Monday 8 September 2014

ノイエンマルクト蒸気機関車博物館で01形の祭典,9月20,21日開催

(本ポスト内のリンク先で,(英語)の表記がない場合は,すべてドイツ語のページです.)

開催日が目前と迫っていながらお知らせが遅れてしまい恐縮ですが,下記の01形の動態保存機が一堂に会する催しです.両日共に30分おきにシーフェ・エーベネ区間を往復する重連牽引(あるいは推進牽引)の特別列車の運行(ということは,01重連が再び復活?時刻表はこちらから.また,博物館とお薦め撮影場所を結ぶバスも運行されます),同じく参加機関車のパレード(両日共に16時開始),さらに初日の土曜日は18時より開催を記念したさまざまなアトラクションなどの実施が予定されています.詳しい情報は同博物館のこちらのページにて.また,ノイエンマルクト(Neuenmarkt-Wirsberg)を鉄道で訪れる場合は,DBのサイト(英語)で着発列車と時刻をご確認ください.
  • 01 1075 (012 075-8) aus Rotterdam – Stoom Stichting Nederland
    (UEFの01 1066同様,重油燃焼式の三気筒機.2470 PSiを誇るドイツの急行旅客用機としては最強のマシン.はるばるオランダからの参加です.なお,リンク先はオランダ語のサイト.)
  • 01 118 aus Frankfurt – Historische Eisenbahn Frankfurt
    (大きなヴァグナー式除煙板を備えた,オリジナルに最も近い形状を留めた二気筒機.)
  • 01 150 aus Heilbronn – Stiftung Deutsche Eisenbahn
    (去年の5月に動態復活した,おなじみのヴィッテ式除煙板付き,エプロンカバー無しの戦後のDB仕様機.ハイルブロンからの参加ということは,ハイルブロンの南ドイツ鉄道博物館が新たなねぐらになったようです.確かに,同博物館のサイトのスタートページのスライドショーに現れるようになりました.)
  • 01 202 aus der Schweiz – Verein Pacific 01 202
    (こちらもヴィッテ式除煙板付き,戦後のDB仕様機.)
  • 01 533 aus Ampflwang – ÖGEG Österreichische Gesellschaft für Eisenbahngeschichte
    (下の写真でご紹介している東独国鉄によって60年代に改造された01.5と呼ばれるタイプ.旧ナンバーは01 116.セルフチェックディジット付のEDV番号の製造番号の始めが0の場合は重油燃焼機,1の場合は石炭燃焼機ですが,基本的に519号機からは全て重油燃焼機.)
  • 01 0509-8 aus Jöhstadt – Pressnitztalbahn
    (同上.旧ナンバーは01 143.)
UEF01 1066については,現在,運行不能のため,展示はなさそうです.また,スイスのパシフィック協会によって,この催しに合わせて4泊5日のツアーが実施されます.詳しい情報はこちらのフライヤーをご覧下さい.

なお,同博物館の年間予定表によると,SL列車のシーフェ・エーベネ区間の走行が10月3日にも予定されているようですが,今のところ,牽引機についての情報は公開されておりません.ただ,下の写真に見られるように,6月の五旬節の運行の際には主務機が01.5,後補機が52.80だったので恐らく2両による牽引推進か,重連牽引になるのではないでしょうか.さらに,鉄道とビールがお好きな方には,ビールの町クルムバッハのビール博物館へのツアーも企画されています.開催日についてはこちらをご覧下さい.(クルムバッハの観光情報はこちらから.(英語))

6月の運行の際の主務機,東独国鉄による改造機01 0509-8(二気筒重油燃焼機)2400 PSiという,01ファミリーの中では三気筒重油燃焼機012に次ぐ高出力タイプのため,各鉄道愛好団体が主催するツアーで特別列車の主務機を務めることも多い.
ノイエンマルクトで出発を待つ特別列車.後補機も東独国鉄の改造機52 8079-7(二気筒石炭燃焼機)
ノイエンマルクトを出発してシーフェ・エーベネへ向かう特別列車
最後尾でしっかりプッシュする強力機52.80.(ベースは戦時用52形.そのため,軸重も15 tと軽く,ほぼどんな線区でも運行可能なマシン.おしりが切れてしまいましたが,テンダーは52形の特徴のひとつ浴槽形の2' 2' T 30.煙突の前には東独国鉄の改造機の特徴のひとつ,IfS型混合予熱器が設置されています.)
強力な二機の連携でシーフェ・エーベネも難なく通過
こちらは,別のイベントの際に撮影したフランクフルト保存鉄道協会の01 118.フランクフルト近郊,ケーニッヒシュタイン(Königstein)付近.
同上
車窓より.(炭水車の後部には,「架線下では補給は行わないこと」と書かれた黄色いステッカーが見えます.)
復路はバック牽引.以下の2枚も含め,ケーニッヒシュタイン付近.
当日,二機のSLに混じって特別列車を牽引した,懐かしい塗装の218 105-5.周囲の緑に良く合います.(戦後,東西のドイツ国鉄でEDV番号が導入されましたが,西ドイツ国鉄(DB)ではディーゼル機の1桁目は2,東ドイツ国鉄(DR)では1が付けられました.電気機関車では,その逆でした.)
01 118やDL218と交代で特別列車を牽引した52形 4867号機(未改造).
バック牽引を行う52 4867.戦時用機として開発されたオリジナルの武骨な形状をよく留めています.テンダーは,もちろん浴槽形の2' 2' T 30.シリンダから煙室に伸びる角形の排気管とシリンダハウスの上部に設置されている箱形のヴィンタートゥール式圧力均等器が,ベースとなった50形との最も大きな差異のひとつ.
ケーニッヒシュタイン駅にて.
6700両以上も製造された戦時用機52形.開発時の想定耐用年数は10年.しかし,今でも,ドイツはもちろん,外国でも現役機が多数存在するタフなマシンです.ケーニッヒシュタイン駅にて.
ケーニッヒシュタイン駅にて.

