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Tuesday, 13 November 2018

ツィッター上に公開された三陸鉄道新車両甲種回送の写真

Sunday, 11 November 2018

三陸鉄道,南リアス線三陸駅のカキカーテン

吊るし柿をつくるのに,最適な柿の収穫時期は,一度霜が降りてからだそうです.そして,吊るした後,おいしい干し柿になるには,太陽の日差しと寒風に十分にさらされること.そう三陸駅の駅長さんは仰っていました.

Friday, 3 August 2018

三陸鉄道南リアス線盛駅

Sunday, 29 July 2018

石巻市内鎮座神社の津波被災状況

最初に,石巻市立大川小学校の亡くなられた児童,そしてご遺族の皆様に衷心より哀悼の意を述べさせていただきます.

すでに,このブログ内で紹介した『2011年3月東日本太平洋岸大津波と神社』と言う論文の調査対象となった被災各地の神社の内,石巻市内に鎮座する神社をGoogle のマイマップにプロットしてみました.同論文では,被災状況を重度,中度,軽度の三種類に分類し,それぞれを以下のように定義していますが,作成した地図上では重度を赤,中度をオレンジ,軽度をブルーの鳥居で表しました.
  • 重度 - 社殿 (本殿・幣殿・拝殿)に津波被害を受けた神社 (社殿の床上浸水も含める.一方,社殿の床下浸水は中度とした.)
  • 中度 - 社務所・手水舎・神輿庫・鳥居・狛犬に津波を被害を受けた神社
  • 軽度 - その他(燈籠・境内社・参道等)に津波被害を受けた神社



なお,上掲論文によると,石巻市市内の神社の地震津波被害概況は以下のとおりです.
石巻市の全神社数は142社であり,今回の地震被害を受けた神社は106社,うち津波被害を受けた神社は27社である.このうち重度は12社,中度は11社,軽度は4社である.
そして,下は国土地理院の大川地区の浸水範囲概況図に,同地区に鎮座する神社のうち津波被害を受けたものをプロットしたものです.(神社名の前の数字は,上掲論文のリストにおいて付された番号.) オレンジのマークで表示された神社は,鳥居の流失程度で済んだようですが,津波遡上限界ラインのごく近くに位置していることが判ります.中には,愛宕神社のように,津波が押し寄せた地域内にも拘わらず軽度の被害しか受けなかった神社もあります.(南三陸町の五十鈴神社と同様のケース.)
そして,最後に,ご遺族のご心中をお察しし,ためらわれたものの,敢えて大川小学校が位置する大川地区のハザードマップで,震災前に宮城県が公開していたものを掲載いたします.

Saturday, 28 July 2018

遠くの避難所より近くの神社仏閣 - 東日本大震災の津波被害を受けて

東日本の神社仏閣のすべてが大震災による津波の被害を受けなかったわけではない.けれども長い歴史の中で津波の被害を受けた神社仏閣は,被災時の場所に再築するのではなく,誕生寺のように津波が遡上しなかった場所に再築を重ねることにより,現在のような「津波遡上限界ラインには神社仏閣がある」状態になったと考えられる.

もし,「津波遡上限界ラインに神社仏閣がある」ということが正しいとすれば,新たな防災計画の立案に際しても,従来小・中学校や公民館を第一次避難所としていた防災計画を見直して,神社仏閣を検討に入れる価値はあるのではなかろうか.

例えば,岩手県釜石市鵜住居町における避難所は,従来は根浜宝来館,釜石東中学校,鵜住居小学校,はまと神経内科クリニック,鵜住居保育園であった.

しかし,釜石東中学校,鵜住居小学校が東日本大震災に伴う津波で被災している以上,新たな第一避難所として富王姫神社,本行寺,鵜住神社,慈眼寺,浄楽寺,麓山神社,稲荷神社,厳館稲荷神社を検討すべきではなかろうか (図6参照).

同様に,従来福島県いわき市においても,例えば久之浜町における第一次避難所は久之浜第一小学校であったが,新たな第一次避難所として稲荷神社,自在院,愛宕神社,龍光寺を検討し,宿泊を主眼とする第二次避難所を久之浜第一小学校とすべきではなかろうか  (図14参照).

