Monday, 15 July 2013

戦時下の英国を追体験 - セバーンバレー保存鉄道のイベント"Step back to the 1940's"

スイスで知り合った英国人の鉄道愛好家の方から,バーミンガムに行くのであれば,是非訪れるべきと薦められたセバーンバレー鉄道(Severn Valley Railway).そこで,毎年6月末から7月初めにかけて行われている催しですが,国全体が勝利に向かって懸命に耐えた時代を懐かしむといった堅苦しいものではなく,どこか英国人特有といえそうなユーモアを感じさせるところもあり,軍服に身を包んだ多数の参加者や居並ぶ軍用車両にもかかわらず,全体にながれる雰囲気は,むしろみんなで楽しもうという和気あいあいとしたものでした.

主催するセバーンバレー鉄道は,中部イングランドを代表する保存鉄道で,前身はグレートウェスタン鉄道の一支線.英国の保存鉄道では珍しいことではありませんが,もともと駅等の施設が時代がかっていて,しかも運行される列車がすべて蒸気機関車牽引で客車も旧型車両となると,まさに舞台設備としてはこれ以上は望めないというほどの完璧さ.

当日,滞在中のバーミンガムから乗ったChiltern Railwaysの 近郊線の列車(ボンバルディア社製の気動車)をセバーンバレー鉄道の起点であるキッダーミンスターで降り,すぐそばのセバーンバレー鉄道の同駅へ歩いて向かったのですが,駅前にはオールドタイマーやジープが並び,これから自分が足を踏み入れようとしている世界が日常とは相当異なるものであることは十分想像がつきました.それでも,窓口で一日乗車券を購入して構内に入るやいなや,その場を支配している異様な雰囲気にこれ迄経験した事のないような戸惑いを覚えざるを得ませんでした.そこは,再現などという生易しいものではなく,まさに戦時下1942年7月の英国そのものだったのです.当時,枢軸国として英国と交戦状態にあった国の人間としては,身の置き場所に困ったほどだったのですが,ほどなくその自分で勝手につくってしまった気まずさも氷解し,観客の一人として楽しく過ごせた一日でした.さらにいえば,このイベントを通じて英国人の民族性の一面にも触れることができたような気がします.その意味で貴重な経験だったと思っています.機関車の写真のキャプションに記したGWRは,Great Western Railwayの略です.セバーンバレー鉄道の機関車のほとんどが元GWR所有車両です.(WikipediaのGWRの機関車の項目へはこちらからどうぞ.)

(最後に,バーミンガムとストラトフォード・アポン・エボンを結ぶシェークスピア急行の写真も掲載します.ご笑覧ください.)

ではまず,手渡されたフライヤーから.(サイトから予めダウンロードもできました.)


キッダーミンスターの駅に向かうと駅前はこのとおり.

キッダーミンスター駅(SVR)の駅前広場にはオールドタイマーが勢揃い.



もちろん,軍用車両もぬかりなく..

Kidderminster駅の構内 1942年への時間旅行の入口

同上

Kidderminster駅の検閲所 当時はどこへ移動するにも身分証明書の検閲があったようです.

一日乗車券とともに渡されたIDカード(外側)
同上(内側)

乗り込んだ列車の牽引機は34053 Sir Keith Parkという3気筒パシフィック機(英国式表示における車輪配置は4-6-2,動輪直径は6 ft. 2 in.なのでおよそ1.89m,最高速はというとテストランの記録では116 km/h(72 mph)程度は出たようです.)

まずは機関車博物館(Engine House)のあるHighley駅で下車. 

Highley駅での英国軍との戦闘シーンのために待機中の独軍兵士(でも皆さん,ブリティッシュのようです.実際の戦闘シーンでは最初はへんなドイツ語で,そのあとは英語で号令をかけていましたので.)

中央に腰掛けている男性を除けば,ほんとうに当時に迷い込んだよう.

Highleyの機関車博物館(Engin House)のそばに展示されていた名機スピットファイアの原寸大の模型

笑顔がすてきな二人のRAFの制服姿のgentlemen. スピットファイアの前でポーズ

Highleyを出発したKidderminster行きの列車 牽引機はタンクエンジンの5643 (GWR 5600クラス:0-6-2T)

同じ5643に牽引されたBridgnorth行き列車

こちらは,Bridgnorth行き列車を牽引する5164(GWR 5101クラス:2-6-2T)

ハーレイの機関車博物館内に展示されている48773.ロイヤルエンジニアの記念機関車です.フランスで運用するため陸軍省によって発注され,1940年に製造されました.フランスがドイツの支配下に入った後,英国に一旦戻りましたが,ソ連参戦後は,イラン横断鉄道でロシアへの戦時物資輸送の任にあたりました.1942年8月9日には,らくだと衝突して脱線.その後はエジプトのスエズ運河周辺の路線で活躍しました.車輪配置は,2-8-0.
巨大な青い機関車ゴードン号.名前の由来は,General Gordon of Khartoumから.第二次世界大戦中,戦時機関車として,とにかく早く安く造られたモデル.(ドイツの52形みたいに.)ボイラーも低品質の石炭の使用を前提に設計されています.戦後は,ハンプシャーのロングムーア軍用鉄道(Longmoor Military Railway)で機関士の訓練用に使用されました.(側面のLMRの表記はそのため.)1957年のスエズ危機のときは,ロングムーアとサザンプトンの間で秘匿物資の輸送にあたりました.その後,SVRで活躍しましたが,1998年,ボイラーが故障したため,それ以降静態保存されています.車輪配置は,2-10-0(やはり,ドイツの52と同じ.)
世界記録保持車のマラード号(Type A4)を設計したグレスレイ卿(Sir Nigel Gresley)の帽子も展示されています.
グレスレイ卿の名前がつけられたA4形機関車Sir Nigel Gresleyは保存財団の所有ですが,実際の運用管理はNYMRによって行われています.なお,A4形機関車の運行については,こちらのポストをご覧下さい.

Shrewsbury College of Art & Dramaの演劇科の学生さんたちが機関車博物館内(Highley Engine House)で1940年代の歌,踊りなどを披露.さすがはプロを目指しているとあって素晴らしいパーフォーマンスでした.

Highley駅に進入するBridgnorgh行き列車 牽引機は2857(GWR 2800クラス:2-8-0)

同上

いよいよ戦闘開始
以上が,Highley駅の様子でした.次は,Bridgnorth駅へ.

Bridgnorth駅で行われていた1940年代風のコンサート(すみません.ピントが後ろに合ってしまいました.)

Highley駅で英軍と独軍との戦闘シーンのあとに演説を行ったMr Winston Churchill.Bridgnorth駅にて.

