考えてみたら,もともと「敷居が高い」が高いという表現は,ある事柄について自らの能力や性格では実行するのに無理があると認識し,手をださないといった意味(本来は控えめ,奥ゆかしさの表現でもあります)があるので,それならば,現代の「敷居高い系」とは逆に小心翼々で何かに挑戦するのを躊躇,敬遠し,始めから自分にはできないと思い込み,周囲のそれが行える他人を理不尽にねたんで「(君は)意識高い系」と呼ぶと理解したらいかがでしょうか.ですから....
相手(悪口を言う嫌な奴)「君って意識高い系だね.」
自分「ということはxxxxさんは,敷居高い系なんですね.」
相手「え!?何,それ?」
自分「え!?xxxxさん,敷居高い系知らないんですか.意外だなー.でも,だから,僕が意識高い系に見えるんですよ.」
相手「????」
自分「そっか.xxxxさんは敷居高い系なんだ.(つまらなそうに)判りました.じゃ失礼します.」
なお,鴨居低い系は,ほぼ最初の公開版に書いた定義どおりですが,自分を過大評価する人で,すぐに何かに手を出すものの,能力,経験等に欠けているため失敗してしまうという孫子の兵法の言う「敵を知り,己を知れば百戦危うからず」など全く脳みその中に無い人のことと定義しておきましょう.
日本人全体の意識があまりにも低くなってしまったが故に,こんな言葉が流行るのかもしれませんね.困ったことです.でも,若い方は,いろいろなことに関心を持ち,他人の目など気にせず,どんなことにも挑戦していって頂きたいと思います.そうでなければ,自らの成長も社会の改良もあり得ません.
ところで,昔は何らかの共通性を持つ社会集団と看做される人々のことを'...族'と呼んでいましたが,基本的に反社会的な困った人たちという意味合いを含んでいました.最近では,そうしたあまり好ましくない意味を含む言葉を使うことに対しためらいがあるのか,'派'や'系'と言う語尾をつけて上記集団を呼ぶようになったように思えます.族は賊と同じ音を持つために否定的な意味を連想させてしまうのでしょうが,派や系は,その語自体は中立的性格を持っているようで,良い意味でも悪い意味でも用いられています.派は絵画の世界では'Rimpa(淋派) School'のように英語ではSchoolに相当しますし,系は太陽系,銀河系といったようにシステム,あるいは系列(series)に相当することはよく知られたところです.いずれも,共通性を持ち,ひとつのグループとしてくくることができる要素をまとめて呼ぶときに使われることは今更言う迄もありませんが,私たち日本人は村落共同体的な文化,思考を持つ民族として,どうしても自分や他人をひとつのグループにまとめて自らの世界観に組み込みたいと言う傾向が強いのでしょう.個人が大切にされる風土ではないのです.蛇足になりますが,血液型で性格を判断することなど,その表れの最たるものです.
面白いのは,オタクという言葉です.私自身,鉄道オタクであり汽車オタクですが,この言葉には族,派,系という語尾はつきません.恐らくオタク自体が,それらと同じ範疇の言葉なのでしょう.
また,最近,処構わずスマートフォンを使い,何かと問題の種となっている人たちのことは,今のところ'スマホ族'とは呼ばれていないようです.
ご参考迄に最初の公開版:
そういうときは,次のようにかわしましょう.
相手(悪口を言う嫌な奴)「君って意識高い系だね.」
自分「いえ,私は敷居高い系です.」
相手「え!?何,それ?」
自分「え!?xxxさん,敷居高い系知らないんですか.意識高い系なんてもう死語で誰も使いませんよ.」
相手「????」
自分「じゃ,『文七元結(ぶんしちもっとい)』って知ってますか.」
相手(首を横に振る)
自分「そうか,知らないんだ... じゃ失礼します.」
落語ファンの方ならご存知ですが,『文七元結』の中で左官の長兵衛親方が顧客である吉原の佐野槌(さのづち)の女将に呼ばれ,久しぶりに店を訪れたときのくだりで次のようなやりとりがあります.
女将「さあさあ,遠慮はいりませんよ.こっちへ入っとくれ」
長兵衛「へえ,どうも..... まことにごぶさたしておりましてね.ええ? こう.... ごぶさたしちまうってえと,敷居が鴨居になっちまいやがって.... [...]」
(恥ずかしくて.はいりづらいという表現.)
