Monday, 15 July 2013

戦時下の英国を追体験 - セバーンバレー保存鉄道のイベント"Step back to the 1940's"

スイスで知り合った英国人の鉄道愛好家の方から,バーミンガムに行くのであれば,是非訪れるべきと薦められたセバーンバレー鉄道(Severn Valley Railway).そこで,毎年6月末から7月初めにかけて行われている催しですが,国全体が勝利に向かって懸命に耐えた時代を懐かしむといった堅苦しいものではなく,どこか英国人特有といえそうなユーモアを感じさせるところもあり,軍服に身を包んだ多数の参加者や居並ぶ軍用車両にもかかわらず,全体にながれる雰囲気は,むしろみんなで楽しもうという和気あいあいとしたものでした.

主催するセバーンバレー鉄道は,中部イングランドを代表する保存鉄道で,前身はグレートウェスタン鉄道の一支線.英国の保存鉄道では珍しいことではありませんが,もともと駅等の施設が時代がかっていて,しかも運行される列車がすべて蒸気機関車牽引で客車も旧型車両となると,まさに舞台設備としてはこれ以上は望めないというほどの完璧さ.

当日,滞在中のバーミンガムから乗ったChiltern Railwaysの 近郊線の列車(ボンバルディア社製の気動車)をセバーンバレー鉄道の起点であるキッダーミンスターで降り,すぐそばのセバーンバレー鉄道の同駅へ歩いて向かったのですが,駅前にはオールドタイマーやジープが並び,これから自分が足を踏み入れようとしている世界が日常とは相当異なるものであることは十分想像がつきました.それでも,窓口で一日乗車券を購入して構内に入るやいなや,その場を支配している異様な雰囲気にこれ迄経験した事のないような戸惑いを覚えざるを得ませんでした.そこは,再現などという生易しいものではなく,まさに戦時下1942年7月の英国そのものだったのです.当時,枢軸国として英国と交戦状態にあった国の人間としては,身の置き場所に困ったほどだったのですが,ほどなくその自分で勝手につくってしまった気まずさも氷解し,観客の一人として楽しく過ごせた一日でした.さらにいえば,このイベントを通じて英国人の民族性の一面にも触れることができたような気がします.その意味で貴重な経験だったと思っています.機関車の写真のキャプションに記したGWRは,Great Western Railwayの略です.セバーンバレー鉄道の機関車のほとんどが元GWR所有車両です.(WikipediaのGWRの機関車の項目へはこちらからどうぞ.)

(最後に,バーミンガムとストラトフォード・アポン・エボンを結ぶシェークスピア急行の写真も掲載します.ご笑覧ください.)

ではまず,手渡されたフライヤーから.(サイトから予めダウンロードもできました.)


キッダーミンスターの駅に向かうと駅前はこのとおり.

キッダーミンスター駅(SVR)の駅前広場にはオールドタイマーが勢揃い.



もちろん,軍用車両もぬかりなく..

Kidderminster駅の構内 1942年への時間旅行の入口

同上

Kidderminster駅の検閲所 当時はどこへ移動するにも身分証明書の検閲があったようです.

一日乗車券とともに渡されたIDカード(外側)
同上(内側)

乗り込んだ列車の牽引機は34053 Sir Keith Parkという3気筒パシフィック機(英国式表示における車輪配置は4-6-2,動輪直径は6 ft. 2 in.なのでおよそ1.89m,最高速はというとテストランの記録では116 km/h(72 mph)程度は出たようです.)

まずは機関車博物館(Engine House)のあるHighley駅で下車. 

Highley駅での英国軍との戦闘シーンのために待機中の独軍兵士(でも皆さん,ブリティッシュのようです.実際の戦闘シーンでは最初はへんなドイツ語で,そのあとは英語で号令をかけていましたので.)

中央に腰掛けている男性を除けば,ほんとうに当時に迷い込んだよう.