Bridgnorth駅

石炭と水をたっぷり補給してもらう7812.(GWR 7800(Manor)クラス:4-6-0)Bridgnorth駅

同上

帰りの列車の個室でご一緒したご家族のお祖父様.戦争当時の思い出話を聞かせてくださいました.話がご持参されたガスマスクに及び,ご親切にも実際に装着してみせてくださいました.そのうえ,娘さんからはお手製のスコーンまでごちそうになり,当時,日本は枢軸国であり英国とは敵同士だったのにと恐縮すると,今はもう敵ではないし,また,来年もいらっしゃいと笑顔で仰ってくださいました.加えて,たまたま同じ個室に乗り合わせていた方が相当鉄道に詳しい方だったので,いろいろとお話を伺う事ができたのも幸運でした.しかし,英国の鉄道愛好家の方たちの鉄分は冗談抜きで半端ではありません.

Kidderminsterの駅のビュフェの入口.入口に置かれた看板の文章と奥のRAFの制服の男性を見るとここも1942年で時間が止まってしまったかのよう.暑かったのでほとんどのお客さんはビールを注文していましたが,お酒がだめな私はいつものようにソフトドリンクを注文.ところで,あちこちで目にするARPとはAir Raid Precautionの略.

以下は,バーミンガムから乗ったシェークスピア急行で訪れたストラトフォード・アポン・エボンでのスナップです.(実を言うと,はるか昔ロンドン近郊の大学で英語の夏期講座を受講した折に遠足で一度訪れたことがあるのですが,そのときと比べると相当様変わりしているように思えました.)
ストラトフォード・アポン・エボン シェークスピアの生家のそばで

シェークスピアのお墓がある聖三位一体教会

市内

ストラトフォード・アポン・エボンに入線するシェークスピア急行

ストラトフォード・アポン・エボン駅

バーミンガムに向かう途中の車窓風景

バーミングアム・ムーア駅に戻ったシェークスピア急行の牽引機(旧Great Western Railway 4900 Class ,車輪配置は英国式表示で4-6-0) 気のせいか,おしなべて英国の蒸気機関車の排気音は異様に大きく聞こえます.元気が良くていいなとは思いますが.
セバーンバレー鉄道は,風光明媚な路線としてThe Times社の"BRITAIN'S SCENIC RAILWAYS"*1)でも紹介されていて,撮り鉄の方々にも推薦できる路線です.レンタカーで沿線を巡るならThe Ordnance Survey map of the area, “Landranger 138”(ISBN 0-319-22138-5)という地図がお薦めだそうです.(現地の鉄道ファンの方からの情報.)

ところで,Step back to 1940'sの催しからバーミンガムに戻る途中,何故日本はこんな国と戦ったのだろうという疑問がやたらに現実味を帯びて頭に浮かんできました.質実剛健でありながらユーモアも忘れない,そんな英国の人々.戦争自体の善悪は別として,うらやましいと思ったのは,当時,彼らはウィンストン・チャーチルというリーダーのもとに結束していたということです.同じ事は米国民とフランクリン・D・ルーズベルトとの関係についても言えますが,それに比べて日本はどうだったのか.顔の見えるリーダーの下,国民は同じ価値を共有し一丸となって戦争に臨んでいたのか,おおいに疑問です.

なお,こうした戦争当時の雰囲気を再現する催しは,例えばNorth Yorks Moors Railwayのように英国の他の保存鉄道でも開催されますが(Railway in Wartime),それを思うと,英国の人たちを理解するのは,自分にはやはり少し難しいかもしれないななどと考えてしまいます.

最後になりますが,英国の保存鉄道では基本的に転車台を備えていないため,機関車の向きの変換はありません.撮影する場合は,その点に留意する必要があります.また,ドイツとフランスの機関車の重連運転等が観られるスイスにおいても事情は同様です.以上,老婆心ながら.



*1)英国を鉄道(保存鉄道も含めて)で旅する際に役に立つ一冊.ハードカバーの大型本のため携行はできませんが,写真,地図,解説が充実していて旅行の計画を立てるときの参考書としてはもってこいの本です.(著者:Juian Holland, David Spaven; ISBN 978-0-00-747879-8).英国の保存鉄道を訪ねる旅に必携の本は,やはりなんといってもこちら.そう,毎年刊行されている"Railways Retored"です.もちろん,セバーン・バレー鉄道もしっかり紹介されています.

Wednesday, 10 July 2013

ドイツ啓蒙主義者たちの肖像 - アントン・グラフ展

スイス出身の画家アントン・グラフ(Anton Graff, 1736-1813)は,フリードリヒ大王やシラー,レッシングなどドイツや英国の啓蒙主義運動の多くの重要な人物たちの肖像がを描いたことで有名ですが,現在,彼の作品の展覧会が出身地のヴィンタートゥール(Winterthur)のオスカー・ラインハルト美術館で今年(2013年)の9月29日まで開催されています.詳しくは,こちらから(日本語版ページ).なお,会場内の説明はすべてドイツ語です.

英国で始まった啓蒙主義運動は,その後大陸へ伝わり,フランス革命(1789)にも影響を及ぼしたと言われています.そして,西洋近代市民社会の形成において,その精神的基盤を提供したとも言われています.当時の啓蒙主義者たちの国際的なネットワークの中に自らの身を置き,彼らと個人的な親交を結んだグラフの肖像画は単なる外面(res extensa)の描写に終わることなく,モデルの内面あるいは魂(res cogitans)をも含めた存在そのものを表現していると高く評価されています.古典主義,ロマン主義などと平行して18,19世紀ドイツの精神風土を形成した潮流のひとつ啓蒙主義をその国際的な文脈の中で捉えることもできる展覧会です.
AUFKLÄRUNG ist der Ausgang des Menschen aus seiner selbstverschuldeten Unmündigkeit. Unmündigkeit ist das Unvermögen, sich seines Verstandes ohne Leitung eines anderen zu bedienen. Selbstverschuldet ist diese Unmündigkeit, wenn die Ursache derselben nicht am Mangel des Verstandes, sondern der Entschließung und des Mutes liegt, sich seiner ohne Leitung eines andern zu bedienen. Sapere aude! Habe Mut, dich deines eigenen Verstandes zu bedienen! ist also der Wahlspruch der Aufklärung.
啓蒙とは人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他人の指導なしには自分の悟性を用いる能力がないことである。
 この未成年状態の原因が悟性の欠如にではなく、他人の指導がなくとも自分の悟性を用いる決意と勇気の欠如にあるなら、未成年状態の責任は本人にある。
 したがって啓蒙の標語は「あえて賢くあれ!」「自分自身の悟性を用いる勇気を持て!」である。(福田喜一郎訳,『カント全集 14』,岩波書店, 2000年, p25)
上記は,会場で目にしたイマニュエル・カントによる啓蒙("AUFKLÄRUNG")の定義.西洋近代市民が持つべき理想的な精神的姿勢と言えるでしょう.こうした考えが生まれるに至ったのは,例えば我が国などは経験することがなかった,ルネサンスにおける人間の自由意志の発見や宗教改革における既存の権威への合理的な手段を用いての実証的な批判など,過去の精神的遺産の累積があったからに他ならないでしょう.個人において未成熟性が克服されるには,長い年数とさまざまな体験が必要であるように,ひとつの国家や国民においてもそれらは必要なのでしょうね.

