Saturday, 30 June 2018

刀剣,C58 103, 大槻文彦,そして神輿 - 一ノ関にて

一関市博物館にて




刀と言って思い出すのは,まず,落語『首提灯』の枕.ある侍が新しく購入した刀で試し切りをしようと,橋の下で菰をかぶって寝ている路上生活者を菰の上から切った.帰って,同僚にその話をし,刃こぼれ一つしていない自らの新しい刀を「なかなかの業者(わざもの.正式なカテゴリーであれば,刀剣の品質ランクで第4番目にあたる.)である.」と自慢すると,翌晩は,この話を聞かされた同僚が,同じ路上生活者のところへ行き,同様に彼を菰の上から切ったところ,いきなり菰がはねのけられ,寝ていた路上生活者から「だれだ,毎晩来て人の頭を叩くのは !」と怒られたというもの.最初の晩に正しく(?)切っていたのなら,死亡しただろうから,翌晩は,もうその場所にはいないのではないかと思うのですが,落語ですから.あまり深く考えるのは止めましょう.

そして,次もやはり落語の『庚申待ち』.こちらは本編の冒頭,庚申の日に信心深い宿屋の主人が,町内の人たちを招き,互いに珍しい話を披露しあいながら,眠らずに皆で夜を明かす際,皮切りに披露された話.話し手は,先日,小石川へ所用で出かけたが,帰りが遅くなり,日が暮れてしまった.空腹を覚えたが,折よく向こうから屋台のあんかけ屋がやって来たので,茶飯でも頼もうとしたところ,物陰に潜んでいた黒装束の侍風の男が,いきなり刀を抜き,あんかけ屋の親父を切り付けた.驚いた後者は,とっさに茶飯の入ったおひつでそれを受け止めたが,親父の命を救ったおひつは,まっぷたつに割られ,辺り一面に中身が飛び散った.これを一体なんだと思うと,彼は隣に座している知り合いに尋ねる.すると,後者は,ごく常識的に「遺恨によるもの.」,あるいは「ものとり(強盗)」などと自らの想像を述べるが,すべて話し手に否定され,挙句のはてに,彼から「俺が思うにゃ,茶飯切り(試し切り)じゃねえかと思うんだ.」と言われるというもの.

他に刀が重要な小道具として登場する話と言うと,「 おせつ徳三郎」などがあります.

文化センター敷地内の展示機
30年に亘り,東北各地を駆け抜けた彼女は,引退の日(ヨンサントオ)を大船渡線で迎えました.
そして,2歳年下の妹,SL銀河号を牽引している239号機の活躍と無事を静かに祈り続けているようです.
文化センター正面入り口脇の大槻文彦博士の胸像とC58 103との2ショット.近代の東北で三世代を通じて個人的に敬愛してやまないお宅と言うと,学術では,やはり岩手の大槻さん三代,そして,芸術では,何といっても秋田の平福さん三代です.両一族は,非常に対照的ですが,日本の誇りと言える人たちです.戊申の東北戦時は,互いに敵対する藩に属していましたが.でも,それはそれで,別に,こだわる必要もないでしょう.ただ,ひとつ残念なのは,大槻さんたちは広く知られていますが,平福さんたちは,あまり知られていないことです.
《田村の梅》で有名な松栄堂の店内に展示されている神輿.8月の第一週の一ノ関祭では,他地区から集まってくる多くの神輿と共にメインストリートを巡行します.
おまけです.物産館で見つけた放出価格(1つ300円)で販売されていた美濃焼の起き上がりこぼし風タンブラー,または湯飲み茶わん.にわか民芸派として,ペアで購入.柳宗悦先生,まことに僭越ながら,いかがでしょうか.コースターには,和風すだれ型,あるいは箱根寄せ木細工,でなければシンプルな陶器でしょうか...(今は,大船渡に出稼ぎに来ているので,8月のお盆に横浜の自宅へ帰省するため,山下公園近くの神奈川物産館(かながわ屋)にでも行ってこようと思っています.)

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