会期は3月10日から11日までの2日間.テーマは,"Building the Trains of the Future"だそうです.詳しくは公式サイトをご覧下さい.なお,早めに予約すると50 ユーロの割引があるそうです.
フランス語圏で発行されている雑誌や新聞の記事の中から,あまり日本の報道が扱わない話題や提供しない視点を紹介します.たまに,ドイツ語圏の雑誌や新聞の記事も紹介します.そして,ときには,それらを通して見えてくる日本の社会や日本人についても考えます.その他,旅行の報告や趣味の話(主に鉄道)などをつれづれなるままに綴ることもあります.
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Monday, 1 December 2014
Sunday, 7 September 2014
スイス東部で運行を開始した普通列車用新型車両RABe 526.7
スイス連邦鉄道とMThBが地域内の短距離輸送を目的に合同で設立したThurbo社(恐らくThurgauとBodensee (Region)をつなげた造語)により,ザンクト・ガレン州でも昨年2013年12月からシュタッドラー社製の普通列車用車両RABe 526.7の運行が開始されました.(Stadler社のGTWと呼ばれる車両,同ページ上にスイス国鉄用車両についての英語版PDFページが公開されています.)編成と車軸配置が異なるRABe 2/6(駆動車を含め3両編成/2' Bo 2')と同じく2/8(駆動車を含めて4両編成/2' Bo 2' 2')という2つのヴァリアントを見かけますが,ザンクト・ガレン州とグラウビュンデン州のクールを結ぶ列車には後者が用いられています.なお,上掲のStadler社のサイトやPICOのサイトでご覧になれるように,2本の固定動軸を持った駆動車を除く各車両には,それぞれ1つの台車しか装着されていないという珍しい構造です.以下,上の2枚はRABe 2/8,3枚目はRABe 2/6です.(ザンクト・ガレン州のS-Bahnについての情報はこちらのサイトにて確認できます.(ドイツ語).さらにWikipediaのこちらのページでも紹介されていますが,オランダ語版のみのようです.なお,スイス国鉄の車両番号についてはWikipediaのこちらのページを参照下さい.)
以下の写真は,Thurboと郵便バスに乗って訪れたボーデン湖畔のナポレオン博物館で撮影したものです.
この後,初めて新幹線のN700に乗った感想を書いたのですが,話が,本題とは殆ど関係ない方向へ発展してしまったので折りたたんでおきます.
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| ZVVの宣伝用のラッピング塗装のRABe 2/8.(779-4)マイエンフェルト,バード・ラガーツ間にて. |
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| 通常の塗装のRABe 2/8.サルガンスにて(769-5) |
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| ロールシャッハ・ハーフェンで見かけたRABe 2/6(751-3,702-6) |
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| マイエンフェルト,バード・ラガーツ間にて |
以下の写真は,Thurboと郵便バスに乗って訪れたボーデン湖畔のナポレオン博物館で撮影したものです.
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| 博物館本館 |
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| 入口付近の花壇と噴水 |
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| 帰りに乗ったRABe 511.ロールシャッハ・ハーフェンにて. |
この後,初めて新幹線のN700に乗った感想を書いたのですが,話が,本題とは殆ど関係ない方向へ発展してしまったので折りたたんでおきます.
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Friday, 30 November 2012
ドイツ鉄道,来年からクリーン電力三倍増へ
ドイツのSPIEGEL誌の今日付ニュースレターに掲載された"Ökostrom: Bahnfahren soll grüner werden"という記事から.
ドイツ鉄道(Deutsche Bahn)によると,来年の4月から,多くの旅客列車が,100%クリーン電力で,つまり,C02排出無しの発電で得られた電力で運行されるようになるとのことです.
対象となるのは長距離旅客列車で,近距離旅客列車や貨物列車は対象にはなっていません. これにより増加するコストについては,凡そ500万人いるというバーンカード*1)の所持者には負担は求められませんが,それ以外の乗客は,1ユーロ余計に支払い,環境プラス乗車券("Umwelt-Plus-Ticket")という乗車券を購入することで,ドイツ鉄道の環境保護の取り組みに協力することができます.
なお,このように,クリーン電力を増加させた結果の削減されるCO2の量ですが,1人の乗客を1 Km輸送した場合,現在は,42グラムですが,それが,14グラムに低下します.同じ条件で比較した場合,長距離バスでは30グラム,自動車では136グラム,飛行機では180グラムのCO2が,それぞれ排出されています.
