができる兵器の使用が前提条件だったからです.*6) そして,その兵器こそがパルスジェットエンジンを搭載した無人飛行爆弾Fieseler Fi 103(V-1)に操縦席を設けたライヒェンベルグ(Reichenberg Re)だったのです.

1944年8月25日,デーデルシュトルフにいたランゲたちは,KG 200のランデル・ゼンパー少佐(Major Randel-Semper)の訪問を受けます.少佐は,ランゲ達に空軍上層部の意向として上記文言を含む誓約書への署名を求め,同時に,ランゲが望む兵器の開発及び製造は困難である旨も伝えました.最初は躊躇していた彼らでしたが,相談の結果,最後には署名に応じました.しかし,そのとき,ランゲが隊長の職から解かれたことも知ったのでした.上官の命令に対する複数回に及ぶ不服従がその理由でした.*7)

こうしたランゲや同僚たちの姿勢は,最後迄目的と手段を明確に区別し,自らが定義した両者の意味を変えなかった結果と言えます.ここに体当り攻撃で死ぬという手段が目的化してしまった日本との決定的な違いが見えます.元々,ランゲが体当り攻撃を思いついたのは,1940年5月10日以降従事していた兵員や物資の輸送機(DFS 230グライダー)のパイロットだったときです.彼は,多くの同僚たちが,操縦するグライダーとともに敵戦闘機の餌食になるのを見て,いたたまれない気持ちになり,どうせ命を失うのであれば,敵に対して,できるだけ大きな損害を与えたいという願いから体当り攻撃の構想を思いついたのでした.*8)

以上のことを念頭に置きつつ,日本海軍の後に「桜花」と呼称された有人誘導飛行爆弾大⃝(○の中に大)部品の最初の実戦参加の際のエピソードを知ると,当時の指揮官の思考が,如何に無思慮および無謀なものであり,すなわち非合理によって支配されていたかが判ります.長文ですが,冒頭で引用した内藤氏の著書から引用します.
 本土各地を荒しまわり、硫黄島上陸軍の援護にあたったアメリカ機動部隊は、いったんウルシー泊地に帰投したのち、三月一八日、ふたたび土佐沖にあらわれ、一九日にかけて延べ二五一〇機をくりだし、九州、四国、中国、阪神の各基地に対して、大規模な反覆攻撃をかけてきた。 一九日には、呉地区もねらわれて、港内に集結していた残存艦艇の多くが損傷をうけた。沈没は敷設艦三隻だけですんだものの、 "伊勢″ "日向″ ″龍鳳″ ″大淀″などにいたっては、実質的に戦聞能力を完全に失ってしまった。
 中央では、錬成途上にある航空兵力を温存する方針であったが、九州に展開していた第五艦隊の宇垣指令長官は、
「地上に於て喰わるるに忍びず、加うるに南西方面に対する攻撃の前提ならずと誰か判定し得ん」(『戦藻録』)として、部隊の全力を投入する。
 当時(三月一日規在)の航空兵力は、作戦の主力となる第五航空艦隊が約五二〇機、これに第一航空艦隊(台湾方面)の約八五機、第三航中艦隊(関東方面)の約五八〇機をあわせると、合計一一八五機と推定される)航空本部の整備計画に対して、充足率は約六割であった。このほか、予備部隊の第一〇航空艦隊には、約三六〇〇機(実用機約一一〇〇機、練習機約二五〇〇機)が準備されていたが、これは当面の迎撃には使えなかった。
 第五航中艦隊は、三月一八日から二一日まで、連日にわたって延べ六八五機を出撃させ、未帰還機一七二機の犠牲をあげながら、敵機動部隊に襲いかかり、空母四隻を撃沈したと判断された(アメリカ側資料では撃破)。出撃機のうち、約四分の一にあたる一七七機は特攻出撃であり、その一五五機が未帰還となっている。
 最終攻撃には、人間爆弾″桜花″の「神雷部隊」(指揮官、野中五郎少佐)も初出撃することとなり、午前一一時三五分、"一式睦攻″ 一五機がそれぞれ″桜花″をかかえて、鹿屋基地を離陸した。敵機動部隊上空に到達すれば、特攻隊員が″桜花″に乗り移り、操縦桿のボタンを押して離脱、身ぐるみ突入してゆく手筈であった。しかし、″桜花"作戦については、母機の空気抵抗が主翼の防弾ゴムや″桜化″のために増大して、どうしても鈍速にならざるを得ず、その結果、目標に到達する前に親子もろとも撃墜されることが懸念されていた。航空技術廠の廠長、和田操中将は、用兵側に対して、戦闘機の護衛が十分でなければ成功の公算がうすいことを強く主張していたともいう。案の定、″桜花"の初陣は、この懸念を裏書きしてしまった。第五航空艦隊の宇垣司令長官は、『戦藻録』のなかで、その日の経緯をつぎのように記している。
 「見送りの為飛行場に至りさすがに心配顔なる岡村指令を激励す。
 神雷部隊は陸攻一八(桜花搭載一六)一一三五鹿屋基地を進発せり。桜花隊員の白鉢巻滑走中の一機に瞭然と限に入る。成功してくれと祈る。然るに五十五も出るはずの援護戦闘機は整備完からずして三十機に過ぎず一方索敵続行の結果は空母三、二、二の三群集結隊形にて南西に航するを報じ最初の考より勢力猶大なるを知る。南大東島を攻撃制圧したる報もあり。壕内作戦室にて敵発見。桜花部隊の電波を耳をそばだてて待つこと久しきも否として声無し。今や燃料の心配を来し、敵を見ざれば南大東島へ行けと令したるも之亦何等応答するなし。其の内援護戦闘機の一部帰着し悲痛なる報告を致せり。即一四二〇頃敵艦隊との推定距離五、六十海里に於いて敵グラマン約五十機の邀撃を受け僅々十数分にして全滅の悲運に会せりと。嗚呼ー(三月二一日、水曜日、晴)」
 このとき、岡村基春指令は、援護機五五機でも足りないと進言し、横井俊之参謀長は、攻撃中止を示唆したが、宇垣司令長官は、「この情況で使えないものなら、"桜花”は使うときがない」と、岡村指令の肩をたたきながら、決行を命じたという(猪口、中島共著『神風特別攻撃隊』河出書房新社刊)。*9)
最後の,『神風特別攻撃隊』から引用された桜花による攻撃の決行理由を述べた宇垣司令長官の言葉「 この情況で使えないものなら、"桜花”は使うときがない」に,この異常な攻撃用の兵器を使うこと自体が目的化されていたことが明確に示されています.開発の命令を受けた技術者たちが.自らのうちにわき上がって来る「非科学的」,「技術に対する冒涜」といったいきどおりの言葉を封じ込めて開発した特攻兵機桜花は,その乗員および搬送機の乗員と共に非合理性によって支配されていた用兵側(兵器を用いる側)の姿勢の犠牲となってしまったと言えるでしょう.*10)

