Saturday, 29 August 2009

文明と人名

外国の、例えばフランス、あるいはアメリカの法律には、それを提出した議員さんの名前が付けられていることが少なくありません。日本では考えられませんね。

最近のフランスにおける例を挙げれば、セリエ法(loi scellier)というのがあります。 François Scellierさんという議員が提出した、不動産税制に関する法律です。(La Tribuneのサイト上において、来る9月2日、セリエさん自身とこの法律について、チャットで議論できるのだそうです。これも、日本では考えられませんね。

http://www.latribune.fr/patrimoine/20090826trib000414697/chat-le-2-septembre-avec-francois-scellier-depute-conseiller-general-du-val-d-oise.html)

また、ヨーロッパの街角をあるいていると、あるいは地図を眺めても気がつきますが、道や通りに人の名前や歴史上重要な出来事がおきた年月日などがついていることに気がつきます。これも日本では見られません。

こうした個人の名前は、他に学校などにもつけられています。例えば、先日訪れたフランスのマルセイユでも、マルセル・パニョル、あるいはジャック・プレヴェールの名を冠した中学校を見かけました。

さらに、ヨーロッパを鉄道で旅行すると、乗車した特急列車の愛称に偉人の名前がついている場合があります。日本では、ごくわずかな例外を除き、やはりこうしたケースはありません。*1)

交通関連でいうと、リヨンの飛行場には、サン・テグジュペリの名が付され、また、パリの飛行場にもド・ゴール大統領の名前がついています。アメリカでは、NASAのジョンソン宇宙センター ニューヨークのケネディ空港等等、枚挙に限りがありません。

軍艦も同様です。外国では、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales:英)、キング・ジョージ5世(King George V:英)とか、ビスマルク(Bismarck:独)、あるいはリシュリュー(Richelieu:仏)といった名前がつけられますが、帝国海軍では、旧国名(戦艦:長門、武蔵など)、山や川の名前(巡洋艦:鳥海、妙高など)、気象現象をあらわす言葉(駆逐艦:初霜、雪風など)がつけられました。なお,南極観測船しらせは、直接的には人名ではなく、白瀬大尉に因む白瀬氷河からつけられたものです。

ただ、面白いことに、明治時代に鉄道の機関車に個人名が付けられたことがあります。鉄道ファンならご存知の方もおられると思いますが、北海道の官営幌内鉄道(手宮-幌内)を走った弁慶号、義経号、静号などの6両です。これらは、アメリカから輸入された、牛よけつきの前輪軸数、動輪軸数がともに2本(2B:ウェスタンスタイル)という西部劇に出てきそうな7100型機関車ですが、ほかの3両には、「比羅夫」、「光圀」、「信広」という名前がつけられました。それぞれ、安倍比羅夫(あべのひらふ)、徳川光圀(とくがわみつくに)、そして武田信広(たけだのぶひろ)のことでしょう。安倍と武田は、北海道の先住民と戦って勝利した武将、そして、徳川光圀、すなわち水戸の黄門様は、なんでも北海道の調査を命じたとか。いずれにせよ、この三人は北海道とは縁があるわけです。交通博物館のサイトの解説では、当時の欧米の慣習に従って、機関車に歴史上の人物の名前をつけたとありますが、当時のニューヨーク領事であった高木三郎の意見によったものともいわれています。

ここで、少し話が横道にそれます。ご容赦を。

ところで、明治のクーデター政権(あるいは、開拓使でしょうか)が徳川家の人間の名前をよくつけさせてくれたものだと思いますが、それよりさらに奇異に思えるのは、なぜ弁慶、義経、静御前の名前を選んだのかということです。確かに、伝説によると義経主従は、奥州平泉から、兄頼朝の掃討を逃れるため北海道に渡ったといいます。さらに、そのまま大陸に渡り、モンゴルまで行ったとか。そう考えれば、彼らも北海道とは無縁ではありません。でも、なにかしっくりしません。少なくとも個人的にですが。

高木三郎と言う人は、旧庄内藩士の息子で、その家は戊辰戦争の折、クーデター軍から朝敵(天皇の敵)と呼ばれた側に属していました。そこから、想像をそうとう膨らませたのが以下の仮説です。あくまでも、当該の機関車の命名者が高木自身であったとしたらという条件つきですが。

戊辰戦争に勝利した薩長等のクーデター軍は、北海道に逃げ込んだ榎本武揚率いる旧幕府艦隊の残存部隊を函館まで追撃し、彼らを降伏に追い込みます。榎本たちは、北海道の地で旧幕臣団による共和国の建設を望んだのですが、その希望は潰えてしまいます。高木は、庄内藩士を父に持つ身として、こうした旧幕軍の最後を十分承知していたはずです。そして、榎本たち旧幕臣たちの北海道に託して実らなかった夢も。

東北出身である高木にとって、義経たちの物語、さらに彼らにまつわる伝説もなじみのあるものだったでしょう。さらに、兄が差し向けた軍勢によって殺された義経とその忠実な家来の運命は、クーデター軍によって滅ぼされた奥羽越列藩同盟の東北諸藩のそれに重なるものがあったかもしれません。そして、民衆たちの義経たちへの同情から生れたと思われる、彼らの北海道生存伝説と旧幕臣団の北海道共和国というはかない夢もどこかつながっていたのではないでしょうか。ことによると、高木は、今や、彼らを滅ぼしたクーデター政権によって推し進められている北海道開拓の最前線で活躍する機関車に、彼らと同様の運命を辿った義経、弁慶、静という名前をつけることにより、彼らの思いを遂げさせてやろうとしたのではなかったか。そんなことを想像しています。少々ロマンチストすぎますね。