Highleyの機関車博物館(Engin House)のそばに展示されていた名機スピットファイアの原寸大の模型

笑顔がすてきな二人のRAFの制服姿のgentlemen. スピットファイアの前でポーズ

Highleyを出発したKidderminster行きの列車 牽引機はタンクエンジンの5643 (GWR 5600クラス:0-6-2T)

同じ5643に牽引されたBridgnorth行き列車

こちらは,Bridgnorth行き列車を牽引する5164(GWR 5101クラス:2-6-2T)

ハーレイの機関車博物館内に展示されている48773.ロイヤルエンジニアの記念機関車です.フランスで運用するため陸軍省によって発注され,1940年に製造されました.フランスがドイツの支配下に入った後,英国に一旦戻りましたが,ソ連参戦後は,イラン横断鉄道でロシアへの戦時物資輸送の任にあたりました.1942年8月9日には,らくだと衝突して脱線.その後はエジプトのスエズ運河周辺の路線で活躍しました.車輪配置は,2-8-0.
巨大な青い機関車ゴードン号.名前の由来は,General Gordon of Khartoumから.第二次世界大戦中,戦時機関車として,とにかく早く安く造られたモデル.(ドイツの52形みたいに.)ボイラーも低品質の石炭の使用を前提に設計されています.戦後は,ハンプシャーのロングムーア軍用鉄道(Longmoor Military Railway)で機関士の訓練用に使用されました.(側面のLMRの表記はそのため.)1957年のスエズ危機のときは,ロングムーアとサザンプトンの間で秘匿物資の輸送にあたりました.その後,SVRで活躍しましたが,1998年,ボイラーが故障したため,それ以降静態保存されています.車輪配置は,2-10-0(やはり,ドイツの52と同じ.)
世界記録保持車のマラード号(Type A4)を設計したグレスレイ卿(Sir Nigel Gresley)の帽子も展示されています.
グレスレイ卿の名前がつけられたA4形機関車Sir Nigel Gresleyは保存財団の所有ですが,実際の運用管理はNYMRによって行われています.なお,A4形機関車の運行については,こちらのポストをご覧下さい.

Shrewsbury College of Art & Dramaの演劇科の学生さんたちが機関車博物館内(Highley Engine House)で1940年代の歌,踊りなどを披露.さすがはプロを目指しているとあって素晴らしいパーフォーマンスでした.

Highley駅に進入するBridgnorgh行き列車 牽引機は2857(GWR 2800クラス:2-8-0)

同上

いよいよ戦闘開始
以上が,Highley駅の様子でした.次は,Bridgnorth駅へ.

Bridgnorth駅で行われていた1940年代風のコンサート(すみません.ピントが後ろに合ってしまいました.)

Highley駅で英軍と独軍との戦闘シーンのあとに演説を行ったMr Winston Churchill.Bridgnorth駅にて.

Bridgnorth駅

石炭と水をたっぷり補給してもらう7812.(GWR 7800(Manor)クラス:4-6-0)Bridgnorth駅

同上

帰りの列車の個室でご一緒したご家族のお祖父様.戦争当時の思い出話を聞かせてくださいました.話がご持参されたガスマスクに及び,ご親切にも実際に装着してみせてくださいました.そのうえ,娘さんからはお手製のスコーンまでごちそうになり,当時,日本は枢軸国であり英国とは敵同士だったのにと恐縮すると,今はもう敵ではないし,また,来年もいらっしゃいと笑顔で仰ってくださいました.加えて,たまたま同じ個室に乗り合わせていた方が相当鉄道に詳しい方だったので,いろいろとお話を伺う事ができたのも幸運でした.しかし,英国の鉄道愛好家の方たちの鉄分は冗談抜きで半端ではありません.

Kidderminsterの駅のビュフェの入口.入口に置かれた看板の文章と奥のRAFの制服の男性を見るとここも1942年で時間が止まってしまったかのよう.暑かったのでほとんどのお客さんはビールを注文していましたが,お酒がだめな私はいつものようにソフトドリンクを注文.ところで,あちこちで目にするARPとはAir Raid Precautionの略.