Friday, 21 June 2013

Trin駅で思ったこと - 日本の大衆信仰

スイスのレティカ鉄道で,プルマン編成の特別列車が運行されるというので,ライン川沿いを走るところをカメラに収めようと,いさんでTrin駅まで行って待っていたのですが,どういうわけか来ませんでした.

ところで,この駅ですが,オンデマンド停車の駅で,駅舎の半分は管理者の方の住宅のようです.そして,このお宅がまた少々変わっていて,まわりが陶器の置物や石などで飾られ,さながら小規模な屋外展示場のような雰囲気.そこでとくに目を引いたのが,下の写真に後姿が写っている黒髪の美しい妙齢のご婦人とおぼしき人物でしたが,実はこれはマネキン人形. 遠くから見ると,あたかも真の人間のように見えます.ライン川沿いの山間の駅で,まわりにほかの人家は見当たらず,草木も眠る丑水時となると何らかの怪異の舞台となってもおかしくないように,日本人としては思える場所です.そこにまさにお誂え向きのマネキン人形.しかし,こちらにお住まいの方は無頓着のようです.

列車の窓から見えた時は,人だと思ったTrin駅のマネキン人形
Trin駅の駅舎.向かって左側が管理者の方のお宅.よく見るとテラスに腰かけたマネキン人形が見える.
私たち日本人,特に私のように昭和三十年代前半生まれのものにしてみれば,このように人の形をしたものは特に霊魂のよりしろになり易いので扱いに注意が必要という考えがほとんど無意識のうちに刷り込まれてしまっています.確か,本来は儒教の思想だと思いますが,実際,我が国では,古来,人形,面などが登場する怪談が少なからず語り継がれています.しかも,そういった話は,構造的には伝統的なストーリー(能において見られるような)を踏襲しつつも舞台を現代に変えた新しいバージョンが生まれ続けているように思えます.

日本人の信仰の伝統的な形態といえば,柳田國男が言うような祖霊信仰(または,氏神信仰)や京都などの祇園祭りの由来となった御霊信仰でしょうが,そうした信仰が,地縁血縁という自然な関係により結びついた村落共同体を中心とした農耕社会から,会社などの組織の,いわば人工的な関係により結びついた共同体を中心とした工業社会への移行に伴い形を変えながらも存続し続けているわけです.

日本の伝統的大衆信仰は,また,特に最近の政治家たちの言動や行動にそれらの影を落としているように思えてなりません. 保守を標榜する政治家たちや彼らを支持する有権者たちの行動を決定しているのも,結局は,こうした信仰のようです.つまり,自然死以外の死,とりわけ無念な死を経験した死者の魂は今でもこの世に対し,大きな影響を及ぼしうる存在であり,彼らを祭り敬い,彼らの機嫌を損ねること,戦死者の場合であれば,彼らの名誉を傷つけるような言動は避け,彼らが喜ぶこと,たとえば彼らの行為を称賛する言動や行動をとることが,自国の存続と繁栄のカギであるという信仰です.こう考えると,今日の日本の政治家に見られる大衆主義(Populism)のPopuls(大衆)は,死者をも含んだものであり,場合によっては,それら死者のほうが生者よりも重要視される傾向があるといってよさそうです.そうなると,それは御霊信仰そのものです.もっとも,日本において古来,政治は祭りごとであり,こうした姿勢が至極自然なことなのかもしれません.とはいえ,こうした精神風土が変化しない限り,過去を直視することなどできるはずがありません.

結局,日本人の精神構造は,仏教伝来以来,あるいはそれ以前からまったく変わっていないのかもしれません.いずれにしても,確実に思えることは,こうした信仰が今後も引き続き世代を超えて継承され続けてゆくということです.そのために今日の大衆メディアが果たしている役割は極めて大きいといわざるを得ません.同時に,こうした今日の大衆信仰を,学術的,客観的,合理的な考察の対象としない日本の学術界の姿勢もその理由のひとつといえるでしょう.こうした環境下,日本の大衆信仰は,ひとつの整合性のある教義体系に収斂することなく,ひたすら怪異譚という形で語られるストーリーを媒体として人から人へ,そして世代から世代へと,感覚的,情緒的に伝承され,そのためそれらを聴く個々人の意識下よりはむしろ無意識に近いレベルにおいて根深く定着してしまっているといえます.

そういえばと,思い出したのが下の写真ですが,ご覧いただいてどう思われるでしょうか.
デジタルカメラではそれほど珍しい事象ではないと思うのですが,SDカードが一杯になりかけていたので,それまで保存していた画像を削除した際,フォーマットをしなかったせいか,以前のデータが残っていたようで,なぜかこの写真に写りこんでしまったようです.白みがかった部分が削除されずに残ってしまった画像で,以前,自宅の近所で撮影した墓地の写真なのですが,これも含めてすべてのデータを削除したのにも拘わらず,なぜ,この墓地の写真のデータだけが写りこんでしまったのか,頭では偶然に過ぎないと思いつつも,一瞬とはいえ,ふと,何か尋常ではない超自然的な力が働いてしまったのではないかと考えてしまった自分に気づくのです.ちなみに下がたまたま同じ構図で撮影した写真です.場所は,ドイツ,ドレスデン中央駅17番線ホームです.
心霊関係の話は,以上にして,厄落としというわけではないのですが,Trinで撮影した写真を以下に載せます.でも,確か,蝶々も,古来,人の魂の化体といった信仰がありますね.
結局来なかった特別列車を空しく待っていたあいだに目にしたアゲハチョウ.
中央に止まっているのはモンシロチョウでしょうか.

Thursday, 20 June 2013

真夏のヨーロッパ,鉄道旅行で気をつけたいこと


6月19日付電子版シュピーゲル誌”Bahn-Probleme mit Klimaanlagen: "Herr Schaffner, neuen Aufguss bitte!"”より

5月の豪雨からやっと解放されたと思ったら,今度は真夏の猛暑に見舞われているヨーロッパですが, ドイツ鉄道のICEの空調設備の故障が問題となっています.数年前からかなり頻繁に発生しているたようで,ドイツ鉄道は車内温度の上昇により被害を受けた数千人もの利用者に対し賠償金を支払ったそうです.そして,今年もすでにICEの利用者の間では,ツイッターなどを通して情報交換が行われているようで,それによると,例えば18日火曜日にDüsseldorfからWiesbadenへ向かったICE1652では,空調の故障により車内は完全にサウナ状態だったとのこと. この日,同様の問題が発生したのは,ドイツ鉄道によるとOberstdorf-Hannover間, Stuttgart-Hamburg間, Bratislava-Binz間, Villach-Hamburg間, München-Berlin間,Graz-Saarbrücken間を走行するICEおよびEC(Eurocity)だったようで,それらは運行は中止され,乗客は他の列車に乗り換えたそうです.なぜ,火曜日に集中して複数の列車の空調が故障したか原因は不明とのことですが,これを伝えたドイツ鉄道の担当者は,1400本もの列車のうち,7本に空調の故障が発生しても,技術的許容範囲に含まれるので問題はないという見解を示しています.とはいえ,ドイツ鉄道としては,今後,同様の問題の発生を防ぐため,ICE車両の空調の改良を進めており,すでにICE-2においては完了,ICE TおよびICE 3においても順次進めてゆく方針のようです.