津波に関するアンケートによれば,避難所が「遠い」という回答が見受けられたが,久之浜第一小学校は堤防から約700メートル離れていて,しかも,国道六号線とJR常磐線を越えて行かねばならないのに比して,神社仏閣は堤防から100メートルほど「近い」場所にある.
 吉田政志(よしだせいじ)著『津波の遡上限界ラインには神社仏閣がある』(ページ数記載なし),自費出版,いわき市,2013年より (著者は同書において,南海トラフ地震によって発生が想定される津波からの避難所についても, 高知県高知市,同じく黒潮町,徳島県阿南氏,兵庫県相生市を例にして考察をしています.) 下の写真に写っているのは,大船渡市の東端に位置する長安寺と春日大明神で,津波の遡上限界ラインよりはるかに内陸側に位置しています.
蛮社の獄で幕府の追跡の手を逃れた高野長英が身を隠し,蘭学を教えていた真言宗大谷派の長安寺.

住田町へ向かう国道107号線沿いの山中に鎮座する春日大明神.幟が本当に昭和29年に奉納されたものかは判りません.

Wednesday, 25 July 2018

三陸でもこういうホテルができたら...

地中海と太平洋とでは,条件が異なりますからねえ.

Tuesday, 24 July 2018

南三陸町の神社で社殿が津波被害を受けたものはなかった

最後まで防災無線を使って避難を呼びかけられた遠藤さんや同僚の自治体職員や住民の方々の命を奪った津波でしたが,ふと気になって南三陸町所在の神社の被害状況を知りたいと思い,資料を探したところ,「2011年3月東日本太平洋岸大津波と神社」(『水利科学』No.332 2013と言う論文がウェブ上に公開されているのを知り,それに以下の記述を見つけました.
南三陸町,松島町,利府町,塩竃市,多賀城市,七ヶ浜町では津波による社殿の被害は見られない。中でも,松島町,利府町,塩竃市では神社での津波被害は受けなかった。松島町,利府町,塩竃市は多くの島々がある松島湾に面している。津波のエネルギーが島々によって弱められ,海岸に達した津波高が低かったことが重要な要因だろう。(p184)
Googleで,'南三陸町 神社'というキーワードで検索すると,湾岸に位置するものが少なくありません.国土地理院の浸水範囲概況図と照らし合わせてみると,中には五十鈴神社のように,完全に浸水範囲内に位置しているものもあります.しかし,この神社も地域住民の避難場所となり,彼らの命を救ったのでした.

Sunday, 22 July 2018

三陸鉄道南北リアス線を使った大船渡(盛)から日帰り久慈往復机上旅程

来年の3月23日からは,盛から久慈までリアス線の直行運転が始まるので,途中の乗り換えは必要なくなりますが,それまでは以下の旅程で可能です.なお,交通費は,南リアス線と北リアス線の土日休日往復割引乗車券を使えば,鉄道が4000円,バスが往復2960円なので,合計6960円です.(Cf. 三陸鉄道時刻表岩手県交通バス/岩手県北バス,宮古 - 釜石間乗り継ぎ時刻表) なお,この旅程は,ジョルダンなどの乗り換え案内では表示されないようです.また,Yahooでは,バスの乗り継ぎ停留所が岩手船越になっていました.

どことなく,フランスのプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 (Provence-Alpes-Côte d'Azur, PACA)の雰囲気を時折感じる三陸地方をさらに楽しみたいと思います.

Saturday, 21 July 2018

山と海のラビリンスとしての三陸と来年3月の営業再開を待つ吉里吉里駅と船越の八幡神社 (2018年7月22日更新)

山田線の釜石,宮古間(運行が再開される来年の3月23日以降は三陸鉄道リアス線の一部)の現状が見たくなり,吉里吉里駅を訪れました.


深山幽谷の間を縫って走る国道45号線の間から垣間見える断崖の岩肌.三陸は山と海とが形成するラビリンスなのです.(森林浴ももちろん可)
高台にある吉里吉里駅.



試験運転は未だのようです.なお,枕木は,木製とコンクリート製のハイブリッド.
帰る途中に寄った船越で見かけた素敵な蔵.