では,そもそも,こうした体当り攻撃の伝統が古くから日本軍に存在したかというと,答えは否です.冒頭で引用した内藤氏の言葉でも判るように,決死が必死に替わったのは敗戦色が濃厚になったころからで,例えば,真珠湾攻撃の際に使用された特殊潜航艇甲標的は,確率は僅かであったものの生還は前提からはずされていませんでした.以下,内藤氏の著書からの引用です.
それまで、戦間の過程で結果的に体当りに至った例は少なくなかったが、はじめから体当りを前提とした攻撃は、あまりにも悲愴であり、あまりにも異常であった。この種の攻撃をのちに「特別攻撃」、略して「特攻」と呼びならわすようになるが、同じ呼称が、すでに真珠湾、シドニー港、ディエゴスワレス港を攻撃した″甲標的″にも用いられている。しかし、 ″甲標的″の場合は、搭載母艦に帰投できるように設計してあるので、「決死」の特攻であることは間違いないにしても、けっして「必死」の特攻ではなかった。特攻という言葉が「決死」から「必死」へと転換しはじめたのは、南東方面の敗色が濃くなった昭和一八年中期ごろといわれる。*11)
具体的には,最初の神風特別攻撃隊の組織が在比第一航空艦隊司令長官大西瀧次郎中将によって決断されたのは,1944年10月20日のことでした.その背景として内藤氏は,以下の事情を紹介しています.
基地航空部隊も、残存機をあげて、水上部隊のなぐりこみに呼応したが、劣勢は如何ともしがたかった。とくに、在フィリビンの第一航空艦隊は、二〇日現在の実働兵力がわずか二九機にすぎず、まともな攻撃法では、単なる消耗に終わることはあきらかであった。どうせ戦死するものなら、赫々たる戦果をあげさせてやりたい。司令長官の大西瀧次郎中将(一〇月五日、寺岡謹平中将と交代)は、「外道の戦法」と承知しながら、一〇月二〇日、休当り攻撃以外に道はないと決断して、いわゆる「神風特別攻撃隊」の編成にふみきった。*12)
ドイツに於いても事情は同じで,例えば,1944の2月,ランゲと同志の女性パイロット,ハンナ・ライチ(Hanna Reitsch)からの要請を受け,ナチス党ニーダーシュレージエン支部の代表Karl Hankeは,P 55計画と呼ばれる,双胴の発動機付き航空機の2つの胴体の間に有人誘導滑空爆弾を搭載した形状の兵器の開発および実戦投入について,軍備大臣のAlbert Speer及び航空省の総合航空機材局(Generalluftzeugmeister)のErhard Milchに承認を求めましたが,二人はそれを拒否しました.ドイツでも,元々必死攻撃といっても,当該兵器に必ず最後の瞬間に脱出できる装置を設置すべきという考えが一般的であり,激突する瞬間までコックピットに留まるというのは,"unsoldatisch"(まさに大西中将の言う「外道の戦法」),または"undeutsch"(非ドイツ的)とされていたのです.(日本海軍で,こうした考えを敗戦迄持ち続けてた人の中に,例えば井上成美提督がいます.*13))つまり,ランゲたちが構想した体当り攻撃は,言わば異端だったのです.そして,日本ではこの異端が,敗戦間際にいともたやすく正統に取って代わるのですが,ドイツでは,同様のことはおきませんでした.後に説明しますが,ライヒェンベルグの実戦投入が見送られた最大の原因は,1944年11月15日付でKG 200の司令官に就任したヴェルナー・バウムバッハ(Werner Baumbach)の一貫した体当り攻撃非容認の姿勢だったのです.*14) さらに,それに加えるならば,体当り攻撃専門の飛行中隊5. /KG 200は,ランゲとその同志たちによって組織され,後に軍によって追認されたものであり,日本のように軍による名目上は志願者の募集とされたものの実質的な強制参加は,ドイツ軍(Wehrmacht)においては最後迄行われませんでした.*15) なお,親衛隊内部に於いても同様の部隊が組織されたようですが,その経緯の詳細は知りません.*16)

