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Sunday, 7 October 2012

アルザス小紀行(おまけ) - 公共という言葉の意味

鉄道博物館からの帰り道,自転車で走りながら,市内の主な通りのほとんどにかなり幅の広い自転車用の走行路が両方向に設けられていることに気づきました.そして,すでに述べたように,あちこちに公共のレンタルサイクルのスタンドが設けられ,多くの人によって利用されています.パークアンドライド用の駐車場も市のはずれに整備されていて,まさに街全体の交通システムが,極力自動車を使わずに移動できるようにデザインされているわけです.しかも,低床式の市電車両の広い出入り口には,段差のないホームへせり出すステップまで装備されていて,乳母車や,車椅子などの出入りへの配慮もされています.

そんな,ミュルーズや同様の交通システムを採用しているヨーロッパの都市の姿を見て思うのは,果たして,こうしたことが日本で可能だろうかということです.もちろん,サイズの問題もあろうかと思います.しかし,ミュルーズ程度の地方の小都市に相当する日本の地方の小都市で,こうした交通システムの導入を提案しようものなら,たちまち,各方面から反対の大合唱が沸き起こり,十分な議論もされないまま廃案となってしまうのではないでしょうか.もちろん,各自治体が多額の負債を抱えている現状では,まず,財政的に無理であることは,間違いないとは思いますが.

話をミュルーズに戻します.少なくとも,こと交通手段については,この町は,住む人,訪れる人の誰にとっても便利な町に見えます.つまり,自動車に頼らなくても,また,少々体が不自由でも,比較的楽に移動が可能なのです.そんなことに気づいたとき,ふと,《公共》ということは,こういうことなのではという思いが頭に浮かびました.公共という言葉は,本来,国に属すること,あるいは,すべての人が利用するものという意味の形容詞として使われて来ましたし,今もそうです.実際,ミュルーズの自転車も含む個々の公共交通機関およびそれらのコンビネーションは,すべての人にとって使い勝手が良いように設計されています.こうしたシステムの実現が可能となるには,個人の存在の尊重という概念が根底に存在していることが必要です.裕福であろうが,そうでなかろうが,あるいは,肉体的にハンディを持っていようが,いまいが,誰でもがその恩恵に浴することができるようにすること,それが,公共の意味するところであり,それ以外の何者でもないはずです.

翻って,日本における公共という言葉の使われ方を見たときに,まず感じるは,公共は,ほぼ《官》の同義語であるということです.もちろん,それ自体,本来の意味に照らして,おかしなことではありません.ただ,その中身をみたときにやや違和感を感じるのです.例えば,公共のサービスを提供する団体は,関係する官庁から,あるいは国から,他の団体に比べ,相当有利な地位が与えられます.場合によっては,特権と呼ぶべきものを受け取りさえします.確かに,公共のサービスを提供するわけですから,そうした扱いを受けるのは,当然といえる部分もあると思います.しかし,それは,あくまでも,真に公共のサービスを提供し続けた場合に限って許されることです.現実は,東京電力の福島第一原子力発電所の事故の対応における姿勢,さらにそれ以前の様々な異常や不具合を隠蔽しようとする姿勢に見られるように,およそ公共サービスの提供者の名前にふさわしくない事業者が少なからず存在しています.彼らには,自分たちが属する利益集団の存続しか眼中にない印象さえ持ちます.さらに,公共事業の名のもとに,常識的に,また,客観的に評価して,すべての人が利用できるものとは到底言えない社会基盤もどきが整備されたりもしています.こうした工事の予算の配分を行うのは,当然,国のレベルでは,官庁,地方のレベルでは,地方自治体です.本来,パブリック・サーバントであるはずの官庁ですら,そうした姿勢なのですから,民間の事業者のみ批判の対象とするのは,的を得ていないかもしれません.ようするに,日本においては,真の意味で,国民一人一人がその恩恵に浴すことができるという,その本来の意味は,重要視されず,公共という名のもとに,特定の特権集団の利益が保障され,優先されるシステムが出来上がっているのです.こうした議論に対し,国にしろ,また,特に公共サービスを提供する民間の業者は,次のように反論するでしょう.すなわち,自分たちの存続が保証されなければ,継続して公共サービスを提供することはできなくなる.それゆえ,自分たちの存続が優先されてしかるべきであると.そのとおりです.しかし,それでは,上述したように,彼らは,本当に国民の,あるいは,住民のだれしもが,利用できるサービスを提供していると断言することができるでしょうか.公共サービスを継続的に提供するためであれば,事故が起きて,大勢の人が,住み慣れた土地を離れなければならないような事態を招いたとしてもやむを得ないといえるでしょうか.