ところで,ドイツ鉄道において,列車によって利用される電力の比率ですが,長距離旅客列車が22%,近距離旅客列車が45%,そして,貨物列車が33%となっています.そして,これらすべてにおいて,再生可能エネルギーが占める割合は,22%.ドイツ全体の電力消費量における再生可能エネルギーの割合は,25%とのことなので,それに比較すれば,まだ努力する余地があると言われているようです.
以上が,記事の内容ですが,さすがは,環境先進国ドイツだけのことはありますね.ところで,先日,ARTE+7で配信されていたドキュメンタリー映画『愛すべき天使たち』("7 oder warum ich auf der Welt bin") の中で,インタビューを受けたうちの一人,ベルリン在住のヨナタン君ですが,10歳という年齢にしては,びっくりするほど,しっかりとした人間観や世界観,そして,環境に対する考えをもっていて,ドイツの環境教育の成果なのか,それとも親御さんを含めた周囲の大人たちの影響なのか,それとも,その両方なのか,すくなくとも,ドイツと日本とでは,表面のみならず,相当奥深いところまで違っているのだなとつくづく思い知らされました.
以上が,記事の内容ですが,さすがは,環境先進国ドイツだけのことはありますね.ところで,先日,ARTE+7で配信されていたドキュメンタリー映画『愛すべき天使たち』("7 oder warum ich auf der Welt bin") の中で,インタビューを受けたうちの一人,ベルリン在住のヨナタン君ですが,10歳という年齢にしては,びっくりするほど,しっかりとした人間観や世界観,そして,環境に対する考えをもっていて,ドイツの環境教育の成果なのか,それとも親御さんを含めた周囲の大人たちの影響なのか,それとも,その両方なのか,すくなくとも,ドイツと日本とでは,表面のみならず,相当奥深いところまで違っているのだなとつくづく思い知らされました.
*1) 一定の額を支払うと,支払われた額に応じた割引がなされる制度.スイス国鉄のHalb Tax Abonnementなどと似ている.
Sunday, 25 November 2012
フランス,路面電車導入ブームにかげり
11月23日付M le magazine du Mondeの記事Le tram en bout de courseによると,2012年の年末は,フランス各地で路面電車の路線開業が目白押しだったそうです.具体的には,11月17日にはリヨン,12月8日にはディジョンにおいてそれぞれ開通し,同月12日にはル・アーブルの路面電車の路線網が延長されました.また,イル・ド・フランスでは,セーヌ・サン・ドゥニで,既存のT1線が,11月15日からオ・ドゥ・セーヌ県のアスニェールまで延長され,オ・ドゥ・セーヌ県内を走るT2線が,同月19日からヴァル・ドワーズ県のブゾンまで延長されました.そして,パリのT3線が,12月15日から,それまでのラ・ポルト・ディブリからラ・ ポルト・ドゥ・シャペルまで延長されることになっています.
政府系機関であるCetu(Centre d'études sur les réseaux, les transports et l'urbanisme)によると,2000年以降,路面電車を導入した都市の数は2倍,営業キロ数は3倍,そして,乗客数は4倍になったといいます.しかし,導入の費用が高額の路面電車の導入には,予算の面からそろそろブレーキがかかりはじめています.因みに,路面電車の路線整備には,1キロあたり,2500から3000万ユーロかかりますが,これは,パリのメトロの建設費用に比べれば1/5ですが,バスの路線に比べると3倍のコストです.フランスの会計検査院(la Cour des comptes)は,この点について,関係自治体に対し注意を促し続けています.例えば,2010年には,パリのT3線のコストが過小に見積もられていた点を指摘し,さらに,2012年には,パ・ドゥ・カレ県のリエヴァンとエナン・ボモンを結ぶ路線について,その建設の妥当性に疑義を表明しています.しかし,地方議会の議員の多くは,選挙を2年以内に控えて,得票率のアップにもつながる路面電車の導入に意欲を示し続けていることも事実です.