なお,体当り攻撃については,ヒットラーも当初,積極的な支持を示すことはありませんでした.1944年2月28日,ハンナ・ライチは女性で初めて1級鉄十字勲章に叙されましたが,その際にヒットラーに直接会う機会を得ました.そして,彼女は,自分やランゲたちが構想した体当り攻撃の必要性をヒトラーに説いたのですが,彼は,まもなく実用化されようとしていたジェット戦闘機や同爆撃機について熱弁を振るうのみでライチの言葉にはほとんど耳をかそうとしませんでした.*17) ヒットラーが最終的に体当り攻撃に対し同意したのは,1944年5月22日,23日に行われた軍備大臣のSpeerと親衛隊との会談においてです.以下,その会談の結果を記したプロトコールの一部です.ヒトラーが,それまでの姿勢を変えて体当り攻撃("Totaleinsatz")実施の必要性を認めたことが述べられていますが,それも会談の同席者たちの,ドイツが追いつめられた情況を打破するには体当り攻撃しか方法は無いという強い意見を受けてのことだったのが判ります.
,,Den Fuehrer erneut auf die Wichtigkeit der Angriffe gegen die Stromversorgung Moskau, obere Wolga aufmerksam gemacht und gleichzeitig darum gebeten, dass die Aufklaerung des Ural-Raumes durchgefuehrt wird. Dem Fuehrer weiter davon Mitteilung gemacht, dass sowohl bei der Luftwaffe als auch bei der Waffen-SS eine groessere Anzahl von Maennern fuer einen totalen Einsatz zur Verfuegung stehen wuerden und dass voraussichtlich bei der geringen Treffsicherheit des Korps Meister alle E-Werke mit Sicherheit nur durch Totaleinsatz zerstoert werden koennten. Der Fuehrer ist im Gegensatz zu seiner bisherigen Auffassung der Meinung, dass dieser Totaleinsatz vorbereitet werden muesse. Anschliessend an die Besprechung mit dem Fuehrer hatte ich eine Ruecksprache mit K o r t e n (sic), dem ich den Standpunkt des Fuehrers, die Notwendigkeit des Totaleinsatzes und die Aufklaerung des Ural erneut vorstellte und der sofortige Unterstuetzung zusagte." *18)
ここで,桜花とライヒェンベルグの根本的な違いを2つだけ挙げておきます.1つめは性能に関するもので,後者の前者に比べ桁違いに長い航続距離です.桜花には,ロケットエンジンが3本搭載されていましたが,それぞれの燃焼時間はわずか9秒.最大でも27秒しか自前の推進力で飛行することはできません.そのため,搬送機である三菱一式陸上攻撃機は,標的の至近距離迄この重たい兵器を運ぶ必要がありました.一方,ライヒェンベルグのプラットフォームはV- 1(Fieseler Fi 103 A-1)のそれなのでパルスジェットエンジンを搭載しており,連続で25分間の飛行が可能だったのです.巡航速度は,実戦用のRe 4a(標的の種類によって4つのバリアントが存在)では,およそ560 km/h(Fe 103は580 km/h),最高速度は620 km/hでした.*19)(巡航速度については,648 km/hの桜花のほうが勝っていました.)ライヒェンベルグの搬送機は,最終的にHe 111 H-22が選定されましたが,やや一式陸上攻撃機に劣るものの,ほぼ同様の性能を持った爆撃機でした.