記事では,最後にツイッターから拾った数件の事例を紹介していますが,そのなかには,空調が故障して車内の気温が上昇したため,多くの乗客たちが食堂車(Bordrestaurant)に詰めかけたものの,突然レジが閉鎖され,飲み物を購入することができなくなったという報告がありました.

高速で快適なICEですが,猛暑が予想されるこの夏,利用するときは十分に注意する必要がありそうです. 

緑陰の中,渓流に沿って進むWeisseritztalbahnのSL列車.こちらは空調無しでもまったく問題はありません.

Sunday, 9 June 2013

Wälderbähnle,SL故障

オーストリア,フォアアルベルグ州の狭軌鉄道Wälderbähnleでは,通常,土曜日にはSL列車が運行されますが,先週の土曜日の運行の際にSLに発生した故障により,今日はディーゼルロコが代替機として牽引しました.*1)







Schwarzenbergの駅に行くには,Dornbirn駅から38系統のバスSchwarzenberg in Vlbg Dorfplatz行きを使うのがお奨めです.州道48号線(L48)を走るこの路線は峠を越える際の景色がとりわけ美しく,遥か彼方にボーデン湖を見ることができます.(進行方向左側の席に掛けましょう.)なお,終点のSchwarzenberg in Vlbg Dorfplatz(一番上の写真)から駅までは歩いても行けますが,同停留所でEggから来る35系統Bezau Busbahnhof行きに乗り換えて,二停留所目のRitterで降りれば歩いて1分もかかりません.料金は,Dornbirn駅からSchwarzenbergまで当日中なら往復できる一日乗車券(Tageskarte nach Schwarzenberg)が6.20ユーロで,乗車時に運転手さんから,または駅(窓口or自動券売機)で購入します.バスの時刻表へのアクセスはこちらから.

上掲の写真+αを掲載したアルバムへのアクセスはこちらからどうぞ.

*1) Facebookに詳しい情報が記載されているかもしれません.アカウントをお持ちの方は,ご参照されるとよろしいでしょう.

Friday, 7 June 2013

夕暮れの村(I)

美しい夕暮れに惹かれてカメラ片手に村内を散歩.以下,そのときに撮影した写真のなかから.

昨日と今日の温度の上昇で山頂付近の雪がかなり溶けたファルクニス
小学校の校舎の塔 夕日が当たって風情を感じたので

小学校のそばの街頭水道 要するに水飲み場
奥に見える塔は,フロイデンベルグ城址公園の一部
ドルフバードで村の吹奏楽団の演奏が行われていました.ファサードの時計は正確です.

上の写真は,3枚目を除き,すべてBad Ragazの駅前通り(Bahnhofstrasse)で撮影したものです.(3枚目は,Kirchgasseで撮影)

Thursday, 6 June 2013

エルベ川の水位変化を示す地図(毎日更新)

5日付のドイツ紙Hamburger Morgenpostの記事Dresden bereitet sich auf Evakuierungen vor(電子版)によると,現在もザクセン地方において歴史的高水位が続いているエルベ川ですが,国境に近いドレスデンの東地区では,住民を避難させる必要性も出てきているようです.

記事によると,5日朝の時点でドレスデンにおけるエルベ川の水位は8.27mで,通常の2mの4倍以上.今後の水位は,チェチェンからザクセンへ流れる水量によるとのこと.

エルベ川の水位変化を示す地図はこちらから.
(地図上の赤い三角マークをクリックすると当該の地域におけるエルベ川の水位の変化が示されます.)

さらに詳しい情報は,下記URLのサイトをご覧ください.
www.pegelonline.wsv.de

上記サイト内のドイツ全体の状況を示した地図へはこちらから.(地図上の青色の点が河川の高水位を表しています.)

同様の情報は,meinestadt.deからも提供されており,州ごとの状況が示されています.(リンク先は,バイエルン州の水位情報のページですが,ページの下に各州ごとの水位情報へのリンクが記載されています.)

また,ドレスデン市内の各地の交通の状況を示すライブカメラの映像は,VVO(Verkehrsverbund Oberelbe)のサイトで確認が可能です.市交通局の市電やバスの運行に関する詳しい情報は,こちらからどうぞ.

さらに,ドイツ鉄道の河川の氾濫による運行への影響についての情報は,こちらからどうぞ.(地図上の当該の州をクリックしてください.濃い色で表示された州において運行への影響が出ています.)

なお,先ほど(6日19:30)スイスSRFの夜のニュースを視ましたが,エルベ川の水位はこの週末さらに上昇することが予想されているようです.

下の映像は,6日19:33に南ドイツ紙のサイトに掲載されたもので,Elster, Maissen, Passauの状況を伝えています.(画像をクリックすると再生が始まります.)

Schellenursliの舞台Guarda

天気が良くなったので,突然思いついてGuardaに行ってきました.

My Switzerland.comには以下の説明が載っています.

Guarda in the Lower Engadine is so beautiful a village that it was awarded the Wakker Prize. It also received the distinction "Of national importance". One of its stately houses inspired Alois Carigiet when he drew the home of Schellenursli.

1945年に出版された,カリジエ(Alois Carigiet)が絵を担当した絵本"Schellenursli"(『ウルスリのすず』)における主人公Ursliの家のモデルとなった建物がある(あるいは,あった?)そうです.



上掲のものも含め撮影した写真をこちらに載せましたので,ご興味がありましたらご覧ください.

なお,昼食はHotel Restauran Meisserの展望テラスで, 名物のMalunsを頂きました.添えられていたアップルムースも,今回はなぜか抵抗なく味わうことができました.(いつもは苦手なのですが.)そして,やはり添えられていたBergkäseとの相性も抜群でした.