以下は,バーミンガムから乗ったシェークスピア急行で訪れたストラトフォード・アポン・エボンでのスナップです.(実を言うと,はるか昔ロンドン近郊の大学で英語の夏期講座を受講した折に遠足で一度訪れたことがあるのですが,そのときと比べると相当様変わりしているように思えました.)
ストラトフォード・アポン・エボン シェークスピアの生家のそばで

シェークスピアのお墓がある聖三位一体教会

市内

ストラトフォード・アポン・エボンに入線するシェークスピア急行

ストラトフォード・アポン・エボン駅

バーミンガムに向かう途中の車窓風景

バーミングアム・ムーア駅に戻ったシェークスピア急行の牽引機(旧Great Western Railway 4900 Class ,車輪配置は英国式表示で4-6-0) 気のせいか,おしなべて英国の蒸気機関車の排気音は異様に大きく聞こえます.元気が良くていいなとは思いますが.
セバーンバレー鉄道は,風光明媚な路線としてThe Times社の"BRITAIN'S SCENIC RAILWAYS"*1)でも紹介されていて,撮り鉄の方々にも推薦できる路線です.レンタカーで沿線を巡るならThe Ordnance Survey map of the area, “Landranger 138”(ISBN 0-319-22138-5)という地図がお薦めだそうです.(現地の鉄道ファンの方からの情報.)

ところで,Step back to 1940'sの催しからバーミンガムに戻る途中,何故日本はこんな国と戦ったのだろうという疑問がやたらに現実味を帯びて頭に浮かんできました.質実剛健でありながらユーモアも忘れない,そんな英国の人々.戦争自体の善悪は別として,うらやましいと思ったのは,当時,彼らはウィンストン・チャーチルというリーダーのもとに結束していたということです.同じ事は米国民とフランクリン・D・ルーズベルトとの関係についても言えますが,それに比べて日本はどうだったのか.顔の見えるリーダーの下,国民は同じ価値を共有し一丸となって戦争に臨んでいたのか,おおいに疑問です.

なお,こうした戦争当時の雰囲気を再現する催しは,例えばNorth Yorks Moors Railwayのように英国の他の保存鉄道でも開催されますが(Railway in Wartime),それを思うと,英国の人たちを理解するのは,自分にはやはり少し難しいかもしれないななどと考えてしまいます.

最後になりますが,英国の保存鉄道では基本的に転車台を備えていないため,機関車の向きの変換はありません.撮影する場合は,その点に留意する必要があります.また,ドイツとフランスの機関車の重連運転等が観られるスイスにおいても事情は同様です.以上,老婆心ながら.



*1)英国を鉄道(保存鉄道も含めて)で旅する際に役に立つ一冊.ハードカバーの大型本のため携行はできませんが,写真,地図,解説が充実していて旅行の計画を立てるときの参考書としてはもってこいの本です.(著者:Juian Holland, David Spaven; ISBN 978-0-00-747879-8).英国の保存鉄道を訪ねる旅に必携の本は,やはりなんといってもこちら.そう,毎年刊行されている"Railways Retored"です.もちろん,セバーン・バレー鉄道もしっかり紹介されています.

Wednesday, 10 July 2013

ドイツ啓蒙主義者たちの肖像 - アントン・グラフ展

スイス出身の画家アントン・グラフ(Anton Graff, 1736-1813)は,フリードリヒ大王やシラー,レッシングなどドイツや英国の啓蒙主義運動の多くの重要な人物たちの肖像がを描いたことで有名ですが,現在,彼の作品の展覧会が出身地のヴィンタートゥール(Winterthur)のオスカー・ラインハルト美術館で今年(2013年)の9月29日まで開催されています.詳しくは,こちらから(日本語版ページ).なお,会場内の説明はすべてドイツ語です.

