どうでもいいことなのですが、「天下り」という言葉がいつ頃から使われ始めたのか、以前から気になっていたので、先日、市立図書館に出かけた折、読売新聞のデータベースで検索してみました。
すると、字こそ違え、「天降り」という言葉自体は、1896年(明治24年)8月24日の朝刊2面「官海の輿論」という記事の中で用いられているのが最初だったことがわかりました。ただ、ここでは、現在のように、退職した官僚が特殊法人や民間企業に再就職するといった意味で使われてはおらず、政治家が各省庁のトップ、すなわち大臣や長官に就任するといった意味で使われていました。前者のような意味で用いられるようになったのは、果たしていつ頃からか、それについて調べている時間はなかったのですが、天下りという言葉はやはり日本人にとってなじみの深い言葉なのでしょう。
「天下り」という言葉は、記紀神話が伝える天孫降臨の物語に由来しています。天孫降臨の物語とは、それを作り上げた為政者の意向をもっともよく反映していると考えれらる『日本書紀』の第一の一書によると、次のような話です。
「あるとき、高天原(たかまがはら:天上にある神様たちが集う場所)において、神々の司令官である天照大神(アマテラスオオミカミ:天皇家の先祖)がニニギノミコトという神様に、地上、すなわち日本の地に《下る》ことを命じ、後者はそれに従い、日向の高千穂の峰に降り立った。」
日向というのは、今の宮崎県のあたりをあらわす地名ですが、そのなかに太陽神である天照大神と関連のある《日》という文字が入っているために作者によって選ばれたのだろうと言われています。そして、このニニギノミコトから、天皇家による日本支配が始まったとされています。
ところで、神々が集う高天原では、この世の森羅万象について評議がされますが、現代の世の中で森羅万象を司っているのは、(少なくとも日本においては)宮庁であり、そこで働く官僚たちです。俗に、役所や役人の総称として《お上(かみ)》と言う言葉が使われますが、正に言い得て妙です。実際、今日の日本において、行政のみならず、それに加えて立法、司法の三権を司っている官僚こそ、現代の《神々》と言ってよいでしょう。では、本来、法律を制定し行政の指揮をとるという自らの役割を、すべて官僚にゆだねている政治家たちはというと、彼らは、これらの神々を《祭る(まつる)》祭司と言えます。古来、日本において政治とは「まつりごと」であり、神々をさまざまな捧げものや芸能によって楽しませ、彼らから恩寵を受けることを意味しますが、これら現代の神々と祭司たちは、無意識のうち(?)にこうした、およそ近代市民社会とは無縁の図式に従ってそれぞれの生存と権益を守り続けているわけです。そして、業界団体は自分たちの利益を増やしてくれる族議員にすがり、地域共同体は、できるだけ多くの税金が自分たちの地域共同体に還元されることを願って、それをかなえてくれそうな人物を議員として選出し国会に送り込もうとします。彼らは皆、現代の祭司である政治家たちの《まつりごと》によって、官僚という神々から恩寵が与えられることをひたすら祈る氏子たちと言うことができます。彼らにとっては、個々の業界の共同体、そして、個々の地域の共同体の存続と繁栄だけが課題であり、それらすべてを包含する《全体》という視点は不在です。このような、いわば《ゲーム》が続いているのは、宗教改革もルネサンスも市民革命も自発的に経験せず、環境の変化に対応するためだけの目的で近代国家になろうとしたこの小さな島国の宿命といえばそれまでですが。
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