2つめは用兵上の違いで,桜花は単に水上標的に向かって急降下突入するのみだったのと異なり,ライヒェンベルグの水上標的用バリアントは,標的の間近で着水し,その後,爆弾を搭載した前部が離脱し敵艦艇の直下へ潜り込み爆発するというものでした.*20) 突入速度は,桜花が1040 km/h,ライヒェンベルグは900 km/hが想定されていました.

最後に,ライヒェンベルグの実戦投入が実現しなかった根本的な理由は,以下のことにつきます.すなわち,ドイツ軍全体として非生還を前提とする体当り攻撃に対し,統一見解が形成されなかったことです.敗戦まで,上層部においても現場でも異端の攻撃法という意見を持つ人が少なくなかったのです.すでに述べたように現場の司令官で,最終的にライヒェンベルグ計画の中止を決定したヴェルナー・バウムバッハもその一人でした.彼が,その決断を下したのは,1945年3月5日訓練用のライヒェンベルグ(Re 3WNr. 10 *21))を用いた試験飛行が行われた際,事故でテストパイロットのヴァルター・シュタルバティ少尉が殉職したのを受けてのことでした.*22) なお,こうした認識の相違は,結果的にライヒェンベルグおよびその前に計画されたP 55といった体当り攻撃専用の兵器の開発に遅れを生じさせたことは言う迄もありません.そして,ようやく実戦用ライヒェンベルグが完成したころには,それを搬送できるハインケル爆撃機も殆ど残っていないという情況だったのです.

最後に個人的な所感を述べさせていただくと,結果的に体当り攻撃という異端の戦法が正統の戦法へといとも簡単に変化してしまった日本ですが,以上の歴史を眺めて見て思い出したのは,日露戦争における日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に勝利した連合艦隊の東郷平八郎司令長官の連合艦隊解散の辞の中の次の言葉です.
而して武力なるものは艦船兵器等のみにあらずして、之を活用する無形の実力にあり。 百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば、我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず。
この言葉を知って感動したルーズベルト大統領は,アメリカ軍の指揮官たちに紹介したそうですが,以下がそのときの上記文の英訳です.
This strength does not consist solely in ships and armament; it consist also in immaterial ability to utilize such agents. When we understand that one gun which scores a hundred per cent. of hits is a match for a hundred of the enemy's guns each of which scores only one per cent.
何か,この辺りに合理性を欠いた異端が正統にすりかわる萌芽が見えるように思うのですが,これをお読みいただいた方はどのように思われるでしょうか.

これからは雑談です.昨夜,TBSラジオのニュース番組を聴いていたら,石原慎太郎元東京都知事のインタビューの模様が流れていました.その中で石原氏は,やたらにヒットラーを賞賛していましたが,あの方は『我が闘争』を読んでおられると思うのですが,その中の日本人についてのコメントを忘れているようです.とはいえ,もし戦争中に読まれているのであれば,当該箇所は削除されているので(日本語訳では),ご存じないのかもしれません.私は,ヒットラーは,やたらにアーリア人なるものの優秀さのみを讃え,日本人を創造性のない民族としてバカにしているので嫌いです.(その腹立たしく思える文章をこちらのページに載せました.なお,日本語訳は馬鹿々々しくて読む気にならないため,英訳とドイツ語原文のみ載せてあります.)*23)




*1) 内藤初穂『海軍技術戦記』,東京,図書出版社,1976年,p206
*2) Ibid., p234
*3) Jack, U. W., "Reichenberg Die bemannte Selbstopfer-Bombe" in FliegerRevue X 40,p37
*4) Ibid., p29
*5) Ibid., p30
*6) Idem.
*7) Ibid., pp26f, 32
*8) Ibid., p19
*9) 内藤『海軍...』,pp228f
*10) Ibid., pp207f
*11) Ibid., p205

*12) Ibid., p215
*13) 阿川弘之『米内光政 下』,東京,新潮社,1978年,p141
*14) Jack, "Reichenberg...",pp32, 35f

