Monday 15 July 2013

戦時下の英国を追体験 - セバーンバレー保存鉄道のイベント"Step back to the 1940's"

スイスで知り合った英国人の鉄道愛好家の方から,バーミンガムに行くのであれば,是非訪れるべきと薦められたセバーンバレー鉄道(Severn Valley Railway).そこで,毎年6月末から7月初めにかけて行われている催しですが,国全体が勝利に向かって懸命に耐えた時代を懐かしむといった堅苦しいものではなく,どこか英国人特有といえそうなユーモアを感じさせるところもあり,軍服に身を包んだ多数の参加者や居並ぶ軍用車両にもかかわらず,全体にながれる雰囲気は,むしろみんなで楽しもうという和気あいあいとしたものでした.

主催するセバーンバレー鉄道は,中部イングランドを代表する保存鉄道で,前身はグレートウェスタン鉄道の一支線.英国の保存鉄道では珍しいことではありませんが,もともと駅等の施設が時代がかっていて,しかも運行される列車がすべて蒸気機関車牽引で客車も旧型車両となると,まさに舞台設備としてはこれ以上は望めないというほどの完璧さ.

当日,滞在中のバーミンガムから乗ったChiltern Railwaysの 近郊線の列車(ボンバルディア社製の気動車)をセバーンバレー鉄道の起点であるキッダーミンスターで降り,すぐそばのセバーンバレー鉄道の同駅へ歩いて向かったのですが,駅前にはオールドタイマーやジープが並び,これから自分が足を踏み入れようとしている世界が日常とは相当異なるものであることは十分想像がつきました.それでも,窓口で一日乗車券を購入して構内に入るやいなや,その場を支配している異様な雰囲気にこれ迄経験した事のないような戸惑いを覚えざるを得ませんでした.そこは,再現などという生易しいものではなく,まさに戦時下1942年7月の英国そのものだったのです.当時,枢軸国として英国と交戦状態にあった国の人間としては,身の置き場所に困ったほどだったのですが,ほどなくその自分で勝手につくってしまった気まずさも氷解し,観客の一人として楽しく過ごせた一日でした.さらにいえば,このイベントを通じて英国人の民族性の一面にも触れることができたような気がします.その意味で貴重な経験だったと思っています.機関車の写真のキャプションに記したGWRは,Great Western Railwayの略です.セバーンバレー鉄道の機関車のほとんどが元GWR所有車両です.(WikipediaのGWRの機関車の項目へはこちらからどうぞ.)

(最後に,バーミンガムとストラトフォード・アポン・エボンを結ぶシェークスピア急行の写真も掲載します.ご笑覧ください.)

ではまず,手渡されたフライヤーから.(サイトから予めダウンロードもできました.)


キッダーミンスターの駅に向かうと駅前はこのとおり.

キッダーミンスター駅(SVR)の駅前広場にはオールドタイマーが勢揃い.



もちろん,軍用車両もぬかりなく..

Kidderminster駅の構内 1942年への時間旅行の入口

同上

Kidderminster駅の検閲所 当時はどこへ移動するにも身分証明書の検閲があったようです.

一日乗車券とともに渡されたIDカード(外側)
同上(内側)

乗り込んだ列車の牽引機は34053 Sir Keith Parkという3気筒パシフィック機(英国式表示における車輪配置は4-6-2,動輪直径は6 ft. 2 in.なのでおよそ1.89m,最高速はというとテストランの記録では116 km/h(72 mph)程度は出たようです.)

まずは機関車博物館(Engine House)のあるHighley駅で下車. 

Highley駅での英国軍との戦闘シーンのために待機中の独軍兵士(でも皆さん,ブリティッシュのようです.実際の戦闘シーンでは最初はへんなドイツ語で,そのあとは英語で号令をかけていましたので.)

中央に腰掛けている男性を除けば,ほんとうに当時に迷い込んだよう.

Highleyの機関車博物館(Engin House)のそばに展示されていた名機スピットファイアの原寸大の模型

笑顔がすてきな二人のRAFの制服姿のgentlemen. スピットファイアの前でポーズ

Highleyを出発したKidderminster行きの列車 牽引機はタンクエンジンの5643 (GWR 5600クラス:0-6-2T)

同じ5643に牽引されたBridgnorth行き列車

こちらは,Bridgnorth行き列車を牽引する5164(GWR 5101クラス:2-6-2T)

ハーレイの機関車博物館内に展示されている48773.ロイヤルエンジニアの記念機関車です.フランスで運用するため陸軍省によって発注され,1940年に製造されました.フランスがドイツの支配下に入った後,英国に一旦戻りましたが,ソ連参戦後は,イラン横断鉄道でロシアへの戦時物資輸送の任にあたりました.1942年8月9日には,らくだと衝突して脱線.その後はエジプトのスエズ運河周辺の路線で活躍しました.車輪配置は,2-8-0.
巨大な青い機関車ゴードン号.名前の由来は,General Gordon of Khartoumから.第二次世界大戦中,戦時機関車として,とにかく早く安く造られたモデル.(ドイツの52形みたいに.)ボイラーも低品質の石炭の使用を前提に設計されています.戦後は,ハンプシャーのロングムーア軍用鉄道(Longmoor Military Railway)で機関士の訓練用に使用されました.(側面のLMRの表記はそのため.)1957年のスエズ危機のときは,ロングムーアとサザンプトンの間で秘匿物資の輸送にあたりました.その後,SVRで活躍しましたが,1998年,ボイラーが故障したため,それ以降静態保存されています.車輪配置は,2-10-0(やはり,ドイツの52と同じ.)
世界記録保持車のマラード号(Type A4)を設計したグレスレイ卿(Sir Nigel Gresley)の帽子も展示されています.
グレスレイ卿の名前がつけられたA4形機関車Sir Nigel Gresleyは保存財団の所有ですが,実際の運用管理はNYMRによって行われています.なお,A4形機関車の運行については,こちらのポストをご覧下さい.

