Thursday, 20 September 2012

ウィーン西駅にて

投宿したホテルは,到底旅情など味わえないきわめて近代的な造りですが,駅に隣接していて,買い物や簡単な食事にはとりあえず便利です.明日は,ウィーン近郊のストラスホーフ鉄道博物館を訪れ,夜は,楽友協会で開催される福島の被災者支援コンサートを聴きに行く予定です.

駅構内の書店で市内の地図と鉄道関係の雑誌を買い求めた後,そのまま構内を見てまわりました.最後にウィーンを訪れたのは,フランスに留学中だったので,今から30年ほど昔のこと.当時の様子は,もう記憶には残っていません.が,その間,大きな変化が起こったことは確かなようです.地階から2階にわたって大規模なショッピングモールが広がる様子は,今や,ドイツの大都市の駅ならすっかりおなじみの風景です.(ここは,オーストリアですが.)

散歩の途中,最初に目を引かれたのが,ウィーン西駅から伸びる新線の開業までの日数をカウントダウンするモニュメント.当該線が開業すると,ウィーン,サルツブルク間が,現在の所要時間から23分ほど短縮されるそうです.

そして,もうひとつが,上記のモニュメントを,なぜか寂しそうに見つめる,旅行鞄に腰をかけた少年の銅像です.鉄道がスピードアップすることがそんなに悲しいことなのかしらんと,ふと彼の後ろに回ってみると, 彼の頭の上の,ユダヤ教徒たちが被るキッパーと呼ばれる帽子が目に入りました.ハテこれは一体誰の像かなと彼の下のプレートを読むと,おおよそ次のようなことが書かれていました.

この像は,英国国民,そして,"KINDERTRANSPORTEN"*1)と呼ばれる人たちに,彼らに対する最も深い感謝を込めて捧げられたものです.彼らは,ユダヤ人,非ユダヤ人の子供達,合わせて1万人もの命を救いました.その子供達とは,1938年から1939年にかけてナチスの迫害を逃れ,英国に避難することができた子供達です.そして,彼らのうちの大半が,英国へ向けて旅立ったのが,このウィーン西駅でした.

「たった一人の命を救う人は,全人類の命を救うのと等しい行為をしたのです.」
- タルムード

なるほど...

これを書き終えてから,ふと,東映映画『喜劇 急行列車』の中で,渥美清さん演じる特急さくら号の専務車掌が,むずかしい心臓の病気に罹り,両親と一緒に同列車に乗って九州の病院に手術を受けに行く少年を励ますシーンを思い出しました.そこで,手術に対する不安から「僕,きっと天国へ行けるよね...」とつぶやく少年に,その車掌さんは,「そんなこと考えちゃいけない」と言ってから,人間の心臓が機関車の心臓より強いことを,貨物列車に乗務したときの経験を紹介しながら,やさしく丁寧に説明していました.

迫り来るナチスの迫害を逃れ,ここ西駅から英国へと避難する子供達を乗せた列車の乗務員たちは,彼らにどのように接したのでしょうか.

新線開業までの残り日数を知らせる,西駅構内のモニュメント

上掲のモニュメントを悲しげに見つめる男の子

後ろに回ると彼の頭の上にはキッパーが

男の子の下のプレートに刻まれたテキスト

*1) または,"Refugee Children Movement" , "RCM"と呼ばれていたようです.(Wikipedia "Kindertransport"の項参照) なお,キンダートランスポートについては,このポストの後に書いたポスト少し詳しくふれました.

(旅先のため,思うように画像が加工できませんでした.ご容赦を.)

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