船越漁港にいるたくさんのお腹を空かしたカモメくんたち.10mくらい近づくと,飛び立たずに,全員で後方に移動します.
漁師さんたちの明るい笑い声が響く,穏やかな漁港の午後.
漁港を見下ろす八幡神社.船越地区の避難場所に指定されています.
お社は,もちろん無傷.境内の石碑に延享元年と記してあったので,建立,あるいは移設は貞観,慶長地震の後の時代かも知れません.
震災で倒壊したため,再建されたと思われる鳥居.
この神社も,津波遡上限界ラインのぎりぎり手前のところに位置しています.(赤丸の中央) (国土地理院提供浸水範囲概況図より)

この船越のある山田町では,多くの方が津波の犠牲になりましたが,それは山田湾の形状が津波のアッテネーター,あるいはバッファーとして機能するという経験則への多くの住民の過信によるものでした.山田湾に津波が押し寄せた後,この船越湾に押し寄せた津波が半島の短いくびれを乗り越えて山田湾へなだれこみ,それによって被害がさらに大きくなりました.(Cf. 『「津波に強い」過信あだ』, 2011年4月17日付河北新報)

最後に,ラビリンスと言えば,現在,各地で防潮堤の建設が続いている沿岸の道路も,あちこちが通行止めにされ,まさにラビリンス状態.実際,帰りの途で,船越まで下りたのはよかったのですが,戻ってくるのに,どの道を走ればよいか判らなくなってしまいました.日本狭しと雖も,三陸地方程,カーナビゲーションシステムが機能しない場所も他にあまりないと思える程,この文明の利器も役に立ちません.そこで,たまたま通りかかった白髪白髭の紳士に国道への戻り方を伺うと,それはお困りでしょうと笑顔で応じてくださり,丁寧に教えてくださいました.後で,八幡神社の神様だったのかなと,ふと思った出会いでした.

大槌町の大槌稲荷神社の神職十王館勲さんの『僕の避難所長日記』

地震と津波の被災者140人の避難所となった同神社の神職の方の記録です.(こちらで閲覧およびダウンロードが可能です.) 冒頭で特に印象に強く印象に残ったのは,防潮堤があったために当該防潮堤の内側に津波の引き水がせき止められ,浸水地域の水位が保たれたまま,次の津波が押し寄せてしまったという記述でした.大槌町では,「津波が来襲する前には,必ず潮が引くと広く信じられていたため,逃げ遅れて津波の犠牲になる人が多かったそうです.(死者・行方不明者1600人.Cf. 『「津波の前 必ず引き潮」「誤信」悲劇』, 2011年5月1日付河北新報)

この神社も津波遡上限界ライン上に位置しています.(国土地理院提供の『2万5千分1 浸水範囲概況図 岩手県』より)

こんなところで夏のオリンピックを開催するなんて正気の沙汰か !

開催中は,熱中症が発症した運営スタッフや観客の救急搬送で,東京中の救急車は間断なく全車が出動.街は絶えまなく鳴り響くサイレンでさぞ賑やかになるでしょう.熱中症の被害が少ない三陸,北陸,山陰,北海道などで開催すればよいのにと思います.

Friday, 20 July 2018

熱中症にかかる確率を減らしたければ,三陸へ移住しましょう

下の2枚の写真は,日本気象協会のサイトのページのコピーです.



下の統計は,消防庁のサイトの熱中症情報のページで紹介されているものです.



最後に,先日,公開した大船渡の山背の写真を再掲.

Thursday, 19 July 2018

山背(やませ).今日,大船渡で

Tuesday, 17 July 2018

北秋田市長殿に一読を勧めたい本

近所に出来た大規模小売店舗のために鷹ノ巣駅前は,もはやシャッター商店街どころではなく,ゴーストタウンです.
そして,ミュルーズのトラムトレインについて学んでいただきたい.
同じくドイツのSaarbahnも.(こちらもトラムトレインがコンセプトとなっている鉄道です.)

なお,このトラムトレイン式鉄道は,今住んでいる三陸地方にも導入して欲しいと思っております. ようするに町中で路面電車に乗ると,そのまま隣町の中心部まで連れて行ってくれるというものです.車両は,もちろん低床式のLRVで,ベビーカー,車椅子,そして自転車もそのまま持ち込めるというものです.たとえば,ハイブリッドの車両を使い,市内は地上集電によるモーターによる走行,郊外ではディーゼルエンジンによる走行と言った具合に.たとえ,実現しなくても,がんばれ,三陸 ! 自分のペースとスタイルで.(大船渡へ移り住んでから,2か月余り.本当に住みやすい町です.三陸,最高 !) 下は,全く関係ありませんが,最近,見つけたハンサムな入れ替え用ハイブリッド機関車.おまけです.

Saturday, 14 July 2018

津波の遡上限界ライン上に位置した綾里の市杵島神社(いちきしまじんじゃ)

祭神は市杵島姫神です.(神仏習合説によると本地は弁財天.) 綾里白浜地区は,1933年の昭和三陸津波後,住宅はすべて高台に移築されていたため人的被害はなかったそうです.(Cf. 『高台に住居移転し被害ゼロ』, 2011年3月27日付河北新報)


綾里漁港

高台から漁港を見下ろす鳥居.津波を受けて倒壊したため,再建されました.