*15) Ibid., pp26ff
*16) Ibid., pp27ff; 1943年9月,監禁中のムソリー二を救出した親衛隊のOtto Skorzny少佐は,1944年4月,5月頃,日本海軍が開発した④金物(後の「震洋」)⑥金物(後の「回天」)と類似の兵器を用いた戦法を構想していたようです.それでも,標的へ突入する直前に脱出することを想定していたようですが.
*17) Ibid., p24
*18) Ibid., pp27f
*19) Ibid., p33; なお,一式陸上攻撃機桜花,およびHe 111のデータは,ぞれぞれWikipediaから引用.
*20) Ibid., pp22, 29
*21) Ibid., pp35f

*22) パルスジェットエンジン搭載 練習用の複座の機材.前方のコックピットは教官用.Ibid., pp25, 33
*23) 個人的に,ヒトラーが述べているように,日本人が創造性を欠く民族(文化の創造者とはなりえない民族)であるとは微塵も思いません.(この点については,ホイジンガが『朝の影のなかに』(中公文庫)の40ページ以降で述べている文化の定義が参考になります.)国内外の先人達の業績を土台にして,さらに良いもの,人類の幸福のために か目的がぼやけてしまい,手段のみが一人歩きしてしまう,あるいは礼賛の対象となってしまうことは往々にしてあるようです.そのひとつの例として挙げたいのは,莫大な予算を投じて行われている宇宙探査です.重要なプロジェクトだとは思うのですが,その目的が今ひとつ明確でない印象を持っています.もちろん,それに携わっている方達には明確であるわけですが,どうもニュースメディアは,手段でしかない探査機の劇的な帰還などに報道の力点をおいてしまい,その目的を正確,且つ詳細に伝えてはいないように思うのです.つまり,そのプロジェクトの意義について考える材料を提供していないように思うのです.仮に生命の起源を探る上で重要であると言った場合,当然,そのための費用対効果が議論されるべきであることは言う迄もありません.最近,宇宙の誕生時に大量に放出され,また,現在でも銀河の中央部で放出されているガンマー線の影響により宇宙に多くの知的生命体が存在する可能性は低いという学説が発表されていますが,目的や意義が明確であれば,こうした最新の研究結果を踏まえてそれについて議論し,必要とあれば計画を修正するということも可能になるはずです.しかし,どうも,そういった姿勢をとろうとすると,野暮天であるとか,夢をぶちこわすとかといった批判の対象となってしまう雰囲気を感じます.このように,宇宙探査などのプロジェクトは,枕詞のように夢や希望という言葉によって修飾されますが,そうした言辞こそが,私たちの精神風土が手段の目的化を容易にしてしまう環境であることを表しているのかもしれません.

Monday, 8 September 2014

ノイエンマルクト蒸気機関車博物館で01形の祭典,9月20,21日開催

(本ポスト内のリンク先で,(英語)の表記がない場合は,すべてドイツ語のページです.)

開催日が目前と迫っていながらお知らせが遅れてしまい恐縮ですが,下記の01形の動態保存機が一堂に会する催しです.両日共に30分おきにシーフェ・エーベネ区間を往復する重連牽引(あるいは推進牽引)の特別列車の運行(ということは,01重連が再び復活?時刻表はこちらから.また,博物館とお薦め撮影場所を結ぶバスも運行されます),同じく参加機関車のパレード(両日共に16時開始),さらに初日の土曜日は18時より開催を記念したさまざまなアトラクションなどの実施が予定されています.詳しい情報は同博物館のこちらのページにて.また,ノイエンマルクト(Neuenmarkt-Wirsberg)を鉄道で訪れる場合は,DBのサイト(英語)で着発列車と時刻をご確認ください.
  • 01 1075 (012 075-8) aus Rotterdam – Stoom Stichting Nederland
    (UEFの01 1066同様,重油燃焼式の三気筒機.2470 PSiを誇るドイツの急行旅客用機としては最強のマシン.はるばるオランダからの参加です.なお,リンク先はオランダ語のサイト.)
  • 01 118 aus Frankfurt – Historische Eisenbahn Frankfurt
    (大きなヴァグナー式除煙板を備えた,オリジナルに最も近い形状を留めた二気筒機.)
  • 01 150 aus Heilbronn – Stiftung Deutsche Eisenbahn
    (去年の5月に動態復活した,おなじみのヴィッテ式除煙板付き,エプロンカバー無しの戦後のDB仕様機.ハイルブロンからの参加ということは,ハイルブロンの南ドイツ鉄道博物館が新たなねぐらになったようです.確かに,同博物館のサイトのスタートページのスライドショーに現れるようになりました.)
  • 01 202 aus der Schweiz – Verein Pacific 01 202
    (こちらもヴィッテ式除煙板付き,戦後のDB仕様機.)
  • 01 533 aus Ampflwang – ÖGEG Österreichische Gesellschaft für Eisenbahngeschichte
    (下の写真でご紹介している東独国鉄によって60年代に改造された01.5と呼ばれるタイプ.旧ナンバーは01 116.セルフチェックディジット付のEDV番号の製造番号の始めが0の場合は重油燃焼機,1の場合は石炭燃焼機ですが,基本的に519号機からは全て重油燃焼機.)
  • 01 0509-8 aus Jöhstadt – Pressnitztalbahn
    (同上.旧ナンバーは01 143.)
UEF01 1066については,現在,運行不能のため,展示はなさそうです.また,スイスのパシフィック協会によって,この催しに合わせて4泊5日のツアーが実施されます.詳しい情報はこちらのフライヤーをご覧下さい.

