Sunday, 4 December 2016

忠臣蔵賞賛,死刑制度容認,天皇制議論を貫く日本人の無意識下の宗教性 - 所感

1人の信じられない程のバカな殿様の子供じみた凡そ領主として想像し難く無責任極まりない行動が契機となり,失業した家臣どもがテロ行為を犯すに及び,しかも後者たちをあろうことか'義士'などと呼ぶ『忠臣蔵』について,最近,思いを巡らす機会がありました.『忠臣蔵』は,母子関係に類似する,言わば「甘え」とも言える情緒的関係が主君と家臣の間に存在する古い時代(『甲陽軍鑑』が執筆された16世紀後半頃)の極めて非合理な武士道的センスに支配された物語であり,亡き主君への母親的憐憫のみから集団で計画的に他藩の領主を襲い殺害するといった大罪を犯した者共の犯行を容認するばかりか無条件にそれを賞賛する姿勢の根底にある思想は,その90%以上が遺族の心情を思い死刑制度を容認する現在の私たち日本人の大多数が共有するそれと全く同じものです.平たく言えば,「可哀想」と言う憐憫(場合によっては歪んだ惻隠)の情が上記すべての動機です.加えて言えば,こうした武士道の解釈は横井小楠などが発展させ,アヘン戦争以降の幕府および諸藩の西洋式軍政改革などを導き,やがては明治維新の遂行の思想的原動力ともなった極めて合理的な実学と呼ばれる武士道の最終発展形態とは全く異なるものです.さらに加えるならば,西郷南洲と大久保利通の間に起きた対立と悲劇は,両者の行動原理となった思想が前述した武士道の形態の差異に起因するものといえるでしょう.当初は目的合理性に則って行動しつつも,最後には古い情緒的な武士道に従った,あるいは従わざるを得なかった西郷さんが多くの人の尊敬を受けけ続けているのも(私自身も個人的にどうしても西郷さんを嫌いにはなれませんが),テロを犯した失業者たちの集団たちを賞賛し,さらに今日の日本人の大半が死刑制度を容認しているのも,彼らがその無意識下で古い時代の武士道的センスの基底に存在していたもの同様,母子関係に似た非合理で情緒的な感覚に支配され続けているからなのです.日本人のAnti-Intelectual nature or characterでも言いましょうか.(Cf. Hofstadter, R., Anti-Intellectualism in American Life, New York, 1963)

子供の頃から,家族が観ていた忠臣蔵作品を横目で観ることもありましたが,その際,赤穂藩の失業武士たちがすることの意味が全く理解できませんでした.それでも「なぜ,あの人たちは偉い人たちと言われるのだろうか」と言った,他の複数の疑問を持ちつつも,おしまいには東映の忠臣蔵作品は殆ど観ることになってしまいました.その中で唯一魅了されたは,東映1961年作品に於ける吉良邸の警備隊員の1人,近衛十四郎演じる清水一学の戦闘シーンで,今でも脳裏にはっきりと残っています.それと,モデルになった人はいたようですが,天野屋利兵衛の生き方には共感できるものがあります.そして,彼を扱った浪曲の中で彼の心情を察し,また,武士仲間として大石たちをかばった当時の大阪西部地区を管轄していた行政司法長官(大阪西町奉行松野河内守助義[かわちのかみすけよし])の高い倫理を否定する者ではありません.(上田秋成作,小泉八雲訳の『菊花の契り』の赤穴宗右衛門の哲学と共通性を感じることがある故です.

余談ですが,面白いことに『菊花の契り』の背景となっている思想,あるいは信仰にはスコットランド民謡の"The Bonnie Banks o' Loch Lomond"で歌われている内容に込められたそれにも共通するものを見いだすことができます.それは霊魂の(超)高速移動性です."Loch Lomond"では,「君は上の道を通るが,自分は(地)下の道を通る.でも,自分の方が君より先にスコットランドへ到着しているだろう...」と歌われますが,この'自分'とは,戦争中(ジャコバイトの蜂起),捕虜となり死を待つばかりとなったスコティシュ兵士のことという解釈があります.上で言及した共通性とは,それにに従ったときに成り立つものです.つまり,この歌詞がケルト信仰に従ったものであるならばという前提に立った仮説です.