敷居高い系があるなら,鴨居低い系という言葉もあるかもしれません.前者は遠慮深い,後者はずうずうしいと言うように,とりあえず,それぞれ定義しておきましょうか.そして,軽々に使うべきではないですが,無神経で,他人に実害を与えるほどずうずうしい振る舞いをする人は,鴨居低い系と呼ぶことにしたらどうでしょうか.
相手(悪口を言う嫌な奴)「君って意識高い系だね.」
自分「ということはxxxxさんは,敷居高い系なんですね.」
相手「え!?何,それ?」
自分「え!?xxxxさん,敷居高い系知らないんですか.意外だなー.でも,だから,僕が意識高い系に見えるんですよ.」
相手「????」
自分「そっか.xxxxさんは敷居高い系なんだ.(つまらなそうに)判りました.じゃ失礼します.」
なお,鴨居低い系は,ほぼ最初の公開版に書いた定義どおりですが,自分を過大評価する人で,すぐに何かに手を出すものの,能力,経験等に欠けているため失敗してしまうという孫子の兵法の言う「敵を知り,己を知れば百戦危うからず」など全く脳みその中に無い人のことと定義しておきましょう.
日本人全体の意識があまりにも低くなってしまったが故に,こんな言葉が流行るのかもしれませんね.困ったことです.でも,若い方は,いろいろなことに関心を持ち,他人の目など気にせず,どんなことにも挑戦していって頂きたいと思います.そうでなければ,自らの成長も社会の改良もあり得ません.
ところで,昔は何らかの共通性を持つ社会集団と看做される人々のことを'...族'と呼んでいましたが,基本的に反社会的な困った人たちという意味合いを含んでいました.最近では,そうしたあまり好ましくない意味を含む言葉を使うことに対しためらいがあるのか,'派'や'系'と言う語尾をつけて上記集団を呼ぶようになったように思えます.族は賊と同じ音を持つために否定的な意味を連想させてしまうのでしょうが,派や系は,その語自体は中立的性格を持っているようで,良い意味でも悪い意味でも用いられています.派は絵画の世界では'Rimpa(淋派) School'のように英語ではSchoolに相当しますし,系は太陽系,銀河系といったようにシステム,あるいは系列(series)に相当することはよく知られたところです.いずれも,共通性を持ち,ひとつのグループとしてくくることができる要素をまとめて呼ぶときに使われることは今更言う迄もありませんが,私たち日本人は村落共同体的な文化,思考を持つ民族として,どうしても自分や他人をひとつのグループにまとめて自らの世界観に組み込みたいと言う傾向が強いのでしょう.個人が大切にされる風土ではないのです.蛇足になりますが,血液型で性格を判断することなど,その表れの最たるものです.
面白いのは,オタクという言葉です.私自身,鉄道オタクであり汽車オタクですが,この言葉には族,派,系という語尾はつきません.恐らくオタク自体が,それらと同じ範疇の言葉なのでしょう.
また,最近,処構わずスマートフォンを使い,何かと問題の種となっている人たちのことは,今のところ'スマホ族'とは呼ばれていないようです.
ご参考迄に最初の公開版:
そういうときは,次のようにかわしましょう.
相手(悪口を言う嫌な奴)「君って意識高い系だね.」
自分「いえ,私は敷居高い系です.」
相手「え!?何,それ?」
自分「え!?xxxさん,敷居高い系知らないんですか.意識高い系なんてもう死語で誰も使いませんよ.」
相手「????」
自分「じゃ,『文七元結(ぶんしちもっとい)』って知ってますか.」
相手(首を横に振る)
自分「そうか,知らないんだ... じゃ失礼します.」
落語ファンの方ならご存知ですが,『文七元結』の中で左官の長兵衛親方が顧客である吉原の佐野槌(さのづち)の女将に呼ばれ,久しぶりに店を訪れたときのくだりで次のようなやりとりがあります.
女将「さあさあ,遠慮はいりませんよ.こっちへ入っとくれ」
長兵衛「へえ,どうも..... まことにごぶさたしておりましてね.ええ? こう.... ごぶさたしちまうってえと,敷居が鴨居になっちまいやがって.... [...]」
(恥ずかしくて.はいりづらいという表現.)
敷居高い系があるなら,鴨居低い系という言葉もあるかもしれません.前者は遠慮深い,後者はずうずうしいと言うように,とりあえず,それぞれ定義しておきましょうか.そして,軽々に使うべきではないですが,無神経で,他人に実害を与えるほどずうずうしい振る舞いをする人は,鴨居低い系と呼ぶことにしたらどうでしょうか.
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