Certuのヴァルネゾン・ルヴォル氏は,地方自治体の中には,高コストの路面電車より専用レーンを走るバスの導入を優先せざるを得ないところが出てきたといいます,例えば,ストラスブールでは,国鉄の線路に乗り入れて空港迄行くの出来る路線が計画されていましたが,現在,その計画は中断しています.というのは,同路線の建設にはトンネルを掘る必要があるので,その費用が高くつくからです.メッツ,シャンベリ,ベルフォールでは,導入計画自体が撤回されました.代わりに,メッツでは,専用レーンを走行するバスの導入が計画されていて,2013年には開業予定です.また,ベルフォールでは,交通機関の組合の代表クリスチャン・プルースト氏は,路面電車の導入に反対の立場をとっており,同氏によると,路面電車を導入するより,バス路線,自転車,また,カーシェアリングを充実させるべきであり,そのほうが,より経済的であり効率的なのだそうです.
2年前のヨーロッパの高速鉄道車両写真集
Hochgeschwindigkeitszüge: Höchste Eisenbahn
電子版シュピーゲル誌上に2010年7月に掲載されたウェブ写真集です.紹介されている車両は,以下のとおり.
電子版シュピーゲル誌上に2010年7月に掲載されたウェブ写真集です.紹介されている車両は,以下のとおり.
- Bombardier社のZefiro:最高速度380 km/h.
- Alstom社のAGV: 最高速度360 km/h.
- Thalys:最高速度300 km/h.
- Siemens社のICE-T
- Alstom社のAGV
- TGV,ICE 3 MF
- ICE 3,Thalys
- ICE 3
- ICE 1
- ICE 3?
- ICE 3
Thursday, 4 October 2012
欧州鉄道雑記 II - TGVリリア
パリと スイスの主要都市を結ぶTGVリリア号ですが,今年の9月末から新しい塗装を施された編成が走り始めました.今回,パリへの小旅行のためチューリヒ発のリリアに乗りましたが, たまたま新塗装の編成に乗ることができました.ただ,パンフレットによると,塗装の変更と同時に車内設備もより快適になるとのことでしたが,2等の窮屈さは相変わらずのようです.もっとも,同じゲージの日本の新幹線の2等のシートは横5列ですから,それに比べればゆとりはあるのでしょうが.
現在の所要時間は,パリ・ジュネーブ間3時間5分,同じくローザンヌ間4時間,同じくベルンおよびバーゼル間3時間5分,同じくチューリヒ間4時間5分です.
今年の冬のダイヤ改正で,12月9日からリリア号のパリとインターラーケン間の運行も始まり,平日は,パリからインターラーケン行きのみですが(パリ・リヨン駅17:57発-ベルン経由-インターラーケン東着23:30),土日には,逆方向も運行されます(インターラーケン東06:09発-パリ・リヨン駅11:58着).
下の三枚は,最近(2014年6月),チューリヒ中央駅(一枚目)とパリのリヨン駅で撮影した新塗装のリリア号の写真.おまけとして追加します.
リリアについての詳しい情報は,こちらをご覧ください.
| パリ・リヨン駅に到着した新塗装のリリア号 |
| どことなく宇宙船を思わせるPOS編成(POS TGV EST)のコックピット.(POSとは,Paris Ostfrankreich(東フランス) Süddeutschland(南ドイツ)の頭文字をあわせたもの.) 2007年4月3日,TGV東欧州線をストラスブールからパリへ向けて試験走行中,Eclaires村付近で574.8Km/hという世界記録を樹立したのは,同系の第4402編成.(下の写真) |
| 昨年3月パリからドイツへ向かった際に利用したPOS4402編成 |
| 世界記録保持車の文字があちこちに. |
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| ビュフェ車のドア脇のシールは,ドイツ語. |
| 2013.5.12.にスイスのSissachで開催されたSLデーを訪れた際,当日運行されたSL列車の通過を待っている間に見かけたPOS 4402編成.(Sissach付近) |
| 同上 |
今年の冬のダイヤ改正で,12月9日からリリア号のパリとインターラーケン間の運行も始まり,平日は,パリからインターラーケン行きのみですが(パリ・リヨン駅17:57発-ベルン経由-インターラーケン東着23:30),土日には,逆方向も運行されます(インターラーケン東06:09発-パリ・リヨン駅11:58着).
