Wednesday 17 June 2015

神戸連続児童殺傷事件の冤罪の可能性について気がついたこと

犯行の実行に於いて非合理な点が数多く残されているため,今でも冤罪の可能性が完全に否定できないとされている標記事件ですが,最近,加害者とされる男性が手記を発刊したことが話題になっているようです.(個人的には,執筆者が本当の加害者であろうとなかろうと,殺害された方のご遺族の心境を思うと,購入して読む気持ちにはなりません.加えて,それが本当に元少年Aによって書かれたということを証明することが可能かどうか疑問だからです.場合によっては,プロットのみ他者から提供された可能性も否定できないのではないかと思っています.さらに,当該の手記の出版を元少年A自身が希望し,出版社(最初は幻冬舍)と接触したという報道がありますが,もし,それが事実だとすると後述する疑問を抱かせるものです.)

冤罪を示唆する様々な要素の中で,最近,気になったのは,彼が書いたとされる文章で使われた'SHOOLL KILLER'という言葉です.'SCHOOL KILLER'の綴り間違いではないかなど,いろいろと推測がなされていますが, Sholl Analysisという脳神経の働きを分析する方法があります.このようなことは,軽々に述べるべきではないとは思いますが,言葉に対する強い執着が伺われる人物が,果たしてこんな綴り間違いを犯すだろうか.'KILLER'という言葉を知っているとしたら,だれでもが最初に覚える単語のうちのひとつのはずの'SCHOOL'を,しかも2箇所も,スペルミスするだろうか.もしかしたら,その文章を綴った人物,つまり本当の加害者,あるいは首謀者は,意図的にSCHOOLとSHOLLという二つの単語を合成してSHOOLLとしたのかも知れない.ふと,そんなことを思ったのです.それに加えて,少年Aが信奉すると言う'バモイドオキ'という神の名前は'バイオモドキ'という単語を構成する文字の並び替え,つまりアナグラムであるのは間違いないでしょう.さらに,この神の絵はSholl Analysisの神経組織の模式図に酷似しているように見えます.また,Sholl Analysisの最初の対象となったのは猫の脳でした.そして,猫というのも一連の事件に登場する記号のひとつです.こう考えて来ると,'SHOOLL KILLER'という言葉を使った人間は,もしかしたら,相当に物知りであり,物事に執着する性格があるのでは.そう思えてなりません.そうした知識を用いて様々な記号同士の関連づけを行い,全体として社会に対する統一的なメッセージを含む'物語'を組み立てる創造力と日本語の作文能力が果たして加害者とされる当時14歳だったこの少年にあったとは,にわかに信じることが出来ないのです.

また,最近の少年Aによる手記の出版,そして,それに至る経緯にも非常に作為的なものを感じています.そう考えると,いささか某略説めいてきますが,ことによると,実際に殺人を犯したか否かは別として,今回の手記出版も含め,この事件の'シナリオ'すべてを書いた'ライター'(実際に手記を書いたという意味ではありません.)が存在しているのではないか.そして,その人物は,少なくとも事件発生当時,大学生,あるいはそれ以上の知識を備えた人物だったのではないか,そのように思えてならないのです.さらに想像をたくましくすれば,捜査当局自体が,真犯人,あるいは首謀者の組み立てたシナリオに,そうであると知りながら行動,または協力せざるを得なかった可能性も捨てきれません.仮にそうだとすると,理由は後者が特定されることが,警察組織全体にとって好ましくない人物であるから,何としても彼の特定を阻止する必要があったためでしょう.また,冤罪説を封じ込めるためだったかもしれません.手記を出版することで,結果的に,その是非についての議論は起きたものの,被害者遺族の心情を慮って当該事件そのものについての検証の契機も消失させてしまったからです.また,手記の出版後,ウェブ上では,この事件の冤罪性を'都市伝説'として紹介するサイトも散見されるようになりました.つまり,客観的な検証が困難な’神話'の範疇に含めることで,その現実性も消滅させられつつあるわけです.もし,それが真犯人,あるいは首謀者の目論見だったとすれば,それは,ほぼ完璧に達成されたと言ってよいでしょう.

以上のことは,極めて限られた情報を基にした個人的推測であることは言う迄もありません.ただ,法治国家を標榜する以上,冤罪はいくら年月を経ていたとしても,はらす努力は続けられなければなりません.魔女であるとして訴えられ,拷問による自白の結果,1782年6月13日に処刑され,2007年9月20日にそれが冤罪であったことがスイス連邦裁判所によって認められたAnna Göldiのケースのように.といっても,歴史に向き合う勇気を持たない私たち日本人には,無理なことなのかもしれませんが.

2 comments:

  1. http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/8181748.html

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  2. http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/8181748.html

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