Tuesday, 6 January 2015

ドイツ軍のアフガニスタン進駐の歴史 - 集団的自衛権行使の前に知っておきたい他国の例

2001年,当時のSPDなどの社会主義政党と緑の党から成る連立政府(以下,die rot-grüne Regierung=赤緑政府と略記)はドイツ軍のアフガニスタン派遣を決定しました.このころ,特にドイツには,ソ連のカブール侵攻前のアフガニスタンとの良好な関係を再び築くことができるという期待がありました.こうした期待がこもったドイツのアフガニスタンに積極的に関わろうとする姿勢は,ボン近郊のペテルスベルクで開催されたアフガニスタンの戦後秩序を巡る会議においても示されました.しかし,昨年末,アフガニスタンにおける国際治安支援部隊(以下,Isafと略記)からドイツ軍が撤退したときには,国民の意見も政治家の考えも13年前と大きく変わり,自国の兵士達の他国で行われる軍事オペレーションへの派遣に対する見方は冷ややかなものとなってきており,特に国民の間での消極的な姿勢が目立つようになっています.

さらに歴史を遡ると,90年代においてはドイツキリスト教民主同盟(CDU)
キリスト教社会同盟(CSU),自由民主党(FDP),そしてドイツ社会民主党(SPD)の大半において,冷戦後,重大な事態が生じた際には軍事力の使用も辞さない心構えが必要であるという認識が支配的でした. そして1999年のコソボ空爆への参加,2001年のアフガニスタン進駐という敗戦後の最初のドイツ軍の軍事行動も,こうした認識を持っていた当時のシュレーダー首相が率いる赤緑政府によって決定されたのでした.アフガニスタンへの軍事介入参加について,少し前,シュレーダー元首相は,フランスの元外相に,アフガニスタンでの経験の結果,もはやドイツは,こうした形での軍事介入には参加できないという確信を持ったと語ったそうです.また,あるインタビューでは,そもそもドイツ軍のアフガニスタン派遣は正しいことだったのかどうかは判らない,それは,ことによると10年後くらいに判断できるようになるかも知れないと語っています.

上記のシュレーダー首相の言葉を裏付ける最近の世論調査の結果が発表されてします.ケルバー財団によって実施されたもので,それによるとドイツの世界への積極的な貢献を支持するドイツ人は全体の37%.(20年前の同じ質問に対する回答では60%でした.)特に軍事行動への参加については80%が絶対に支持しないと回答しています.

アフガニスタンに駐留したドイツ軍兵士の数は5000名強.そして,55名が亡くなっていますが,そのうち35名が外因によるもの("Fremdeinwirkung".つまり.銃撃,あるいは爆破などによる事実上の戦死)とされています.しかし,ドイツ軍の駐留の犠牲者はそれにとどまりませんでした.すでに以前のポストでも紹介しましたが,2009年9月4日,クンドゥツで起きた誤爆によりNATOの報告では若者や子供を含む142名もの現地の民間人が殺害されました.空爆したのはアメリカ軍機でしたが,謝った判断に基づいて空爆を要請したのはドイツ軍の指揮官でした.さらに現地の治安の悪化も進み,結果として派遣は失敗だったという認識がドイツ国民の間で形成されたのでした.

2013年までの政権(CDU or/and CSU,FDP)が成立したのは,クンドゥツの誤爆事件の数週間後でしたが,とりわけ新たな軍事介入は拒否する姿勢を採り,2011年3月のアメリカ,フランスなどによるリビアへの軍事介入には参加しませんでした.ただ,現在の黒黄政権は,同盟国へは軍事支援を行う意向を示しています.

とはいえ,現政権の外務(Frank-Walter Steinmeier,SPD),防衛(Ursula von der Leyen,CDU)の両大臣とも軍事介入は拒否する姿勢を採っています.それでも,後者は北イラクのクルド人に対する武器の譲渡と兵員養成指導者の派遣を実施しています.

最後に,ガウク連邦大統領の姿勢はというと,昨年の6月のラジオインタビューによると,必要な場合は軍事介入を行うべきと述べ,条件として人権擁護のため,そして罪のない人の命を守るためである場合としました.なお,それに対する政府側からのコメントはなかったそうです.

異常,スイスの5日付NZZ紙のEnttäuschung am Hindukuschからでした.

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