Thursday 30 July 2009

プロヴァンス小紀行(4) マルセル・パニョルのこと

マルセル・パニョルといえば、カミュやジオーノと共に南フランスを代表する作家であり、彼の代表作である『少年時代の思い出』(『Souvenirs d'enfance』)シリーズに含まれる4作品、『La Gloire de mon père』、『Le Château de ma mère』、『Le Temps des secrets』、『Le Temps des amours』のタイトルがすぐに頭に浮かぶ方も多いのではないかと思います。

この4作品には異なる邦題が存在しているようなので、とりあえずは直訳、あるいは意訳すると、それぞれ『我が父の栄光』、『母の館』、『少年時代の秘密』、『恋するころ』というようになるでしょうか。(パニョルファンの方へ - イメージをこわしてしまったらごめんなさい。)

最初の2作品は、1990年に映画化され、日本でも公開されたようです。そして、残りの2作品は、それから17年後の2007年に、国営テレビ局のFrance2及びFrance3が中心となってテレビドラマ化され、France2において放送されました。これら4作品とも、とても素晴らしい作品ですが、個人的には、特に1990年に制作された最初の2作品が好きです。そこでは、ごく平凡な家族の幸せが描かれ、同時にそれがいかにはかなく、壊れやすいものであるかも表現されているように感じました。同様に、それを一緒に育み、分かち合った相手の死によっていきなり終止符が打たれてしまう友情も。ただ、だからこそ、それらは守ってゆくべきなのではないだろうか、そして、それこそが人生に意味を、また、価値を与えることではないかとも。

(これらの作品のDVDは、原作本も含めて、Amazon.frにて購入可能です。なお、老婆心ながら、これらフランス製のDVDの再生時に出力される映像信号はPAL方式のため、一般の家庭用テレビで鑑賞する場合は、PALからNTSC方式に変換可能なDVDプレイヤーが必要です。パソコンでは、通常、問題なく再生されます。)

そういえば、ふと感じたことですが、子どもを主役とした映画は、どうもスペインや、イタリア、そしてフランスとラテン系の国に名作が多いように思えます。私の好みの問題かもしれませんが。

それと、改めてパニョルが制作した映画のリスト(上掲の4つの小説各巻の終わりに掲載されています)を見ると、ジャン・ジオーノの原作の映画化が少なくないことにも気がつきました。実際、パニョルが制作した作品は、1931の『Marius』から1967年の『Le curé de Cucugnan』まで、3回制作された『Topaze』を含め、合計23本に及びますが、そのうち、ジオーノの原作に基づくものは4本で、これほど多くの原作をパニョルの映画作品に提供している作家は他にいません。なぜでしょう。例えば、マルセイユ出身の名喜劇俳優フェルナンデル(Fernandel : 1903-1971)が研屋(rémouleur)の役で登場する、初期の代表作『Regain』(1937)も、ジオーノの原作に基づいています。( オーバーニュにあるマルセル・パニョル記念館の学芸員の方から、「なにか、質問はありませんか」と聞かれたとき、質問しておけばよかった~!やはり、どこへ行くにも予習が大切ですね。)

また、彼は、父親の期待どおり、一時期教職についていますが、エクス・アン・プロヴァンスの大学で専攻したのは、英文学だったのですね。フランスを代表する作家の一人で、しかもアカデミー・フランセーズ会員だったマルセル・パニョルが、若いころ英文学を勉強していたとは。これも、少々意外な、でも嬉しい発見でした。

なお、パニョルについての情報をとても丁寧にまとめているサイトがありましたので、以下にお知らせしておきます。

www.marcel-pagnol.com

また、オーバーニュ市観光局の公式ウェブサイト(www.oti-paysdaubagne.com)にも、パニョル縁の地を訪ねるトレッキングについてなど、パニュル関連の情報が掲載されています。(ホーム・ページの「Nos collines」にポインターを合わせると表示されるメニューの「Le Garlaban de Pagnol」をクリックしてみてください。)

さて、今回、折角マルセイユに来たのだからと、友人に勧められて一緒に訪ねたパニョルゆかりの場所はというと、その生家(現在は、記念館)があるオーバーニュ(Aubagne) 、その近郊の彼の墓があるラ・トレイユ(La Treille)の墓地、『母の館』に登場するラ・ビュジヌの城(Le Château de la Buzine)、マルセイユ10区に残る、1897年から1900年にかけて彼の父が勤務した公立サン・ルウ初等学校跡(L'Ecole communnale de Saint Loup - 彼の家族もそこに住んでいました。)などです。

ラ・トレイユは、もちろん、彼が少年時代に家族と共に休暇を過ごした村。周囲に広がる自然は、上記作品の中で語られるさまざまな思い出を育んだ舞台です。

なお、ラ・ビュジヌの城は、現在、映画資料館として公開されるべく改修工事中で入館はできません。詳しくは、マルセイユ市の公式ウェブサイトをご覧ください。


サン・ルウ初等学校の跡に建てられた建物の壁面に掲げれらたプレート


オーバーニュにあるマルセル・パニョル記念館の学芸員は、柔道をたしなんでいると言うとても親切な若い男性で、どことなく小学校の先生を思わせる雰囲気の方でした。地図の上に、その学芸員の方が書いてくれた道筋を頼りにたどり着いたパニョルの墓。近くに、『母の館』の舞台となった水路がありました。また、墓地に向かう途中、やはり『母の館』の中のワン・シーンで、父親の元教え子で、水路管理人のブジーグとマルセルの家族が一緒にテラスのテーブル囲む、居酒屋のレ・キャトル・セゾン(Les Quatre Saisons)の側を通りました。
ラ・トレイユの教会 墓地から少し登ったところにあります。

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