こうした催しの開催を知るたびに,つくづくドイツという国は(あるいは,スイスやオーストリア,もちろん英国も含めて),本当に物持ちが良いと思います.それに比べて,日本人の,過去の遺物に対する姿勢はなんとにあっさりしていることでしょう.そのひとつの理由に,少なくとも工業の分野に限った場合,これ迄使用してきた技術の殆どが,基本的には外国で開発されたもの,つまり出来合のものであり,それを輸入したに過ぎないからかも知れません.改良やローカライズ,それに応用などは得意ですが,ゼロから創造することは,何故か殆どと言ってよいほどありません.*1) 言うまでもなく,それは蒸気機関車の技術についても同様です.ここで,James Wattの蒸気機関の発明まで歴史を遡ることはしませんが,例えば,1880年代以降,世界中の蒸気機関車において採用されたシリンダ弁の制御装置を開発したのは,ベルギー人のEgide Walschaertsとドイツ人のEdmund Heusinger von Waldeggであり,その後の蒸気機関車の発達の歴史を変えたと言っても過言ではない過熱式蒸気機関車の誕生は,過熱蒸気の効果を発見したドイツ人のWilhelm Schmidと,当時,プロイセン国鉄に於ける動力車両開発局長だったRobert Garbeの共同研究の結果でした.カーブ走行のために動軸を線路に対し,直角方向左右に移動させる方法を発明したのは,オーストリア人のKarl Gölsdorf,また,先輪軸や従輪軸をカーブに沿って向きを変えさせる仕組みを発明したのもドイツ人のRichard von Helmholtz,同じくFriedrich Wilhelm Eckhardtやアメリカ人のLevi Bissell,そして,英国人のWilliam Bridges Adamsたちです.ドイツ帝国鉄道(DRG)時代の統一規格機に於いて標準装備となった圧縮空気を使ったブレーキや予熱器などを開発したのはドイツ人のGeorg Knorr.さらに,一度使用した高圧蒸気を再び別の低圧蒸気用シリンダで使用するという仕組みを考案したのは,マレー式機関車の名前の由来となったスイス人のAnatolie Mallet,それに似たメイヤー式はフランス人のJean Jacques Meyerが考案したものでした.その他,使用された例は少ないもののフランコ・クロスティ式ボイラーを考案したのは,イタリア人のAttilio FrancoとPiero Crosti等々,挙げればきりがありませんが,陸蒸気(おかじょうき)の製造に必要な技術のすべては外国で創り出されたものなのです.なんでも,一から自分で創り出したものでないものには,それほど愛着は沸きませんし,従って,それが消えても未練もたいして残りませんしね.そう考えるのは,単純すぎるでしょうか...そういえば,ドイツでは,41 018 (042 018-2) がバイエルン州の歴史的技術記念物(technisches Denkmal des Freistaates Bayern)に指定されていますが,動態保存されている日本の蒸気機関車が同様の(例えば有形文化財などの)指定を受けることなど考えられるでしょうか.

スイスのブルックで開かれた国鉄車両保存館のオープンハウスにて.フランス国鉄のミカド機141 R 1244のエプロンの上で大好きなオパが構えるカメラの前でポーズをとる,ヨーロッパ(あるいは,少なくともスイス)の鉄道ファン界の未来を担ってくれそうな二人の男の子.



*1) ことによると,それは,絶えず自然災害の脅威にさらされる環境に生活する定住農耕民族として,自分た ちが生きる環境,さらに言えば世界を変えることに至って消極的な姿勢を身につけてしまったせいかも知れません.そして,従来の方法では対応しきれない程の 環境の変化に見舞われたとき,その状況から逃れるために,他所から出来合の知恵や技術を借りることしかできない.こうした行動は,日本人の所謂《甘え》の心理の表れの一つなのかも知れません.

ただ,何でも他所から出来合のものを借りてくる(あるいは押し付けられる)のに慣れてしまうと,例えば,福島の原子力発電所で起きた事故の際のように,対応に右往左往してしまうこともあるようです.

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