津波は,この坂を遡上し神社の縁の下まで到達しました.まさにギリギリセーフと言ったところ.

赤いマークは津波の高さではなく,到達地点を示すもの.

津波ボールと社殿

昭和63年製の賽銭箱.津波で流されたそうです.

神社の参道の坂から見下ろす綾里漁港.定置網漁が盛んだそうで,昔は,マグロもとれたとのこと.水揚げされた水産物は,大船渡の市場へ送られます.

白壁の建物が社務所

綾里駅前の津波注意喚起ボード.2007年に建てられたもの.

綾里駅舎内の柱に貼られた来年のラグビー大会のポスター.写っているのは,大船渡のウォーキングクラブの皆さん.今日は,綾里から恋し浜まで往復されたそうです.

本ブログ恒例となってしまった不思議なポスターシリーズ.駅舎内に掲示されていたものですが,'自衛官募集'とどういう関係があるのか,よく判りません.また,全体として何をテーマにしたものなのかも判りませんでした.(個別のテーマでは「シャツは浮くんです」の意味が,このポストを公開したあとに,ようやく判りました.おそらく,水の中に落ちても,シャツを着ていると浮くと言う意味だと思います.)
最近,市内の書店で購入した『2011.3.11 東日本大震災 津波被災前・後の記録 宮城・岩手・福島 航空写真集』(2012年,河北新報出版センター刊)を見て気づいたのは,岩手県は海岸線は長いものの,津波が内陸へ遡上した個所は,宮城県や福島県に比べて少なく,また,遡上距離も短く,さらに浸水面積も小さかったことを知りました.陸前高田などでは多大な被害が出たことは行く先々で伺いますが,上述した岩手県沿岸部における津波の動きと隣接県におけるそれらとの違いは,前者のリアス式海岸と呼ばれる地形によるものであることは言うまでもありません.もちろん,その地形が遡上する津波の高さやエネルギーを増幅させてしまうことも事実です.しかし,後ろがすぐ山であるということは,避難場所が近くにあることを意味します.(急峻な坂を登るのは,大変ですが.) このように,リアス式海岸は津波に対する自然の要塞にもなりうると言うことを知ったのも,こちらに来て,あちこち巡ったおかげでした.(特に,自転車をそのまま持ち込むことができる三陸鉄道のサイクルトレインには,いつも本当にお世話になっています.)

ところで,どことなくマルセイユ近郊の入江を思い出させる,この地方の沿岸部ですが,例えば,大船渡から海岸線に沿って宮古まで行く観光船があれば,是非乗りたいのですがと,こちらにお住いの方に言うと, 「お客が来ないだろうから,ビジネスとしてなりたたないので,そういう航路は存在しない.三陸鉄道ですら,利用者が少なくて困っているのだから...」などと言った答えが返ってきます.せっかく美しい風景があるのに,ほんとうに残念です.

Thursday, 12 July 2018

神社は人間を津波から守ろうとした.しかし,人間はそれを拒否し,経済成長という神にかしづき続けた

今夜は,ここ大船渡市盛町の天照御祖神社(アマテラスミオヤジンジャ)の祭礼の夜でした.来訪した県外者である私も温かく迎えていただき,拝礼の際には,氏子代表の方に続き,神主さんのご指名により榊を奉納する栄誉にまで預からせていただきました.

こちへ来て出会った本,『神社は警告する』,『仙台平野の歴史津波』などから,東日本大震災において付近一帯を襲った大津波は,各地の神社の手前で止まっていたことを知り,やはり,私たちのご先祖が崇拝してきた各地域の神様(氏神)は,子孫を守ってくれていると言うことを改めて強く実感させられ,胸が熱くなった夜でした.

(『仙台平野の歴史津波』で著者の飯沼氏が,その脆弱性に強い危機感を覚えておられた仙台市宮城野区蒲生地区の被災状況は,河北新報社刊『津波被災前・後の記録 宮城・岩手・福島 航空写真集』の被災前後の航空写真を見るとよく判ります.そして,仙台市防災安全協会の報告にあるとおり,今回の津波も,波切神社には至らなかったのです.)

いつから,日本人は,祖先の言い伝えや教訓を無視するようになってしまったのでしょう.そして,何故,無視するようになったのでしょう.少なくとも,この地に滞在している間は,その答えを探しつづけたいと思っています.

