Friday 21 June 2013

Trin駅で思ったこと - 日本の大衆信仰

スイスのレティカ鉄道で,プルマン編成の特別列車が運行されるというので,ライン川沿いを走るところをカメラに収めようと,いさんでTrin駅まで行って待っていたのですが,どういうわけか来ませんでした.

ところで,この駅ですが,オンデマンド停車の駅で,駅舎の半分は管理者の方の住宅のようです.そして,このお宅がまた少々変わっていて,まわりが陶器の置物や石などで飾られ,さながら小規模な屋外展示場のような雰囲気.そこでとくに目を引いたのが,下の写真に後姿が写っている黒髪の美しい妙齢のご婦人とおぼしき人物でしたが,実はこれはマネキン人形. 遠くから見ると,あたかも真の人間のように見えます.ライン川沿いの山間の駅で,まわりにほかの人家は見当たらず,草木も眠る丑水時となると何らかの怪異の舞台となってもおかしくないように,日本人としては思える場所です.そこにまさにお誂え向きのマネキン人形.しかし,こちらにお住まいの方は無頓着のようです.

列車の窓から見えた時は,人だと思ったTrin駅のマネキン人形
Trin駅の駅舎.向かって左側が管理者の方のお宅.よく見るとテラスに腰かけたマネキン人形が見える.
私たち日本人,特に私のように昭和三十年代前半生まれのものにしてみれば,このように人の形をしたものは特に霊魂のよりしろになり易いので扱いに注意が必要という考えがほとんど無意識のうちに刷り込まれてしまっています.確か,本来は儒教の思想だと思いますが,実際,我が国では,古来,人形,面などが登場する怪談が少なからず語り継がれています.しかも,そういった話は,構造的には伝統的なストーリー(能において見られるような)を踏襲しつつも舞台を現代に変えた新しいバージョンが生まれ続けているように思えます.

日本人の信仰の伝統的な形態といえば,柳田國男が言うような祖霊信仰(または,氏神信仰)や京都などの祇園祭りの由来となった御霊信仰でしょうが,そうした信仰が,地縁血縁という自然な関係により結びついた村落共同体を中心とした農耕社会から,会社などの組織の,いわば人工的な関係により結びついた共同体を中心とした工業社会への移行に伴い形を変えながらも存続し続けているわけです.

日本の伝統的大衆信仰は,また,特に最近の政治家たちの言動や行動にそれらの影を落としているように思えてなりません. 保守を標榜する政治家たちや彼らを支持する有権者たちの行動を決定しているのも,結局は,こうした信仰のようです.つまり,自然死以外の死,とりわけ無念な死を経験した死者の魂は今でもこの世に対し,大きな影響を及ぼしうる存在であり,彼らを祭り敬い,彼らの機嫌を損ねること,戦死者の場合であれば,彼らの名誉を傷つけるような言動は避け,彼らが喜ぶこと,たとえば彼らの行為を称賛する言動や行動をとることが,自国の存続と繁栄のカギであるという信仰です.こう考えると,今日の日本の政治家に見られる大衆主義(Populism)のPopuls(大衆)は,死者をも含んだものであり,場合によっては,それら死者のほうが生者よりも重要視される傾向があるといってよさそうです.そうなると,それは御霊信仰そのものです.もっとも,日本において古来,政治は祭りごとであり,こうした姿勢が至極自然なことなのかもしれません.とはいえ,こうした精神風土が変化しない限り,過去を直視することなどできるはずがありません.

結局,日本人の精神構造は,仏教伝来以来,あるいはそれ以前からまったく変わっていないのかもしれません.いずれにしても,確実に思えることは,こうした信仰が今後も引き続き世代を超えて継承され続けてゆくということです.そのために今日の大衆メディアが果たしている役割は極めて大きいといわざるを得ません.同時に,こうした今日の大衆信仰を,学術的,客観的,合理的な考察の対象としない日本の学術界の姿勢もその理由のひとつといえるでしょう.こうした環境下,日本の大衆信仰は,ひとつの整合性のある教義体系に収斂することなく,ひたすら怪異譚という形で語られるストーリーを媒体として人から人へ,そして世代から世代へと,感覚的,情緒的に伝承され,そのためそれらを聴く個々人の意識下よりはむしろ無意識に近いレベルにおいて根深く定着してしまっているといえます.

そういえばと,思い出したのが下の写真ですが,ご覧いただいてどう思われるでしょうか.
デジタルカメラではそれほど珍しい事象ではないと思うのですが,SDカードが一杯になりかけていたので,それまで保存していた画像を削除した際,フォーマットをしなかったせいか,以前のデータが残っていたようで,なぜかこの写真に写りこんでしまったようです.白みがかった部分が削除されずに残ってしまった画像で,以前,自宅の近所で撮影した墓地の写真なのですが,これも含めてすべてのデータを削除したのにも拘わらず,なぜ,この墓地の写真のデータだけが写りこんでしまったのか,頭では偶然に過ぎないと思いつつも,一瞬とはいえ,ふと,何か尋常ではない超自然的な力が働いてしまったのではないかと考えてしまった自分に気づくのです.ちなみに下がたまたま同じ構図で撮影した写真です.場所は,ドイツ,ドレスデン中央駅17番線ホームです.
心霊関係の話は,以上にして,厄落としというわけではないのですが,Trinで撮影した写真を以下に載せます.でも,確か,蝶々も,古来,人の魂の化体といった信仰がありますね.
結局来なかった特別列車を空しく待っていたあいだに目にしたアゲハチョウ.
中央に止まっているのはモンシロチョウでしょうか.

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