| パリ・リヨン駅 スイス方面行きTGVホームが並ぶホール2 |
| パリ・リヨン駅にて 手前は,南東編成(RAME SUD-EST) |
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| 車内の『TGV MAGAZINE』 2012年9月号に載っているTGVファミリーの紹介 毎日,454編成のTGVが運行されているとのこと. |
| 夕暮れまじかのミュールーズ駅からパリへ向けて出発するリリア号 最近よく見かける2階建てのTGV(DUPLEX)だが,1階建てのPOS TGV EST同様,320Kmでの走行が可能で,フランスとドイツ,スイス,スペインを結んでいる.すでに157編成が投入されているが,2015年には,212編成まで増備される予定. |
| ミュールーズ駅のTGVホームの待合室 |
| バード・ラガーツへの帰路の途中,サルガンス(Sargans)の駅で見かけたベオグラード行きの夜行列車 2等寝台車(LiegeWagen)に目をやると若者のグループが歓談していた.TGVも便利だが,いくつもの国境を越えて,朝目覚めたときには,別の国の風景が窓の外に広がっているというのも大陸を鉄道で旅する醍醐味.なお,ヨーロッパの夜行列車のネットワークCity Night Lineのサイトは,こちらです.ご参考迄に. |
下の三枚は,最近(2014年6月),チューリヒ中央駅(一枚目)とパリのリヨン駅で撮影した新塗装のリリア号の写真.おまけとして追加します.
| 車両の側面下部にフランス国鉄(SNCF)とスイス国鉄(SBB)のロゴが見えます. |
リリアについての詳しい情報は,こちらをご覧ください.
Thursday, 27 September 2012
欧州鉄道雑記 I - 面白そうなウェブ・サイト2つ
ヨーロッパの鉄道に興味をお持ちの方へ
二つほど,面白そうなサイトを見つけました.残念なことに,ベルリンで開催された,今年のInnoTrans 2012は,すでに終わっていますが...
RailNetEurope (RNE)
InnoTrans 2012
Tuesday, 25 September 2012
キンダー・トランスポートによって救われた少女
今年は,オーストリアに鉄道が開通してから175周年にあたるそうです.これを機に,オーストリア連邦鉄道本社では,ナチス政権下,ドイツ帝国鉄道に吸収されていた時代についての展示が行われていました.以下は,その中のキンダー・トランスポート(Kindertransport)関連の展示の一部で,キンダー・トランスポートによって救われたアリザ・テンネンバウム(Alisa Tennenbaum)さんの証言です.(原文はドイツ語なので,拙いながら日本語に訳しました.)
以下は,英国へ向けて旅立った子供たちが持って行った鞄の中身を再現した写真.彼らに持ち出しが許されていたのは,旅行鞄と手荷物,それぞれ一つずつと10マルクの現金のみであり,化粧品,高価な物品,金銭,楽器,写真機などを旅行鞄にいれるのは禁じられていた.彼らを載せた列車の多くは夜間に出発した.彼らの両親は,子供たちの出発の日時を2日から14日前に知らされたのみであり,ほとんどの場合,子供たちには,準備のための時間も両親たちとの決別を惜しむ時間も十分に与えられることはなかった.
下の写真は,会場に設置されたユダヤ人の搬送に使用された貨車を模したセットの内部.壁に迫害を受けた人々の写真が貼られています.中では,何回目の搬送で何人の人が運ばれたかを淡々と読み上げるアナウンスが流れます.1列車で5,000人が搬送されました.1両の有蓋貨車には50名を乗せるとされていましたが,場合によっては150名もの人が同一車両に乗せられました.(Cf. Engwert, A., Kill, S., Ed. Sonderzüge in den Tod, Köln, Weimar, Wien, 2009, p56)
なお,会場は,ウィーンのオーストリア連邦鉄道本社一階です.(Foyer der ÖBB Infrastruktur 1020 Wien, Praterstern 3,地下鉄Praterstern下車) 今年の10月31日まで開催.観覧は,土日を除く毎日8時から17時まで.入場は無料です.
下は,キンダートランスポートの記事が掲載されたBahnepoche 2015年秋号の表紙.
