Saturday, 20 April 2013

ドイツ語に慣れるためのヒント(その2)- 博物館へ行きましょう!

研修の際にもご案内しましたが,各地の各分野における博物館を訪ねるのもドイツ語学習の良い方法だと思っています.というのも,ヨーロッパの博物館で,それなりの規模を持つものでは通常学芸員たちが展示場内に常駐しており,見学者の質問に丁寧に答えてくれるからです.個人的な経験から申しますと,そうした学芸員の方達はいつもとても親切で,自分のほうから「何か質問はありませんか」と声をかけてくださいます.そして,展示物の説明がドイツ語でしか無い場合,英語の音声ガイドや英語の説明(場合によっては日本語のものも)が記されたカードが備えられていることが多いですが,もちろん,そうしたことも案内してくれます.(あまりそれらに頼っていてはドイツ語の勉強にはなりませんが.)

そうした博物館での忘れられない思い出は,今から20年程前の冬,旧東ドイツのチューリンゲン地方を旅したときの経験です.Wittenberg,あるいはEislebenのどちらかだったと思いますが,郷土史博物館を訪れました.そのときの見学者は私ひとりだけ.片方の足がやや不自由そうな小柄な女性の学芸員の方が迎えてくれたのですが,彼女は,私が見学する間ずっとそばに付き添ってくれて,私が関心を示す展示物についてその都度詳しい説明をしてくれたのです.当時の私にしてみれば,それは歴史を通じたドイツ語の個人授業でした.最後に,お礼を言って,ポケットの中から2マルクほど小銭を取り出して渡そうとすると,驚いたような様子で決して受け取ろうとはしませんでした.1991年,東西ドイツの再統一の二年ほど後のことでした.

以下に役に立ちそうなリンクを紹介しておきます.
  • ドイツは,メカ好きの人にとっては天国ですが,今回,研修に参加して頂いた皆さんが関心をお持ちになりそうなものというと,お仕事柄やはり自動車博物館でしょうか.ドイツ国内に存在する自動車博物館のリストが紹介されているサイトへはこちらから.例えば,シュツットガルトには,Auwärter MuseumMercedes-Benz MuseumPorsche Automobilmuseumなどがあります.加えて,ミュンヒェンのBMW博物館のサイトへはこちらから.
  • 首都ベルリンには,ドイツ技術博物館がありますが,こちらは,航空機,鉄道,自動車,船舶,写真と多岐にわたる展示を誇ります.なお,戦前,ベルリンにはDeutsche Luftfahrt Sammlungという,初期からの航空機の歴史を一度に振り返る事ができる博物館が存在し,120機余りの貴重なマシンが展示されていましたが,そのほとんどは戦争によって破壊されるか,消失し,そのうちの20機ほどがポーランドのKrakowieのポーランド航空博物館に展示されています. ドイツ技術博物館としては,そのうちの一部の返還を交渉中とのことです.そのほか,天文ファンの方には,カールツァイスのプラネタリウムなどもお勧めしたい施設です.
  • 研修でご紹介したドイツワイン街道の中心ノイシュタットのワイン博物館のサイトへはこちらから.(日本語の冊子もダウンロード可能です.) そして,ワイン街道沿いで試飲が出来る施設のリストへのアクセスはこちらから.そのほか,ワインヤードのオーナーになって,そこでできたワインを自分の名前が記されたボトルに詰めてもらえるというサービスもあります.詳しくは,こちらをご覧下さい.
赴任されてから博物館を訪れることが出来るゆとりをお持ちになれる迄暫くかかるとは思いますが,上記の情報がお役に立てば幸いです.

Thursday, 11 April 2013

"Westwind",近年久々に観る素晴らしい映画でした!

仏独協力条約(エリゼー条約)締結50周年の今年は,それに因んだ催しが仏独両国の様々な分野に於いて開催されていますが,数年前から映画界でもそれに応える形でいくつかの名作が制作されました.例えば,日本でも公開された"Barbara"(邦題『東ベルリンから来た女』,2012年,ドイツ)は,フランスで最も多くの人が観たドイツ映画だったそうです.ほかにも,"Wunderkinder"(邦題『いのちをつないだバイオリン』,2011年,ドイツ)などもそのうちに数えられるでしょう.

