すでに始まったNYMRの春期蒸気機関車大祭で顔を見せている'Streak'こと,LNER A4形ですが,同じ形式の'Mallard'号が蒸気機関車の世界最速記録を樹立したことで広く世界に知られています.さて,この機関車の軸配置はパシフィックと呼ばれるもので,前方から先輪軸2本,同輪軸3本,従輪軸1本となっています.そして,気筒数は3.ドイツ式で表記すれば,2'C1' h3というタイプの機関車です.つまり,ドイツのSLが好きな方なら,すぐに気づかれるように,帝国鉄道時代の急行旅客用統一規格機の0110,あるいは,亜幹線用に軸重を軽くした0310などと同じです.(ドイツの蒸気機関車で最速記録保持車の05は,2'C2' h3) ただ,LNER A4形とこれらのドイツの機関車2形式(貨物用3気筒機44形も含めて)と比べると,中央気筒の蒸気の出入りを制御する弁の構造が全く異なります.前者は,A4形の設計者グレズリー卿とホルクロフトが協同で開発した軽量で簡便なグレズリー式連動弁装置を使っていますが,後者は第3動軸(44形の場合は第4動軸)の回転から直接弁を制御する構造となっています.*1) 信頼性,耐久性においては後者に軍配が上がります.
おまけとして,気筒の数を増やす目的をご紹介すると以下の3つです.ひとつめは,馬力を上げるため.蒸気機関車の馬力は,シリンダの大きさに比例して大きくなります.ただ,車両の大きさには制限があるため,やみくもに外側の2気筒を大きくすることはできません.しかし,それらに加えて台枠の内部にもう1つあるいは2の気筒を設置すれば,その大きさを含めて全シリンダのサイズの合計は大きくなり,それに比例して馬力も大きくなる訳です.*2) ふたつめは,牽引力の均等化です.2気筒機の場合は,死点にはまることを避けるために両側の主連棒は動軸を中心にして90°ずらした形で動輪に接合されています.この構造のために,動輪を回転させる力,つまり主連棒を後方へ押し出す力と前方へ引っ張る力のタイミングにむらが生じます.(シュッシュッと2回続けて押し出し,ポッポッと2回続けて引っ張る.) 3気筒にすれば,それが均等化されるわけです.4気筒になれば,均等度はさらに向上します.みっつめは,走行時(特に高速走行時)の機関車の揺れ('sway'および'hammer blow')を減らすためです.*3) このことを示す良い例が,当初流線型タンク機として開発された直径2.3 mの大動輪を持つ61形です.この形式は2両しか製造されませんでしたが,1号機は2気筒機でした.しかし,高速走行時の揺れがはげしいために,2号機は3気筒に変更されたのです.(世界最速の動態保存機18 201は,61 002をテンダー機に改造したもの.) なお,日本にもC52(アメリカ製)およびC53という3気筒機が存在しましたが,その後に開発されたC54以降の2気筒機がそれら以上の性能を備えていたため,新たな3気筒機が製造されることはありませんでした.理由としては,ヨーロッパでのような高速運転ができないことと,軌間が狭い為に中央気筒の保守管理がむずかしいことなどが挙げられます.(国鉄の軌間は植民地仕様のため標準軌と比べ凡そ40 cmも狭く,しかも,0110や0310の動輪直径が2 mなのに対し,C53の動輪直径は1.75 mであり,そのためボイラー底部も前者に比べて低く,人がボイラーの下に潜り込んで作業をするのは容易なことではありませんでした.さらに,C53の中央気筒の弁装置は点検整備が頻繁に必要なグレズリー式であったことも,日本の3気筒機の運命を決定づけた要因のひとつだったことも加えておきましょう.) 下の動画は,グレズリー式弁装置の動きを示したもの.みづらいため,元のページでごらんください.
個人的にLNER A4で好きなところは,煙突の前に設置されている汽笛.
*1) Weisbrod, M, Barkhoff, R., Eisenbahn JOURNAL Die Dampflokomotive-Technik und Funktion Teil 2 ・Dampfmaschine, Fahrgestell und Triebwerk, Hermann Merker Velag GmbH, Fürstenfeldbruck, 1987, p60
*2) 蒸気機関車の出力は,シリンダのみに依存するわけではありません.高性能のボイラーを備え,重油炊の東独国鉄の改造機01.5形は,2気筒機ながら01ファミリーの中でも最強の重油炊3気筒機01.10(012)の次に高い出力を誇っています.(Cf. 01 509の80歳の誕生日を記念した特別列車運行のお知らせ)
*3) Weisbrod, M, ... , Eisenbahn JOURNAL Die Dampflokomotive-Technik..., p13f
*4) 橋本克彦, 日本鉄道物語 (講談社文庫), 講談社, 東京, 1993年, p19
おまけとして,気筒の数を増やす目的をご紹介すると以下の3つです.ひとつめは,馬力を上げるため.蒸気機関車の馬力は,シリンダの大きさに比例して大きくなります.ただ,車両の大きさには制限があるため,やみくもに外側の2気筒を大きくすることはできません.しかし,それらに加えて台枠の内部にもう1つあるいは2の気筒を設置すれば,その大きさを含めて全シリンダのサイズの合計は大きくなり,それに比例して馬力も大きくなる訳です.*2) ふたつめは,牽引力の均等化です.2気筒機の場合は,死点にはまることを避けるために両側の主連棒は動軸を中心にして90°ずらした形で動輪に接合されています.この構造のために,動輪を回転させる力,つまり主連棒を後方へ押し出す力と前方へ引っ張る力のタイミングにむらが生じます.(シュッシュッと2回続けて押し出し,ポッポッと2回続けて引っ張る.) 3気筒にすれば,それが均等化されるわけです.4気筒になれば,均等度はさらに向上します.みっつめは,走行時(特に高速走行時)の機関車の揺れ('sway'および'hammer blow')を減らすためです.*3) このことを示す良い例が,当初流線型タンク機として開発された直径2.3 mの大動輪を持つ61形です.この形式は2両しか製造されませんでしたが,1号機は2気筒機でした.しかし,高速走行時の揺れがはげしいために,2号機は3気筒に変更されたのです.(世界最速の動態保存機18 201は,61 002をテンダー機に改造したもの.) なお,日本にもC52(アメリカ製)およびC53という3気筒機が存在しましたが,その後に開発されたC54以降の2気筒機がそれら以上の性能を備えていたため,新たな3気筒機が製造されることはありませんでした.理由としては,ヨーロッパでのような高速運転ができないことと,軌間が狭い為に中央気筒の保守管理がむずかしいことなどが挙げられます.(国鉄の軌間は植民地仕様のため標準軌と比べ凡そ40 cmも狭く,しかも,0110や0310の動輪直径が2 mなのに対し,C53の動輪直径は1.75 mであり,そのためボイラー底部も前者に比べて低く,人がボイラーの下に潜り込んで作業をするのは容易なことではありませんでした.さらに,C53の中央気筒の弁装置は点検整備が頻繁に必要なグレズリー式であったことも,日本の3気筒機の運命を決定づけた要因のひとつだったことも加えておきましょう.) 下の動画は,グレズリー式弁装置の動きを示したもの.みづらいため,元のページでごらんください.
