Tuesday 11 September 2012

大都会のオアシス,白金の瑞聖寺

「都会のオアシスのようですね.」 付近に高層の建物が林立するこの辺りにこのような静かな場所があるのに驚いたとの私の感想に,時務所の受付の方は,そう応じられました.
 
港区白金台にある紫雲山瑞聖寺(しうんざんずいしょうじ)は, 四代将軍家綱の命を受け中国僧隠元禅師によって開かれた禅宗の一派黄檗宗の黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)*1)の第二世木庵禅師を請じて開山とし,摂津国麻田藩主青木甲斐守*2)を開基として寛文十年(1670)に創立された,江戸における黄檗宗の名刹寺院です.享保十一年(1726),延亮二年(1745)と二度の火災に見舞われたものの,その後,再建がなされ,文化元年以降,鹿児島藩島津家*3)からの寄進もあり,さらに整備がなされました.

往事のその勇壮な禅宗伽藍は『江戸名所図絵』(文政十一年,1828年刊)にみることができます.
 
明治維新の折には,廃仏毀釈のあおりを受け,かろうじて残った大雄宝殿,庫裏,御霊屋(おたまや),表門,裏門などを除く諸堂がことごとく失われましたが,昭和六十年から四年の歳月をかけて大修復が実施され,残存する建築群が維新前の姿に復しました.*4)

なお,大雄宝殿および通用門(裏門)は昭和五十六年港区指定有形文化財,昭和五十九年東京都指定有形文化財となり,その後,前者は,平成四年に国指定重要文化財の指定を受けています.

大雄宝殿の仏壇中央には,本尊の木造釈迦如来座像,脇侍として,右には釈迦牟尼の十大弟子の一人迦葉尊者立像,そして左には同じく阿南尊者立像が安置されています.
(以上,時務所にて頂いた参拝者用パンフレットから抜粋.)

境内 正面が大雄宝殿

同側面 明朝様式と呼ばれる珍しいもの
 
同裏側の回廊

鐘楼
 

隠元禅師はいんげん豆を伝えた方としても有名です.禅師が,大陸から我が国に禅宗を伝え広めるという偉大な功績を持った方であることは言を俟ちませんが,同時に,精進料理に代表される,徹底的に無駄を省きつつも,中国由来の医食同源の伝統をも受け継いだ禅宗独特の非常に豊かな食文化を,ある意味に於いて象徴する人物でもあったのではないかと推察しております.(少々罰当たりな発言かもしれませんが...ご容赦を.)


*1)  寛文元年(1661)創建.京都府宇治市所在.黄檗宗は,一部の上流階級の間に信仰を得たが,あまり発展せず,その寺院の数も少ない.長崎の崇福寺や宇治の萬福寺の建築は,明の様式を直接模した部分が多く,我が国の寺院建築において特殊な位置を占めている.(瑞聖寺パンフレットより)
*2)  外様,一万石.
*3)  鹿児島藩江戸藩邸は,JR田町駅付近に位置していて.白金台からは,それほど離れていない.当時の感覚では目と鼻の先だったろう.
*4)  日本人が維新という言葉を用いるときは,どうもエクセントリックな行動に走るか,それを熱望する傾向があるようです.とはいっても,こと宗教に関する限り,明治政府の,神道以外の宗教をすべて廃絶させるという大胆な企ては結果的に頓挫したことは,今日の日本の宗教事情を一瞥しただけでも判りますが.そして,維新という出来事が起こってから,相当な年月を隔てた後に,当時は,想像だにしていなかった不幸が近代日本を襲ったようにに思えます.明治維新は,太平洋戦争へと日本を向かわせる,いわばラプラスの魔のような側面を持ち合わせていたように感じざるをえません.

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