Sunday 26 April 2015

昨日,ドイツで火力発電所への課税強化に反対する炭坑労働者のデモと火力発電所停止を求めるデモ

火力発電所への課税強化は,連邦環境大臣がCO2削減のために打ち出した政策ですが,ベルリンでは,昨日,数千人の炭坑労働者が自分たちの職場を奪うものとして反対のデモンストレーションを行いました.
同じ日,ノルトラインヴェストファーレンのガルツヴァイラーでは,逆に火力発電所の停止を求めるデモンストレーションが行われました.
ルクセンブルグでも.
ドイツへ向かう列車の車内で目にしたというラリーの参加者の持ち物.
こうしたニュースを目にするたびに,ラリーやデモンストレーションに参加する,しないはともかく,私たち日本人の内面に政治に対する意見を持とうとはさせない力が働いているように思えてなりません.少なくともそのように訓練,つまり思考せずに,ひたする従順にお上に従う人間を養うという教育の成果のようです.もっとも,網野善彦さんによれば,日本人の思考には,伝統的に支配者と被支配者というカテゴリーが必ず存在していたとのことなので,やむを得ないことなのかもしれません.(Cf. 網野善彦 著『日本の歴史をよみなおす (全)』(ちくま学芸文庫),東京,筑摩書房,2005年,pp217ff) 幕末のクーデターと絶対主義的中央集権支配を行う明治政権の樹立は,鹿児島藩と長州藩を中心とする,当時,もっとも封建制が色濃く残る二藩とそれらに協力する他の西南諸藩によって成し遂げられましたが,上で述べた日本人の性質に鑑みれば,それは,民主主義や人権尊重とは相容れない,国民にとって相当危険な側面をも持ち合わせていたように思えるのです.以下は,あくまで個人的な所感に過ぎませんが,普遍的な個人の価値と人権の尊重といった概念は,キリスト教などの啓示宗教と呼ばれる宗教を基盤とする文化圏においてのみ,萌芽の条件が揃っていて,私たちのように自然宗教を基盤とする文化圏にはそれが存在していないと思っています.以前,フランスの防衛省に務める旧友から「日本人は民主主義を必要としているのか」と訊ねられ,少なくとも私たち日本人は,あなた方が理解しているようには理解していないと思いますと答えたことがあります.

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