なお,同博物館の年間予定表によると,SL列車のシーフェ・エーベネ区間の走行が10月3日にも予定されているようですが,今のところ,牽引機についての情報は公開されておりません.ただ,下の写真に見られるように,6月の五旬節の運行の際には主務機が01.5,後補機が52.80だったので恐らく2両による牽引推進か,重連牽引になるのではないでしょうか.さらに,鉄道とビールがお好きな方には,ビールの町クルムバッハのビール博物館へのツアーも企画されています.開催日についてはこちらをご覧下さい.(クルムバッハの観光情報はこちらから.(英語))

6月の運行の際の主務機,東独国鉄による改造機01 0509-8(二気筒重油燃焼機)2400 PSiという,01ファミリーの中では三気筒重油燃焼機012に次ぐ高出力タイプのため,各鉄道愛好団体が主催するツアーで特別列車の主務機を務めることも多い.
ノイエンマルクトで出発を待つ特別列車.後補機も東独国鉄の改造機52 8079-7(二気筒石炭燃焼機)
ノイエンマルクトを出発してシーフェ・エーベネへ向かう特別列車
最後尾でしっかりプッシュする強力機52.80.(ベースは戦時用52形.そのため,軸重も15 tと軽く,ほぼどんな線区でも運行可能なマシン.おしりが切れてしまいましたが,テンダーは52形の特徴のひとつ浴槽形の2' 2' T 30.煙突の前には東独国鉄の改造機の特徴のひとつ,IfS型混合予熱器が設置されています.)
強力な二機の連携でシーフェ・エーベネも難なく通過
こちらは,別のイベントの際に撮影したフランクフルト保存鉄道協会の01 118.フランクフルト近郊,ケーニッヒシュタイン(Königstein)付近.
同上
車窓より.(炭水車の後部には,「架線下では補給は行わないこと」と書かれた黄色いステッカーが見えます.)
復路はバック牽引.以下の2枚も含め,ケーニッヒシュタイン付近.
当日,二機のSLに混じって特別列車を牽引した,懐かしい塗装の218 105-5.周囲の緑に良く合います.(戦後,東西のドイツ国鉄でEDV番号が導入されましたが,西ドイツ国鉄(DB)ではディーゼル機の1桁目は2,東ドイツ国鉄(DR)では1が付けられました.電気機関車では,その逆でした.)
01 118やDL218と交代で特別列車を牽引した52形 4867号機(未改造).
バック牽引を行う52 4867.戦時用機として開発されたオリジナルの武骨な形状をよく留めています.テンダーは,もちろん浴槽形の2' 2' T 30.シリンダから煙室に伸びる角形の排気管とシリンダハウスの上部に設置されている箱形のヴィンタートゥール式圧力均等器が,ベースとなった50形との最も大きな差異のひとつ.
ケーニッヒシュタイン駅にて.
6700両以上も製造された戦時用機52形.開発時の想定耐用年数は10年.しかし,今でも,ドイツはもちろん,外国でも現役機が多数存在するタフなマシンです.ケーニッヒシュタイン駅にて.
ケーニッヒシュタイン駅にて.