なお,キンダートランスポートについては,英語圏およびドイツなどで多くの本が出版されていますが,Wikipediaでも詳しい説明とともに各地の記念碑が紹介されています.
| 当時のアリザさん |
私は,1929年9月3日,ウィーンの伝統的なユダヤ人家庭に生まれました.私の上には,当時7歳の姉ミリアムがいました.父モシェ・シェルツアーはオーストリア生まれ,そして母エディットはポーランドの南部ガリツィエン(Galizien)地方の出身でした.両親は,豆などを売る店を営んでいました.私が通っていた学校はユダヤ教徒とキリスト教徒の共学校でした.私たちの身の回りに大きな変化が起こり始めた1938年3月12日,私は学校にいました.その日を境に,すべてのユダヤ人の生徒は学校を退学させられることになりました.そして,3月末にユダヤ人のための学校が開校されました.しかし,《クリスタル・ナハト》*1)直後の11月10日,この学校も閉鎖されてしまいました.実際,当時はユダヤ人は大変危険な状況に置かれていたため,子供たちは皆家に戻りました.そして,その日,一人の女性がやってきて,父が捕らえられたことを私たちに告げたのです.その10日後,父からの葉書が届きました.ダッハウから出されたものでした.*2)
| アリザさんと一緒にウィーンから来た少女たち 1942年 ウィンダーミルの寮で |
当時,多くのユダヤ人がパレスティナへ行くことのできるビザを得ようとしました.しかし,それを得ることができたのは,わずか60名だけでした.ただ,その中に私の姉が含まれていました.1939年1月27日,ユダヤ人学校は再び開校されました.授業を受けているとき,隣に住んでいる人が学校を訪ねて来て,父がダッハウの収容所から開放されたことを知らせてくれました.私は家に走って戻りました.父はベッドに腰掛けて泣いていました.頭の毛は剃られていました.父は三ヶ月以内にオーストリアを離れなければなりませんでしたが,幸いなことに,カナダに住んでいる親類が書いてくれた一通の手紙によって,父は英国への渡航ビザを取得し,1939年4月,英国に向けて旅立つことができました.父は,母と私を英国に来させようとしましたが,結局,母は私をキンダートランスポートに申し込みました.そして,私は,1939年8月22日,母を一人オーストリアに残し,英国へ向けて出発したのです.
ロンドンに着いた私たちは,大きな円形競技場に集められました.私は,そこで,子供たちを探しに来た多くの大人たちの中に父を探しましたが,見つかりませんでした.そして,最後には,私ともう一人,小さな男の子だけが誰からも引き取られずに,そこに残ったのです.私の首には短い言葉が書かれた札が下げられました.そこには《ニューキャッスルへ搬送》と記されていました.私は,一人で列車に乗せられました.そして,移動中泣き続けました.手に独英辞典を持ちながら.たまたま乗り合わせていた司祭と一人の女性がドイツ語で私に話しかけ,慰めてくれました.そして,私が,降りる駅を間違えないように助けてくれました.下車駅では,亡命してくる子供たちの世話をしている二人のユダヤ人女性が私を待っていて,女子寮に連れて行ってくれました.そして,到着の二日後,私は学校に通い始めました.教師は女性で,私を本当に助けてくれました.
到着してから一週間後の1939年9月3日,突然サイレンが鳴り響きました.私は,それを私の誕生日のお祝いだと思いました.しかし,それは開戦を知らせるサイレンだったのです.私たちは,今後,人前でドイツ語を話さないように言われました.ドイツ語は敵国語だったからです.そんなある日,イスラエルへ移住した姉からの手紙が届きました.しかし,私は,英国にいるはずの父についても,また,ウィーンに残してきた母についても何の知らせも受け取っていませんでした.それから七週間後,英国軍の制服を着た父親が突然訪ねて来たのです.20人いた寮生のうち,父が英国にいるのは私一人でした.
| 戦争中に綴られたアリザさんの日記 |
その後,父は,すべての寮生たちの父親となりました.ただ,私には未だ消息が知れない,ウィーンの母のことが気にかかっていました.父は三ヶ月おきに私たちを訪ねて来てくれましたが,私は大陸で一体何が起こっているのか知りませんでした.それでも,寮の職員たちは私たちを慰めるために懸命に努力してくれました.そして,1945年5月2日,待ちに待った母の消息を知らせる電報を受け取ったのです.そこには,彼女がラヴェンスブリュックの収容所から解放され,シュヴェーデンで静養中と書かれていました.私は,この素晴らしい知らせを大急ぎで父と姉とに電報で伝えました.でも,私以外の寮生たちは,皆,両親を失っていましたため,私は彼女たちに対して後ろめたさを感じました.ドイツとオーストリアのユダヤ人は,最初にナチスからの迫害を被った人たちでした.父と私は,こうして生き延びることができたのも,1939年に英国に亡命できたからと心から感謝しています.
