最近、日本でも裁判員制度が施行され、連日マスコミによって最初の裁判員裁判の模様が報道されています。こうした一般市民が職業裁判官と一緒に審理を行う制度は、フランスにも存在していて、それが行われる機関は、クール・ダシーズ(cour d'assise)と呼ばれ、日本語では《重罪院》と訳されます。重罪院は、その名称のとおり、未遂既遂の殺人、レイプ、凶器を用いた強盗などの重大凶悪犯罪を裁く法廷であり、2000年1月以降、再審請求が可能となりましたが、上級裁判所への控訴制度はありません。重罪院で宣告された判決に対し、不服の申し立てがあった場合は、新たに選出された陪審員(juré)たちにより構成された重罪院で再審が行われます。ただ、過去において、再審の請求が行われた例は少ないようです。その理由としては、凶悪事件が対象となるため、再審が行われた場合、量刑が重くなる可能性が大きいからと言われています。
アングロ・サクソン各国の、判例に基づくコモン・ローとは異なる大陸法(成文法)を採用しているフランスやドイツなど(特に刑事裁判制度はドイツ)に倣って司法制度が形作られたわが国で導入された裁判員制度は、やはり後者二国の陪審制度、あるいは参審制度を手本としたようです。もっとも、陪審制度発祥の地は英国であり、それを、フランスではフランス革命以降、そして、ドイツでもフランスの影響を受け、それぞれ導入しています。
* フランス語のassiseは、英語ではassizeですが、『シャーロック・ホームズ』シリーズなどでは、やはり陪審制裁判を示す言葉として現れま す。(cf.:「The Boscombe Valley Mystery」 in 『The Adventures of Sherlock Holms』等 面白いのは、時にホームズ先生が、ベーカーストリート221Bの自室で、自らを裁判官(judge)、ワトスン博士を陪審員(jury) として私設の法廷(?)を開き、犯人に無罪の判決を下すというシーンが登場すること。やはり、陪審員制度発祥の地で生れた探偵小説ならではのことですね。 cf.:「The Abbey Grange」in 『The Return of Sherlock Holmes」等)
しかし、日本の刑事裁判制度における裁判員裁判の位置づけは、その審理の対象が地方裁判所が管轄する事件に限られており、そこで下された判決については、従来どおり上級裁判所への控訴が可能であるため、この点では、上述のフランスの重罪院における裁判とは異なります。それでは、参審制と称される、ドイツの裁判における市民参加制度と比較した場合は、どうでしょう。ドイツでも、市民が参加する審理(Shöffengericht - 慣例的にSchwurgerichtと呼ばれることもあります)の対象となるのは、フランス同様、人命に危害が及ぶ事件です。まず、量刑が4年未満と判断される事件に限っていうと、初審は、区裁判所(Amtsgericht)で市民が参加して行われ、そこで宣告された判決に不服がある場合は、上級裁判所である州裁判所(Landesgericht)に控訴することができるので、この点では日本と似ています。ただ、日本の高等裁判所における控訴審では、職業裁判官のみが審理に当たりますが、ドイツでは、州裁判所における控訴審の審理にも市民が参加します。次に、量刑が4年以上の禁固刑に相当すると判断された重大事件については、市民参加のもと州裁判所で初審が行われますが、その判決について上級裁判所である上級州裁判所(Oberlandesgericht)への控訴は認められておらず、連邦通常裁判所(Bundesgerichtshof)への上告のみが可能とされています。この場合、上告審は、連邦通常裁判所の大刑事部(Großer Senat für Strafsachen) で行われますが、ここでは職業裁判官のみが審理にあたります。
以上、非常にわかりづらく、中途半端な説明になってしまい、忸怩たるものを感じますが、日本の裁判員制度は、刑事裁判制度全体を視野に含めた場合、どちらかというと、やはり刑事裁判制度の導入元であるドイツのそれに近いといってよさそうな気がしないでもありません。が、いくつかの点でそう言い切ってよいものか判断しかねるというのが偽らざるところです。
さて、前置きが長くなりましたが、最近、このフランスの重罪院で審理された事件で少々気になったものがあったので、ご報告します。
その事件が発生したのは、2006年1月20日から21日にかけての夜。当時23歳だった携帯電話販売員のイラン・アリミ(Ilan Halimi)さんは、主犯である28歳のユスフ・フォファナ(Youssouf Fofana)被告を中心とする若者のグループによって拉致された上、オ・ドゥ・セイヌ(Hauts-de-Seine)県のバニュー(Bagneux)の集合住宅(HLM)内の一室に監禁され、彼と27名の共犯者から数週間に及ぶ暴行を受けました。そして、2月13日、レソンヌ(l'Essonne)付近の鉄道の線路脇で発見され、病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。犯行グループは、アリミさんの監禁中、600回にわたって被害者の自宅に電話をかけ、両親に450,000ユーロに及ぶ身代金を要求しました。日本でも間違いなく裁判院裁判の対象となる事件です。なお、アリミさんはユダヤ人でした。
