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Wednesday, 4 May 2016

'終活'について考えたこと - 所感

折節イスラム圏などの開発途上国に赴任することがありますが,当然,出発前には自分が死亡したときの対応を家族に伝えています.A4のケースに入れた書類等一式を渡して説明し,3分程度で終了です.葬儀は直葬が希望ですが,もし何らかの理由でお別れの式をする場合,多少予算に余裕があるならば,桜川ぴん助社中のような踊りのチームに依頼し数名のダンサーに来て頂いて,例えば出棺のときに伊勢音頭とかっぽれでも踊って頂けば有り難く十分です.なお,以下,手間がかかりすぎるため実行不可能ですが,思いついた埋葬(希望は散骨)までの手順です.ご参考迄に.(国外で死亡した場合,死体が回収できたら.)

早桶に死体を入れ,担いでもらい,落語『黄金餅』のルート(下谷→麻布)を移動.(かなり長い道中になるため,『猫怪談』のルート: 深川蛤町→伊藤松坂(上野)→山下(上野公園入口)→池之端→七軒町→谷中でも,もちろん可.*1) どこかの火葬場でだびに付した後,向島の川畔に骨壺を置き,瓢箪から酒を注いで,会葬者に「野を肥やす骨にかたみのすすきかな.生者必滅会者定離,頓証菩提,南無阿弥陀仏.骨をたたいてお伊勢さん.神楽が好きでとっぴきぴのび.」(Cf. 『野ざらし』)と唱えてもらい,埋葬.その後は,お盆が来たら反魂香を焚いてもらう.(Cf. 『反魂香』)

死と言えば,家族からおそわりましたが,スティーブ・ジョブズさんは,いつも同じ服しか着なかったそうです.確かに彼の出で立ちというと,毎回,白シャツと黒ズボン.自分専用の国民服と言ったところでしょう.衣服の組み合わせを考えている時間がもったいないからだそうですが,それを聞いて,オバケのQ太郎も同じ衣装(ガウンは白でズボンは黒)をいくつもワードローブに持っていて,それを代わる代わる着ていたことを思い出しました.なお,Qちゃんの衣装の場合,それらは吊るしておくと自動的に洗濯されていたと思いますが,スティーブ・ジョブズさんの場合は,恐らく洗濯していたと思われます.ただ,Q太郎が身なりについて思案する時間を惜しんでいたかどうかは知りません.

そういえば,Q太郎が飼われていた家のお父さんの声を担当されていたのは,鬼太郎のやはりお父さん(眼球)を演じておられた田の中勇さんだったと記憶しています.
死を巡っては,もうひとつお話を書きます.以前,秋田で勤務していた折,秋田港近くの自動車専用道でひき逃げされたと思われる狸が1頭横たわっていたのを見つけたことがありました.片側一車線であったため,通過する車は,みなよけて行きます.カラス達も側に降りてついばもうとするのですが,車が来るのでそれもままなりません.いずれにせよ,邪魔だし危険なのでどこかへ移動しようと思い,自分の車を数百メール離れた駐車スペースに止め,近く迄戻って良く見ると,打ち所がよかったというのか,殆ど傷がついていません.回りは森林だったので埋めようと思えばできたのですが,時間も道具もなかったので,カラス達に鳥葬にしてもらうように森林の中の少し開けた平地に横たわらせ,その場を後にしました.これもひとつの善行ではなかったかと思うのですが,今日に至る迄,『狸賽』のような経験はしておりません.


*1) もし,コスチュームラリーのようなものをする場合は,猫怪談のほうが楽しそうです.早桶の担ぎ手が,先棒がラオ屋の甚兵衛さん,後棒が与太郎.そして,付き添いとして大家さんが同行します.それぞれが扮装して,胸に大きめのネームプレートを付ければ完璧です.もっとも,その場合は,さすがに本物の死体を入れて走ることは出来ませんが...

Tuesday, 3 May 2016

憲法記念日にふと脳裏に浮かんだ懸念 - 所感

憲法を変更することについては必ずしも反対ではありませんが,危惧しているのは,今,変更しようとしている人々は,彼らの思い通りに変更したら最後,その後は凡ゆる手段を講じて憲法についての議論も,将来に於ける更なる変更も極端に困難に或は事実上不可能にしてしまうのではないかということです.凡ゆる手段の中には,もちろん世論の醸成も国民の教育も含まれます.

なお,すでに安全保障関連法が可決された今となっては,手遅れの一言に尽きますが,憲法も含めて集団的自衛権を容認する場合,私たち日本人に,例えばドイツやアメリカのように自らの採った行動を何らかの規範に則って検証する能力が果たして十分に備わっているかどうか大いに疑問です.こうした能力は,関連法や憲法の修正にとって無くてはならないものです.ドイツのNHKに相当するARDは,2008年にドイツ軍とアメリカ軍が起こしたアフガニスタン,クンドゥースでの142人もの民間人犠牲者を出した誤爆事件を徹底的に検証する番組を制作しました.(„Eine mörderische Entscheidung“) また,アメリカでは,アメリカ軍の攻撃用ヘリがイラクにおいて劣化ウラニウム弾を発射する30mm機関砲で複数の民間人を射殺した事件を描いたドキュメンタリー映画が制作されました.("Incident in New Baghdad") 日本人に,そして日本のメディアにこうした深い自己分析能力とそのための一貫した倫理や規範が果たして備わっているでしょうか.自然災害と同じように,過去に起きたことは,仮に自分たちが招いた災厄であったとしても,すぐに水に流してしまう習性を私たちは長い歴史の中で身につけて来ました.しかし,そうした姿勢は,とりわけ戦争の当事者となった場合,日本の政治家たちが価値観を共有していると形容する西洋諸外国の目には無責任であるとしか映りません.

以上のようなことを旧友で日本通のフランス軍の情報将校に言うと,「君は日本人に対して厳しすぎる」と言われます.