英国で始まった啓蒙主義運動は,その後大陸へ伝わり,フランス革命(1789)にも影響を及ぼしたと言われています.そして,西洋近代市民社会の形成において,その精神的基盤を提供したとも言われています.当時の啓蒙主義者たちの国際的なネットワークの中に自らの身を置き,彼らと個人的な親交を結んだグラフの肖像画は単なる外面(res extensa)の描写に終わることなく,モデルの内面あるいは魂(res cogitans)をも含めた存在そのものを表現していると高く評価されています.古典主義,ロマン主義などと平行して18,19世紀ドイツの精神風土を形成した潮流のひとつ啓蒙主義をその国際的な文脈の中で捉えることもできる展覧会です.
AUFKLÄRUNG ist der Ausgang des Menschen aus seiner selbstverschuldeten Unmündigkeit. Unmündigkeit ist das Unvermögen, sich seines Verstandes ohne Leitung eines anderen zu bedienen. Selbstverschuldet ist diese Unmündigkeit, wenn die Ursache derselben nicht am Mangel des Verstandes, sondern der Entschließung und des Mutes liegt, sich seiner ohne Leitung eines andern zu bedienen. Sapere aude! Habe Mut, dich deines eigenen Verstandes zu bedienen! ist also der Wahlspruch der Aufklärung.
啓蒙とは人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他人の指導なしには自分の悟性を用いる能力がないことである。
 この未成年状態の原因が悟性の欠如にではなく、他人の指導がなくとも自分の悟性を用いる決意と勇気の欠如にあるなら、未成年状態の責任は本人にある。
 したがって啓蒙の標語は「あえて賢くあれ!」「自分自身の悟性を用いる勇気を持て!」である。(福田喜一郎訳,『カント全集 14』,岩波書店, 2000年, p25)
上記は,会場で目にしたイマニュエル・カントによる啓蒙("AUFKLÄRUNG")の定義.西洋近代市民が持つべき理想的な精神的姿勢と言えるでしょう.こうした考えが生まれるに至ったのは,例えば我が国などは経験することがなかった,ルネサンスにおける人間の自由意志の発見や宗教改革における既存の権威への合理的な手段を用いての実証的な批判など,過去の精神的遺産の累積があったからに他ならないでしょう.個人において未成熟性が克服されるには,長い年数とさまざまな体験が必要であるように,ひとつの国家や国民においてもそれらは必要なのでしょうね.

Friday, 21 June 2013

Trin駅で思ったこと - 日本の大衆信仰

スイスのレティカ鉄道で,プルマン編成の特別列車が運行されるというので,ライン川沿いを走るところをカメラに収めようと,いさんでTrin駅まで行って待っていたのですが,どういうわけか来ませんでした.

ところで,この駅ですが,オンデマンド停車の駅で,駅舎の半分は管理者の方の住宅のようです.そして,このお宅がまた少々変わっていて,まわりが陶器の置物や石などで飾られ,さながら小規模な屋外展示場のような雰囲気.そこでとくに目を引いたのが,下の写真に後姿が写っている黒髪の美しい妙齢のご婦人とおぼしき人物でしたが,実はこれはマネキン人形. 遠くから見ると,あたかも真の人間のように見えます.ライン川沿いの山間の駅で,まわりにほかの人家は見当たらず,草木も眠る丑水時となると何らかの怪異の舞台となってもおかしくないように,日本人としては思える場所です.そこにまさにお誂え向きのマネキン人形.しかし,こちらにお住まいの方は無頓着のようです.

列車の窓から見えた時は,人だと思ったTrin駅のマネキン人形
Trin駅の駅舎.向かって左側が管理者の方のお宅.よく見るとテラスに腰かけたマネキン人形が見える.
私たち日本人,特に私のように昭和三十年代前半生まれのものにしてみれば,このように人の形をしたものは特に霊魂のよりしろになり易いので扱いに注意が必要という考えがほとんど無意識のうちに刷り込まれてしまっています.確か,本来は儒教の思想だと思いますが,実際,我が国では,古来,人形,面などが登場する怪談が少なからず語り継がれています.しかも,そういった話は,構造的には伝統的なストーリー(能において見られるような)を踏襲しつつも舞台を現代に変えた新しいバージョンが生まれ続けているように思えます.

