先の投稿で言及しましたが、感染した方が通う学校に帰宅の際に利用した鉄道路線を利用している子どもの親から、もし、自分の子が感染したらどう責任をとるのかといった電話があったそうです。
この記事を目にしたとき、ふと、地方の伝統的な風習である虫送りの行事のことを思い出しました。今でも、あちこちで実施されていると思いますが、その名残が残っている場所もあります。ようするに、稲などに害を与える虫たちを村はずれまで送ってゆく、つまり自分たちの村から追い出すという行為を模した宗教儀礼です。あるいは、魔よけとして、大きな草鞋を村はずれ、つまり境界に飾るというのも、同じ願いの表れです。この場合は、「このように大きな草鞋を履く生き物がいるのだぞ。悪鬼よ、入ってくるな」というメッセージがこめられているわけです。
もともと、山や谷などによって囲まれ閉鎖性が強く、地縁と血縁で結ばれた、いわば家族の延長のような村落共同体が生活の場だった私たちにとって、自らが属するもの以外の共同体や前者と後者の間に存在する空間は、まったく別の論理や原則が支配する世界、あるいは異次元といえるようなものであり、それらから侵入しようと悪鬼たちはシャットアウトすべきですし、反対に自分たちの共同体のなかで作物に害を与える虫たちは、よその共同体に行ってもらいたい。そこで、どれほど作物に害を与えようとしったことではない、というわけです。こうした姿勢についてその良し悪しを議論するとことは意味がありません。ただ、伝統的にそのような文化が育ってきただけの話です。
明治以降の急速な近代化、工業化によって、こうした、地縁血縁集団=生活の場および一生を過ごす場といった伝統的な民族文化は、壊れてゆきました。もっとも、すでに江戸時代頃からそうした構造は、少しずつ壊れ始めていたかもしれません。しかし、そこでは、異なる共同体の出身者たちも、新しい擬似家族を構成することで、伝統的な地縁血縁集団に近い性格をもつ組織に所属することができたのです。「大家といえば親同様、店子といえば子同様」といった考えです。
明治国家も、やはり大きな家族としてスタートしました。そこにおける究極の父が天皇でした。このような国家制度を考案したのが、明治政府のイデオローグ井上毅です。そして、第2次大戦後、さらに高度経済成長期において、さまざまな社会組織がやはり家族の構造をもっていました。企業、役所、政党等々。しかし、ことなる擬似家族集団の間に存在する場は空白のまま残されてきたのです。それは、現在でも自らが属する集団を囲む異次元の空間のままなのです。そこで、はじめに紹介した、子どもの親のような発言がなされるわけです。さらに言えば、現在は、擬似家族集団が形成されにくいため、さらにそうした傾向が強くなっているのかもしれません。結局は、文字通りの物理的な家族のみが、そうした集団になりつつあるのかもしれません。極言するならば、自分の家族以外の場は、災厄をもたらすことがない限り関知せず、災厄をもたらしかねない事態が出現した場合は、それを再びそこへ追いやるべき異次元の空間ということです。
日本社会には、Publicという空間の認識、そしてそれに伴う道徳が発展しなかったとよくいわれます。実際、そう感じざるを得ません。日本において、「公共道徳」なるものは、もともと存在せず、擬似家族集団が形成されることで、それに似たような倫理性が保たれていたにすぎないように思えるのです。第2次大戦時、国家のために身を捧げるということは、国家という大きな家の首長である天皇に自身の存在を捧げるということでした。当時、戦争遂行の大儀とされた、「大東亜共栄圏」にしても、東条英機ら指導者たちは、それをやはり家族にたとえることを好んだそうです。つまり、最終的には情緒的な絆で結ばれた要素によって構成されている組織として、家族を提示することで、共同体の存続、繁栄にって必要な一切の道徳、倫理が個々人の行動を支配するようになると信じたのです。
複数の社会集団に属する人々が接する場が、パブリックの場です。しかし、今日でも、そこは依然として異次元の空間であり続けているようです。これまで日本人は、定住農耕民族として長い年月をかけて発展させてきた、自分たちのもともとの有り様と、近代化の模範と仰いだ西洋近代国家の市民社会の違いに気がつかないまま、さらに後者の土台となっているさまざまな思想に関心を向けずに、一人前の近代国家となるべく努力してきました。しかし、果たしてこのような状況のまま、未来に突き進んでいって大丈夫なのでしょうか。そのことについて、インフルエンザよりも不安を感じているのは、私だけではないと思うのですが。