しかし,冒頭でお伝えした神社で,氏子のおひとりであるSさんから聞かされた「人間は,自然に対する畏怖を忘れてしまった.」,「復興とは,まず,その土地に住む一人一人の日常が戻ることであって, 雲の上の話のような経済効果を謳うILC誘致のような計画には違和感を感じる.20年後,使用を終えたトンネルが核廃棄物の処分場とならない保証がどこにあるか.」と言った言葉には,胸が打たれる思いがしました.まずは,地域の神社の祭礼から元に戻して行くべきと言う言葉にも大いに共感しました.大規模な多目的ホールの建設を批判するわけではありませんが,地域の人々が季節ごとに定期的に集う場所と言えばは,やはり日本では神社ではないでしょうか.Sさん曰く,「今日の一般的な神社離れの傾向は,それが政治的に利用されるようになったから.」確かに,そうかもしれません.

中央政府など行政からの押し付けや,一時期,やたらに叫ばれた《絆》と言う言葉に表現される地域外,すなわち氏子以外の個人や集団からの,ときとして的外れの支援(*1))に無条件の信頼を寄せることは,すべきではない.まずはかつての,いや,先祖代々,地域で営まれてきたの暮らしの有りようをとりもどすことこそが,本当の復旧,復興なのだ,Sさんから伺ったことを自分なりにまとめると,以上のようになります.祭りのための臨時の拝礼所の後片付けをお手伝いした際,権現様(獅子舞の一種で用いられる衣装)の頭部を運ばせていただきましたが,権現様が喜んでおられるような,そんな気がした夜でした.

*1) 2011/12/7 今西 乃子 (著), 浜田 一男 (編集, 写真) 『心のおくりびと 東日本大震災 復元納棺師 ~思い出が動きだす日~ (ノンフィクション 知られざる世界)』(東京,2011年,金の星社刊)参照.

Saturday, 7 July 2018

『神社は警告する: 古代から伝わる津波のメッセージ』に教えられた資料 - 備忘

『仙台平野の歴史津波
巨大津波が仙台平野を襲う!』
飯沼/勇義∥著
宝文堂
1995

東日本大震災では仙台市でも多くの被害が出ましたが,それを市当局に警告していた方がいらっしゃったと言う証の書です.(大船渡市立図書館他が所蔵 同図書館では貸出不可)

もう一冊は,

『津波の遡上限界ラインには神社仏閣がある』
吉田 成志∥著
自費出版
2013年

こちらは,大船渡図書館では所蔵しておらず,盛岡の県立図書館で貸し出しているとのことです.

さて,来週の週末は,月曜日まで連休となりますが,秋田内陸縦貫鉄道と花輪線を巡る旅を予定しています.なお,出発前日の土曜日は,震災で犠牲となられた方々の追悼のために,山下りんのイコンが掲げられているという盛ハリストス正教会の晩祷に出席させていただこうと思っています.(17時から)

Thursday, 5 July 2018

松本俊介の絵を思いだした太平洋セメントの大船渡工場

本日,特別な機会を頂き,同工場の構内に立ち入り,煙突の下まで見学することができました.そこでは,蒸気を吹き出しながら回るロータリーキルンの迫力に圧倒され,また,周囲に広がる光景から,岩手県で少年時代を過ごした松本俊介の画を思い出しました.

ただ,残念ながら,同工場では,燃料として使用する産業廃棄物等の破砕に,非常に危険なタブグラインダーを屋外で使用しており,そこから弾き飛ばされ得る金属片等に対する実効性のある落下防止対策が取られておらず,個人的評価としては,安全面においては落第でした.(タブグラインダーによる事故については,本ブログのこちらのポストをご覧ください.)

なお,先日,居住中のアパートに投函された大船渡市の環境衛生課の広報紙を通じて,夏休み期間中の7月25日に希望する親子が参加する同工場の見学会が,同課によって実施されることを知り,同課の担当職員の方に,タブグラインダーが使われている可能性があるので,その場合は参加者たちに危険が及ぶことがないように適切な措置を講じるよう強くお勧めしたところ,担当職員の方は,早速,太平洋セメントに照会,タブグラインダーが使用されていることを確認してくださいました.そして,同社から,当日は,タブグラインダーを稼働させないこととを確約をいただいたとのお知らせをいただきました.今後も大船渡のために,また,三陸のために,安全第一で頑張っていただきたいと思います.