母は,1946年に私たちのもとに来ることができました.当時,私は16歳になっていました.母は,私が英国に向けて出発した後に彼女の身に起こったこと話してくれました.黄色い星の印を自らの衣服に縫い付けさせられた母は,ある日,ポーランドのロッヅというところのユダヤ人居住区に移送され,その後,アウシュビッツへ移送されました.そして,次にベルリン近郊の労働キャンプに移され,そこでクルップ社の弾薬工場でポーランド語とドイツ語の通訳として働かさました.その後,ザクセンハウゼン,ラヴェンスブリュックへと移送された後,1945年4月28日に実施された捕虜の交換により,ようやく彼女は解放され,シュヴェーデンへ移されたのでした.私たちのところへ来たときの彼女の年齢は48歳,体重は42キロでした.
アリザ・テンネンバウムさんは,現在,家族とイスラエルに暮らしています.
*1)水晶の夜事件(すいしょうのよるじけん、独:Kristallnacht(クリスタル・ナハト)) とは、1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動である。ユダヤ人の住宅、商店地域、シナゴーグなどが次々と襲撃、放火された。ナチ政権による「官製暴動」の疑惑も指摘されている。事件当時は「帝国水晶の夜(Reichskristallnacht)」と呼ばれていた。この事件によりドイツにおけるユダヤ人の立場は大幅に悪化し、後に起こるホロコーストへの転換点の一つとなった。なお、水晶の夜という名前の由来は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のようにキラキラきらめいていたことにあるといわれている。(cf. Wikipedia "Kristalnacht")
*2) ダッハウ強制収容所(ダッハウきょうせいしゅうようじょ、独語:Konzentrationslager Dachau)は、ドイツ・バイエルン州・ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチス・ドイツの強制収容所である。ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった。(cf. Wikipedia "ダッハウ強制収容所")
以下は,英国へ向けて旅立った子供たちが持って行った鞄の中身を再現した写真.彼らに持ち出しが許されていたのは,旅行鞄と手荷物,それぞれ一つずつと10マルクの現金のみであり,化粧品,高価な物品,金銭,楽器,写真機などを旅行鞄にいれるのは禁じられていた.彼らを載せた列車の多くは夜間に出発した.彼らの両親は,子供たちの出発の日時を2日から14日前に知らされたのみであり,ほとんどの場合,子供たちには,準備のための時間も両親たちとの決別を惜しむ時間も十分に与えられることはなかった.
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| ウィーンを離れリバプール駅に到着した子供たち |
| 展示会場で上映されていたKindertransportのビデオに見入る男性 画面に映し出されるKindertransportのパンフレットには,"Get them out before it is too late"の文字が. |
下の写真は,会場に設置されたユダヤ人の搬送に使用された貨車を模したセットの内部.壁に迫害を受けた人々の写真が貼られています.中では,何回目の搬送で何人の人が運ばれたかを淡々と読み上げるアナウンスが流れます.1列車で5,000人が搬送されました.1両の有蓋貨車には50名を乗せるとされていましたが,場合によっては150名もの人が同一車両に乗せられました.(Cf. Engwert, A., Kill, S., Ed. Sonderzüge in den Tod, Köln, Weimar, Wien, 2009, p56)
| ウィーンを出発した移送列車の経路 行き先は,各地の強制収容所(△印)などだった. |
| キンダー・トランスポートの説明 1938年から1939にかけて,列車と船による子供たちの英国への搬送は合計23回に及び,それによって一万人を上回る数の子供たちが救出された.彼らの出身国は,ドイツ,オーストリア,チェコスロバキア,ポーランド. |
この展示"Verdrängte Jahre - Bahn und Nationalsozialismus in Österreich 1938 - 1945"についての詳しいことは,下記のサイトを参照ください.
なお,会場は,ウィーンのオーストリア連邦鉄道本社一階です.(Foyer der ÖBB Infrastruktur 1020 Wien, Praterstern 3,地下鉄Praterstern下車) 今年の10月31日まで開催.観覧は,土日を除く毎日8時から17時まで.入場は無料です.
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| 映画"Night Will Fall"の一場面.1945年に連合軍によって救出される迄収容所で生き延ることができた子供たち. |
なお,キンダートランスポートについては,英語圏およびドイツなどで多くの本が出版されていますが,Wikipediaでも詳しい説明とともに各地の記念碑が紹介されています.
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