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Sunday, 20 March 2016

アルジェリア独立戦争終結記念日を巡る議論 (フランス語)

Wednesday, 6 January 2016

アルジェリア東西高速道路建設,政府は日本の共同企業体COJAALとの契約を解消せず (フランス語)

Monday, 15 June 2015

発展するアルジェの路面鉄道網

Alstom社製.スマートなデザインもさることながら,色もアルジェリアらしくて綺麗です.
そして,下はウルムの2号線.こちらはSimens社製.

Thursday, 4 June 2015

本の紹介:Zohra: mariée de force, séquestrée, battue, violée, mais "Jamais soumise"

Monday, 6 April 2015

ベニ・ハンマードの城塞, ムシラ, アルジェリア, 1007年 - 文化の創造者イスラムの遺産 (2)

アルジェリアに滞在中,同僚たちと一緒に訪れた遺跡のひとつです.詳しい説明はWikipediaのベニ・ハンマードの城塞 (日本語)でご覧いただけます.


塔の中から.

Saturday, 28 March 2015

チュニスで開催中の世界社会フォーラムで弾みがつくシェールガス採掘反対運動 (一部フランス語)

以下,関連Tweetです.アルジェリアのフランス語紙El Watanを見ると,アルジェリア国内において,かなり以前から反対運動が起きていたようです.(文末の写真参照) なお,WSFの公式サイトへはこちらから

77 / 101 Des manifestants hostiles à l’exploitation du gaz de schiste, dans le village d’In-Salah, au sud du pays, le 5 mars. La compagnie publique Sonatrach a annoncé qu’elle poursuivrait ses forages malgré la résistance grandissante de la population. (FAROUK BATICHE/AFP) Publié le 11-02-2015 - Mis à jour le 31-03-2015 à 09h49 par L' Obs

Thursday, 12 March 2015

アルジェリアにおける日本の協同企業体COJAALの高速道路建設プロジェクト関連最新Tweet (フランス語)

各Tweet内のリンク先は,地元フランス語紙に掲載された関連記事です.

Saturday, 10 January 2015

アルジェリアの新聞El WatanのCharlie Hebdo襲撃事件に関する記事2つ

以下,9日付のLes musulmans s’attendent à des lendemains difficiles,同じくLa France, pays cible et source de terrorisme islamisteの抄訳し,他の情報源からの情報も加えて整理したものです.

まず,前者の抄訳から.

アルジェリア及びフランスの各イスラム団体,犯行を強く非難する声明を発表

アルジェリアの国際的なスフィストの団体AlâwiyyaのHamid Demmou氏は,犯行を非難するフランスおよび世界中の声に唱和し,今回の襲撃の標的となったのは社会の根幹を成す価値であり,協力してそれを守り抜くことを呼びかけました.フランスでは,ヨーロッパ最大のイスラム教徒の団体(Le FigaroによるとLe Conseil français du cute musulman (CFCM)も襲撃を「野蛮なテロリズム」として非難しています.また,ムスリム同胞団に近い立場のUnion des organisation islamique de France (UOIF)も,その声明の中で襲撃を激しく非難し,9日にパリで予定されているデモンストレーションへの参加を呼びかけています.このデモンストレーションには,オランド大統領,カメロン英首相,メルケル独首相など欧州各国の首脳も参加する予定.Cf. Le Figaro)別のイスラム教徒の団体Collectif des musulmans de Franceの代表Nabil Ennasri氏も「預言者の仇打ち」が目的というこの襲撃は,預言者に対する裏切り行為に他ならないと述べています.

イスラムとしてテロリズムに対抗する唯一の方法

アルジェリアのスフィスムの研究者でジャーナリストのSaïd Djabelkhir氏は,テロ行為を行う人たちが論拠としているイスラムの教典に含まれる文章は,歴史的脈絡を考慮に入れずに解釈するとイスラム教徒による殺人も正当化されていると理解できることも事実と言っています.その上で,イスラムの名の下に実行されるテロリズムに対抗する手段として,教典の適切な解釈の重要性を挙げています. 

マグレブ(北アフリカ)諸国,襲撃を非難する姿勢で連帯

モロッコでは,多くのサイトが9日18時ラバトで予定されているものをはじめ,各地での抗議の座り込みへの参加を呼びかけています.アルジェリア出身のジャーナリストSaïd Djabelkhir氏は,イスラモフォビアも高まるだろうが,最後は健全な市民意識のほうが勝るという見方を示しています.