日本人の信仰の伝統的な形態といえば,柳田國男が言うような祖霊信仰(または,氏神信仰)や京都などの祇園祭りの由来となった御霊信仰でしょうが,そうした信仰が,地縁血縁という自然な関係により結びついた村落共同体を中心とした農耕社会から,会社などの組織の,いわば人工的な関係により結びついた共同体を中心とした工業社会への移行に伴い形を変えながらも存続し続けているわけです.

日本の伝統的大衆信仰は,また,特に最近の政治家たちの言動や行動にそれらの影を落としているように思えてなりません. 保守を標榜する政治家たちや彼らを支持する有権者たちの行動を決定しているのも,結局は,こうした信仰のようです.つまり,自然死以外の死,とりわけ無念な死を経験した死者の魂は今でもこの世に対し,大きな影響を及ぼしうる存在であり,彼らを祭り敬い,彼らの機嫌を損ねること,戦死者の場合であれば,彼らの名誉を傷つけるような言動は避け,彼らが喜ぶこと,たとえば彼らの行為を称賛する言動や行動をとることが,自国の存続と繁栄のカギであるという信仰です.こう考えると,今日の日本の政治家に見られる大衆主義(Populism)のPopuls(大衆)は,死者をも含んだものであり,場合によっては,それら死者のほうが生者よりも重要視される傾向があるといってよさそうです.そうなると,それは御霊信仰そのものです.もっとも,日本において古来,政治は祭りごとであり,こうした姿勢が至極自然なことなのかもしれません.とはいえ,こうした精神風土が変化しない限り,過去を直視することなどできるはずがありません.

結局,日本人の精神構造は,仏教伝来以来,あるいはそれ以前からまったく変わっていないのかもしれません.いずれにしても,確実に思えることは,こうした信仰が今後も引き続き世代を超えて継承され続けてゆくということです.そのために今日の大衆メディアが果たしている役割は極めて大きいといわざるを得ません.同時に,こうした今日の大衆信仰を,学術的,客観的,合理的な考察の対象としない日本の学術界の姿勢もその理由のひとつといえるでしょう.こうした環境下,日本の大衆信仰は,ひとつの整合性のある教義体系に収斂することなく,ひたすら怪異譚という形で語られるストーリーを媒体として人から人へ,そして世代から世代へと,感覚的,情緒的に伝承され,そのためそれらを聴く個々人の意識下よりはむしろ無意識に近いレベルにおいて根深く定着してしまっているといえます.

そういえばと,思い出したのが下の写真ですが,ご覧いただいてどう思われるでしょうか.
デジタルカメラではそれほど珍しい事象ではないと思うのですが,SDカードが一杯になりかけていたので,それまで保存していた画像を削除した際,フォーマットをしなかったせいか,以前のデータが残っていたようで,なぜかこの写真に写りこんでしまったようです.白みがかった部分が削除されずに残ってしまった画像で,以前,自宅の近所で撮影した墓地の写真なのですが,これも含めてすべてのデータを削除したのにも拘わらず,なぜ,この墓地の写真のデータだけが写りこんでしまったのか,頭では偶然に過ぎないと思いつつも,一瞬とはいえ,ふと,何か尋常ではない超自然的な力が働いてしまったのではないかと考えてしまった自分に気づくのです.ちなみに下がたまたま同じ構図で撮影した写真です.場所は,ドイツ,ドレスデン中央駅17番線ホームです.
心霊関係の話は,以上にして,厄落としというわけではないのですが,Trinで撮影した写真を以下に載せます.でも,確か,蝶々も,古来,人の魂の化体といった信仰がありますね.
結局来なかった特別列車を空しく待っていたあいだに目にしたアゲハチョウ.
中央に止まっているのはモンシロチョウでしょうか.