こうした催しの開催を知るたびに,つくづくドイツという国は(あるいは,スイスやオーストリア,もちろん英国も含めて),本当に物持ちが良いと思います.それに比べて,日本人の,過去の遺物に対する姿勢はなんとにあっさりしていることでしょう.そのひとつの理由に,少なくとも工業の分野に限った場合,これ迄使用してきた技術の殆どが,基本的には外国で開発されたもの,つまり出来合のものであり,それを輸入したに過ぎないからかも知れません.改良やローカライズ,それに応用などは得意ですが,ゼロから創造することは,何故か殆どと言ってよいほどありません.*1) 言うまでもなく,それは蒸気機関車の技術についても同様です.ここで,James Wattの蒸気機関の発明まで歴史を遡ることはしませんが,例えば,1880年代以降,世界中の蒸気機関車において採用されたシリンダ弁の制御装置を開発したのは,ベルギー人のEgide Walschaertsとドイツ人のEdmund Heusinger von Waldeggであり,その後の蒸気機関車の発達の歴史を変えたと言っても過言ではない過熱式蒸気機関車の誕生は,過熱蒸気の効果を発見したドイツ人のWilhelm Schmidと,当時,プロイセン国鉄に於ける動力車両開発局長だったRobert Garbeの共同研究の結果でした.カーブ走行のために動軸を線路に対し,直角方向左右に移動させる方法を発明したのは,オーストリア人のKarl Gölsdorf,また,先輪軸や従輪軸をカーブに沿って向きを変えさせる仕組みを発明したのもドイツ人のRichard von Helmholtz,同じくFriedrich Wilhelm Eckhardtやアメリカ人のLevi Bissell,そして,英国人のWilliam Bridges Adamsたちです.ドイツ帝国鉄道(DRG)時代の統一規格機に於いて標準装備となった圧縮空気を使ったブレーキや予熱器などを開発したのはドイツ人のGeorg Knorr.さらに,一度使用した高圧蒸気を再び別の低圧蒸気用シリンダで使用するという仕組みを考案したのは,マレー式機関車の名前の由来となったスイス人のAnatolie Mallet,それに似たメイヤー式はフランス人のJean Jacques Meyerが考案したものでした.その他,使用された例は少ないもののフランコ・クロスティ式ボイラーを考案したのは,イタリア人のAttilio FrancoとPiero Crosti等々,挙げればきりがありませんが,陸蒸気(おかじょうき)の製造に必要な技術のすべては外国で創り出されたものなのです.なんでも,一から自分で創り出したものでないものには,それほど愛着は沸きませんし,従って,それが消えても未練もたいして残りませんしね.そう考えるのは,単純すぎるでしょうか...そういえば,ドイツでは,41 018 (042 018-2) がバイエルン州の歴史的技術記念物(technisches Denkmal des Freistaates Bayern)に指定されていますが,動態保存されている日本の蒸気機関車が同様の(例えば有形文化財などの)指定を受けることなど考えられるでしょうか.

スイスのブルックで開かれた国鉄車両保存館のオープンハウスにて.フランス国鉄のミカド機141 R 1244のエプロンの上で大好きなオパが構えるカメラの前でポーズをとる,ヨーロッパ(あるいは,少なくともスイス)の鉄道ファン界の未来を担ってくれそうな二人の男の子.



*1) ことによると,それは,絶えず自然災害の脅威にさらされる環境に生活する定住農耕民族として,自分た ちが生きる環境,さらに言えば世界を変えることに至って消極的な姿勢を身につけてしまったせいかも知れません.そして,従来の方法では対応しきれない程の 環境の変化に見舞われたとき,その状況から逃れるために,他所から出来合の知恵や技術を借りることしかできない.こうした行動は,日本人の所謂《甘え》の心理の表れの一つなのかも知れません.

ただ,何でも他所から出来合のものを借りてくる(あるいは押し付けられる)のに慣れてしまうと,例えば,福島の原子力発電所で起きた事故の際のように,対応に右往左往してしまうこともあるようです.

Sunday, 7 September 2014

スイス東部で運行を開始した普通列車用新型車両RABe 526.7

スイス連邦鉄道とMThBが地域内の短距離輸送を目的に合同で設立したThurbo社(恐らくThurgauとBodensee (Region)をつなげた造語)により,ザンクト・ガレン州でも昨年2013年12月からシュタッドラー社製の普通列車用車両RABe 526.7の運行が開始されました.(Stadler社のGTWと呼ばれる車両,同ページ上にスイス国鉄用車両についての英語版PDFページが公開されています.)編成と車軸配置が異なるRABe 2/6(駆動車を含め3両編成/2' Bo 2')と同じく2/8(駆動車を含めて4両編成/2' Bo 2' 2')という2つのヴァリアントを見かけますが,ザンクト・ガレン州とグラウビュンデン州のクールを結ぶ列車には後者が用いられています.なお,上掲のStadler社のサイトやPICOのサイトでご覧になれるように,2本の固定動軸を持った駆動車を除く各車両には,それぞれ1つの台車しか装着されていないという珍しい構造です.以下,上の2枚はRABe 2/8,3枚目はRABe 2/6です.(ザンクト・ガレン州のS-Bahnについての情報はこちらのサイトにて確認できます.(ドイツ語).さらにWikipediaのこちらのページでも紹介されていますが,オランダ語版のみのようです.なお,スイス国鉄の車両番号についてはWikipediaのこちらのページを参照下さい.)