古来,日本の社会は,個人をあまり大切にされない社会です.あるいは,個人が優先されない社会といってよいでしょう.すべてにおいて,集団の存続,繁栄を優先する傾向が強いのです.極端な言い方をすれば,一人一人はスペアパーツ程度にしか扱われていないといえるかもしれません.ですから,第二次世界大戦末期において叫ばれた二千万人による自爆攻撃といった考えが生まれてくるのです.国家さえ,国体さえ残ればいいといった思想です.日本は,一応,成人の国民一人一人に選挙権が与えられた民主主義国家です.しかし,実際は,それぞれの集団が,その存続を最優先に据える集団主主義とも呼ぶべき政治形態です.個々の集団が,自らの利益のみを追い求め,他の集団のそれを省みることはありません.公共という名のもとに特権が与えられれば,他の集団を搾取することに何のためらいも感じない,それが,残念ながら日本という国の現状のように思えます.

尤も,日本の歴史を眺めたとき,他の集団に勝る力を得た集団が,前者を支配するという構図は,太古の昔から見られるものです.近代においても,徳川幕府による諸藩の支配,さらに,明治維新も西南雄藩による全国支配などにそれを見ることができます.ただ,前者においては,実質的にゆるやかな連邦制のようなものであったため,後者に比べ,支配される側,すなわち諸藩がが支配する側の幕府から不利益を被むる度合いは,低かったのではなかったかと思います.こうした構図は,ヨーロッパを含め,世界各地で見られたものです.しかし,ヨーロッパにおいて,それは,ルネサンス,宗教改革,市民革命などによって,基本的に解体されましたが,日本において,そうなることはありませんでした.諸藩の中で,最も封建的な傾向が強かったといわれる鹿児島藩の元藩士たちが中央の要職についた明治政権によって構築されたプロシア風の中央集権国家は,それまでの,国家の下のレベルにおける共同体の枠組みであった藩を解体し,徳川幕藩体制下とは比べ物にならないほど,そこにおける被支配者が搾取されやすい環境を作り出してしまったのです.そして,それは,今日にいたるまで強化されることはあっても,消滅することはありませんでした.

明治期に中央集権国家が確立するまで,日本は長い間,その地形のために,個々の村落共同体が,それぞれ一つの閉じた系として存在し,他の村落共同体とはあまり緊密な関係を持たない状況が続きました.それが,突然,中央集権国家の体裁を取ったことから,こうした事態が起きてしまったのかもしれません.そもそも,中央集権国家の構築の動機となったのは,アヘン戦争における清国の敗北や,ロシアなどの脅威に対して起こった,西洋列強の圧倒的軍事的脅威の前に,ともすると国家が滅亡しかねないというった危機意識でした.西洋の場合,近代の政治制度が出現するには,長い時間を要する国民の意識の変化が必要だったわけですが,そうした過程を全くといってよいほど経ずして,大急ぎで,それまでゆるやかな形でしか結びつきがなかった共同体を曲がりなりにも束ねたわけです.それ自体,相当無理のある事業であったことは間違いありません.つまり,近代日本をまとめてきたのは,一重に国防という目的のみだったのです.そして,それが行き着いた先が,第二次世界大戦における連合国に対する敗北であり,その後は,アメリカから教えられた民主主義や自由主義なるものを,その土台となっている思想や哲学まで十分に吟味し消化することもなく,表層的に受け入れただけでした.