Shrewsbury College of Art & Dramaの演劇科の学生さんたちが機関車博物館内(Highley Engine House)で1940年代の歌,踊りなどを披露.さすがはプロを目指しているとあって素晴らしいパーフォーマンスでした.

Highley駅に進入するBridgnorgh行き列車 牽引機は2857(GWR 2800クラス:2-8-0)

同上

いよいよ戦闘開始
以上が,Highley駅の様子でした.次は,Bridgnorth駅へ.

Bridgnorth駅で行われていた1940年代風のコンサート(すみません.ピントが後ろに合ってしまいました.)

Highley駅で英軍と独軍との戦闘シーンのあとに演説を行ったMr Winston Churchill.Bridgnorth駅にて.

Bridgnorth駅

石炭と水をたっぷり補給してもらう7812.(GWR 7800(Manor)クラス:4-6-0)Bridgnorth駅

同上

帰りの列車の個室でご一緒したご家族のお祖父様.戦争当時の思い出話を聞かせてくださいました.話がご持参されたガスマスクに及び,ご親切にも実際に装着してみせてくださいました.そのうえ,娘さんからはお手製のスコーンまでごちそうになり,当時,日本は枢軸国であり英国とは敵同士だったのにと恐縮すると,今はもう敵ではないし,また,来年もいらっしゃいと笑顔で仰ってくださいました.加えて,たまたま同じ個室に乗り合わせていた方が相当鉄道に詳しい方だったので,いろいろとお話を伺う事ができたのも幸運でした.しかし,英国の鉄道愛好家の方たちの鉄分は冗談抜きで半端ではありません.

Kidderminsterの駅のビュフェの入口.入口に置かれた看板の文章と奥のRAFの制服の男性を見るとここも1942年で時間が止まってしまったかのよう.暑かったのでほとんどのお客さんはビールを注文していましたが,お酒がだめな私はいつものようにソフトドリンクを注文.ところで,あちこちで目にするARPとはAir Raid Precautionの略.

以下は,バーミンガムから乗ったシェークスピア急行で訪れたストラトフォード・アポン・エボンでのスナップです.(実を言うと,はるか昔ロンドン近郊の大学で英語の夏期講座を受講した折に遠足で一度訪れたことがあるのですが,そのときと比べると相当様変わりしているように思えました.)
ストラトフォード・アポン・エボン シェークスピアの生家のそばで

シェークスピアのお墓がある聖三位一体教会

市内

ストラトフォード・アポン・エボンに入線するシェークスピア急行

ストラトフォード・アポン・エボン駅

バーミンガムに向かう途中の車窓風景

バーミングアム・ムーア駅に戻ったシェークスピア急行の牽引機(旧Great Western Railway 4900 Class ,車輪配置は英国式表示で4-6-0) 気のせいか,おしなべて英国の蒸気機関車の排気音は異様に大きく聞こえます.元気が良くていいなとは思いますが.
セバーンバレー鉄道は,風光明媚な路線としてThe Times社の"BRITAIN'S SCENIC RAILWAYS"*1)でも紹介されていて,撮り鉄の方々にも推薦できる路線です.レンタカーで沿線を巡るならThe Ordnance Survey map of the area, “Landranger 138”(ISBN 0-319-22138-5)という地図がお薦めだそうです.(現地の鉄道ファンの方からの情報.)

ところで,Step back to 1940'sの催しからバーミンガムに戻る途中,何故日本はこんな国と戦ったのだろうという疑問がやたらに現実味を帯びて頭に浮かんできました.質実剛健でありながらユーモアも忘れない,そんな英国の人々.戦争自体の善悪は別として,うらやましいと思ったのは,当時,彼らはウィンストン・チャーチルというリーダーのもとに結束していたということです.同じ事は米国民とフランクリン・D・ルーズベルトとの関係についても言えますが,それに比べて日本はどうだったのか.顔の見えるリーダーの下,国民は同じ価値を共有し一丸となって戦争に臨んでいたのか,おおいに疑問です.

なお,こうした戦争当時の雰囲気を再現する催しは,例えばNorth Yorks Moors Railwayのように英国の他の保存鉄道でも開催されますが(Railway in Wartime),それを思うと,英国の人たちを理解するのは,自分にはやはり少し難しいかもしれないななどと考えてしまいます.

最後になりますが,英国の保存鉄道では基本的に転車台を備えていないため,機関車の向きの変換はありません.撮影する場合は,その点に留意する必要があります.また,ドイツとフランスの機関車の重連運転等が観られるスイスにおいても事情は同様です.以上,老婆心ながら.



*1)英国を鉄道(保存鉄道も含めて)で旅する際に役に立つ一冊.ハードカバーの大型本のため携行はできませんが,写真,地図,解説が充実していて旅行の計画を立てるときの参考書としてはもってこいの本です.(著者:Juian Holland, David Spaven; ISBN 978-0-00-747879-8).英国の保存鉄道を訪ねる旅に必携の本は,やはりなんといってもこちら.そう,毎年刊行されている"Railways Retored"です.もちろん,セバーン・バレー鉄道もしっかり紹介されています.

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