Wednesday 27 June 2018

『神社は警告するー古代から伝わる津波のメッセージ』2012年,講談社刊 - 本の紹介 

この本の,9ページ目「はじめに」の中に次の記述があります.
白い点は,浸水ラインの白い線の付近に集中して並んでいる.
「神社は,浸水線のギリギリで助かっていたんです」
「じっさいに津波がどこまで来たのかを確認しようと,浸水線,つまり波の押し寄せた跡を歩いて辿っていくんです.するとなぜか神社があらわれるんです.
ひとつ過ぎてしばらく行くと,別の神社に出くわす.その繰り返しでした.
すぐそばまで津波が押し寄せたのに,神社はあやうく助かっている.そういう場所がとにかく多い.不思議でなりません」

[中略]

自分の足で調べまわった結果,多くの神社は,高すぎもせず,また津波に呑みこまれることもない,ギリギリの高さの土地に立っていることを熊谷は発見したのだ.
また,『三陸地方沿岸における神社立地の特徴 −津浪常襲地帯の集住地に関する一考察 −』と題された研究も公開されています.以下は,その冒頭の部分です.
三陸地方沿岸は津波常襲地帯として知られる.ここでは津波に対する何らかの対応・対策が,街や集住地に織り込まれているのではないか.今回,近代化以前の社会施設のひとつと言える神社に着目し,神社と集住地の立地・被災状況について調査分析を行い,三陸地方沿岸の神社が津波の被災に遭いづらい高所に立地していることを示した.また,遷座について調査し,神社を集住地に近づける意図と津波被災から遠ざける意図が拮抗し,結果として神社立地が浸水ライン近辺での均衡状態となるという仮説を立てた.
さらに,下は同様の他の調査報告へのリンクです.

三陸海岸 津波被災地 現地調査 ⑧浸水域と神社

津波と神社

高台の神社を避難所に指定する事の有効性の提案 ~東日本大震災の被害を受けた南三陸町・女川町を対象として~

なお,冒頭で紹介した『神社は...』の第5章は,私の知る限り,福島の核災害が国および東電による人災だったことの最も説得力のある論証です.

その一部を簡単にまとめると,未必の故意とも言えますが,アメリカ政府とGEに自らの魂と国民の命を売った日本政府と東京電力は,科学的調査に基づく専門家たちの報告と警告を無視し,GEのマークI型と言う,地震,そして特に津波の被害を設計上想定しておらず,さらに冷却用の海水を取り込むために標高の低い土地に設置せざるを得ない装置を,元々の地表面を切土工事により34mかさ下げして設置したということです.

この段落の下に引用するのは,Wekipediaの「東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯」からの抜粋です.これを読むと,上記に加えて読売新聞社の会社としての責任も問われるべきであることが判ります.読売新聞社も,国民の命を日本にとってのプロビデンスの目であるアメリカに売るという許されざる大罪を犯していた狂人集団の仲間だったという訳です.そして,このころの政権は,もちろん自由民主党による一党独裁.鳩山一郎,石橋湛山,そして,今の総理大臣をしている御仁を今だに草葉の陰から操るおじいさん,岸信介内閣と続きます.
当時東京電力副社長で立地選定の途中で不祥事の責任を取って一旦降格し、その後社長に昇格することになる木川田一隆[注 1]は元々原子力に対して否定的なスタンスの持ち主だった。アイゼンハワーの平和のための原子力演説が行われた翌年の1954年、日本でも原子力予算の大幅な増額が国会で可決されたが、この頃木川田は東京電力企画課長の着任したばかりの成田浩に向けて「原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と語っていたという。

しかし、その翌年読売新聞社社主にして衆議院議員であった正力松太郎を中心とした導入推進運動が活発化し、その主導権を巡って日本発送電を分割民営化した9電力会社と電力を所管する通商産業省(及びその意向を汲む電源開発)との間で熾烈な争いが始まった。この件については両者の出資で原子力発電所導入のパイロット機関として日本原子力発電を設立し、イギリスからコールダーホール型を導入することで決着がついたが、その間の1955年11月1日、東京電力は社長室に原子力発電課を新設、木川田の内心がどのような経緯で変化したのかについては誰も分からなかったものの、以降は原子力発電を肯定する立場にシフトした。

当時、東電常務だった白沢富一郎によれば、木川田は田中直治郎を中心とした特別プロジェクトを編成し、社として調査を実施していた。
ところで,日本の原子力発電導入の端緒となったアイゼンハワー大統領の平和のための原子力演説が行われたのは,『ゴジラ』が公開された1954年と言うのは,不思議な偶然と言えます.また,GEは,もはやダウジョーンズの銘柄には含まれていません.その理由は単純で,営業不振が続いたため,代表的銘柄とは言えなくなったからです.

最後に,これまで述べてきたことと,若干矛盾するかもしれませんが,下に引用する記事から,このような日本人の刹那的な,つまり官僚や政治家を始めとして私たち国民の殆どが,とりあえず自分と子供の時代と孫の時代の一部で,自分たちの生存が維持できれば,それでいいやと言う思考は,私たちが置かれている自然環境に対する生物としての合理的な判断であると言う学説があります.確かに,それを読むと,日本人の異常なギャンブル依存的性向にも納得がゆきます.ただ,それをそのままやられてしまうと,周りの,しいては世界の人たちが多大な迷惑を被ることになりかねないことも事実などで,そうした固有の民族性についての充分な自覚も必要です.

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