Monday, 18 June 2018

仙台文学館の「特別展「田沼武能写真展 時代(とき)を刻んだ貌(かお)」

仙台文学館の同特別展の案内はこちらです.

同じ日に訪れた東北歴史博物館の「東大寺と東北-復興を支えた人々の祈り-」よりはるかに心の琴線に触れた展示でした.なお,仙台駅から仙台文学館へは,バスが便利です.地下鉄(南北線)を使って最寄りの駅(台原,あるいは旭ケ丘)から歩くと2Km程度の道のりで,しかも標識が分りずらく,必ず迷います.

展示されていた写真の中で見ることができて最もうれしかったのは,1957年に鈴本演芸場の楽屋で撮影されたという古今亭志ん生,金原亭馬生,古今亭志ん朝(当時は朝太)の親子の笑顔を捉えた写真.通常,展覧会の図録は購入しないのですが,殆どこの写真だけのために,今回は購入しました.もちろん,その他にも日本の誇りと言える文化人,科学者などの肖像満載の珠玉の肖像写真集です.(例えば,日本画家の鏑木清方,川合玉堂,奥村土牛ら.)
この日は根津のお宅から一家揃って上野の鈴本演芸場に出演であった.楽屋に入り3人ご機嫌で揃いで写真を撮っていると,突然,馬生に語らせ稽古をつけ始めた.楽屋内にも緊張した空気が張り,朝太も兄馬生の稽古を聴き学ぶ.私は志ん生師匠のこんな厳しい表情を見たことがない.息子とはいえ,弟子に稽古をつけるのはこんなに厳しいものかと驚いた.

日頃,志ん生は稽古をつけたことがないという.不精とか意地悪や,芸惜しみをしているわけではない.自分が苦労して身につけることが一番大切だという.「私だって貧乏のおかげで,これだけの芸を学ぶことができた.これが,もし乳母日傘で育っていたら,いまごろどうなっていたかわからない」.こんな厳しかった落語一族も全員が亡くなり,芸を継ぐ人がいない.寂しい限りだ.
田沼氏の作品解説より (上掲書,p244)

また,横山隆一氏が鉄道ファンであったことも初めて知りました.

写真集には,展示されていない肖像も収められていて,今,私が居住している岩手県出身の米内光政提督と親交があった小泉信三慶応技術大学塾長も書斎でひじ掛け椅子に腰かけた姿が紹介されています.小泉塾長の子息新吉氏(Cf. 『海軍主計大尉小泉新吉』)も米内提督の娘婿の二反田三郎大佐も戦死されています.

タイム誌の表紙を2回飾った米内提督の肖像写真.もちろん展示作品でも写真集の収蔵作品でもありません.
 惜しむらくは,デン助こと大宮敏光氏の肖像写真が展示にも写真集にもなかったこと. まあ,欲を言えばきりがないので,我慢します.(共に浅草が活躍の場だった榎本健一,田谷力三両氏の写真は,前者は展示され,写真集にも収録されています.後者は写真集にのみ収録されています.) 田沼さんは,あとがきの中で,「古代ローマの哲学者キケロは,「生きるということは考えるということである」という名言を残している.また,「顔は精神の門にしてその肖像」,すなわちその人の知性なり心理状態はすべて顔にあらわれると言う.その意味で,「貌」はその人の歴史,その人の心,内面までも写しとることができると,私は考える.」と述べておられますが,アルベール・アンカー,アントン・グラフらの作品を思い出しました.それと,キケロの最初の言葉で,宮沢賢治の言葉も思い出しました.

それにしても,日本の文化人の皆さんは,タバコがお好きですなあ.

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