ジョージア,トビリシ近郊で行われたアメリカ軍との協同軍事演習の際の一齣 - L'OBSの24 heures en imagesより |
"広袤大師の法則は恐るべき精確さで効力を表わしていった。ある部隊が別の部隊と接続すると、美的感覚はそれに比例して鋭さを増し、一個師団の規模におよんだときには、まさに最高潮に達した。このような師団は、整然と隊伍を組んだまま一羽のきれいな蝶のあとを追って、道なき道もものともせず突き進んでいけるのだった。また、百眼王記念自動車歩兵軍団が、敵の要塞を急襲し占領せよという命令をうけてその間近にせまってみると、ああなんと、夜どおしかかって練りあげた攻撃プランは、その要塞のみごとなスケッチではないか。おまけに、それは軍隊の伝統とまったく相反する抽象芸術の香を高くにおわせているのだ。ところで、砲兵も数個軍団におよぶと、もつばら複雑このうえない哲学問題に熱中するようなありさまで、それとともに天才にありがちな不注意から、この大編隊は兵器や重装備の品をところかまわず置き忘れてみたり、戦場にむかって行軍していることなど、てんで意に介しなかったりであった。それが各方面軍となる と、その魂は、通常とくに腹雑で豊かな素質をもったひとによく見られる、あのさまざまなコンプレックスが渦巻いていて、そのため、行軍中に適当な治療を行なう特殊心理分析自動車歩兵旅団が各方面軍につき添わなければならなかった。自民党の文化芸術懇話会のメンバーの方々,こんな小説をお読みになったことはおありですか? さらに,この著名なSF作家を生んだ国ポーランドの歴史はご存知ですか?
とかくするうちに太鼓がドロドロと絶えまなくとどろきわたって、両軍とも発起位置に陣取った。突撃歩兵六個中隊は、榴弾砲旅団と予備大隊に接続したが、そこに懲罰隊が加えられるにいたって『存在の秘密についてのソネット』一篇を仕上げた。しかも、それは発起位置にむかう夜問行軍中のことである。両陣営とも名状しがたい混乱に襲われていた。第十八戦車軍団は、『敵』概念がいまのところ論理的矛盾に満ちている、いや、ひょっとしたらまったくの不条理とも思えるほどであるから、これはぜひとも、もっと明確な定義をくださなければいけない、と叫んでいた。 パラシュート部隊は付近の村落をなんとか算式に表わそうと首をひねっていて、隊伍は乱れ放題。そこで秩序をたてなおさせようと、両軍ともども侍従武官と伝令を走らせた。ところが、どうしてこんな混乱が生したのか正体を見きわめてやろうと、めざす軍団に駆けつけて馬首をめぐらし、そのなかに乗りいれたと思った瞬間、たちまちひとりの例外もなく彼らの意気込みは軍団の意気に呑まれてしまったのである。こうして王は副官にもつき添われずにとり残された。この集団の意識こそ、はいるのはたやすいが、脱け出すことのできない恐るべき罠だったのだ。醜怪王自身、従弟の殴撲大公が兵士の士気をふるい立たせてくれんものと部隊めざして一目散に駆けてはいったものの、なかにはいりこんだとたん、あっという間にその意気に呑まれて溶けこみ、跡かたもなく消え失せてしまうのを目のあたりにしたのだった。
なぜかわからぬながらも形勢利あらずと見るや、痢績王は十二人の官延ラッパ手にむかって首を振った。指揮壇上に仁王立ちの醜怪王も、やはり首を振った。ラッパ手は銅のラッパを口にあて、両陣営からは戦闘開始を呼びかけるラッパの音が高らかに鳴りわたった。ながく尾をひくその合図にこたえて、いよいよ時はいたれりと、両軍ともそれぞれ接続して一団になりはじめた。コンタクトをつなざ合わせる恐ろしい鉄の音が未来の戦場にとどろくと、やがて歩兵や砲兵、戦車兵や飛行士などの雲霞のごとき大軍にかわって、そこに現われたのは巨大なふたつの魂。それが白い雲のもとにひろがる宏大な平原をはさんで、無数の眼を相手にびたりとすえてにらみ合い、そのまま寂として声ひとつしない時が流れた。こうして、偉大なる広袤大師が数学的精確さで予測した輝かしい意識のクライマックスが両陣営に訪れたのであった。つまり、限られた状態のものでしかない軍人気質が、限界をのりこえて文民気質に変わろうとしていたのである。なぜこんなことが起こるかといえば、秩序整然たる字宙の理念こそは文民に特有のものであって、すでに 両軍の魂はまさにその字宙の大きさにまでひろがっていたからであった! したがって、外見こそ鎧兜や必殺の銃口、切先などの鋼がきらめいてはいたものの、内には悠然たる安らぎとすべてを理解し合う友好の海がたゆとうていたのだ。いまだにドロトロと鳴りやまぬ大鼓の音を聞きながら、こうして両軍とも丘のうえに立ったまま、たがいににっこり微笑みかわした。
トルルとクテパウチュスは自分たちの目論んだとおりにことが成就したと見るや、さっさと宇宙船に乗りこんでしまった。つまりは、恥辱と憤怒のあまりどす黒くなったふたりの王の目のまえで両軍ともゴホンと咳ばらいをすると、手をとり合って、流れる雲のもと、ついに血に塗れずにすんだ野原を、花をつみながら散策しはじめたのであった。"