当然、このケースは、一般市民が裁判に参加する重罪院(事件当時少年を含むため、少年重罪院)に送られ、先日判決が下りました。その内容は、主犯格のフォファナ被告に対しては終身懲役刑(1981年の社会主義政権による死刑廃止後フランスにおける最高刑)、そして、共犯者のうち、2名は無罪、それ以外の25名には執行猶予付きの禁固6ヶ月から懲役18年というものでしたが、アリミさんを連れ出す役を演じた女性は(事件当時未成年者)は、9年の禁固刑でした。
逮捕後のファファナ被告のユダヤ人に対する激しい差別的言動の影響もあり、共犯者に下されたこれらの判決に対し量刑が軽すぎるとする、被害者の家族はもちろん、全国のユダヤ人団体や人権擁護団体などの猛反発を受け、アリオ・マリー(Michèle Alliot-Marie)司法相が、検察側に再審の請求を行うよう求めるという異例の事態に発展しました。このような政府側の司法への介入に対し、もちろん被告側の弁護団は一斉に反発しましたが、結局、共犯者のうち、14名について重罪院での再審が決定したというのが、現在までの経緯です。
この事件に関する一連のニュースを読みながら、日本で発生した類似の事件を思い出しました。1999年に発生した栃木リンチ殺害事件です。それはまた、同年に発生した、桶川ストーカー事件と共に捜査に当たろうともしない警察の姿勢や責任が厳しく問われた事件でもありました。今後は、日本でも、こうした凶悪な事件の裁判に一般市民が裁判員として参加することになるわけですが、私たちが司法の現場に立ち会い、そこで体験し感じたことが、昨今色々と不備が指摘されている司法制度、さらには行政制度に積極的にフィードバックされ、この国に、普遍的な人権の概念と主権者である市民としての意識が広く浸透し、それらを十分に反映する真の近代市民国家としての形が整うことを願うものです。
参考資料(主なもの):
I. 文献
・東京三弁護士会陪審制度委員会 編 『フランスの陪審制とドイツの参審製 ― 市民が参加する刑事裁判 ― 』, 1966, 東京
(とてもわかりやすく書かれている本でお奨めです。)
* 今日の重罪院制度をめぐる議論や、特に同院に焦点をあてた司法制度改革についてご興味をお持ちの方には、次の2冊をお奨めします。
・L'Harmattan 編 『Pour une réforme de la cour d'assises: Entretiens avec François Staechele [et al]』(Collection Logiques juridiques), 1996, Paris
・Association française pour l'histoire de la justice 編 『La Cour d'assises : bilan d'un héritage démocratique』(Collection Histoire de la Justice 13), 2001, Paris
II. ウェブサイト
・最高裁判所サイト
・電子版『LeFigaro』 www.lefigaro.fr Ilan Halimi事件関連記事
・電子版『Le Nouvel Observateur』 permanent.nouvelobs.com 同上
・電子版『Der Spiegel』 www.spiegel.de 同上
・フランス共和国司法省サイトwww.justice.gouv.fr/
* 重罪院については、http://www.justice.gouv.fr/index.php?rubrique=10031&ssrubrique=10033&article=12027 に詳しい説明があります。
・ドイツ連邦共和国連邦司法省サイトwww.bmj.bund.de/
* 『Übersicht über den Gerichtsaufbau in der Bundesrepublik Deutschland』 (図表 ドイツの刑事裁判制度)
- http://www.bmj.bund.de/files/5ab9326da171af40c9c8a358cac1a8d1/978/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20deutsch.pdf
- http://www.bmj.bund.de/files/-/976/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20englisch.pdf (同英語版)- http://www.bmj.bund.de/files/-/979/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20franz%C3%B6sisch.pdf (同フランス語版)
* Jörg-Martin Jehle 『Strafrechtspflege in Deutschland』(ドイツの刑事裁判制度), 2009(第5版)
