Sunday, 7 September 2014

スイス東部で運行を開始した普通列車用新型車両RABe 526.7

スイス連邦鉄道とMThBが地域内の短距離輸送を目的に合同で設立したThurbo社(恐らくThurgauとBodensee (Region)をつなげた造語)により,ザンクト・ガレン州でも昨年2013年12月からシュタッドラー社製の普通列車用車両RABe 526.7の運行が開始されました.(Stadler社のGTWと呼ばれる車両,同ページ上にスイス国鉄用車両についての英語版PDFページが公開されています.)編成と車軸配置が異なるRABe 2/6(駆動車を含め3両編成/2' Bo 2')と同じく2/8(駆動車を含めて4両編成/2' Bo 2' 2')という2つのヴァリアントを見かけますが,ザンクト・ガレン州とグラウビュンデン州のクールを結ぶ列車には後者が用いられています.なお,上掲のStadler社のサイトやPICOのサイトでご覧になれるように,2本の固定動軸を持った駆動車を除く各車両には,それぞれ1つの台車しか装着されていないという珍しい構造です.以下,上の2枚はRABe 2/8,3枚目はRABe 2/6です.(ザンクト・ガレン州のS-Bahnについての情報はこちらのサイトにて確認できます.(ドイツ語).さらにWikipediaのこちらのページでも紹介されていますが,オランダ語版のみのようです.なお,スイス国鉄の車両番号についてはWikipediaのこちらのページを参照下さい.)

ZVVの宣伝用のラッピング塗装のRABe 2/8.(779-4)マイエンフェルト,バード・ラガーツ間にて.
通常の塗装のRABe 2/8.サルガンスにて(769-5)
ロールシャッハ・ハーフェンで見かけたRABe 2/6(751-3,702-6)
座席のない駆動車の通路から見たRABe 526.7の内部.短距離普通列車用のため,ヨーロッパの標準軌用車両としては珍しく,2等車内では日本の新幹線と同じ3列+2列の座席配列.(何となく,低床式路面電車のメインライン走行用バージョンのような雰囲気.)なお,出入り口付近(写真中央奥)に設置されたモニターには,主要駅到着前に乗り換え列車に関する情報(各列車の行き先,出発時刻,番線など)が表示され,たいへん便利.同様のモニターは,RegioExpressとして運行されている,同じくStadlerのRABe 511 Dosto(Kiss)にも設置されています.(下の写真)(確か,オーストリア国鉄のRailJetの車内でも似たようなサービスが提供されていたと思います.)
マイエンフェルト,バード・ラガーツ間にて

以下の写真は,Thurboと郵便バスに乗って訪れたボーデン湖畔のナポレオン博物館で撮影したものです.
博物館本館
入口付近の花壇と噴水
帰りに乗ったRABe 511.ロールシャッハ・ハーフェンにて.

この後,初めて新幹線のN700に乗った感想を書いたのですが,話が,本題とは殆ど関係ない方向へ発展してしまったので折りたたんでおきます.
数ヶ月前,出張で初めて新幹線N700系に乗った際,各車両にスーツケースなどの荷物を置くスペースがないこと(すなわち新幹線車両の内部設備の貧乏ったらしさ,やぼったさ,みみっちさ)を知り愕然としました.出張の期間が2週間だったため,比較的大きめのスーツケースを持ち込んだのでしたが.ヨーロッパでは国内国際路線共に高速鉄道車両(もちろんRailJetも)やインターシティの各車両には必ず専用のスペースが設けられているのに,日本の鉄道に於ける「おもてなし」の誠に惨憺たるレベルを実感させられた経験でした.これから,話が少々大げさになりますが,日清,日露の近代における対外戦争以降,鉄道は兵士や軍事物資を早く,大量に目的地に運ぶ手段でした.もちろん,それは日本に限ったわけではなく,ヨーロッパでも同様でした.しかし,後者では,少なくとも平和な時代においては,利用者にとっての快適性や利便性がその発達を促した最も重要なコンセプトであったことは,オリエント急行やTEEなどの豪華列車や現在の高速列車や都市間特急などを見れば明らかです.そう考えると,僅かな例外を除き,少なくとも鉄道に関する限り,日本は未だに実質的に戦時状態なのかもしれません.(鉄道が近代の日本が戦争を遂行するにあたり,いかに重要な役割を果たしたかということについては,竹内 正浩氏が,ちくま新書の「鉄道と日本軍」の中で詳しく検証しています.また,ヨーロッパについては,8月にBBC 2で放送されたドキュメンタリー"Railways of the Great War"が詳しく伝えました.なお,この番組を紹介する記事"The trains that took us to war"が7月27日付電子版Telegraphに掲載されています.鉄道が近代戦において果たした役割については,ニュールンベルグのDB博物館などにも詳細な展示があります.)