そして,最近,ARTEで放送された"Westwind"(邦題不明)ですが,敢えて個人的な評価を申すならば,上記二本よりさらに上位に置きたい作品です.

内容は実話に基づいており,1988年の夏,東ドイツの17歳の姉妹ドレーンとイザは,スィープ競技のペア.ベルリンで開催される大会目指して,ハンガリーのバラトン湖のキャンプで練習に励みますが,ふとしたことで知り合った西ドイツの若者たちと関係を深めて行き,やがて命がけの決断へと進んで行くといったもの.

フランス語版とドイツ語版のみですが,ARTE+7上で鑑賞できます.(本ブロクの右側のガジェット「ARTE+7から」にも『西からの風』という題名をつけて当該映画へのリンクを掲載いたしました.日本時間明後日4月13日未明午前4:30迄無料視聴が可能です.また,ヨーロッパにお住まいの場合,新たに始まったARTEのvoサービスで字幕付きで鑑賞出来る場合があります.詳しくは,こちらをご参照ください.)

以下,"Westwind"のデータです.

出演:Friederike Becht, Luise Heyer, Franz Dinda他
監督:Robert Thalheim
音楽:Christian Conrad
制作:2011年,Laokoon Film(ハンガリー),ZDF/Das kleine Fernsehspiel(ドイツ第二放送)合作,ARTE Cinepostproduction協力
公開:2012年3月30日
時間:90分

* Amazon.deなどで購入出来るDVDは,英語の字幕付きです.

Sunday, 7 April 2013

70歳の誕生日を迎えた《星の王子様》

2013年4月6日は,1943年の同日に世界で最初に『星の王子様』が出版されてから丁度70年目にあたります.出版されたのは,当時,作者サンテグジュペリが暮らしていたニューヨーク.これまで,日本も含め200を超える言語に翻訳され,世界のベストセラーのうちの一冊です.

多くのファンを持つこの作品の魅力はどこにあるのか,それに対する答えは読者の数だけあるでしょう.ただ,作品の献辞には以下のように書かれています.
«A Léon Werth quand il était petit garçon»
だれもが,無限の可能性を宿していた子供時代.実は,そのときの可能性は大人になってからも存在し続けている,それを忘れないで欲しい.彼のこの言葉を読むと,そんなふうに理解する事もできそうです.そして,それが,決して子供時代への退行や逃避を促すものではなく,新しい世界を開拓する人間の無限の可能性を確信させるものであることは,彼の生涯を見ても明らかであるように思うのです.(本ブログ上の関連ポスト

(2013年4月5日付SRFのニュースサイトに掲載された記事"«Der Kleine Prinz» wird 70: Ein Liebes-Erklärungsversuch"より.)

以上の記事を読んで,先日ご紹介したドイツ連邦議会の議長によって引用されたカミュの言葉を思い出しました.
"L'homme n'est rien en lui-même. Il n'est qu'une chance infinie. Mais il est le responsable infini de cette chance."
「 人間は,それ自体,無に等しい存在だ.彼は,単に無限の可能性でしかないのだ.しかし,彼はこの幸運に対する無限の責任を負っているのだ.」
サンテグジュペリの生涯と作品を紹介しているサイトへのアクセスはこちらからどうぞ.

Thursday, 4 April 2013

世界最長,スイスの新ゴッタルドトンネルでまもなく列車の試験走行開始

2010年の東坑の開通に続き,翌年の西坑の開通により世界最長となったスイスの新ゴッタルドトンネル(Gotthard - Basistunnel).やがて南北スイスのみならず,南北ヨーロッパを結ぶこの大動脈の長さは,それまで首位の座に着いていた青函トンネルの54kmより3km長い57kmです.ところで,青函トンネルの海底部の長さは23kmですが,海底トンネルとして最も長いのは英国とフランスを結ぶユーロトンネルの38kmだそうです.

新ゴッタルドトンネルの利用開始は早くて2016年の予定ですが,今年の12月から西坑の南坑口から16kmの区間(Faido - Bodio間)において,時速230kmでの列車の走行試験が始まります.

