Thursday 13 February 2014

映画『塩狩峠』に登場した蒸気機関車 - 三菱大夕張鉄道No.3, No.4号機

今月28日は,明治42年(1909年)同日に,北海道の宗谷本線塩狩峠において自らの命を犠牲にして大事故を未然に防いだクリスチャン青年鉄道員長野政雄さんの1905回目の命日です.この出来事は三浦綾子さんの小説『塩狩峠』に描かれていますが,それをもとに1973年,松竹とワールド・ワイド映画が共同で同題の映画を制作しています.*1)

以下に書くことは,長野さんの命日を前に些か不謹慎かもしれませんが,一人の鉄道ファンとして最近知ったことです.それは,映画に登場する蒸気機関車(もちろん本物)のことです.二両登場しますが,国鉄9600形式のヴァリアントのひとつで,日立製作所により私鉄三菱鉱業大夕張鉄道向けに製造されたNo.3およびNo.4号機だったそうです.撮影の際には,それぞれ除煙板を外し,ナンバープレートも302, 809, 405といった三桁のものに付け替えて使用されていたようです.*2)

最初にこの映画を観たのは高校生のときですから,今から30年以上も前のこと.(その後,留学中のフランスでも観る機会がありました.) 長野さんの行為に感銘を覚えたことはもちろんですが,鉄道少年としてひとつ気になったことがありました.それは,映画の冒頭,鉄道青年会*3)の名寄支部発足式の翌日,講演者として招かれていた長野さんが名寄から帰路に着くときのシーンで彼が乗る列車を牽引する機関車の後ろ姿が写ったのですが,炭水車の両脇が後方に向かって下り勾配がついた形状をしていたのです.それを観て,当時持っていた知識からC56*4)と判断したのですが,続けて観て行くと本体はC56とは違う.むしろ,9600のような印象を受けました.(特にオープニングクレジットには,はっきりとその特徴的な姿が写っていました.)そして,最近,ウィキベディアのお陰でその謎がようやく解けました.ウィキペディアの国鉄9600形蒸気機関車の項の「私鉄の同形機」の箇所に三菱鉱業大夕張鉄道向けに製造された車両の炭水車が上記の仕様になっていたと書かれています.つまり,9600形の本体にC56形の炭水車を連結したようなタイプの機関車だったというわけです.大夕張鉄道のNo.3およびNo.4の製造年はそれぞれ1937年,1941年でしたから,C56の製造初年である1935年より後であり,やはりC56のバックスロープ型テンダーにヒントを得たのでしょう.また,それ以外にも国鉄形とは異なる仕様があったらしいことは,映像からも判ります.

ところで,こうした形状の炭水車は,世界でも珍しいのではないかと思います.外国の蒸気機関車で多少の知識を持ち合わせているものといえばドイツの蒸気機関車くらいですが,少なくともドイツには同様の炭水車は存在しません.逆に,ドイツにあって日本にない炭水車のタイプというと車掌室付き炭水車を挙げることができます.ドイツ語で"Kabinentender"(= Cabin tender)といいますが,貨物列車の車掌車を節約するために考案されたそうです.(例えば,2'2'T26 Kabなど.*5))あるいは,戦時仕様の50形や52形用に考案された浴槽形テンダー("Wannentender" = "(Bath)tub tender".2'2'T 30),同様に,復水式テンダー("Kondenstender" = "Condensation tender")なども日本には存在しません.なお,復水式テンダー(3'2'T 16など)を備えた機関車は,復水式機関車("Kondenslokomotive")という特殊な形式に属します.

ここで話を映画『塩狩峠』に戻しますが,このポストに運営されているサイトへのリンクの設置を許可していただいた三菱大夕張鉄道保存会の方から次の情報も頂きました.それは,『塩狩峠』は,ほぼ全編が大夕張で撮影されたこと,旭川教会*5)として登場する建物は,現存する日本キリスト教会鹿ノ谷教会*6)であること.そして,映画の撮影に使用されたNo.3, No.4については,両機とも保存されてはいるものの,No.4は夕張市の破綻により保存施設が閉鎖,No.3は個人所有でしたが,鉄道保存協会に譲渡され,同団体により保存および公開の手段が検討されているといったことです.