この記事を目にしたとき、ふと、地方の伝統的な風習である虫送りの行事のことを思い出しました。今でも、あちこちで実施されていると思いますが、その名残が残っている場所もあります。ようするに、稲などに害を与える虫たちを村はずれまで送ってゆく、つまり自分たちの村から追い出すという行為を模した宗教儀礼です。あるいは、魔よけとして、大きな草鞋を村はずれ、つまり境界に飾るというのも、同じ願いの表れです。この場合は、「このように大きな草鞋を履く生き物がいるのだぞ。悪鬼よ、入ってくるな」というメッセージがこめられているわけです。
もともと、山や谷などによって囲まれ閉鎖性が強く、地縁と血縁で結ばれた、いわば家族の延長のような村落共同体が生活の場だった私たちにとって、自らが属するもの以外の共同体や前者と後者の間に存在する空間は、まったく別の論理や原則が支配する世界、あるいは異次元といえるようなものであり、それらから侵入しようと悪鬼たちはシャットアウトすべきですし、反対に自分たちの共同体のなかで作物に害を与える虫たちは、よその共同体に行ってもらいたい。そこで、どれほど作物に害を与えようとしったことではない、というわけです。こうした姿勢についてその良し悪しを議論するとことは意味がありません。ただ、伝統的にそのような文化が育ってきただけの話です。
明治以降の急速な近代化、工業化によって、こうした、地縁血縁集団=生活の場および一生を過ごす場といった伝統的な民族文化は、壊れてゆきました。もっとも、すでに江戸時代頃からそうした構造は、少しずつ壊れ始めていたかもしれません。しかし、そこでは、異なる共同体の出身者たちも、新しい擬似家族を構成することで、伝統的な地縁血縁集団に近い性格をもつ組織に所属することができたのです。「大家といえば親同様、店子といえば子同様」といった考えです。
明治国家も、やはり大きな家族としてスタートしました。そこにおける究極の父が天皇でした。このような国家制度を考案したのが、明治政府のイデオローグ井上毅です。そして、第2次大戦後、さらに高度経済成長期において、さまざまな社会組織がやはり家族の構造をもっていました。企業、役所、政党等々。しかし、ことなる擬似家族集団の間に存在する場は空白のまま残されてきたのです。それは、現在でも自らが属する集団を囲む異次元の空間のままなのです。そこで、はじめに紹介した、子どもの親のような発言がなされるわけです。さらに言えば、現在は、擬似家族集団が形成されにくいため、さらにそうした傾向が強くなっているのかもしれません。結局は、文字通りの物理的な家族のみが、そうした集団になりつつあるのかもしれません。極言するならば、自分の家族以外の場は、災厄をもたらすことがない限り関知せず、災厄をもたらしかねない事態が出現した場合は、それを再びそこへ追いやるべき異次元の空間ということです。
日本社会には、Publicという空間の認識、そしてそれに伴う道徳が発展しなかったとよくいわれます。実際、そう感じざるを得ません。日本において、「公共道徳」なるものは、もともと存在せず、擬似家族集団が形成されることで、それに似たような倫理性が保たれていたにすぎないように思えるのです。第2次大戦時、国家のために身を捧げるということは、国家という大きな家の首長である天皇に自身の存在を捧げるということでした。当時、戦争遂行の大儀とされた、「大東亜共栄圏」にしても、東条英機ら指導者たちは、それをやはり家族にたとえることを好んだそうです。つまり、最終的には情緒的な絆で結ばれた要素によって構成されている組織として、家族を提示することで、共同体の存続、繁栄にって必要な一切の道徳、倫理が個々人の行動を支配するようになると信じたのです。
複数の社会集団に属する人々が接する場が、パブリックの場です。しかし、今日でも、そこは依然として異次元の空間であり続けているようです。これまで日本人は、定住農耕民族として長い年月をかけて発展させてきた、自分たちのもともとの有り様と、近代化の模範と仰いだ西洋近代国家の市民社会の違いに気がつかないまま、さらに後者の土台となっているさまざまな思想に関心を向けずに、一人前の近代国家となるべく努力してきました。しかし、果たしてこのような状況のまま、未来に突き進んでいって大丈夫なのでしょうか。そのことについて、インフルエンザよりも不安を感じているのは、私だけではないと思うのですが。
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