さて,上述した日本人の忠臣蔵を好み,西郷さんを敬慕し,死刑制度を容認するという姿勢の背景にある無意識化の信仰が成立には,霊魂の不滅性が前提となっていることは言う迄もありません.果たしてそうした世論調査が行われたかどうかは知りませんが,ほぼ,間違いなく100%近い日本人は霊魂の不滅性について疑いを抱いていないでしょう.実は,日本では公的制度や法律の多くが明治時代に成立したものであり,それらの改定に携わる人々がそれを変えようとしないという状況の背景にも,こうした信仰,すなわち心霊信仰(Spiritualism,日本風に言えば御霊信仰)があります.つまり祟りを恐れているのです.とりあえず,現況はうまく行って居るので, このままにしておこうという訳です.しかし,これ迄の制度を変える場合もあります.その良い例が天皇の在位期間と元号の一致です.これを最初に規定したのは明治憲法でした.それまでは,日本の年表を見れば判るように,問題がある(天変地異や疫病の蔓延等)と判断された場合,すぐに年号が変更されました.それは,心霊たち(柳田國男的に言えば祖霊の融合体としての氏神,あるいは大規模な自然災害や疫病の被害による死者たちの霊の集合体など)からのあらゆる祟りを避ける為の呪術的行為でした.明治憲法に於ける当該の規定は,ビスマルクから「日本も近代国になりたいのであれば,宗教(キリスト教,特にプロテスタンティズム)が必要だよ」とアドバイスされた伊藤博文が,神道,正確に言えば,記紀に書かれた神話をそれに変わるものとしようと決めたことに起因しています.つまり,記紀を強引に解釈し(近代の研究で十分明らかにされているように,こうした解釈は100%不可能),天皇が日本の支配者であることに神話的,すなわち超自然的,超越的正当性を与えるため天皇家の先祖(皇祖)を,別に日本の神々のヒエラルキー上最高位の神でも何でも無いアマテラスを事実上の最高位の神とし,彼女が天皇の先祖であると言う教義を勝手に作り上げてしまったわけですが,その直系かつ唯一系(こちらにも聖上陛下ご自身を含め多数の研究者から疑問が付されています)の子孫である天皇は,言わばアマテラスの現世(顕界)における代理者としての日本国の支配者(本来,霊界の支配者であった大国主命の地位と権威は明治政府(特に西郷隆盛など)により明確に否定され,アマテラスが顕冥両界の支配者とされてしまいました)であり彼女から最高位の神としての権威を授与されているため,もし心霊(天皇より下位にあると規定されている)の祟りを恐れ,それを避けるために改号などを行うならば,自らの,さらには自らの先祖,すなわち皇祖アマテラスの最高位の神としての権威をも否定することになってしまいます.このことこそが,天皇の物理的存在期間中,元号を変更されることは許されない理由に他なりません.ようするに極めて前近代的な非合理な理由なのです.ただ,議論の当事者達がそのことを理解していないがために彼らの議論に混乱が生じているに過ぎません.

前段の説明から導き出せる結論は,もし,現行の憲法が,すでに述べた宗教的思想を前提としているならば,天皇の在位期間をその物理的存在期間と切り離すためには,その前提,すなわち天皇の先祖がアマテラスであり,彼女が八百万の神の頂点に位置する神であり,天皇が彼女から日本に対する超自然的支配権を授受されていることを何らかの形で明確に否定する必要があります.反対に,憲法上,そうした前提が存在しないのであれば,切り離すことにはなんら問題はありません.昨今の天皇の生前退位などに関する議論に於ける混乱は,憲法は第二次世界大戦での敗戦後,文字の上では変わったものの,私たち日本人は私たちに固有の心霊信仰,あるいは祖霊信仰,氏神信仰,そして,天皇信仰の次元においては,同大戦の前後において全く変わっていないこと,さらに私たちのだれもが,そのことを明確に理解していないまま,より判り易く言うならば,それらの影響を極めて強く受けていることを認識できないまま,現憲法に則った議論ができると誰もが単純に信じきってしまっている認識不足,あるいは大人げなさに起因しているに過ぎないのです.