ところで,カリジェについては,気になることがひとつあります.それは,彼が1969年に描いた故郷トルンの老人ホーム聖マルティンの家(Casa s. Martin)の礼拝堂の壁を飾るキリストの受難画(Kreuzweg)の中の磔刑図です.このような受難画のシリーズは,カトリックの教会では珍しくはないのですが,彼の描いた磔刑図ほどむごたらしいものを見たことはありません.画面の右には,自らの顔の下で両手を開き,殺された息子に驚きの眼差しを向ける母マリアと彼女を支える聖ヨハネが描かれ,左には十字架上の目を閉じ,頭を90度下に曲げ,全身に血潮が滴っているキリストが描かれているのですが,その血の流れ方がとても正確に描かれているのです.彼の両手は十字架の水平方向の木材に釘で打ち付けられていますが,その打ち込まれている場所が手のひらではなく,手首であり(手のひらでは体重を支えきれないといわれています.),そこから血が幾条もの線となって彼の腕を伝って落ちています.そして,この絵に強烈なむごたらしさを与えている,彼の右脇腹に突き刺さったままの槍の傷から滴り落ちる血も,その槍を赤く染め,また,太ももから膝へと流れています.つまり,タッチはあくまでも我々が親しんでいる彼独特のタッチなのですが,対象の描き形があまりにも現実的であり,そのため,現実に起こり得た出来事としての説得力を持って見るものに迫ってくるのです.彼が描く美しい自然と可愛らしい子供たち,また,やさしい大人たちや動物たちが暮らす世界しか知らなかった私にとって,数年前のこの磔刑図との出会いは鮮烈な体験でした.カリジェがどのような意図でこの画を描いたのか,できれば知りたいと思っています.少なくとも,彼が最高の画家と讃え,その作品から多くのを学んだというジョルジュ・ルオーのキリスト像とは相当異なっています.ひとつ思い当たるのが,彼が語ったという,自分の絵画は"narrative art"であるという言葉です.つまり,彼は自らの終の住まいとして戻った故郷トルンの礼拝堂を飾るためにキリストの受難のストーリーを,既存の描き方から離れ,自らが理解する通りに筆と絵の具を用いて徹底的に「物語」ったのではないかのではないか,そのように思えるのです.*1) 言わば,彼の絵画による信仰告白ともいえるかもしれません.



*1) 1962年,彼がチューリヒで行った講演の際の言葉.cf. Wikipediaの解説

Tuesday, 4 June 2013

ハイジの国の新しい仲間 - Ein neugeborgener Bürger von Heidiland

洪水の懸念も遠のき,久しぶりに青空が戻ってきたので,ギーセン池へ行き白鳥の赤ちゃんを見に行きました.小さいくせに,なかなか演技力があります.

少々多めに写真を載せましたが,ウェブアルバムへはこちらからどうぞ.

Für den Zugang zum Webgallary "Swans in Giessen See", bitte hier klicken.


上掲のアルバムでは,やはり写真が多すぎるので,少し減らしたバージョンがこちらです.たまたまスライドショーで再生させて,バックにダ・カーポの『野に咲く花のように』を流してみたところ,ちょうど途中の山の写真のあたりで曲が終わりました.

Sunday, 2 June 2013

五月雨に祟られたスイス

このところのまとまった雨によって,各地で洪水の恐れが懸念されているスイスですが,先日,知り合いの奥さんから,彼女のご主人が経営している会社の女性社員から教えてもらったという笑い話を伺いましたが,それを以下に引用しました.(Facebookで流れているようです.)

Es regnet seit Tagen Mein Mann ist deprimiert und guckt ständig durchs Fenster Befürchte wenn es weiter regnet dass ich ihn reinlassen muss

(数日来の雨で夫は気を病んでしまい窓を見続けている.このまま降り続いたら,彼を(家の)中に入れてやらなければならなくなるのではないかと心配している.)

こんな小噺を交換しあったりしないとやってられないのでしょうね.なにしろ,スイスの気象観測史上,これほどまで日照時間が少なかった5月というは初めてといいますから.そんなわけで,ここバード・ラガーツも雨の日曜日です.


SF METEO

Sunday, 12 May 2013

スイスSLデー報告  - リュムリンゲンの石造鉄道橋を渡る141 R 1244他

昨日の母の日にシサッハ(Sissach)で開催されたスイスSLデー(Schweizer Dampftage)というイベントの報告です.(開催期間は,9日から12日)

当日は,滞在しているバード・ラガーツを7時32分の列車で出発.チューリヒとオルテンで乗り換え,まずは,石造りの鉄道橋のあるリュムリンゲン(Rümlingen)に向かいました.シザッハ,オルテン間は,トンネルを含む幹線と地方路線のS9が通っていますが,リュムリンゲンは,S9線の駅です.そして,このイベントの開催期間中運行されたSL列車は,このS9線を往復しました.

出発したときから空には重く雲が垂れ込めていましたが,現地に着いたときは案の定,小雨が降りだしました.それでも,なんとかオルテン発のSL列車を捉えることができました.(下の写真)前補機は,141 R 1244,主務機は64 518でした.

オルテン,シサッハ共に転車台がないため,機関車の向きは上り下りで変わりません.
141 R 1244は,形式表示から判るようにミカド機です.二気筒で動輪直径は1650mm,最大速度は100km/hです.
主務機の64のUIC表記で1'C1' h2t.動輪直径は1500mm,最大速度は90km/h.(Wikipediaより)
以下は,その後向かったシサッハの駅および機関区で撮影したものです.141R1244を近くで見たとき,車輪がボックスタイプと知って僅かながら興ざめしましたが,それでも見ているうちに,なんとなく全体の雰囲気にマッチしているような気がしてきました.

Wednesday, 8 May 2013

バード・ラガーツ便り - ギーセン池の水鳥

先月23日にこちらに着いて以来,天気が良かったはほんの数日のみで,あとはほとんど曇りか小雨が続いたのですが,今日は久しぶりの快晴だったので,午前中はバード・プフェッファーズに出かけました.

朝のうちは,タミナ峡谷に差し込む日差しはわずかですが,11時ごろになると太陽が高く昇ってくるので,峡谷全体が明るくなります.

下は,数日前にギーセン池(Giessen See)で撮影した水鳥の写真です.






以下は,同日,隣村のマイエンフェルトまで足を伸ばしたときに撮影したものです.





そして,バード・ラガーツに戻って.


以下の四枚は,今朝,プフェッファーズまで散歩に出かけた折に撮影したもの.





本日,撮影したそのほかの写真も併せて,こちらのアルバムに載せましたので,ご興味がありましたらご覧ください.(何分,素人の撮影なものでご容赦を.)

Saturday, 20 April 2013

ドイツ語に慣れるためのヒント(その2)- 博物館へ行きましょう!

研修の際にもご案内しましたが,各地の各分野における博物館を訪ねるのもドイツ語学習の良い方法だと思っています.というのも,ヨーロッパの博物館で,それなりの規模を持つものでは通常学芸員たちが展示場内に常駐しており,見学者の質問に丁寧に答えてくれるからです.個人的な経験から申しますと,そうした学芸員の方達はいつもとても親切で,自分のほうから「何か質問はありませんか」と声をかけてくださいます.そして,展示物の説明がドイツ語でしか無い場合,英語の音声ガイドや英語の説明(場合によっては日本語のものも)が記されたカードが備えられていることが多いですが,もちろん,そうしたことも案内してくれます.(あまりそれらに頼っていてはドイツ語の勉強にはなりませんが.)