Saturday, 30 June 2018

ケルキラ島の7つの素朴な楽しみ方 (フランス語)

つい「ギリシャに負けるな,三陸 !」と心の中で叫んでしまいますが,別に張り合う必要も当然ないし,それぞれの場所を訪れる人々が,自らのペースとスタイルで楽しめば良いと思います.

Friday, 29 June 2018

大船渡に来てから,よく聴くようになった歌

明るく,元気が出る曲:
  • 明日は咲こう花咲こう
  • 虹の彼方に (Someday, over the rainbow)
    先日,リアスホールで開催され,演奏に心底陶酔したジャズコンサートで披露された一曲.
  • すべての山を登れ (Climb every mountain)
悲しく,切ない曲:
  • My Yiddishe Momme
    5月の初めに,横浜からこちらにやってきたとき,仙台で夜行高速バスから大船渡行き高速バスに乗り継ぎましたが,陸前高田で窓の外に広がる津波の爪痕を目にしたとき,この曲が頭の中で流れ続けました.
  • 長崎の鐘
    この曲も,陸前高田の奇跡の一本松の傍らに残るユースホステルの遺構を観て,高校時代を過ごした広島の原爆ドームを思いだし,聴くようになったものです.この曲は,永井隆博士の体験が歌われていますが,医師と言えば,ご近所に聖書を気仙の言葉に翻訳するという偉業を成し遂げられた山浦先生の医院があります.また,この辺りでキリスト教で思い出すのは,明治クーデター政府軍と最後の一線を交えるため,函館へと赴き,彼の地でニコライに導かれ,日本ハリストス教会の礎を築いた酒井篤礼や金成善左衛門などの旧仙台藩士たちのことです.滞在中に,金成正教会など,彼らゆかりの教会や,近隣に複数ある山下リンのイコンが所蔵されている教会を訪れてみたいと思っています.明治の津波のときも,正教会の指導者や信者の方々は,被災者のリリーフに献身的に取り組んだことが知られています.
  • 夕暮れ時はさびしそう
ところで,大船渡市や周辺の自治体では,夕方5時なると街に"Yesterday"が流れます.それは,それで別に良いのですが,この際,思い切って"Tomorrow"(" מחר")に変えてみたらどうでしょう.ヘブル語ですが... 下に,英語に訳された歌詞を書きます.イスラエルの歌とあって,やや軍国調であるのが難点ですが.(斜体字の箇所はリフレイン) そうでなければ,『虹の彼方に』は.いずれにしても,明日への希望が湧き,元気が出てくる明るい曲が流れても良いのではないかというのが,よそから移り住んでいる者の印象です.強いて夕暮れどきに向いているものと言えば,サイモンとガーファンクルの『太陽が燃えている』(The Sun Is Burning)でも,個人的に好きな曲のひとつです.(昔,筆のすさびに綴った映画の脚本もどきのラストで流れるように指定してあります.)

Tomorrow perhaps we will set sail
From the shores of Eilat ot the Ivory Coast
And on the old destroyers
Oranges will be loaded.

All this is not a yarn and not a dream
It is true as the light of noon
All this will come tomorrow, if not today
And if not tomorrow then the day after.

Tomorrow a thousand buildings will rise
And a song will hover on the terraces
And a blaze of anemones and tulips
Will burst from amongst the ruins.

Tomorrow perhaps in all the paths
A lion will lead a flock of sheep
Tomorrow a thousand clappers will bleat
In the many bells of holiday.
(旧約聖書にある天国の描写です.)

Tomorrow when soldiers put off uniforms
Alerted to other things
Then each man will use his own two hands
To build that of which he dreamed today.
(ヨルダン川西岸の植民地では困りますが...)

そして,大みそかには,"Next Year"("בשנה הבאה")を... (お世話になっている大船渡の皆さま,よそ者のほんとうに余計なお世話で,すみません.然り乍ら,父方の祖父の出身地は,同じ文化圏の気仙沼であるため,私自身は気仙クォーターであります.) この曲は,大船渡で流しても,歌詞の内容から視て全く違和感はないと思います.

Next year we will sit on the porch
and migrating birds.
Children on vacation will play catch
between the house and the fields.

You will yet see, you will yet see,
how good it will be next year. 

Red grapes will ripen till the evening,
and will be served chilled to the table.
And languid winds will carry to the crossroads
old newspapers and a cloud.

Next year we will spread out our hands
towards the radiant light.
A white heron like a light will spread her wings
and within them the sun will rise.