個人的にLNER A4で好きなところは,煙突の前に設置されている汽笛.
60007 Sir Nigel Gresley prepares to depart from #Pickering Station for the 0925 service to #Whitby pic.twitter.com/1GJJUxQz4Z
— NYMR (@nymr) 2015, 4月 16
60007 Sir Nigel Gresley prepares to depart from #Pickering Station for the #SpringSteamGala. pic.twitter.com/soFFej7ssO
— NYMR (@nymr) 2015, 4月 17
#ryedalehour Can't resist a photo of Sir Nige! @nymr though he was a bit dirtier working than when in @railwaymuseum pic.twitter.com/WH3bncNdb2
— The Old Station (@theoldstationuk) 2015, 4月 15
@nymr 60007 Sir Nigel Gresley thundering past our holiday cottage at Newbridge last week pic.twitter.com/7bJ0jL1MpF
— Andrew (@DrPyser) 2015, 4月 10
@nymr Close-up of Sir Nigel Gresley in Pickering from a couple of months ago. pic.twitter.com/9lWO9I9G5A
— Rob Townsend (@RobTownsend) 2015, 4月 10
@60007SNG Grosmont today @nymr @UKHeritageHub @Steamtube pic.twitter.com/rp9QSSZp36
— Alan (@Waterbuck1) 2015, 4月 19
Great to see #Bittern running on the @MidHantsRailway whilst out walking this morning! :) @SteamRailway @King_Alf pic.twitter.com/q6bKieebCE
— Mark Couper (@Mark_Couper) 2015, 4月 19
最後にもうひとつ.これは,LNER A4に限ったことではありませんが,イギリスの蒸気機関車には殆どの場合,愛称がつけられています.しかも,その中には人の名前も少なくありません.(Mallardはマガモのことでしょうが.) これに倣って,日本でも初期の外国製機関車には,それぞれ名前がつけられていました.例えば,「池月」,「雷」,「駒月」,「小鷹」,「友鶴」,「隼」,「鵯」(ひよどり),「千早」,「春日」,「三笠」,「飛竜」,「鬼鹿毛」(おにかげ),「雷光」,「早風」,「追風」といった具合です.*4) (軍艦や戦闘機のような名前ですが.) また,北海道の官営幌内鉄道のウェスタン形7100にも義経,弁慶などの名前がつけられています.面白いことに,そうした名前がつけられなくなった後も,9600のことを'キューロク',8620のことを'ハチロク',そして,D51を'デゴイチ'などと,今でも機関車を人のように呼ぶことが一般化しています.それと全く異なるのが,ドイツの場合,初期を除いて,帝国鉄道時代はもちろん,領邦鉄道時代も機関車に愛称がつけられることはありませんでした.なぜだか判りません.例外的に01 1102は'Blue Lady',2両のみ製造された10形は'Schwarz Schwan'(='Black Swan')という愛称がつけられていますが,それらは,もちろん正式なものではありません.面白いことに,フランスでもドイツと同じように,機関車は形式名(軸配置を表す数字+アルファベット)で呼ばれます.そして,ドイツと同じようにいくつかの例外があり,232 U 1は'la divine'(='the divine')と呼ばれています.(蒸気機関車は女性名詞のため,「女神」になります.) また,オリエント急行の牽引機として知られる230 G 353の愛称は,'La Chieuvre'です.*1) Weisbrod, M, Barkhoff, R., Eisenbahn JOURNAL Die Dampflokomotive-Technik und Funktion Teil 2 ・Dampfmaschine, Fahrgestell und Triebwerk, Hermann Merker Velag GmbH, Fürstenfeldbruck, 1987, p60
*2) 蒸気機関車の出力は,シリンダのみに依存するわけではありません.高性能のボイラーを備え,重油炊の東独国鉄の改造機01.5形は,2気筒機ながら01ファミリーの中でも最強の重油炊3気筒機01.10(012)の次に高い出力を誇っています.(Cf. 01 509の80歳の誕生日を記念した特別列車運行のお知らせ)
*3) Weisbrod, M, ... , Eisenbahn JOURNAL Die Dampflokomotive-Technik..., p13f
*4) 橋本克彦, 日本鉄道物語 (講談社文庫), 講談社, 東京, 1993年, p19
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