そうした博物館での忘れられない思い出は,今から20年程前の冬,旧東ドイツのチューリンゲン地方を旅したときの経験です.Wittenberg,あるいはEislebenのどちらかだったと思いますが,郷土史博物館を訪れました.そのときの見学者は私ひとりだけ.片方の足がやや不自由そうな小柄な女性の学芸員の方が迎えてくれたのですが,彼女は,私が見学する間ずっとそばに付き添ってくれて,私が関心を示す展示物についてその都度詳しい説明をしてくれたのです.当時の私にしてみれば,それは歴史を通じたドイツ語の個人授業でした.最後に,お礼を言って,ポケットの中から2マルクほど小銭を取り出して渡そうとすると,驚いたような様子で決して受け取ろうとはしませんでした.1991年,東西ドイツの再統一の二年ほど後のことでした.

以下に役に立ちそうなリンクを紹介しておきます.
  • ドイツは,メカ好きの人にとっては天国ですが,今回,研修に参加して頂いた皆さんが関心をお持ちになりそうなものというと,お仕事柄やはり自動車博物館でしょうか.ドイツ国内に存在する自動車博物館のリストが紹介されているサイトへはこちらから.例えば,シュツットガルトには,Auwärter MuseumMercedes-Benz MuseumPorsche Automobilmuseumなどがあります.加えて,ミュンヒェンのBMW博物館のサイトへはこちらから.
  • 首都ベルリンには,ドイツ技術博物館がありますが,こちらは,航空機,鉄道,自動車,船舶,写真と多岐にわたる展示を誇ります.なお,戦前,ベルリンにはDeutsche Luftfahrt Sammlungという,初期からの航空機の歴史を一度に振り返る事ができる博物館が存在し,120機余りの貴重なマシンが展示されていましたが,そのほとんどは戦争によって破壊されるか,消失し,そのうちの20機ほどがポーランドのKrakowieのポーランド航空博物館に展示されています. ドイツ技術博物館としては,そのうちの一部の返還を交渉中とのことです.そのほか,天文ファンの方には,カールツァイスのプラネタリウムなどもお勧めしたい施設です.
  • 研修でご紹介したドイツワイン街道の中心ノイシュタットのワイン博物館のサイトへはこちらから.(日本語の冊子もダウンロード可能です.) そして,ワイン街道沿いで試飲が出来る施設のリストへのアクセスはこちらから.そのほか,ワインヤードのオーナーになって,そこでできたワインを自分の名前が記されたボトルに詰めてもらえるというサービスもあります.詳しくは,こちらをご覧下さい.
赴任されてから博物館を訪れることが出来るゆとりをお持ちになれる迄暫くかかるとは思いますが,上記の情報がお役に立てば幸いです.

Thursday, 11 April 2013

"Westwind",近年久々に観る素晴らしい映画でした!

仏独協力条約(エリゼー条約)締結50周年の今年は,それに因んだ催しが仏独両国の様々な分野に於いて開催されていますが,数年前から映画界でもそれに応える形でいくつかの名作が制作されました.例えば,日本でも公開された"Barbara"(邦題『東ベルリンから来た女』,2012年,ドイツ)は,フランスで最も多くの人が観たドイツ映画だったそうです.ほかにも,"Wunderkinder"(邦題『いのちをつないだバイオリン』,2011年,ドイツ)などもそのうちに数えられるでしょう.

そして,最近,ARTEで放送された"Westwind"(邦題不明)ですが,敢えて個人的な評価を申すならば,上記二本よりさらに上位に置きたい作品です.

内容は実話に基づいており,1988年の夏,東ドイツの17歳の姉妹ドレーンとイザは,スィープ競技のペア.ベルリンで開催される大会目指して,ハンガリーのバラトン湖のキャンプで練習に励みますが,ふとしたことで知り合った西ドイツの若者たちと関係を深めて行き,やがて命がけの決断へと進んで行くといったもの.

フランス語版とドイツ語版のみですが,ARTE+7上で鑑賞できます.(本ブロクの右側のガジェット「ARTE+7から」にも『西からの風』という題名をつけて当該映画へのリンクを掲載いたしました.日本時間明後日4月13日未明午前4:30迄無料視聴が可能です.また,ヨーロッパにお住まいの場合,新たに始まったARTEのvoサービスで字幕付きで鑑賞出来る場合があります.詳しくは,こちらをご参照ください.)

以下,"Westwind"のデータです.

出演:Friederike Becht, Luise Heyer, Franz Dinda他
監督:Robert Thalheim
音楽:Christian Conrad
制作:2011年,Laokoon Film(ハンガリー),ZDF/Das kleine Fernsehspiel(ドイツ第二放送)合作,ARTE Cinepostproduction協力
公開:2012年3月30日
時間:90分

* Amazon.deなどで購入出来るDVDは,英語の字幕付きです.

Sunday, 7 April 2013

70歳の誕生日を迎えた《星の王子様》

2013年4月6日は,1943年の同日に世界で最初に『星の王子様』が出版されてから丁度70年目にあたります.出版されたのは,当時,作者サンテグジュペリが暮らしていたニューヨーク.これまで,日本も含め200を超える言語に翻訳され,世界のベストセラーのうちの一冊です.

多くのファンを持つこの作品の魅力はどこにあるのか,それに対する答えは読者の数だけあるでしょう.ただ,作品の献辞には以下のように書かれています.
«A Léon Werth quand il était petit garçon»
だれもが,無限の可能性を宿していた子供時代.実は,そのときの可能性は大人になってからも存在し続けている,それを忘れないで欲しい.彼のこの言葉を読むと,そんなふうに理解する事もできそうです.そして,それが,決して子供時代への退行や逃避を促すものではなく,新しい世界を開拓する人間の無限の可能性を確信させるものであることは,彼の生涯を見ても明らかであるように思うのです.(本ブログ上の関連ポスト

(2013年4月5日付SRFのニュースサイトに掲載された記事"«Der Kleine Prinz» wird 70: Ein Liebes-Erklärungsversuch"より.)

以上の記事を読んで,先日ご紹介したドイツ連邦議会の議長によって引用されたカミュの言葉を思い出しました.
"L'homme n'est rien en lui-même. Il n'est qu'une chance infinie. Mais il est le responsable infini de cette chance."
「 人間は,それ自体,無に等しい存在だ.彼は,単に無限の可能性でしかないのだ.しかし,彼はこの幸運に対する無限の責任を負っているのだ.」
サンテグジュペリの生涯と作品を紹介しているサイトへのアクセスはこちらからどうぞ.

Thursday, 4 April 2013

世界最長,スイスの新ゴッタルドトンネルでまもなく列車の試験走行開始

2010年の東坑の開通に続き,翌年の西坑の開通により世界最長となったスイスの新ゴッタルドトンネル(Gotthard - Basistunnel).やがて南北スイスのみならず,南北ヨーロッパを結ぶこの大動脈の長さは,それまで首位の座に着いていた青函トンネルの54kmより3km長い57kmです.ところで,青函トンネルの海底部の長さは23kmですが,海底トンネルとして最も長いのは英国とフランスを結ぶユーロトンネルの38kmだそうです.

新ゴッタルドトンネルの利用開始は早くて2016年の予定ですが,今年の12月から西坑の南坑口から16kmの区間(Faido - Bodio間)において,時速230kmでの列車の走行試験が始まります.