Thursday, 20 June 2013

真夏のヨーロッパ,鉄道旅行で気をつけたいこと


6月19日付電子版シュピーゲル誌”Bahn-Probleme mit Klimaanlagen: "Herr Schaffner, neuen Aufguss bitte!"”より

5月の豪雨からやっと解放されたと思ったら,今度は真夏の猛暑に見舞われているヨーロッパですが, ドイツ鉄道のICEの空調設備の故障が問題となっています.数年前からかなり頻繁に発生しているたようで,ドイツ鉄道は車内温度の上昇により被害を受けた数千人もの利用者に対し賠償金を支払ったそうです.そして,今年もすでにICEの利用者の間では,ツイッターなどを通して情報交換が行われているようで,それによると,例えば18日火曜日にDüsseldorfからWiesbadenへ向かったICE1652では,空調の故障により車内は完全にサウナ状態だったとのこと. この日,同様の問題が発生したのは,ドイツ鉄道によるとOberstdorf-Hannover間, Stuttgart-Hamburg間, Bratislava-Binz間, Villach-Hamburg間, München-Berlin間,Graz-Saarbrücken間を走行するICEおよびEC(Eurocity)だったようで,それらは運行は中止され,乗客は他の列車に乗り換えたそうです.なぜ,火曜日に集中して複数の列車の空調が故障したか原因は不明とのことですが,これを伝えたドイツ鉄道の担当者は,1400本もの列車のうち,7本に空調の故障が発生しても,技術的許容範囲に含まれるので問題はないという見解を示しています.とはいえ,ドイツ鉄道としては,今後,同様の問題の発生を防ぐため,ICE車両の空調の改良を進めており,すでにICE-2においては完了,ICE TおよびICE 3においても順次進めてゆく方針のようです.

記事では,最後にツイッターから拾った数件の事例を紹介していますが,そのなかには,空調が故障して車内の気温が上昇したため,多くの乗客たちが食堂車(Bordrestaurant)に詰めかけたものの,突然レジが閉鎖され,飲み物を購入することができなくなったという報告がありました.

高速で快適なICEですが,猛暑が予想されるこの夏,利用するときは十分に注意する必要がありそうです. 

緑陰の中,渓流に沿って進むWeisseritztalbahnのSL列車.こちらは空調無しでもまったく問題はありません.

Sunday, 9 June 2013

Wälderbähnle,SL故障

オーストリア,フォアアルベルグ州の狭軌鉄道Wälderbähnleでは,通常,土曜日にはSL列車が運行されますが,先週の土曜日の運行の際にSLに発生した故障により,今日はディーゼルロコが代替機として牽引しました.*1)







Schwarzenbergの駅に行くには,Dornbirn駅から38系統のバスSchwarzenberg in Vlbg Dorfplatz行きを使うのがお奨めです.州道48号線(L48)を走るこの路線は峠を越える際の景色がとりわけ美しく,遥か彼方にボーデン湖を見ることができます.(進行方向左側の席に掛けましょう.)なお,終点のSchwarzenberg in Vlbg Dorfplatz(一番上の写真)から駅までは歩いても行けますが,同停留所でEggから来る35系統Bezau Busbahnhof行きに乗り換えて,二停留所目のRitterで降りれば歩いて1分もかかりません.料金は,Dornbirn駅からSchwarzenbergまで当日中なら往復できる一日乗車券(Tageskarte nach Schwarzenberg)が6.20ユーロで,乗車時に運転手さんから,または駅(窓口or自動券売機)で購入します.バスの時刻表へのアクセスはこちらから.

上掲の写真+αを掲載したアルバムへのアクセスはこちらからどうぞ.

*1) Facebookに詳しい情報が記載されているかもしれません.アカウントをお持ちの方は,ご参照されるとよろしいでしょう.