などと考えを巡らすうちに,小泉八雲の「日本文化の真髄」という随筆の中の次の文章を思い出しました.八雲先生によれば,日本人の伝統的特性としてそもそも旅行に多くのものを持って行かない,その必要が無いのだそうです.確かにそうかも知れません.ドラマで諸国を歩き回っていた水戸の御老公の一行も,せいぜい助さん,格さんの振り分け荷物くらいでしたものね.
日本の国民生活の最も著しい特徴ともいうべきものは、極度の流動性である。*1)

つまり、手っとり早くいえば、けっきょく、ヨーロッパ文明の特異性が、機械や大資本の力をかりずに生きて行こうという、人間本来の力を骨抜きにしてしまったがために、そこに不自由とか東縛とかいうものが生まれてきたわけである。こんな不自然な生きかたをいつまでもつづけて行けば、遅かれ早かれ、勝手なときに勝手に身を動かすような力は、しぜんと失われてくるにきまっている。西洋の人間は、だから、いざ身を動かす段になると、そのまえに、あれやこれやといろいろのことを考慮しなければならない。ところが、日本人はそこへいくと、身を動かすのに、なにひとつ考えわずらうことがない。居るところがいやになれば、手軽にさっとそこを立ちのいて、行きたいところへなんの苦もなく行ってしまえる。手足まといになるようなものは、なにひとつない。貧乏も、そこへいくと事の障りにはならず、むしろ励みになる。荷物と名のつくほどのものもないし、よしんばあったところで、ものの四、五分で片のつく程度のものだ。*2)

千里の旅をしようと思い立てば、ものの五分もかからないうちに、すっかり旅の支度ができてしまう。旅装といったところで、なにもかもいっさいがっさいで、七十五セントとはかからない。手まわりの品は、手拭いっぽんで包んでしまうことができる。*3)

大した家具調度もなく、といって、身のまわりの品も、さしたるものがあるわけではなく、せいぜい、こざっぱりした着物が、それもほんの二、三枚、それでけっこう暮らしてゆけるということは、これはなんといっても、日本民族が生存競争のうえに持っている、強味以上のものを示している。そればかりではない。このことは、コーロッパ文明のなかにひそむ、ある弱点の本質をも、それとなく語っている。われわれヨーロッパ人の日用必需品のなかに、いかに無駄なものが多いかということをわれわれに反省させるのも、この日本人の生活の簡素さだ。われわれは、肉とパンとバターがなければ、一日も暮らすことができない。ガラス窓と媛炉、帽子、ワイシャツ、毛の肌着、深靴に短靴、やれトランクだ、鞄だ、箱だ、寝室に蒲団、敷布に毛布。みんなこれは、日本人ならなくてもすむ品である。いや、なくて、かえってらくに暮らしている品物だ。早いはなしが、ちょっと考えてみても、ワイシャツというやつ、この金食いの品が、西洋の服装では、なくてはならない、だいじな品物になっている。そのだいじなリネンのシャツ、「紳士の徽章」とまでいわれるこの衣料にしてからが、すでに無用な衣料ではないか。べつにそれを着たところで、暖いわけでもなければ、気持がいいわけでもけっしてありはしない。これはョーロッパの服装の上で、ひと昔まえに贅沢階級の区別になっていた、ひとつの遺風を語るものであるが、それが今日では、意味のない無用の長物になってしまっていることは、あたかも袖の外側に縫いつけてあるボタンと同様である。*4)
新幹線の利用者が,八雲がこの随筆を発表した当時,少なくとも日露戦争前の日本人であれば,確かにラッゲージ・スペースは必要無かったかもしれません.



*1) ラフカディオ・ハーン 著,平井呈一 訳『心 日本の内面生活の暗示と影響』(岩波文庫 赤 244-2),東京,1951年(原本(英語)は1896年),p32
*2) Ibid., pp33f
*3) Ibid., p36
*4) Ibid., pp36ff

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