以上のことを書くと,「スイスのトンネルが世界最長になるのは判ったけど,それは地下鉄も含めてのことなの?」といった質問が,春日三球師匠から寄せられそうですが,確かに,地下鉄の地下における走行区間もトンネルと呼ばれます.(cf. The Visual Dictionary)従って,それも含めると事情は一転,世界で最も長いトンネルは上海の地下鉄路線網の440kmということになります.また,同一の路線としての最長記録保持者も,やはり中国の地下鉄路線で,広州市の三号線(67km)だそうです.

三球師匠,以上の説明で夜十分にお休みいただけますでしょうか.

(2013年4月2日付電子版SRFニュース"Welches ist der längste Tunnel der Welt?", 同電子版Neue Luzerner Zeitung"Hier brausen ab Dezember Züge durch den Tunnel"より)


* 本文中の春日三球師匠のお名前は,社団法人漫才協会を通じてご本人のご了承をいただいた上で使用しています.

ザクセン - アンハルトの保存鉄道

毎年,4月30日から5月1日の夜*1) ,魔女たちが集うと言われるブロッケン山は,北ドイツの最高峰.この山を含むハルツの山岳地帯は登山者のみならず,鉄道マニアのメッカでもあります.以下,近郊のものも含めて,主な保存鉄道や関連施設をご紹介します.
  •  シュタスフルト鉄道博物館(鉄道友の会が運営.転車台を中心にした扇形機関庫に41形などの貨物用機関車が動態保存されており,それらが牽引するイベント列車も運行されます.)
  • ゼルケタール鉄道(ユネスコ世界遺産のQuedlinburg - Eisfelder Talmühle間.途中のStiegeから盲腸線がHasselfeldeまで伸びています.機関車は,狭軌用の可愛らしいタンク機の99 5906(1918年製造)と99 6001(1939年製造)という,かなり年が離れた姉妹.)
  • ハルツクエール鉄道(Wernigerode - Nordhausen間の60km.ハルツの変化に富んだ風景を存分に楽しませてくれます.)
  • ブロッケン鉄道(ハルツの保存鉄道の中で最も有名な路線.標高543mに位置するDrei Annen Hohneから1,142mのブロッン山の頂上迄,99 723(1'E1' h2t)などのたくましいマシンが粘着力だけで列車を牽引しています.1896年に開業したこの路線は,大戦後,ソビエトの占領下にあったこの地域にソ連軍兵士や物資を移動するためにも利用されました.)
 *上記3路線は,いずれもハルツ狭軌鉄道に所属しています.(ハルツ狭軌鉄道友の会のサイトへはこちらから.)
  • リューベランド鉄道(こちらは標準軌.5月から10月の間,95 027(1'E1' h2)が牽引する列車がBlankenburug - Rübeland間に運行されます.)

なお,以上の各路線が一目で判る路線図が,ゼルケタール鉄道のサイトに掲載されています. →Übersichtskarte zum Streckennetz(左側のナビゲーションバーのStrecke → Karte Streckennetzをクリックしてください.)

軽快なブラスト音を聞きながらハルツの美しい山並みや世界遺産の町並みを楽しんだ後,もし時間が許すなら,締めとして,少し足を伸ばしてHalleのDB鉄道博物館の見学は如何でしょうか.さらに,動態保存のSLが所蔵されている博物館がお目当てならば,さらにザクセンまで足を伸ばされるのも一興です.特にお薦めしたいのは,ドレスデン鉄道博物館ですが,3両の52形初め多くの機関車や客車が保存されているライプチヒ鉄道博物館も一見の価値がある施設です.(ところで,ライプチヒの駅構内の本屋さんの鉄道コーナーは面積も広く,所狭しと居並ぶ鉄道関連書籍の数には圧倒されます.)

Allzeit gute Reise!

(以下は,近郊のゴスラーで撮影した写真.世界遺産に指定された鉱山跡ではガイド付きで坑内の見学が出来ます.)





*1) 5月1日で思い出されたのは,ブラム・ストーカーの名作『ドラキュラ』の冒頭,主人公の法律家ジョナサン・ハーカーがドラキュラ伯爵の居城へ赴く前日に投宿したGolden Krone Hotelでの一場面. 翌日の朝,宿の老婦人から,その日は聖ジョージの日の前日(the eve of St. George's Day)であり,深夜午前零時の鐘が鳴ると同時に世界中の魔性が自由に活動するので出発は見合わせた方が良いと説得されていましたが,確認したら,彼が出発しようとしていたのは,5月4日でした.つまり,聖ジョージの日は5月5日だったのですね.(時差を無視すれば,)日本では子供の日の午前零時が恐ろしい逢魔が時ということになります.(cf. Bram Stoker "DRACULA"(A Longman Cultural Edition edited by Andrew Elfenbein), Boston, New York et al., 2011, Longman, pp8f)

Tuesday, 2 April 2013

エチオピアで米生産に乗り出したインド資本が米の国際価格を支配する日

彼の名前は,Mr. Ram Karuturi.インドのバンガロール出身,Karuturi Global Ltd.の最高経営責任者で,エチオピアに進出した外国人ビジネスマンの中で最も成功を収めていると言われている人物です.1995年のバレンタインデーに,妻に贈るバラが手に入らなかったことがきっかけで始めたバラの栽培をより大規模に行いたいと,2004年,妻を連れてエチオピアに移住.その事業は順調に成長し,まもなくケニアに新しいバラ農園が完成し,そこの生産量も含めると,世界一のバラの生産業者となるそうです.

彼は,今,エチオピアのガンベラ州に米の一大生産地を造ることを計画していて,韓国のサムスン電気やインドの投資家たちに,彼の新たな事業への投資を呼びかけています.エチオピア政府から80年の賃貸契約で確保した耕作予定地は,長さ78km,幅40kmという広大なもの.そこで数年のうちに米の栽培を開始し,2010年には300万トンもの生産が可能になるといいます.仮にこの計画が実現した場合,現在の米の国際取引量は2,500万トンですから,Karuturi氏の会社が生産する米の量は,実にその10%以上になります.それが国際市場で売買されれば,当然,米の国際価格に大きな影響を及ぼすことになるでしょう.彼はまた,パーム油の生産にも乗り出す予定だそうですが,これらの耕作地を「緑の黄金」("Green gold")と呼ぶその言葉にもうなづけます.

現在,エチオピア政府は,海外資本が会社を設立する場合,その手続きが4時間程度で済んでしまうと言われる程,積極的にそれらを誘致する政策を推し進めています.エチオピアで事業を始める外国人実業家は,必要な機材を無税で持ち込むことができ,また,事業を始めてからの数年間,収益への課税は免除されます.こうした政策が功を奏したのか,今や,エチオピアは,年率7%という,アフリカでも有数の経済成長率を誇る国へと変身し,首都アジスアベバは,町全体が巨大な工事現場と思える程,建築ラッシュに沸いています.そして,Karuturi氏のように土地を必要とする事業者には,政府は信じられないよな好条件で土地を提供しています.例えば,同氏は上述の米の耕作予定地の他にも,エチオピアの別の地域に11,000ヘクタールの土地を政府から借り受けていますが,期間が80年というその賃貸契約における借地料は1ヘクタールあたり年間10ドル,しかも最初の6年間は無償です.