おまけとして前段の内容を敷衍して述べさせて頂きますが,無宗教と言いつつも,霊魂の不滅性およびその物理世界に対する物理的影響を無意識下において単純且つ絶対的に信じる私たち日本人が西洋的政教分離について議論しても何等建設的な結論が出ることはありえません.西洋的政教分離の背景となっている歴史も思想も,また,自らの宗教性も,その教義的次元,歴史的次元において大半の人にその認識がないからです.西洋的近代史民国家,それは基本的に世俗国家ですが,意識上は自らの宗教性を否定しつつも,無意識下では否定しないという二重性を持つ民族が,そのことに気づかないまま,憲法の文面のみについて合理的且つ客観的な議論ができるはずがないからです.なぜならば,その場合,目で文章を追い,その内容を理解するにあたり,無意識下に存在する我が国固有の信仰がその解釈に強く,また有害な偏向性を与えてしまうからです.

私たちは西洋的な意味で近代人ではありません.個人的にはそのこと自体,別に悪いことであるとも良いことであるとも判断する必要はないし,そもそも,そうした判断の対象にはならないものと思っています.ただ,そういうものだと判ってさえいれば良いことで,その上で日本は固有の長所を活かしつつ独自の道を進めば良いのです.であるからこそ,たまに耳にする「日本は西洋諸国と価値観を共有している」と言った発言が耳障りで仕方がないのです.冗談ではありません.両者が価値観を共有すること等,個人的にはまっぴら御免被ります.実際,共有等していないのです.しかも,それらは異なっていて当然なのです.ただ,日本は,西洋諸国と価値観,それを含めた分かを異にしてはいるものの,前者は,古くからそのことを認識しつつ,後者が成立させ,発展させた制度を部分的に選択し,適宜カスタマイズ,あるいはローカライズして採用してきたのです.(古くは,律令制の導入に於いて,科挙と宦官の制度は導入されなかったことはよく知られたところです.)それも決して悪いことではないし,他人からとやこういわれる筋合いのものではないと思っています.と申すより,それが私たちの流儀,'Japanese Way'なのです.明治維新の遂行者たちは,英国などへの留学の経験もあり,そうした日本と西洋の違いを,少なくとも現代人よりははるかに正しく認識することができていました.それがために,フルベッキ(G. F. Verbeck)らお雇い外国人を適切に用いつつ,列強各国のすぐれた制度を日本に適切な形で取り入れ,斯くも短期間でほぼスムーズに西洋'風'近代国を建設することができたのです.とは言え,日本の近代化が,各国から良いとこ取りをし,また,皇室制度など特定の固有の制度など支配者の権威維持に必要なものは変更を加えつつも維持すると言った,怪物フランケンシュタインに例えられるものであったことも事実です.その過程は,それまでの日本の異文化の受容や導入の事例に比べ,やっつけ仕事のそしりを免れざるものでもありました.現今の天皇の生前退位を巡る議論はその,言ってみれば,そうした日本の歪んだ近代化の膿みとでも呼べるもののひとつであると言えるでしょう.さらに,明治維新の問題点のひとつに,その主な実行役だった鹿児島および長州両藩ともに,当時,その封建的傾向が他藩に比べ際立って強かったことがあります.しかし,そうで斯くあったからこそ,西洋列強に倣う近代軍事国家を短期間のうちに樹立し得たこともまた事実です.日本の近代化とは,このように西洋列強並みの軍事国家の建設に他なりませんでした.このことは,同時に明治維新の過程において個人の人権が配慮される機会が極めて少なかったことをも意味します.そして,天皇制も含め,当時の日本的軍事国家としての特徴,とりわけ有司専制並びに人権軽視などが,国の構造の中に残っているのです.そして,それに気づかず,許容しているのが,私たちの大多数が共有する村落共同体的傾向,ユング的に言えば日本民族の集団の無意識だと思っています.私たちは,本居宣長が言うように物事を言語化,すなわち'ことあげ'することを避け,あるいは嫌います.つまり日本の文化にはロゴスを排斥する傾向があるのです.それに対して西洋の文化は物事を明確に言語化する文化,ロゴスに基づいて成り立っている文化です.前者のそうした文化の性質を示すの良い例が,明治維新後,神道の他の宗教に対する絶対的権威を確立させるため,政府は廃仏毀釈を進めると同時に神道教義の組織大系化を図ったものの,その試みがことごとく失敗したことです.すなわち神道には,ギリシア哲学の影響を受け発達したキリスト教のように体系化された組織神学が存在しないのです.存在するのは,神々を情緒的に喜ばせることで彼らから現世的恩恵を得ようとする固有の心霊信仰に基づく呪術的な儀礼のみです.日本人の普段の生活に於ける姿勢を上記の視点から眺めた場合,私たちは,無意識の中に書き込まれたコンピュータープログラムのコードのようなもの,それは動物の本能,あるいは習性のようなものとも言えましょうが,それにロボットのように自動的に従って行動する傾向が西洋人に比べて強い,それ故に上述した日本の近代化に於ける矛盾,そして,その結果としての現代の諸問題について議論することができないのです.上記が日本人が西洋的な意味で近代人になり得ない理由です.

