以下,1月20日付Le MondeのLe personnage en « une » de « Charlie Hebdo » n'est pas le Prophète !からメモしたことです.(予めおことわりしておきますが,個人的には他人様が嫌がることをするのは宜しくないと思っているので,ムスリムの方達が嫌がっている人物画を公開することには反対です.しかし,クルアーン(場合によってはスンナ)に対し,聖書に対して行われているような科学的な文献批評を用いた解釈やそれに基づく議論は大いに行われてよいのではないかと思っています.もちろん,無理にとは言いませんが.)
Charlie Hebdoの表紙に描かれた人物が預言者モハメットであると述べたのは.Charlie Hebdoのカートゥーニスト,Luzさん.Charlei Hebdoの社是である「神と権威には屈しない」(«ni Dieu ni Maître»)を信条し,表現の自由を擁護するLuzさんは,すでに2011年に同様の人物を描いている.では,Luzさんの,彼が描いたものは預言者であるという言葉をその通り受け取るべきなのだろうか.
シーア派の最初のイマムであるAliの言葉によると,預言者の身体的特徴は以下のとおり.(抄訳)
歴史上,モハメットの表象は存在する.中でも興味深いものは,630年にメッカを支配下においたときに偶像を破壊する場面を描いたもので,彼自身もその中に描かれている.
Silvia Naefは,著書Y a-t-il une question de l’image en Islam ? (éditions Téraèdre, Paris, 2004)の中で,クルアーンの中には画像あるいは偶像(訳注: 以下,画像に統一)に関する原則は記載されていないとしている.画像(image)を意味する« sûra » という言葉は,一度だけ表れるが,それは神(Allah)による人間の創造の場面でのこと.また,形作る(«former, façonner, modeler»を意味する動詞« sawwara »は,神による創造の行為を表現する場合のみしか用いられていない.
その一方で,預言者の死後150年程後に編纂されたハディース(預言者の言葉や働きのエピソードを集めたもの)には,画像についての言及が多く見られる.それによると,スンニにとってもシーアにとっても,画像は次の3つの理由から禁止されている.
以上のことから,イスラムの芸術の伝統には写実主義が存在しない理由が理解出来る.とすると,イスラムの芸術の延長線上は,ルネ・マグリットがいると言えるかもしれない.
いずれにせよ,すでに述べたように,預言者モハメットの姿は如何なる方法でも再現することは不可能であるため,どこの誰が,自分が描いたものが預言者といってもそれはモハメットではあり得ない.と言えるのではないだろうか.
メモは以上です.この記事を読んで,エジプトのアル=アズハル大寺院がCharlie Hebdoの表紙画について発表した声明を思い出しました.曰く「(あんなもの)無視しなさい.」 (Cf. 1月14日付IndepentのAl-Azhar, en Egypte, appelle les musulmans à "ignorer" le nouveau Charlie Hebdo)
(関連記事:Journalisten und Zeichner im Fadenkreuz von Attentätern in SRF
Charlie Hebdoの表紙に描かれた人物が預言者モハメットであると述べたのは.Charlie Hebdoのカートゥーニスト,Luzさん.Charlei Hebdoの社是である「神と権威には屈しない」(«ni Dieu ni Maître»)を信条し,表現の自由を擁護するLuzさんは,すでに2011年に同様の人物を描いている.では,Luzさんの,彼が描いたものは預言者であるという言葉をその通り受け取るべきなのだろうか.
シーア派の最初のイマムであるAliの言葉によると,預言者の身体的特徴は以下のとおり.(抄訳)
《体型は中背.髪は長く,ウェーブがかかっている.顔は際立って大きくもなく,頬も膨らんでいない.皮膚の色はピンクがかった白.瞳は黒.まつげは長い.》モハメットは,精神面,身体面の分野においてムスリムの理想であり手本と仰ぐ存在であると同時に完全に到達することはできない目標.つまり,彼のようになることはできない.まして,画像において再現することは100%不可能.ということは,作者が自らの筆によるものが預言者モハメットであるといかに主張しようと,それは偽りでしかあり得ない.
歴史上,モハメットの表象は存在する.中でも興味深いものは,630年にメッカを支配下においたときに偶像を破壊する場面を描いたもので,彼自身もその中に描かれている.
Silvia Naefは,著書Y a-t-il une question de l’image en Islam ? (éditions Téraèdre, Paris, 2004)の中で,クルアーンの中には画像あるいは偶像(訳注: 以下,画像に統一)に関する原則は記載されていないとしている.画像(image)を意味する« sûra » という言葉は,一度だけ表れるが,それは神(Allah)による人間の創造の場面でのこと.また,形作る(«former, façonner, modeler»を意味する動詞« sawwara »は,神による創造の行為を表現する場合のみしか用いられていない.
その一方で,預言者の死後150年程後に編纂されたハディース(預言者の言葉や働きのエピソードを集めたもの)には,画像についての言及が多く見られる.それによると,スンニにとってもシーアにとっても,画像は次の3つの理由から禁止されている.
- 画像は汚れたもの.画像を掲げられた場所は汚れており祈祷に不適切.(「天使は犬がいるところと画像が掲げられた場所には入れない」訳注: ムスリムにとって犬は汚れた生き物.)
- 偶像崇拝を招く.
- 創造者は神のみであり,画像を描く者は神の地位に自らを置くものである.
以上のことから,イスラムの芸術の伝統には写実主義が存在しない理由が理解出来る.とすると,イスラムの芸術の延長線上は,ルネ・マグリットがいると言えるかもしれない.
いずれにせよ,すでに述べたように,預言者モハメットの姿は如何なる方法でも再現することは不可能であるため,どこの誰が,自分が描いたものが預言者といってもそれはモハメットではあり得ない.と言えるのではないだろうか.
メモは以上です.この記事を読んで,エジプトのアル=アズハル大寺院がCharlie Hebdoの表紙画について発表した声明を思い出しました.曰く「(あんなもの)無視しなさい.」 (Cf. 1月14日付IndepentのAl-Azhar, en Egypte, appelle les musulmans à "ignorer" le nouveau Charlie Hebdo)
(関連記事:Journalisten und Zeichner im Fadenkreuz von Attentätern in SRF
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