エチオピアというと,世界で最も貧しい国の一つであり,飢餓の問題が重く国民にのしかかっているというのが,これまで私たちがこの国に対して抱いていたイメージですが,今や,それは時代遅れのものとなってしまったのでしょうか.残念ながら答えは否です.飢餓は,現在も国民の多くを苛み続けていて,しかもさらに深刻度を増しているのです.2009年,世界食料計画はエチオピアで飢餓に苦しむ1,300万人に対し,食料支援を実施しましたが,もちろん問題の解決には至りませんでした.国民を十分に養えるだけの耕作可能地があるにも拘らず,今だに多くの人々が十分な食物を得る事ができないでいる.そうした状況を一層深刻化させているのが,実は,上述したような外国人の農業事業者への政府の土地提供なのです.この,あまりにも気前が良すぎるように思える政策ですが,それが現政権の積極的な開発政策の一環であることも事実ですが,それが可能なのは,国土のすべてを政府が所有しているからに他なりません.1970年代から80年代にかけての社会主義独裁政権の遺産と呼べるこの状況は,そのまま,同じく一党独裁の現政権に受け継がれているのです.

エチオピアの人口の80%は,農民と言われています.そして,耕作に利用されているのは国土の20%.多くの農民たちは,政府所有の土地のわずかな面積を無許可で利用し,生活の糧を得ています.土地の所有権が認められていないのですから,政府が外国企業に,そうした農民たちが利用している土地を提供しても,彼らは抗議する事もできません.土地摂収に対し,反抗した農民たちが警察により留置所に入れられた例もあります.中には土地に加えて,唯一の水源である川も外国資本の手にわたってしまい,飲み水さえ確保できなくなった村落も存在します.こうした状況に追い込まれた農家の人々に残された選択肢は,二つ.国外に逃れるか,あるいは進出して来た外国企業に直接雇用されるか,または,その下請け業者に間接的に雇用されるかのどちらかです.前者の実行には,まとまった資金が必要であり,後者の場合も,仮に雇用されたとしてもほとんどが日雇いです.

過去において,政府による外国資本への土地提供が民衆の暴動へと発展した例があります.2008年末,マダガスカルでそれは起こりました.政府が秘密裏に韓国の大宇グループに1,003,000ヘクタールという,この国の耕作地のほぼ半分もの土地を提供するという契約を後者との間に締結したことを知った住民たちは野党とともに抗議活動を開始,鎮圧しようとする軍隊との衝突では約10名の死者と多くの負傷者が出ました.やがて,軍隊が野党側に付いたことで事態は終結.大宇グループとの密約は廃棄され,大統領は国外に亡命するという事態に至ったのです.(このスキャンダルを明るみに出したのは,英Financial Times紙のJavier Blas記者.)韓国も日本同様,必要な食料を海外からの輸入に頼っている国のひとつであり,2007年末から2008年初めにかけての世界的食料不足の折,アルゼンチンやベトナムなどの一次農産物の輸出国が自国の食料確保のために輸出禁止策を講じたことをきっかけに食料生産地を積極的に海外に探すようになったという事情がありました.同様のことは,最近では,サウジ・アラビアなどの湾岸産油国によっても行なわれており,これらの国は特にエチオピアなどの東アフリカ諸国に対して互恵的な関係構築を提案していて,後者に対し,インフラ整備や技術支援,雇用の創出などを約束し,その見返りに自国の食料を生産する土地の提供や,そのために進出する企業に対する税制面での優遇措置を求めています.

外国資本による耕作地の確保およびそこでの農業経営は,アフリカに限ったことではありません.現在,世界の大部分がその対象となりつつあります.例えば,南米のウルグアイもそのうちのひとつです.今や,この国にも外国資本が進出し,広大な耕作地で大豆や食肉牛の生産が行われていますが,過去10年間に外国企業が取得した面積は,国土のほぼ1/3に相当します.ウルグアイの若い農学研究者のGabriel Oyhantçabal氏は,こうした状況が,一次農産物である大豆を輸出し,大豆製品を輸入するという,今日のウルグアイのパラドックスを生み出していると指摘しています.基本的に,外国企業が生産する農産物は輸出を目的としたものだからです.Oyhantçabal氏は,また,これらの企業は雇用の創出を謳い文句にやってくるが,実際にそうした効果があったかは確認出来ないと言っています.

ところで,効率化が至上命題であるこうした外国企業が生産するのは,干ばつなどに強いMGO作物(もともと南米で栽培されている農産物のほとんどすべてはMGO)や成長が早いハイブリッド種の食肉牛です.このような農業経営,すなわち,MGO作物の植え付け,化学肥料の大量使用,そして効率化のための機械による化石燃料の大量消費というビジネスモデルが,小規模農家の経営を破綻させ,生物の多様性を脅かし,ひいては今日の食料危機を招いていると訴えているのが,NGO Grainです.また,同団体のDevlin Kuyek氏によると,農地を使った投機のために使われた資金は,2000年の50億ドルから2007年の1750億ドルへと急増し,それが農産物の国際価格の変動や高騰を招いているといいます.いつまた崩壊するか判らない株式市場を離れた世界の投資資金は,新たな投資先としてより確実で巨大な収益を得られる可能性を秘めていると目される農業へとその対象を移したのです.

最後に,世界食料計画によると,飢饉に苦しむ貧困国の小規模農家の経営を近代化させ,彼らが健康的な生活が営めるようにするために必要な支援金の額は,年間300億ドルだそうですが,これは,世界の軍事予算の2.5%に相当する額です.しかし,今日,豊かな国の中でそうした支援を行う国はありません.

(以上は,ARTEによって3月26日に放送された"Planet à vendre"の内容の一部を再構成したものです.余談になりますが,リポートで取り上げられたKeruturi氏の様子を視ながら,同じくARTEによって先日放送された"GEO - 360°"で紹介されていた,バングラディシュのNGO Friendshipの病院船内に家族とともに暮らし,人々に無料で医療を施しているジェームズ医師のことを思い出したました.インド人とバングラディシュ人.二人とも同じ民族の同世代に属する人たちと思いますが,いろいろな生き方があるものだとつくづく考えさせられました.)

ドイツのSL好きの方へ - "Eisenbahn Romantik"お薦めビデオ

上記ビデオを全画面表示でご覧になる場合,予めブラウザを全画面表示にしてから再生を開始させ,再生画面上の全画面表示ボタンを押してください.音量調節やSD/HDの切り替えは再生開始前に可能です.(南西放送局のメディアテックに掲載されている他のビデオについても同様です.)