Sunday, 12 March 2017

2年半のダエシュ支配の後にモスル博物館に残ったもの

250年以上に及ぶ徳川政権下の日本が世界に稀有な平和で文化的にも極めて豊かであったことを思い出しました.それを根こそぎ破壊したのが,300藩中極端に封建的で身分差別が激しく沖縄を欲しいままに搾取した鹿児島藩と同じく際立って封建的だった長州藩を含めた西南諸藩による軍事クーデターでした.*1)

そんなことを,先日,仕事場の近所にある徳川家の菩提寺芝増上寺を訪れたいと言ったフランス人の若い同僚に話してあげようと思っていましたが,お互い自由になる時間が少なく,結局増上寺参りは,次回,再び彼が来日したときまでお預けということになりました.ただ,とりあえず増上寺の由来と徳川政権の創立者家康は神東照権現として神格が与えらえ日光東照宮に祀られていることを説明しておきました.

*1) しかも,鉄道ファンの末席を汚すものとして,実に腹立たしく思えるのは肥前佐賀出身の大隈重信の鉄道についての無知が結果として日本の殆どの鉄道の軌道幅を屈辱的な植民地ゲージにしてしまったことです.その後,奥羽越列藩同盟盟主仙台伊達藩出身後藤新平鉄道院総裁と島安次郎工作課長により標準軌化の計画が立てられましたが,実施案は議会において岩手南部藩出身原敬らによりご破算とされてしまいました.ただ,興味深く思えるのは,当時,原敬ら政友会は標準軌化にするための予算を使って,地方に鉄道を延伸させることが集票につながると考えたわけですが,今は逆に標準軌の新幹線の建設が政権党の集票装置になっています.

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