Friday, 7 June 2013

夕暮れの村(I)

美しい夕暮れに惹かれてカメラ片手に村内を散歩.以下,そのときに撮影した写真のなかから.

昨日と今日の温度の上昇で山頂付近の雪がかなり溶けたファルクニス
小学校の校舎の塔 夕日が当たって風情を感じたので

小学校のそばの街頭水道 要するに水飲み場
奥に見える塔は,フロイデンベルグ城址公園の一部
ドルフバードで村の吹奏楽団の演奏が行われていました.ファサードの時計は正確です.

上の写真は,3枚目を除き,すべてBad Ragazの駅前通り(Bahnhofstrasse)で撮影したものです.(3枚目は,Kirchgasseで撮影)

Thursday, 6 June 2013

エルベ川の水位変化を示す地図(毎日更新)

5日付のドイツ紙Hamburger Morgenpostの記事Dresden bereitet sich auf Evakuierungen vor(電子版)によると,現在もザクセン地方において歴史的高水位が続いているエルベ川ですが,国境に近いドレスデンの東地区では,住民を避難させる必要性も出てきているようです.

記事によると,5日朝の時点でドレスデンにおけるエルベ川の水位は8.27mで,通常の2mの4倍以上.今後の水位は,チェチェンからザクセンへ流れる水量によるとのこと.

エルベ川の水位変化を示す地図はこちらから.
(地図上の赤い三角マークをクリックすると当該の地域におけるエルベ川の水位の変化が示されます.)

さらに詳しい情報は,下記URLのサイトをご覧ください.
www.pegelonline.wsv.de

上記サイト内のドイツ全体の状況を示した地図へはこちらから.(地図上の青色の点が河川の高水位を表しています.)

同様の情報は,meinestadt.deからも提供されており,州ごとの状況が示されています.(リンク先は,バイエルン州の水位情報のページですが,ページの下に各州ごとの水位情報へのリンクが記載されています.)

また,ドレスデン市内の各地の交通の状況を示すライブカメラの映像は,VVO(Verkehrsverbund Oberelbe)のサイトで確認が可能です.市交通局の市電やバスの運行に関する詳しい情報は,こちらからどうぞ.

さらに,ドイツ鉄道の河川の氾濫による運行への影響についての情報は,こちらからどうぞ.(地図上の当該の州をクリックしてください.濃い色で表示された州において運行への影響が出ています.)

なお,先ほど(6日19:30)スイスSRFの夜のニュースを視ましたが,エルベ川の水位はこの週末さらに上昇することが予想されているようです.

下の映像は,6日19:33に南ドイツ紙のサイトに掲載されたもので,Elster, Maissen, Passauの状況を伝えています.(画像をクリックすると再生が始まります.)

Schellenursliの舞台Guarda

天気が良くなったので,突然思いついてGuardaに行ってきました.

My Switzerland.comには以下の説明が載っています.

Guarda in the Lower Engadine is so beautiful a village that it was awarded the Wakker Prize. It also received the distinction "Of national importance". One of its stately houses inspired Alois Carigiet when he drew the home of Schellenursli.

1945年に出版された,カリジエ(Alois Carigiet)が絵を担当した絵本"Schellenursli"(『ウルスリのすず』)における主人公Ursliの家のモデルとなった建物がある(あるいは,あった?)そうです.



上掲のものも含め撮影した写真をこちらに載せましたので,ご興味がありましたらご覧ください.

なお,昼食はHotel Restauran Meisserの展望テラスで, 名物のMalunsを頂きました.添えられていたアップルムースも,今回はなぜか抵抗なく味わうことができました.(いつもは苦手なのですが.)そして,やはり添えられていたBergkäseとの相性も抜群でした.