このように,確かに,私たち日本人は,世界に類を見ないほどの,環境の変化への適応能力とそれを可能にさせる柔軟性を備えた民族と言えると思います. そして,それを可能ならしめた要因の一つが,前述した集団主義であると云えると思います.しかし,私たちの先人たちによる,変化した環境への適応の仕方は,例外なく,海外の文化においてすでに確立している方法や手段の中から当面役立つもののみを選択し,移入するというものでした.つまり,果樹に例えるならば,それになった実のみに興味を示し,それをもたらす根や幹といった,いわば前提となるものを十分に知ろうとはしなかった,あるいは,そのためのゆとりがなかったと云うべきかもしれません.いずれにせよ,こうした姿勢が,日本人の極めて高い適応能力の裏にひそむ危うさをも形成しています.兎に角,生き延びるため,生き残るために,海外において培われた文化の,時には拙速といえるほどの実利的な面のみの移入は,それらの成立の過程の十分な理解を伴わないで行われてきたわけです.すなわち,その土台となっている思想,哲学,あるいは宗教,そして,それらが形成している価値体系との自らが持つそれらとの比較を十分に行わうことはなかったのです.そのために,結果として,こうした,言わば,表層のみが移入された海外文化が,所期の目的を果たしたものの,その成立の前提となっている条件の違いから,やがて,その副作用とでも呼ぶべき問題を生じさせてしまった場合,あるいは,そうした文化自体に潜む問題が表れてしまった場合において,そうした状況に適切に対応することができないでいるというのは,今日の私たちの社会を取り囲む状況ではないでしょうか.

最近,ヨーロッパの特定の 国々において行われる大規模なデモの様子が,しばしば報道されます.こうした風景は,現在の日本では,見ることはほとんどありません.ヨーロッパにおい て,こうしたデモが行われ得るのは,それらの国々において,単に人々が自分たちの不満を表明しやすい環境が存在しているからというのが,その真の理由とは 思えません.むしろ,その国に住んでいる個人個人が,自分も国民を形成する一人であり,その意見は政治に反映されてしかるべきもの,つまり,個人個人が大 切にされなければならないという考えが,彼らのうちに形成されているからであると思います.つまり,公共という言葉が持つ本当の意味が人々の意識 に,そして社会に浸透しているからだと思うのです.

現代の日本の集団主義は,個々の集団における個人を尊重しない傾向,そしてまた,個人の集団への依存的傾向が存在する限り,存続してゆくことでしょう.そして,こうした集団主義が 存続する限り,公共という言葉が,日本語の語彙に存在しはするものの,その真の意味の実現は非常に困難なことであると思わざるを得ません.

最後に,あくまで私の判断できる限りにおいてですが,公共の利益のためと云える生き方をした,あるいは,公共の利益のための社会の構築を目指した日本人として次の二人が挙げられると思います.

一人は,宮沢賢治,もう一人は,賀川豊彦です.二人に共通する点は,少なくとも,その生い立ちにおいて,集団の外に置かれていたということがいえるのではないかと思っています.

自転車専用レーンがあちこちに設けられているミュルーズ市内
日曜日の朝でも,多くの人が利用するミュルーズ市電 4路線が出会うPorte Jeuneの停留所
同上 全部で4本ものトラックがある.

Friday, 5 October 2012

アルザス小紀行 - 博物館の町ミュルーズ

今回の旅行の目的の一つは,ミュルーズ(Mulhouse)の鉄道博物館で開催される国際模型サロン*1)を訪れることでした.(なお,サロンの様子は,次回の鉄道博物館についてのポストの中で報告します.)

