まず始めにお断りしておきますが,ペスト菌の感染例とポロニウム-210は別の話です.
最初は,ペスト菌の感染例を二つご紹介します.どちらも比較的最近発生した事例ですが,感染したのはいずれもアメリカの研究者で,それぞれ2007年と2009年に感染した菌がもたらしたペストにより死亡しました.
一例目の感染者は,アリゾナ州のグランド・キャニオン国立公園に勤務していた生物学者でした.ある日,彼は公園内で一頭のピューマの死体を発見しました.調査のための電波発信器が装着されているピューマで,恐らく他の個体との争いによって死亡したのだろうと思いましたが,確認するため持ち帰って解剖することにしました.解剖の際,彼はマスクも手袋もはめませんでした.一週間後,彼はピューマの死体に付着していたペスト菌に感染し死亡したのでした.グランド・キャニオンを訪れた際,もしも動物の死体を発見しても触れないようにしましょう.
二例目は,一人の遺伝学者に起こりました.彼はペスト菌の専門家でペスト菌の扱いに慣れていて,しかも扱うのはペスト菌にとって必要な養分である鉄を摂取するための細胞が除去されている,いわば弱められた菌でした.通常であれば,その菌は感染しても人を死に至らせることはありません.しかし,彼の場合,事情は少々異なっていました.すなわち,彼は一般の人に比べて細胞組織における鉄分が異常に多いという,遺伝的にみて特殊な体質の持ち主だったのです.研究用に鉄が摂取出来ないように操作されたペスト菌でも,こうした特殊な体質を持つ人に感染した場合は,その弱点が補われ操作されていない菌と同じように振る舞うことが可能となってしまいます.彼は病院に緊急入院しましたが,助かりませんでした.
おしまいはポロニウム-210の話ですが,ポロニウムの25種類の放射性同位元素のひとつで,ごく微量ですが空気や土,そして人体などの自然界,さらにタバコなどにも存在している物質です.この物質は,主に人を殺害するために用いられる毒物として知られていて,過去に使用された例というと,2006年の元ロシアの諜報部員アレクサンダー・リトウィネンコ氏の殺害ですが,最近,解剖されたアラファト元PLO議長の死体からもか高い濃度のポロニウム-210が検出され,元議長もこの毒物によって殺害されたのではないかという疑惑が伝えられています.ポロニウム-210の特徴として,まずその扱い易さが挙げられます.というのは,この物質の毒性を構成しているアルファー線という放射線は,外から浴びる限りにおいては基本的に危険はなく,そのためガラス製の小容器などで簡単に持ち運ぶことができるからです.しかし,一旦人体の中に取り込まれ,内部からそのアルファー線が照射された場合,生命は非常な危険にさらされることになります.例えば,食物などに混入され口から摂取された場合,血液によって体内各部に運ばれたポロニウム-210は放射線によって細胞の構造やDNAを破壊し,その結果,最悪の場合,一連の被爆症状を引き起こして死に至らせます.致死量は,ドイツの連邦放射線防護局(Bundesamts für Strahlenschutz (BfS))によると,0.1マイクログラム,あるいはそれ以下です.なお,ポロニウム-210の検出は尿検査などによって行われますが,その半減期は50日です.つまり,摂取から50日が経過するとその量は半分に減少します.
ところで,これら二つの毒物(片方は放射性同位元素,もう一つは細菌ですが)を比べてみると,ポロニウムは扱いは比較的容易であるものの,人為的に製造するには原子炉が必要であるため生産出来るのはごく限られた国に留まり,その一方で,ペスト菌のほうはポロニウムに比べれば製造(増殖)は容易かもしれませんが,扱いはむずかしいということになります.用途から見た場合,前者は特定の個人の殺傷に適していて,後者は不特定多数の殺傷に適している,つまり大量破壊兵器として用いることが可能といえます.因みに,世界保健機関は細菌兵器としてペスト菌がばらまかれた場合のシュミレーションを公表していますが,それによると,もし人口500万人の都市の上空から50 kgのペスト菌が散布された場合,150,000人が感染し,そのうち36,000人が死亡するそうです.なお,この被害想定には周囲に感染が広がることで発生するパニックによるものは含められていません.
以上,少々物騒な秋の夜話でした.(別に昼間読んで頂いても結構ですが.)
このポストは,Le MondeのBlogの11月3日付ポスト"La peste, une maladie ré-émergente ?"とSpiegelの11月6日付の記事"Strahlenkrankheit: So heimtückisch tötet Polonium-210"の内容を抄訳して構成したものです.