次は,フランスにおけるムスリムを名乗るテロリストの背景と現状に関する後者の記事の抄訳です.

フランスのジハジストの数

"Les Français djihadistes"の著者でRFIのジャーナリストのDavid Thomson氏によるとフランスにおけるジハジストの数は1200人程度.フランスからシリアおよびイラクに赴いたジハジストで現在も両国に留まっているのがおよそ400名,それらの国からフランスへ戻ったのがおよそ200名.また,現在,シリアのジハジスムとの関連で行われている裁判は104件だそうです.

テロリストのネットワークに所属するフランスのジハジストの出身地

2012年,トゥールーズの街中で複数の兵士と同じく子供を殺害したMohamed Merah,そしてCharlie Hebdoを襲撃した2名は総てアルジェリア系フランス人です.とはいえ,フランスのジハジストは必ずマグレブ出身とは言えないとThomson氏は言います.そして,生まれ育った家庭はアラブ・ムスリム系であっても,殆どの場合,彼らの家庭で宗教は実践されていないそうです.また,フランスのジハジストの20%は,生まれながらのイスラム教徒ではなく改宗者であるとも言っています.

都市周辺の貧困地区がラディカリズムの温床という定説について

2012年までフランスにおけるテロリストのネットワークについて取材したPierre Alonso氏は,典型的なプロファイルは存在しないと言います.つまり,恵まれていない環境の出身者もいれば,そうでないケースもあると言うのです.さらに,すでに引用したDavid Thomson氏によると,性別による差異もあるそうです.男性の場合,シリアでビデオに登場したMaxime Auchardのように,生まれも育ちもフランスの田舎で収監経験のない者たちもいます.女性の場合は,ムスリムの家庭の出身者は少なく,また,生まれ育った環境が貧困である場合も多くありません.とは言え,南フランスの大都市で勤務するあるソーシャルワーカーによると,都市の周辺部は,特に若者たちが関係する他の多くの反社会的行動と同じくイスラムのラディカリズムの温床となりやすいことも事実のようです.

リクルートの手段

シリア内戦が始まってから,リクルートはインターネットを通じて行われるようになりました.20年前に行われていたようなモスクでのリクルートはありません.なお,イスラム国は,2014年8月フランスがシリアへの軍事介入に参加した直後,フランスの一般市民を殺害するように命令を出しています.

Tuesday, 9 December 2014

我が心のアルジェリア - 10枚の空撮写真

懐かしいアルジェリアの風景写真をたまたま見つけました.Spiegelのギャラリーへはこちらから.

Wednesday, 5 November 2014

2分47秒で理解するアルジェリア独立戦争の発端(フランス語)

今から60年前の1954年11月1日のアルジェリア民族解放戦線(FLN)の一斉蜂起から1962年の独立に至るまでのアルジェリア独立戦争の発端を説明したL'OBSのビデオです.この戦争により,多くのアルジェリアの人々が犠牲となりました.



ところで,こうしたフランスのニュースメディアが公開するビデオを見るたびに沸いてくる素朴な疑問があります.それは,何故,日本のメディアは,例えば日韓併合や満州事変,あるいは真珠湾攻撃に至る経緯等をこうした判り易い手段で説明することができないのかということです.単純に能力がないだけからなのか,それとも日本社会全体に於いて,その必要が存在していないからなのか,あるいはまた,歴史認識に於いて私たち日本人がいつまでたってもスキゾフレニアの状態から抜け出すことができない,いわば病的状態にあるからなのか,その理由は未だによく判りません.

なお,このビデオを見て思い出したのが,我が心の故郷,南仏サロン・ド・プロヴァンスのアンペリ城内にある軍事博物館です.そこにはルイ14世から第一次世界大戦に至る迄のフランス軍の軍服や装備など膨大なコレクションが所狭しと展示されていて,アルジェリア独立戦争についての資料も閲覧することができます.また,サロン・ド・プロヴァンスと言えば,かのノストラダムスが晩年を過ごした地としても有名です.1555の夏,彼の名声を聞いた王妃カトリーヌ・ド・メディチに彼が謁見したのもサロンにおいてでした.それを記念して毎年6月の下旬に行われるのがサロンの歴史祭(La Reconstition historique).こちらに,以前,訪れたときに撮影した写真のうちの数枚を載せておきますのでご興味がありましたら,ご笑覧ください.(サロンに滞在される際は,是非ホテル・セレクトをご利用ください.必ずやプロヴェンスでの最高の休日を過ごせることでしょう.)