上記の独特の形状を持った二両の機関車のうち,どちらか一両でも公開される日が一日も早く来ることを願って止みません.(できれば,動態保存機として復活し,また広大な雪原を力走する姿が見られれば最高なのですが...)




*1) やはり,ウィキペディアから知ったことですが,似たような殉職事件は昭和22年,長崎県打坂のバス路線でも発生しています.ここでも,当時21歳の鬼塚道男車掌が自らの体を車止めにして急勾配を下り落ちるバスを止めることに成功し,乗客達の命を救いました.(cf. ウィキベディア「打坂地蔵尊」)ひとつ,ここであえて強調しておきたいことがあります.それは,長野さんにしても鬼塚さんにしても,彼らの行為はあくまでも自発的な決断によるものであって,自らが所属する社会集団(例えば,国家)による強制ではなかったということです.すなわち,映画『月光の夏』で描かれたような国家から軍神として無理矢理命を捧げさせられた特攻隊員たちや,同様に『When Pigs Have Wings』で描かれたイスラム原理過激主義者たちによってやはり強制的にムジャヒディンおよび殉教者とさせられそうになった主人公の行動とは決定的に異なるものであるということです.
*2) 詳しくは,三菱大夕張鉄道保存会のサイト内の「映画の舞台・三菱大夕張鉄道」のページをご覧下さい.同じく「1970年5月混合3列車乗車記」には,デフロスタを付けたバックスロープテンダー付9600の写真も掲載されています.なお,実際に事故が発生したのは1909年のことですから,当該列車を牽引していたのはもちろん9600ではありません.
*3) 正確には「鉄道キリスト教青年会」』.1908年,益富政助(ますとみ まさすけ)によって設立された団体.(Cf. 『日本キリスト教歴史大事典』,p899) 
*4) C56は,個人的に好きな形式のひとつですが,タンク機関車のC12をテンダー機に改造したものだそうです.ウィキペディアの解説には,ドイツの旅客用タンク機関車64形をテンダー機に改造した24形にヒントを得たのではと書かれていました.ところで,ドイツには逆の例もあります.つまり,テンダー機をタンク機に改造した例です.具体的には,57.14‰という急な勾配区間が存在するHöllentalbahn用に強力な貨物用テンダー機44形をベースに開発された三気筒の85形(1'E1' h3t)です.80番台なのでドイツ帝国鉄道(DRG)時代に開発された貨物用の統一規格機ですが,旅客列車も牽引しました.なお,合計10両製造されたもののうちの1両がフライブルグに展示されていますが,近い将来,動態保存機として復活し,ドライゼーエン鉄道でその勇姿を見せてくれることになりそうです.(2014年1月18日に放送された同保存鉄道を取り上げた"Eisenbahn Romantik"による情報.)日本では,D52とほぼ同じボイラーを使ったE10がそれに近い例と言えるかもしれません.(動軸数では,前者は4,後者は5と異なりますが.)
*5) 長野さんが実際に所属していたのは,現在の旭川六条教会.

*6) なお,車掌室付きテンダーは,ドイツにおいては唯一統一規格形の2'2'T 26を改造したもののみ製造されましたが,面白いことにオーストリア連邦鉄道においては,浴槽型テンダー2'2'T 30を改造したものもありました.(形式名は,2'2'T 30 Kabということになるのでしょうか.)(Cf. Die Dampflokomotive-Technik und Funktion, Teil3・Kurvenbewegliche Laufwerke, Bremsen, Lokomotiveausfrüstung und Tender, Eisenbahn JOURNAL Archiv, 3 Auflage, Hermann Merker Verlag Gmbh, Fürstenfeldbrück, 1994, pp66f)
*5) インターネットで鹿ノ谷教会という言葉で検索すると「夕張伝道所」として表示されます.

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