最初は,ペスト菌の感染例を二つご紹介します.どちらも比較的最近発生した事例ですが,感染したのはいずれもアメリカの研究者で,それぞれ2007年と2009年に感染した菌がもたらしたペストにより死亡しました.
一例目の感染者は,アリゾナ州のグランド・キャニオン国立公園に勤務していた生物学者でした.ある日,彼は公園内で一頭のピューマの死体を発見しました.調査のための電波発信器が装着されているピューマで,恐らく他の個体との争いによって死亡したのだろうと思いましたが,確認するため持ち帰って解剖することにしました.解剖の際,彼はマスクも手袋もはめませんでした.一週間後,彼はピューマの死体に付着していたペスト菌に感染し死亡したのでした.グランド・キャニオンを訪れた際,もしも動物の死体を発見しても触れないようにしましょう.
二例目は,一人の遺伝学者に起こりました.彼はペスト菌の専門家でペスト菌の扱いに慣れていて,しかも扱うのはペスト菌にとって必要な養分である鉄を摂取するための細胞が除去されている,いわば弱められた菌でした.通常であれば,その菌は感染しても人を死に至らせることはありません.しかし,彼の場合,事情は少々異なっていました.すなわち,彼は一般の人に比べて細胞組織における鉄分が異常に多いという,遺伝的にみて特殊な体質の持ち主だったのです.研究用に鉄が摂取出来ないように操作されたペスト菌でも,こうした特殊な体質を持つ人に感染した場合は,その弱点が補われ操作されていない菌と同じように振る舞うことが可能となってしまいます.彼は病院に緊急入院しましたが,助かりませんでした.
おしまいはポロニウム-210の話ですが,ポロニウムの25種類の放射性同位元素のひとつで,ごく微量ですが空気や土,そして人体などの自然界,さらにタバコなどにも存在している物質です.この物質は,主に人を殺害するために用いられる毒物として知られていて,過去に使用された例というと,2006年の元ロシアの諜報部員アレクサンダー・リトウィネンコ氏の殺害ですが,最近,解剖されたアラファト元PLO議長の死体からもか高い濃度のポロニウム-210が検出され,元議長もこの毒物によって殺害されたのではないかという疑惑が伝えられています.ポロニウム-210の特徴として,まずその扱い易さが挙げられます.というのは,この物質の毒性を構成しているアルファー線という放射線は,外から浴びる限りにおいては基本的に危険はなく,そのためガラス製の小容器などで簡単に持ち運ぶことができるからです.しかし,一旦人体の中に取り込まれ,内部からそのアルファー線が照射された場合,生命は非常な危険にさらされることになります.例えば,食物などに混入され口から摂取された場合,血液によって体内各部に運ばれたポロニウム-210は放射線によって細胞の構造やDNAを破壊し,その結果,最悪の場合,一連の被爆症状を引き起こして死に至らせます.致死量は,ドイツの連邦放射線防護局(Bundesamts für Strahlenschutz (BfS))によると,0.1マイクログラム,あるいはそれ以下です.なお,ポロニウム-210の検出は尿検査などによって行われますが,その半減期は50日です.つまり,摂取から50日が経過するとその量は半分に減少します.
ところで,これら二つの毒物(片方は放射性同位元素,もう一つは細菌ですが)を比べてみると,ポロニウムは扱いは比較的容易であるものの,人為的に製造するには原子炉が必要であるため生産出来るのはごく限られた国に留まり,その一方で,ペスト菌のほうはポロニウムに比べれば製造(増殖)は容易かもしれませんが,扱いはむずかしいということになります.用途から見た場合,前者は特定の個人の殺傷に適していて,後者は不特定多数の殺傷に適している,つまり大量破壊兵器として用いることが可能といえます.因みに,世界保健機関は細菌兵器としてペスト菌がばらまかれた場合のシュミレーションを公表していますが,それによると,もし人口500万人の都市の上空から50 kgのペスト菌が散布された場合,150,000人が感染し,そのうち36,000人が死亡するそうです.なお,この被害想定には周囲に感染が広がることで発生するパニックによるものは含められていません.
以上,少々物騒な秋の夜話でした.(別に昼間読んで頂いても結構ですが.)
このポストは,Le MondeのBlogの11月3日付ポスト"La peste, une maladie ré-émergente ?"とSpiegelの11月6日付の記事"Strahlenkrankheit: So heimtückisch tötet Polonium-210"の内容を抄訳して構成したものです.
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