ZVVの宣伝用のラッピング塗装のRABe 2/8.(779-4)マイエンフェルト,バード・ラガーツ間にて.
通常の塗装のRABe 2/8.サルガンスにて(769-5)
ロールシャッハ・ハーフェンで見かけたRABe 2/6(751-3,702-6)
座席のない駆動車の通路から見たRABe 526.7の内部.短距離普通列車用のため,ヨーロッパの標準軌用車両としては珍しく,2等車内では日本の新幹線と同じ3列+2列の座席配列.(何となく,低床式路面電車のメインライン走行用バージョンのような雰囲気.)なお,出入り口付近(写真中央奥)に設置されたモニターには,主要駅到着前に乗り換え列車に関する情報(各列車の行き先,出発時刻,番線など)が表示され,たいへん便利.同様のモニターは,RegioExpressとして運行されている,同じくStadlerのRABe 511 Dosto(Kiss)にも設置されています.(下の写真)(確か,オーストリア国鉄のRailJetの車内でも似たようなサービスが提供されていたと思います.)
マイエンフェルト,バード・ラガーツ間にて

以下の写真は,Thurboと郵便バスに乗って訪れたボーデン湖畔のナポレオン博物館で撮影したものです.
博物館本館
入口付近の花壇と噴水
帰りに乗ったRABe 511.ロールシャッハ・ハーフェンにて.

この後,初めて新幹線のN700に乗った感想を書いたのですが,話が,本題とは殆ど関係ない方向へ発展してしまったので折りたたんでおきます.

Monday, 19 May 2014

尚武の国,スイス...?(続きの続き) -  新型戦闘機購入の是非を問う国民投票の結果は

領土問題も無く,今のところ安定した中央西ヨーロッパのことなので,当然といえば当然といえるでしょうが,結果は反対が全体の53.4%占め,新しい戦闘機の購入は否決されました.各州ごとの結果はSFのこちらのページのインタラクティブのインフォ―グラフで確認できます.フランス語圏,イタリア語圏,そしてそれらに近いドイツ語圏で反対が多かったようです.(私が理解するスイス各地方の気質におおよそ沿った結果でした.)さらに詳しくお知りになりたい場合は,手っ取り早い方法として下のSFのTagesshauの動画をご覧いただくのがよろしいでしょう.(先ほど,気になったので視聴したところ,投票率は,平均55%だったそうです.)


国民一人一人が,こうした形で国防政策について自ら決定をを下すという姿勢は,世界でもあまり例がないと言えますが,その対極に位置しているのがこの極東の島国といえるでしょう.

そういえば,最近,スイスはやはり国民投票により最低賃金保障制度の開設を見送りました.(Cf. 5月16日付シュピーゲル"Schweiz entscheidet über höchsten Mindestlohn der Welt", "Mindestlohn-Initiative erleidet Schiffbruch" from SRF)

また,スイスはEUには加盟していませんが,シェンゲン条約の加盟国であり,最近,外国人労働者の入国制限を厳しくすることが国民投票で決定したため,労働力不足が懸念されています. (Cf. 2月9日付Swissinfo"Schweiz will Einwanderung bremsen")

こうしたスイスの折衷民主主義の実際の姿を見て思い出したのは,戦時中,小磯内閣が誕生する直前のある会議の席上における米内光政と若槻礼次郎の会話です.が,今,出先なもので詳しくは自宅に戻ってからご紹介させていただきます.

Monday, 14 April 2014

日本の鉄道自殺について思うこと - ドイツ,スイスとの比較から(訂正版)

(以前に公開して,その後データの誤認があったことが判ったため,一度取り消したポストですが,ときおり,その件についての「お詫びと訂正」というポストを閲覧して下さる方がいらっしゃるため,使用したデータを再度確認し,内容を正しいデータに基づいて書き換えたものです.)

先月,3月29日の土曜日,用事があって東京へ出かけたのですが,乗車した東急田園都市線の青葉台駅の電光掲示板を見て驚きました.中央線の新宿駅と埼京線板橋,十条間で発生した人身事故により両路線において運転が見合わされているというのです.土曜日の朝の時間帯にしかも首都圏で二件もの人身事故が起きたのかと,唖然としながらしばし目が流れる文字から離れませんでした.果たしてそれらが自らの命を絶つためのものだったのか,偶発的な事故だったのかは判りませんが,仮に前者だったとしたら痛ましい限りです.ご本人が経験された苦しみ,そしてご家族およびお身内の方々のご心情や置かれた境遇のお辛さは察して余りあります.

毎年,3万人以上の方が自らの命を絶っているという日本.OECDの"Society at a Glance 2014"の自殺に関する章(Suicide, pp126f)には,統計上,全体的には経済状況と自殺の件数との間に相関関係は見られないとありますが,日本に限って言うならばそれは十分に見られると思います.(下図は,同報告書のp127に掲載されているもの.)