(スタニスワフ・レム 著,吉上昭三・村手義治 訳『宇宙創世記ロボットの旅』(ハヤカワ文庫), 東京, 早川書房, 1976年, pp23ff)
上の引用内で黄色でマークした太字の文章から思い出されるのが,くどくなるのを承知でご紹介すると,下に引用する昭和19年7月18日,東条内閣総辞職の日の午後に開かれた重臣会議での米内光政提督の発言.(正しくは,他の重臣等との意見交換,)
「木戸幸一日記」が米内発言の要旨を伝えている。漏れ承る諸言動から自民党の文化芸術懇話会こそ,紛うこと無く米内提督の論文(『外交時報』昭和2年6月1日号所収)内で言及されている魔性の歴史の蜃気楼に踊らされている時代政治家の集団と言えるでしょう.彼らは,文官でありながら魂に時代遅れの錆び付いた鎧をまとわせていて,羊水に浸っている胎児のように現実から乖離したファンタジーの中に引きこもるナルシスト達に過ぎません.少なくとも国会議員であるからには,英語位は読めるでしょうから,奇妙な言動をする輩などの与太話に耳を傾ける暇があるのならば,自らロシアとNATOの関係の現状,あるいは中東の状況などについて情報を集め分析すべきでしょう.さらに優先して,なされなければならないのは,福島の核災害から直接,間接に被害を受けている人々,すなわち,すべての国民を守ることです.そうした姿勢も示せないまま,国民を守るためにアメリカとの軍事同盟を強化すると言っても,現実との乖離感が強まるだけで,まるで異次元に住む別の生物による議論のように聞こえます.もっとも,そういう愚にもつかない連中を国会議員として選ぶ私たち有権者に問題があることは言う迄もありませんが...
「自分は軍人と云ふものは作戦統帥のカラに入りて専念之に従ふを本旨とすと考へ居り、政治は文官が当るが至当なり。今度は陸軍、次は海軍等と源平の如くなるは宣しからず」
「自分では一ヶ月持てずと思ふ。嘗ての自分の経験から見て、却つて御迷惑をかけることと思ふ」
「軍は要するに作戦に専念すべきものなり。元来軍人は片輪の教育を受けて居るので、それだからこそ又強いのだと信じて居る。従つて政治には不向きなりと思ふ」
満洲事変以後、陸海軍の将官佐官で「乃公出でずんば」と政治に食指を動かした者は大勢いたが、軍人は片輪の教育を受けているから政治には不向きだと言明した人はちょっと見あたらない。
「米内閣下の御説は一応御尤もなるが、英米の如き習慣のあるところとは違ふ。国民も其点で養成せられず、日本で一躍そこに行くのは困難と思ふ」
と、「文官」の若槻礼次郎が逆に取りなすような発言をしたが、それに対しては、
「今正さざれば、国は減びる」
と答えたとある。
(阿川弘之『米内光政 下』, 東京, 新潮社, 1978年, pp111f; 尚,高田万亀子『静かなる楯 米内光政 下』, 東京, 原書房, 1990年, pp130ffに於ける記述は前掲書より詳細.)
こうした国会議員は,日本を対米開戦へと導いた三国同盟締結を急いだ革新官僚と言われる者たちと同じか,さらに酷い.最後にもうひとつ,阿川『米内光政 上』から西園寺公望の言葉を紹介します.文中に登場する原田熊雄は山本五十六の友人で,加藤高明内閣の首相秘書官,住友合資会社事務取扱嘱託,西園寺の私設秘書などを務めた人.
彼らは,これから際限なく憲法を変えて行くことでしょう.自分たちが見せられている蜃気楼に踊らされるままに.昭和十三年の正月五日、原田熊雄は興津の坐漁荘へ年始に出向いて、元老西園寺公望から、「どうも日本人は一体王政が嫌いで、やっぱり武家政治が向くのかな。憲法がどうしてそんなに厭なのかな」
と言われたそうだが(「西園寺公と政局」)、陸軍という「武家」にかつがれた近衛首相は、一月十六日、有名な「国民政府を相手とせず」の声明を発表した。日本はこれで、事態がどう変化しようとも中華民国の実質上の統治者蒋介石と直接交渉が出来ないように、自ら道を開ざしてしまうことになった。再びつながりが生じるには、七年半後「怨に報いるに徳を以てせん」という蒋の言葉を聞く時まで待たなくてはならない。
個人的に蒋介石を識っていた米内は、公卿流の無定見で無責任な総理大臣に、大きな不満をいだいたようで、「私は近衛という人があまり信用出来んのでね」と洩らしたことがある。
(p208)
昭和天皇の米内提督へのご信頼は,とても厚かったと言います.同提督とて,もちろん完璧な軍人でも政治家でもありませんでした.しかし,軍人でいながら,文官としての哲学をも併せ持っていた希有な人物だったのではないかと思っています.そして,彼が持っていた,それらの哲学は,少なくとも今の日本の大半の政治家や官僚たちが持つものよりも遥かに健全で優れたものだったとも.
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