もとの話に戻りましょう

西洋では公共の施設や乗り物に人の名前を冠するが、日本にはそうした習慣はないのはなぜかということですが、その理由をひとことでいうと、前者は、ユダヤ・キリスト教の影響、後者は御霊信仰、あるいは儒教の影響ではないかと思っています。

先に、日本のケースについて考えてみましょう。御霊信仰というのは、不本意な死に方をした人間は、死後も霊としてこの世に生きる人々に良くない影響、つまり危害を及ぼすという考えです。菅原道真や崇徳院などにまつわる言い伝えが、その代表的な例です。彼らの祟りを鎮めるために適切な祭祀が執り行われる必要があります。そして、儒教では、霊はよりしろに宿ると言う考えがあります。つまり、何かに霊が乗り移るという信仰です。人が亡くなったとき、その人が日常使っていたもの(例えば湯のみ茶碗など)を壊す習慣があります。これは、その人の霊がそれに乗り移ることを避ける意味があると思われます。また、遺体の上に刃物を載せますが、これは、反対に霊の抜け殻となった遺体に別の霊が宿るのを防ぐためです。基本的に、誰しも死ぬのはいやですから、できれば死後もこの世に、家族のそばに留まりたい、ただ、そのためには何らかのよりしろが必要なのです。しかし、一般的に、死んだ人の霊がこの世に留まり続けるのは、良いこととは思われていません。やはり、それは不自然なことであり、ともするとその霊は、生きている人に良くない影響を与えることがありうるという考えは、私たちの間に広く浸透しています。

以上が、日本において、欧米におけるような、通りや学校やその他いろいろなものに、人の名前をつけるという習慣が根付かなかった理由です。つまり、何かに人の名前をつけてしまうと、その人の霊がそこに宿ってしまうのではないかというほとんど無意識の恐れがあると思えるのです。例えば、学校にある人物の名前を付したとします。そして、あるときそれが火事で消失でもしたりしたら。私たちは、それにより、その学校に名前が付けられた人の(霊の)怒りを買ってしまい、何か良くないことが起きるのではないか、そういう心配は持たないでしょうか。

施設に人の名前が付けられても大丈夫な場合は、主に神社等の宗教施設です。身近な例では、東郷神社、乃木神社などです。もちろん、両者とも偉功を成し遂げた軍人であり、軍事大国を目指した当時の政府のプロパガンダの道具的側面も否定できませんが。この場合、彼らは神として正しく祭られているので、安心というわけです。正しく祭られれば、特に生前に偉大な働きを行った人の霊は、生きている人たちに恩寵を与えてくれます。

そして、今度は、西洋のケースです。キリスト教文化が支配的な今日の西洋では、少なくとも上記のような考えはほとんどありません。生き続ける死者としてのヴァンパイヤの伝説もありますが、基本的に人間に危害を与えるのは、悪魔です。しかし、悪魔に対する恐れより、人間こそがこの世の主人公であるという考えのほうが優勢です。人間は、他の被造物(神によって創造されたもの、自然や動物など)に比べ、まったくことなるステータスが与えられています。彼は、他の被造物の主人であり、管理者なのです。ですから、人間が造った施設など、すわなち文明の所産に人の名前をつけるとは、この世界に支配者としての刻印を残すことであり、ごく自然なことなのです。

【神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 】
- 旧約聖書 創世記 1章 27,28節(新共同訳)

そして、最後に忘れてはいけないことは、こうしたキリスト教(及びユダヤ教)の、人間が自然も含め、他の被造物の支配者であるという思想には、同時に、彼らを管理し、保護するという責任と義務を負っているということも含まれるので、環境の劣化に対する関心やその保護に積極的に取り組む姿勢を生み出す契機をも提供しているということです。


スイス イッティンゲン(Ittingen)にて

*1 EuroCity(欧州国際都市間特急)の愛称(例):
フランツ・リスト(FRANZ LISZT) ブダペスト― ウィーン
バルトーク・ベラ(BALTOK BELA) ブダペスト― ウィーン
モーツァルト(MOZART) ミュンヘン― ウィーン
スタンダール(STENDAHL) パリ― ヴェニス
パウ・カザルス(PAU CASALS) チューリヒ― バルセロナ
フランシスコ・デ・ゴヤ(FRANSICSO DE GOYA) パリ― マドリード
マリア・テレジア(Maria Theresia) ウィーン― インスブルック― チューリヒ
ヨハン・シュトラウス(Johann Strauss) ウィーン― ヴェニス
アントン・ドボルザーク(Antonín Dvořák) ウィーン― プラハ
ヨハン・グレゴール・メンデル (Johann Gregor Mendel) ウィーン― プラハ
パガニーニ(Paganini) ヴェロナ― ミュンヘン
ミケランジェロ(Michelangelo) リミニ - ミュンヘン
レオナルド・ダヴィンチ(Leonardo Da Vinci) ミラノ― ミュンヘン
デゥマ(Dumas) ミラノ― パリ(TGV)
カイザリン・エリザベート(KAISERIN ELISABETH) チューリヒ―ザルツブルク
サルバドール・ダリ(SALVADOR DALI) ミラノ― バルセロナ
ストラディヴァリ(STRADIVARI) ウィーン―ヴェニス
ドン・ジョヴァンニ(DON GIOVANNI)ウィーン―ザルツブルク
ロッシーニ(ROSSINI) ウィーン― フィレンツェ― ローマ
トスカ (TOSCA) ウィーン― ローマ
* ドン・ジョヴァンニとトスカは、オペラの登場人物の名前ですが。

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