Thursday 22 November 2012

いじめ - Mobbing - Harassement

少し古い記事ですが,日本では,一般に「いじめ」という言葉で呼ばれる行為に関するもので気になったものがありました.以下の4つです.日付の古い順に並べてあります.

  1. SHAME – Une vieille dame insultée suscite un mouvement de solidarité (2012年6月22日付Le Monde紙のBlog,フランス)
  2. HARCÈLEMENT – Le Canada bouleversé par le suicide d’une adolescente (2012年10月16日付Le Monde紙のBlog)
  3. Mobbing im Internet: Bis zum Suizidversuch gequält (2012年10月23日付Aargauer Zeitung,スイス)
  4. A Brest, un adolescent se suicide après avoir été victime de chantage sur Internet (2012年10月29日付Le Monde紙)
こられの記事に共通しているのは,いずれの事件においてもインターネットが登場しているということです.1.の記事では,Youtubeが,残りの3つでは,Facebookが,当該の行為の道具として用いられています.

各記事において紹介された被害者は,1.では,8人のお孫さんを持つアメリカ人女性,2.と3.では,15歳のカナダ人女性で同一人物,そして,4.では,18歳のフランス人男性です.そして,2..3.,4.のケースでは,被害者の2人は自殺しています.

加害者は,1.では,12歳から14歳の4人の少年,2.と3.では,アノニマスというクラッカー集団のメンバーと自称する人物が特定したとのことで,それによると32歳の男性,そして,4.では,不明です.

それぞれの事件を簡単にご紹介すると,1.は,ニューヨークのバスの車内で,被害者の女性を4人の少年がののしり,その行為を動画に撮影し,それをYoutubeに投稿したというもの.2.,3.,4.は,それぞれ,たまたまFacebookを通じて,異性と思われる人物と知り合い,相手に求めに応じて,体の一部を露出して撮影した画像を送ったところ,2.,3.のケースでは,それが公開され,4.では,金が要求され,応じない場合は,画像を公開すると脅迫を受けたというものです.なお,2.と3.においては,それに加えて,彼女が好きになった男性の恋人とその友人たちからFacebookを通じた誹謗中傷を受けています.

これらの記事を読んで,興味深く思えた事が二つあります.一つは,問題となっている行為の呼び方です.3.のAargauer Zeitungの記事の中で説明されていますが,SNSなどのツールを使ったインターネット上の誹謗中傷の行為は,一般にCyber- Mobbing*1)と呼ばれています.そして,2.のLe Mondeのブログでは,被害者の15歳の女性が受けた行為は,harassement*2),また,4.のケースは,blackmail*3),すなわ ち脅迫という呼び方がされています.

ところで,冒頭に,日本で「いじめ」と呼ばれる行為に関する記事と書きましたが,「いじめ」を,学校という限られた場所で子供たちの間で発生する事象,または,学校以外の場所に於いて,同じ学校に通う子供同士,場合によっては,彼らと交友関係のある同年代の子供も巻き込んで発生する事象と定義するのであれば,上記の記事で取り上げられている事件は,4つとも該当しません.いずれの場合も,加害者と被害者のどちらかのみが未成年者であるためです.(4.の被害者であるフランス人男性は,18歳であり,成人ですが,事件当時高校生でした.)しかし,仮に,1.において,被害者を加害者の少年たちの同級生,2.,3.,4.のケースでは,加害者を被害者の同級生と置き換えた場合,類似の事件は,学校,あるいは,それ以外の場所でも同級生の間などで起こりえないとは言えません.そして,その場合は,日本では,それらはすべて「いじめ」という言葉でくくられてしまうでしょう.少なくとも,英独仏の各言語においては,このような区別は行われていません.例えば,ドイツ語圏でも英語圏でも,学校における集団暴行も,若者による路上生活者に対する集団暴行も,ニュースメディアはMobbingという言葉で伝えています.

日本において,上述したような条件を満たす場合,すべて「いじめ」という言葉で表現されるのは,その問題に議論の焦点を絞るため,あるいは,加害者の保護者の方を慮っての事かも知れません.そうした理由も,もちろん理解できない事はないのですが,そうした場合の弊害もあるのではないでしょうか.つまり,問題を限定化,局所化するのと同時に,私たちは,そこだけにのみ適用可能の倫理に基づいて議論を進める事はないでしょうか.いじめを受けたことを理由に自殺が起きた場合,条件反射のように「命を大切に」というスローガンが厄払いの呪文のようにあちこちで叫ばれます.しかし,この国の社会全体を眺めた場合,この言葉によって意図されていると思われる原則の適用範囲が,「いじめ」という言葉の範疇に含まれる事象と同様,学校および学校で関係を持った子供たちだけに限られてしまいがちのように感じられるのです.こうした姿勢においては,普遍的な個人とその存在の尊重といった概念が薄められてしまっているような気がしてなりません.年齢性別,そして社会的地位に拘らず,身体的,あるいは精神的に健全な生活が送れない状況に置かれた場合,当該の学校,家庭,職場などにおいて,局所的,対症療法的な対応ももちろん必要ですが,同時に,それらの現場を含んだ社会全体に適用できる共通の原則を見い出しておくことも重要ではないか,少し大げさに言えば,社会を維持する上で必要となる,最低限の共通の人間観,生命観,倫理観といったものを改めて確認してみるべきではないかと思うのです.

もうひとつ興味を覚えたのは,これらの事件が発生した後の社会の反応です.1.のケースでは,投稿された動画は,数日後,390万ものアクセスがありました.そして,それを観て憤慨した一人のカナダ人が,気の毒な女性のバケーションの費用として4000ドル贈ることを提案し,寄付を呼びかけたところ,それに応じた多くの人たちにより,瞬く間に458000ドルもの寄付が集まったといいます.そのほかにも,多くの励ましや慰めの手紙や電子メールが彼女のもとに届いたそうです.そして,2.と3.と4のケースですが,こちらは,被害を受けた方は,本当に残念な事に2人とも自殺をしてしまいました.しかし,カナダ人女性の場合は,彼女が死を選ぶ前にビデオにメッセージを残し,それを動画投稿サイトに投稿したこともその理由と思われますが,その死を悲しむ多くの人々が,それぞれの気持ちを表しました.彼女の死後,彼女のためにFacebookのページがいくつも開設され,そのうちのひとつは,50万人の人の書き込みがあったそうです.そして,彼女に哀悼の意を示すため,数千の人がピンク色の服に身を包み,街頭に集いました.そして,カナダ各地で,彼女のために,ローソクが灯されたそうです.4.については,亡くなられた男性に対し社会から同様の反応があったかは,記事は伝えていません.


*1) ドイツ語でも,英語と同様,このように言います.
*2) 原文のフランス語では,harcèlement.
*3) 原文のフランス語では,chantage.

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