- http://www.bmj.bund.de/media/archive/945.pdf#search=%22schwurgericht%22
- http://www.bmj.bund.de/media/archive/960.pdf#search=%22sch%C3%B6ffengericht%22 (同英語版)
アングロ・サクソン各国の、判例に基づくコモン・ローとは異なる大陸法(成文法)を採用しているフランスやドイツなど(特に刑事裁判制度はドイツ)に倣って司法制度が形作られたわが国で導入された裁判員制度は、やはり後者二国の陪審制度、あるいは参審制度を手本としたようです。もっとも、陪審制度発祥の地は英国であり、それを、フランスではフランス革命以降、そして、ドイツでもフランスの影響を受け、それぞれ導入しています。
* フランス語のassiseは、英語ではassizeですが、『シャーロック・ホームズ』シリーズなどでは、やはり陪審制裁判を示す言葉として現れま す。(cf.:「The Boscombe Valley Mystery」 in 『The Adventures of Sherlock Holms』等 面白いのは、時にホームズ先生が、ベーカーストリート221Bの自室で、自らを裁判官(judge)、ワトスン博士を陪審員(jury) として私設の法廷(?)を開き、犯人に無罪の判決を下すというシーンが登場すること。やはり、陪審員制度発祥の地で生れた探偵小説ならではのことですね。 cf.:「The Abbey Grange」in 『The Return of Sherlock Holmes」等)
しかし、日本の刑事裁判制度における裁判員裁判の位置づけは、その審理の対象が地方裁判所が管轄する事件に限られており、そこで下された判決については、従来どおり上級裁判所への控訴が可能であるため、この点では、上述のフランスの重罪院における裁判とは異なります。それでは、参審制と称される、ドイツの裁判における市民参加制度と比較した場合は、どうでしょう。ドイツでも、市民が参加する審理(Shöffengericht - 慣例的にSchwurgerichtと呼ばれることもあります)の対象となるのは、フランス同様、人命に危害が及ぶ事件です。まず、量刑が4年未満と判断される事件に限っていうと、初審は、区裁判所(Amtsgericht)で市民が参加して行われ、そこで宣告された判決に不服がある場合は、上級裁判所である州裁判所(Landesgericht)に控訴することができるので、この点では日本と似ています。ただ、日本の高等裁判所における控訴審では、職業裁判官のみが審理に当たりますが、ドイツでは、州裁判所における控訴審の審理にも市民が参加します。次に、量刑が4年以上の禁固刑に相当すると判断された重大事件については、市民参加のもと州裁判所で初審が行われますが、その判決について上級裁判所である上級州裁判所(Oberlandesgericht)への控訴は認められておらず、連邦通常裁判所(Bundesgerichtshof)への上告のみが可能とされています。この場合、上告審は、連邦通常裁判所の大刑事部(Großer Senat für Strafsachen) で行われますが、ここでは職業裁判官のみが審理にあたります。
以上、非常にわかりづらく、中途半端な説明になってしまい、忸怩たるものを感じますが、日本の裁判員制度は、刑事裁判制度全体を視野に含めた場合、どちらかというと、やはり刑事裁判制度の導入元であるドイツのそれに近いといってよさそうな気がしないでもありません。が、いくつかの点でそう言い切ってよいものか判断しかねるというのが偽らざるところです。
さて、前置きが長くなりましたが、最近、このフランスの重罪院で審理された事件で少々気になったものがあったので、ご報告します。
その事件が発生したのは、2006年1月20日から21日にかけての夜。当時23歳だった携帯電話販売員のイラン・アリミ(Ilan Halimi)さんは、主犯である28歳のユスフ・フォファナ(Youssouf Fofana)被告を中心とする若者のグループによって拉致された上、オ・ドゥ・セイヌ(Hauts-de-Seine)県のバニュー(Bagneux)の集合住宅(HLM)内の一室に監禁され、彼と27名の共犯者から数週間に及ぶ暴行を受けました。そして、2月13日、レソンヌ(l'Essonne)付近の鉄道の線路脇で発見され、病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。犯行グループは、アリミさんの監禁中、600回にわたって被害者の自宅に電話をかけ、両親に450,000ユーロに及ぶ身代金を要求しました。日本でも間違いなく裁判院裁判の対象となる事件です。なお、アリミさんはユダヤ人でした。
当然、このケースは、一般市民が裁判に参加する重罪院(事件当時少年を含むため、少年重罪院)に送られ、先日判決が下りました。その内容は、主犯格のフォファナ被告に対しては終身懲役刑(1981年の社会主義政権による死刑廃止後フランスにおける最高刑)、そして、共犯者のうち、2名は無罪、それ以外の25名には執行猶予付きの禁固6ヶ月から懲役18年というものでしたが、アリミさんを連れ出す役を演じた女性は(事件当時未成年者)は、9年の禁固刑でした。