9月29日,パリ近郊のアレキサンドル・デュマの館(Le Château de Monte-Cristo)を訪れた後,夕刻,パリ・リヨン駅からTGVリリア号に乗りミュルーズへ向かいました.久しぶりに訪れるアルザスには,一年ほど留学したことがあるため,どことなく懐かしさを覚えます.地元の人曰く,このあたりの人たちは概して日本人などの北東アジア人や東南アジア人に親しみを持っているとのこと,実際,歩いているとそれを肌で感じます.以前,日本のインターナショナルスクールで教師をされていたフランス人の方から,フランス人は皆お高くとまっていて,つんつんしているといったことを伺いましたが,アルザス以外でも(特に私の場合,いかにも土地不案内の旅行者でございといったように,しばしば街中に立ち止まって地図とにらめっこしているせいかもしれませんが),道に迷った場合などは,パリも含め,地元の人から声をかけられて助けていただくことがよくあります.そんな経験を思い出すと,あながちフランス人は皆つんつんしているとは思えません.(場合によっては,英語で話しかけられることもあります.) ただ,確かに土地による差異はあるかも知れません.ドイツなどでも,北方の人たちは排他的というイメージを抱きがちですが,以前,作家シュトルムの故郷フーズムを訪れたとき,地元の人たちから本当に親切にしていただきました.(道を教えていただいたことはもちろん,どしゃぶりの中を歩いていると,目の前に自動車が止まり,ずぶぬれの私を駅まで乗せていってくださった方もいました.ときには,町のスーパーで地元のご婦人からおいしいバナナの種類を教えていただいたことも.)

さて,チューリヒ行きTGVリリア9223列車はミュルーズに21:06に到着.いつものように道に迷いながらも,何とか10時前に市内のブリストルホテルにたどり着くことができました.TGVの車内でふと予約確認書を眺めると「この部屋はスイートルームです.」との記載があることに気づきましたが,日本のビジネスホテル並みの料金で泊まれるスイートルームなんてあるわけがない,記載ミスだろうとたかをくくっていったところ,割り当てられた303号室は,大きな植木が飾られた広い浴室を含め三部屋が連なるまごうかたなきスイートルーム.こんなこともあるのだと少々あっけにとられたものの,おかげで二泊,かなり贅沢な滞在ができました.チェックインを担当してくれたのは大女将だったようで,観光地図を広げ,てきぱきと見所を教えてくれました.客層はというと,ドイツ語圏からの団体客が多く,エレベーターの中などでの挨拶はおしなべてドイツ語でした.もっとも,アルザスという土地柄,別に違和感はありませんが.(昔,ストラスブールに住んでいたとき,街中でも,よくドイツ語で話しかけられたことがあったもので.)

翌日,久しぶりにありつけたトーストパンとアルザス名産のチーズなどで朝食を済ませ,早速,お目当ての鉄道博物館へ.大女将からのレクチャーで市電を使って行くことはわかっていたのですが,土地柄日曜日の公共交通機関は使い勝手が相当悪くなることを忘れていて,ホテルの最寄の停留所で黄色いモスラ形の低床式路面電車の撮影に熱中していたところ,乗るべき電車に乗りそこねてしまいました.次の電車が来るのは一時間後.仕方がないので,とりあえず博物館目指して歩き始めましたが,少し歩いたところで広い歩道に設けられた公共レンタルサイクルのスタンドで一組の若いカップルが自転車を借りているところに遭遇し,この手があったと,早速挑戦.めでたく一台を借受けることに成功し,冷たい風を受けながらペダルを漕ぎ続け,開館時間の10時を少し過ぎたところで到着することができました.

老若男女が多数詰め掛けている鉄道博物館を後にしたのは,午後2時ごろだっと思いますが,再び自転車にまたがり,今朝,借りたスタンドに返した後,今度は徒歩で旧市街にある美術館へと向かいました. 入場料無料で閑散とした館内でしたが,展示作品中,特にWilliam BouguereauによるFlore et Zéphyr, 1905と,その反対側,向かい合う形で展示されているHirsch AlexandreによるSamuel ouvrant la porte du Templeが特に印象に残りました.そのほか,アルザス地方がドイツに占領された際の状況を描いた絵画など,なかなか見ごたえのある作品と出会うことができました.

