Friday 15 May 2009

現代の祭の一側面

今日の午後3時半からのTBSラジオの番組の中で取り上げられた話題。最近、地域の祭りにおいて神輿の担ぎ手が不足している。対応策として、他地域の人に参加してもらうことの是非について、聴取者の方も参加して議論がされていました。いわゆる氏子以外の人に、お神輿を担いでもらって問題はないのだろうかという疑問を持つ人もいるようです。

番組の中では言及はありませんでしたが、《祭》を実行する際の前提である、氏神-氏子というシステムは、かなり昔に崩壊してしまったといってよいでしょう。

もともと、この氏神-氏子システム(伝統的な神道、あるいは古神道と申しましょうか)は、地縁・血縁によってまとまっている日本の伝統的な共同体において発展してきたもので、生まれると即、土地の氏神様の氏子になるわけです。この点では、多少、ユダヤ教などに共通している点もあるかもしれません。しかし、このシステムでは、その土地以外で生まれたり、暮らしている人を氏子集団の中に受け入れるのは非常に難しい、というよりは、そういった人々、つまり他所者を受け入れるということは、もともと想定されていなかったのです。(これは、一般的な意味での神道、さらには日本の民族性を理解するうえで重要なポイントです。)

それに比べて、たとえばキリスト教は、信仰告白、そして洗礼という儀式を介すれば、その人のそれまでの人生や現在の状況にかかわりなく信徒の集団に加わることができます。

祭を実行する側としては、神輿の担ぎ手がいないのは悩みの種ですが、氏子でない人たちの手を借りてでも祭は行うべきという考えが存在する(実際にそういった対策をとっている地域もあるようです)のは、経典も、体系的な教理も、そして信仰告白およびそれを承認する儀式も存在せず、ただ生まれれば、その土地の氏神(柳田國男がいうところの祖霊の融合したもの)の氏子に《自然に》になり、その土地を離れない限り、一生氏子を辞めること(背教?)がない、ある意味ではたいへんおおらかな宗教観が刷り込まれているわれわれだからこその悩みなのかもしれません。

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