Sunday, 5 April 2015

ジャーマンウィングス機墜落事故を巡るアメリカとドイツの議論 (英語 / ドイツ語)

今回の事故の調査で見えたドイツのプライバシー保護の姿勢は行き過ぎであり,また,ドイツは自らの技術力の敗北を認めたがらないために調査が進展しないとするアメリカの2紙(The Washington Postの'Crash challenges German identity, notions of privacy'とThe New York Timesの''Jet Crash Tests Germany’s Faith in Its Precision')の批判に対し,ドイツのSPIEGELは4日付のDebatte über Germanwings-Absturz: Der fehlerhafte Mensch? Ausgeschlossenの中で,問題の根は今日の先進諸国の内に形成されている「晩期資本主義」的社会(社会学者Heinz Bude氏が'Gesellschaft der Angst'(= 'Socity of Fear')と形容する)の性質の中に潜んでいるのではないかという視点を示しています.'Socity of Fear'とは,そこに暮らす人が,一旦「敗者」のラベルが貼られるや否や社会からつまはじきされてしまうという恐怖に絶えずさいなまれている社会のことです.

以下,上掲のSPIEGELの記事に目を通して,ふと頭に浮かんだことです.
  • 詳細は,まだ明らかになっていないものの,もし,今回の事故が自殺願望を抱いていた副操縦士による意図的に起こされたもであったとしたら,航空事故史上希有な事件と云える.
  • パイロットの中で自殺願望を抱いている人がいるとすると,民間と軍では,ほぼ間違いなく後者の方が多いと思われる.(本ブログのこちらのポストを参照してください.)
  • 自殺願望を抱いたパイロットによる意図的な墜落は,これまで起きた民間航空機事故の原因からも除外はできないかもしれないが,少なくとも聞いたことはない.しかし,民間航空機の事故に比べ調査結果が秘匿されることが多々あると思われる軍用機の墜落事故の原因であった可能性も否定できない.そして,今後も類似の原因により意図的な墜落が起きる可能性は,軍用機のほうが確率的に高いのではないだろうか.それは,戦場のみならず,基地における訓練時でも起こりえることは云う迄もない.なぜなら,必要な条件は飛行可能な機材と自殺願望を抱いたパイロットだけだから.
  • Heinz Bude氏によって'Society of Fear'と名付けられた今日の社会について云えば,その「恐れ」が為政者によって国民を管理し操作するための手段として用いられる場合もあるだろう.その恐れのなかには,特に日本のように,国も国民も幕末の徳川幕府以下の情報収集能力および分析能力しか持ち合わせていないようにときには思えるところ(政府が直接的,間接的に海外の情報を国民に知らせないようにしていると思えるふしも有り)では,海外情勢についての情報不足によって生じる恐れも含まれる.とりわけ同盟国と,少なくとも表面上は定義するアメリカに関する情報が少ないように思えてならない.

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