その日の夜は,聖マリア教会で催されたミュルーズ少年合唱団とコルマール少女合唱団のジョイントコンサートを聴きに行きました.入場料無料でしたが,先日,聴いたウィーン少年合唱団のコンサートに比べても決して遜色がない見事な歌唱力で,特に男性合唱のみによるヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスは迫力と清廉さを併せ持った素晴らしいものでした.ミュルーズ少年合唱団のサイトはこちら.とりあえず,クリスマス音楽のCDをお土産に求めましたが,クリスマスの雰囲気を最高に盛り上げること間違いなしです.*2)

翌日は,市電とバスを乗り継ぎ,近郊のRixheimの壁紙博物館を訪れました.ホテルで頂いた観光地図には,何故かこの博物館だけ《必見》(must see)と書かれてありましたが,その割には,そこまで行くバスは1時間に一本で,おまけに当の博物館もたっぷり2時間の昼休みをとるため,下手をするとその見学も一日仕事になりかねないという,少々末恐ろしい博物館です.でも,確かに必見といわれるだけのことはある展示内容であると感じました.博物館は村役場の建物の中にあり,工事中のため,中庭に面した普段の出入り口が閉鎖されていて,一時的に設けられた出入り口がどこかわからずまごまごしていると,工事関係者の方が丁寧に出入り口の場所を教えてくださいました.受付では学校の教師風の女性の担当者から,来たからにはしっかり見て行っていただきますといった口調で見学の順序等に関する説明があり,それに従って見て回りました.特に,壁紙の歴史やその印刷技術の進歩に関するビデオはとても分かりやすく丁寧につくられていました.Rixheimは壁紙の生産地として有名で,1797年から壁紙が作られているそうです.一時期は500名もの職人が働いていたそうですが,今ではわずか数名にまでその数は減少してしまいました.それでも,彼らは200年にも及ぶ伝統の技を守り続けています.展示の中で特に目を惹かれたのは,世界各地の風景が描かれたパノラマ壁紙(Scenic Wallpaper)と呼ばれるもので,19世紀,金持ちや上流階級の家のサロンなどを飾ったそうです.日本の銭湯の壁絵のより精巧なものといっては,両方に対し失礼でしょうか.日本の家屋の場合,部屋を仕切るのは襖や障子のため,西洋のような壁紙は需要はありませんでしたが,襖絵や屏風絵が発達したことを思い出しました.

上述した鉄道博物館(Cité du Train)や美術館(Musée des Beaux-Arts)のほか,ミュルーズには,下記の博物館が存在します.詳しくは,www.musees-mulhouse.frをご覧ください.

  • 歴史博物館
  • 自動車博物館
  • 電気博物館
  • 布地印刷博物館
  • 布地エコロジー博物館
  • アルザス・エコロジー博物館

鉄道博物館からの帰り道で見つけた自転車用の信号
市内のあちこちにある公共レンタルサイクルのスタンド
旧市街の聖エチエンヌ教会の脇にも
週末に開かれたミュルーズ少年合唱団とコルマール少女合唱団のジョイントコンサートのチラシ
コンサートのプログラム
会場の教会は超満員
男声合唱団 ハレルヤコーラスが素晴らしかった.
二つの合唱団の息もぴったり 途中の短い休憩のときの様子
壁紙博物館が入っている村役場の入り口
役場の中庭
市電3路線が走るミュルーズの街
黄色いモスラ形低床式車輌
後ろにそびえるのは,ヨーロッパタワー 最上階の展望台にはレストランがある.
 
投宿したホテルブリストル チェックアウトのときに見送ってくれたのは若女将らしい女性 ブレザーを着ていたため,出張かなにかで訪れたものと思ったらしく,今度はゆっくり観光でいらして下さいと笑顔でいってくれた.


*1) LE SALON INTERNATINAL DU MODELISME 9月29日,30日の週末に開催された.
*2) 合唱団のサイトのCONTACTからBOUTIQUEを選ぶとCDのリストが表示されるが,オンラインの注文はできなさそう.