最後に,僭越ながら,私個人の天皇に対する感情を披瀝させていただきますと,家族からの影響もあり,一定の敬愛,思慕の情は今だに持ち続けているようです.昭和天皇が崩御されたときはもちろん記帳に参りました.(当時の自分の日記には,「米内提督閣下(米内光政:最後の海軍大臣),あなたを誰よりも信頼され,また,あなたご自身が敬愛しておられた聖上陛下が御崩御されました.」と記してあります.) そして,日本の開戦を正当化する意見についても,それらの基底にあるものは,ことごとく,上で述べて来たように日本人特有の極めて情緒的な自己認識,歴史観,すなわち自己憐憫という心理以外の何者でもありません.一般的に「女々しさ」と呼ばれるものです.そして,そうした意見を支持する御仁方は,彼らの意見を批判あるいは否定する側を自虐的日本史観を持つ者,さらには反日左翼等と形容しているようです.

備忘:
天皇制について思考したり議論するとき,忘れてはならないことをもうひとつ挙げるとすると,天皇の着せ替え人形的機能です.着せ替え人形とは,故石田一良氏が日本の神道を形容するときに用いられていた言葉ですが,天皇にも同じことが言えます.幕末迄は仏教僧侶の最高権威という位置付けたったものが,クーデター軍を構成した西南雄藩によって'玉'として,彼らの権威の正当性の象徴として用いられた後,クーデター政権樹立後は,普段でも軍服を着用するプロイセン王フリードリヒ2世に習って軍服をまとうようになり,日本陸海軍の最高司令官(大元帥)とされ,さらに山形有朋らの企てにより,彼らの意向,すなわち彼らによる国民支配という目的に合致した形で,その軍事的絶対的な権威が確立されたのです.要するに実行支配をする側にとって都合の良いように用いられる装置なのです.

話を元にもどしましょう.日本の天皇がルイ14世のような絶対君主だった時代は無かったと言えると思います.唯一の例外があるとすると,そうなろうとしたものの,その野望は露と消えた後醍醐天皇くらいなものでしょう.そして,第二次大戦で日本が敗北を喫した後は,天皇は,突如,平和の象徴となりました.結論はと言えば,現行の憲法に於いて位置づけられている国民統合の象徴としての天皇の厳格な定義付けがまず必要であり,それが為されない限り,如何に議論しようとそれらは空回りするだけです.ようするに,子供でも容易に理解出来るように天皇の機能と存在の意味を明確化することだと思うのです.

No comments:

Post a Comment