逮捕後のファファナ被告のユダヤ人に対する激しい差別的言動の影響もあり、共犯者に下されたこれらの判決に対し量刑が軽すぎるとする、被害者の家族はもちろん、全国のユダヤ人団体や人権擁護団体などの猛反発を受け、アリオ・マリー(Michèle Alliot-Marie)司法相が、検察側に再審の請求を行うよう求めるという異例の事態に発展しました。このような政府側の司法への介入に対し、もちろん被告側の弁護団は一斉に反発しましたが、結局、共犯者のうち、14名について重罪院での再審が決定したというのが、現在までの経緯です。
この事件に関する一連のニュースを読みながら、日本で発生した類似の事件を思い出しました。1999年に発生した栃木リンチ殺害事件です。それはまた、同年に発生した、桶川ストーカー事件と共に捜査に当たろうともしない警察の姿勢や責任が厳しく問われた事件でもありました。今後は、日本でも、こうした凶悪な事件の裁判に一般市民が裁判員として参加することになるわけですが、私たちが司法の現場に立ち会い、そこで体験し感じたことが、昨今色々と不備が指摘されている司法制度、さらには行政制度に積極的にフィードバックされ、この国に、普遍的な人権の概念と主権者である市民としての意識が広く浸透し、それらを十分に反映する真の近代市民国家としての形が整うことを願うものです。
参考資料(主なもの):
I. 文献
・東京三弁護士会陪審制度委員会 編 『フランスの陪審制とドイツの参審製 ― 市民が参加する刑事裁判 ― 』, 1966, 東京
(とてもわかりやすく書かれている本でお奨めです。)
* 今日の重罪院制度をめぐる議論や、特に同院に焦点をあてた司法制度改革についてご興味をお持ちの方には、次の2冊をお奨めします。
・L'Harmattan 編 『Pour une réforme de la cour d'assises: Entretiens avec François Staechele [et al]』(Collection Logiques juridiques), 1996, Paris
・Association française pour l'histoire de la justice 編 『La Cour d'assises : bilan d'un héritage démocratique』(Collection Histoire de la Justice 13), 2001, Paris
II. ウェブサイト
・最高裁判所サイト
・電子版『LeFigaro』 www.lefigaro.fr Ilan Halimi事件関連記事
・電子版『Le Nouvel Observateur』 permanent.nouvelobs.com 同上
・電子版『Der Spiegel』 www.spiegel.de 同上
・フランス共和国司法省サイトwww.justice.gouv.fr/
* 重罪院については、http://www.justice.gouv.fr/index.php?rubrique=10031&ssrubrique=10033&article=12027 に詳しい説明があります。
・ドイツ連邦共和国連邦司法省サイトwww.bmj.bund.de/
* 『Übersicht über den Gerichtsaufbau in der Bundesrepublik Deutschland』 (図表 ドイツの刑事裁判制度)
- http://www.bmj.bund.de/files/5ab9326da171af40c9c8a358cac1a8d1/978/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20deutsch.pdf
- http://www.bmj.bund.de/files/-/976/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20englisch.pdf (同英語版)- http://www.bmj.bund.de/files/-/979/Schaubild%20Gerichtsaufbau%20-%20franz%C3%B6sisch.pdf (同フランス語版)
* Jörg-Martin Jehle 『Strafrechtspflege in Deutschland』(ドイツの刑事裁判制度), 2009(第5版)
- http://www.bmj.bund.de/media/archive/945.pdf#search=%22schwurgericht%22
- http://www.bmj.bund.de/media/archive/960.pdf#search=%22sch%C3%B6ffengericht%22 (同英語版)
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