ところで,カリジェについては,気になることがひとつあります.それは,彼が1969年に描いた故郷トルンの老人ホーム聖マルティンの家(Casa s. Martin)の礼拝堂の壁を飾るキリストの受難画(Kreuzweg)の中の磔刑図です.このような受難画のシリーズは,カトリックの教会では珍しくはないのですが,彼の描いた磔刑図ほどむごたらしいものを見たことはありません.画面の右には,自らの顔の下で両手を開き,殺された息子に驚きの眼差しを向ける母マリアと彼女を支える聖ヨハネが描かれ,左には十字架上の目を閉じ,頭を90度下に曲げ,全身に血潮が滴っているキリストが描かれているのですが,その血の流れ方がとても正確に描かれているのです.彼の両手は十字架の水平方向の木材に釘で打ち付けられていますが,その打ち込まれている場所が手のひらではなく,手首であり(手のひらでは体重を支えきれないといわれています.),そこから血が幾条もの線となって彼の腕を伝って落ちています.そして,この絵に強烈なむごたらしさを与えている,彼の右脇腹に突き刺さったままの槍の傷から滴り落ちる血も,その槍を赤く染め,また,太ももから膝へと流れています.つまり,タッチはあくまでも我々が親しんでいる彼独特のタッチなのですが,対象の描き形があまりにも現実的であり,そのため,現実に起こり得た出来事としての説得力を持って見るものに迫ってくるのです.彼が描く美しい自然と可愛らしい子供たち,また,やさしい大人たちや動物たちが暮らす世界しか知らなかった私にとって,数年前のこの磔刑図との出会いは鮮烈な体験でした.カリジェがどのような意図でこの画を描いたのか,できれば知りたいと思っています.少なくとも,彼が最高の画家と讃え,その作品から多くのを学んだというジョルジュ・ルオーのキリスト像とは相当異なっています.ひとつ思い当たるのが,彼が語ったという,自分の絵画は"narrative art"であるという言葉です.つまり,彼は自らの終の住まいとして戻った故郷トルンの礼拝堂を飾るためにキリストの受難のストーリーを,既存の描き方から離れ,自らが理解する通りに筆と絵の具を用いて徹底的に「物語」ったのではないかのではないか,そのように思えるのです.*1) 言わば,彼の絵画による信仰告白ともいえるかもしれません.



*1) 1962年,彼がチューリヒで行った講演の際の言葉.cf. Wikipediaの解説

Tuesday, 4 June 2013

ハイジの国の新しい仲間 - Ein neugeborgener Bürger von Heidiland

洪水の懸念も遠のき,久しぶりに青空が戻ってきたので,ギーセン池へ行き白鳥の赤ちゃんを見に行きました.小さいくせに,なかなか演技力があります.

少々多めに写真を載せましたが,ウェブアルバムへはこちらからどうぞ.

Für den Zugang zum Webgallary "Swans in Giessen See", bitte hier klicken.


上掲のアルバムでは,やはり写真が多すぎるので,少し減らしたバージョンがこちらです.たまたまスライドショーで再生させて,バックにダ・カーポの『野に咲く花のように』を流してみたところ,ちょうど途中の山の写真のあたりで曲が終わりました.

Sunday, 2 June 2013

五月雨に祟られたスイス

このところのまとまった雨によって,各地で洪水の恐れが懸念されているスイスですが,先日,知り合いの奥さんから,彼女のご主人が経営している会社の女性社員から教えてもらったという笑い話を伺いましたが,それを以下に引用しました.(Facebookで流れているようです.)

Es regnet seit Tagen Mein Mann ist deprimiert und guckt ständig durchs Fenster Befürchte wenn es weiter regnet dass ich ihn reinlassen muss

(数日来の雨で夫は気を病んでしまい窓を見続けている.このまま降り続いたら,彼を(家の)中に入れてやらなければならなくなるのではないかと心配している.)

こんな小噺を交換しあったりしないとやってられないのでしょうね.なにしろ,スイスの気象観測史上,これほどまで日照時間が少なかった5月というは初めてといいますから.そんなわけで,ここバード・ラガーツも雨の日曜日です.


SF METEO