Tuesday 3 May 2016

憲法記念日にふと脳裏に浮かんだ懸念 - 所感

憲法を変更することについては必ずしも反対ではありませんが,危惧しているのは,今,変更しようとしている人々は,彼らの思い通りに変更したら最後,その後は凡ゆる手段を講じて憲法についての議論も,将来に於ける更なる変更も極端に困難に或は事実上不可能にしてしまうのではないかということです.凡ゆる手段の中には,もちろん世論の醸成も国民の教育も含まれます.

なお,すでに安全保障関連法が可決された今となっては,手遅れの一言に尽きますが,憲法も含めて集団的自衛権を容認する場合,私たち日本人に,例えばドイツやアメリカのように自らの採った行動を何らかの規範に則って検証する能力が果たして十分に備わっているかどうか大いに疑問です.こうした能力は,関連法や憲法の修正にとって無くてはならないものです.ドイツのNHKに相当するARDは,2008年にドイツ軍とアメリカ軍が起こしたアフガニスタン,クンドゥースでの142人もの民間人犠牲者を出した誤爆事件を徹底的に検証する番組を制作しました.(„Eine mörderische Entscheidung“) また,アメリカでは,アメリカ軍の攻撃用ヘリがイラクにおいて劣化ウラニウム弾を発射する30mm機関砲で複数の民間人を射殺した事件を描いたドキュメンタリー映画が制作されました.("Incident in New Baghdad") 日本人に,そして日本のメディアにこうした深い自己分析能力とそのための一貫した倫理や規範が果たして備わっているでしょうか.自然災害と同じように,過去に起きたことは,仮に自分たちが招いた災厄であったとしても,すぐに水に流してしまう習性を私たちは長い歴史の中で身につけて来ました.しかし,そうした姿勢は,とりわけ戦争の当事者となった場合,日本の政治家たちが価値観を共有していると形容する西洋諸外国の目には無責任であるとしか映りません.

以上のようなことを旧友で日本通のフランス軍の情報将校に言うと,「君は日本人に対して厳しすぎる」と言われます.

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