以上のことを書くと,「スイスのトンネルが世界最長になるのは判ったけど,それは地下鉄も含めてのことなの?」といった質問が,春日三球師匠から寄せられそうですが,確かに,地下鉄の地下における走行区間もトンネルと呼ばれます.(cf. The Visual Dictionary)従って,それも含めると事情は一転,世界で最も長いトンネルは上海の地下鉄路線網の440kmということになります.また,同一の路線としての最長記録保持者も,やはり中国の地下鉄路線で,広州市の三号線(67km)だそうです.

三球師匠,以上の説明で夜十分にお休みいただけますでしょうか.

(2013年4月2日付電子版SRFニュース"Welches ist der längste Tunnel der Welt?", 同電子版Neue Luzerner Zeitung"Hier brausen ab Dezember Züge durch den Tunnel"より)


* 本文中の春日三球師匠のお名前は,社団法人漫才協会を通じてご本人のご了承をいただいた上で使用しています.

ザクセン - アンハルトの保存鉄道

毎年,4月30日から5月1日の夜*1) ,魔女たちが集うと言われるブロッケン山は,北ドイツの最高峰.この山を含むハルツの山岳地帯は登山者のみならず,鉄道マニアのメッカでもあります.以下,近郊のものも含めて,主な保存鉄道や関連施設をご紹介します.
  •  シュタスフルト鉄道博物館(鉄道友の会が運営.転車台を中心にした扇形機関庫に41形などの貨物用機関車が動態保存されており,それらが牽引するイベント列車も運行されます.)
  • ゼルケタール鉄道(ユネスコ世界遺産のQuedlinburg - Eisfelder Talmühle間.途中のStiegeから盲腸線がHasselfeldeまで伸びています.機関車は,狭軌用の可愛らしいタンク機の99 5906(1918年製造)と99 6001(1939年製造)という,かなり年が離れた姉妹.)
  • ハルツクエール鉄道(Wernigerode - Nordhausen間の60km.ハルツの変化に富んだ風景を存分に楽しませてくれます.)
  • ブロッケン鉄道(ハルツの保存鉄道の中で最も有名な路線.標高543mに位置するDrei Annen Hohneから1,142mのブロッン山の頂上迄,99 723(1'E1' h2t)などのたくましいマシンが粘着力だけで列車を牽引しています.1896年に開業したこの路線は,大戦後,ソビエトの占領下にあったこの地域にソ連軍兵士や物資を移動するためにも利用されました.)
 *上記3路線は,いずれもハルツ狭軌鉄道に所属しています.(ハルツ狭軌鉄道友の会のサイトへはこちらから.)
  • リューベランド鉄道(こちらは標準軌.5月から10月の間,95 027(1'E1' h2)が牽引する列車がBlankenburug - Rübeland間に運行されます.)

なお,以上の各路線が一目で判る路線図が,ゼルケタール鉄道のサイトに掲載されています. →Übersichtskarte zum Streckennetz(左側のナビゲーションバーのStrecke → Karte Streckennetzをクリックしてください.)

軽快なブラスト音を聞きながらハルツの美しい山並みや世界遺産の町並みを楽しんだ後,もし時間が許すなら,締めとして,少し足を伸ばしてHalleのDB鉄道博物館の見学は如何でしょうか.さらに,動態保存のSLが所蔵されている博物館がお目当てならば,さらにザクセンまで足を伸ばされるのも一興です.特にお薦めしたいのは,ドレスデン鉄道博物館ですが,3両の52形初め多くの機関車や客車が保存されているライプチヒ鉄道博物館も一見の価値がある施設です.(ところで,ライプチヒの駅構内の本屋さんの鉄道コーナーは面積も広く,所狭しと居並ぶ鉄道関連書籍の数には圧倒されます.)

Allzeit gute Reise!

(以下は,近郊のゴスラーで撮影した写真.世界遺産に指定された鉱山跡ではガイド付きで坑内の見学が出来ます.)





*1) 5月1日で思い出されたのは,ブラム・ストーカーの名作『ドラキュラ』の冒頭,主人公の法律家ジョナサン・ハーカーがドラキュラ伯爵の居城へ赴く前日に投宿したGolden Krone Hotelでの一場面. 翌日の朝,宿の老婦人から,その日は聖ジョージの日の前日(the eve of St. George's Day)であり,深夜午前零時の鐘が鳴ると同時に世界中の魔性が自由に活動するので出発は見合わせた方が良いと説得されていましたが,確認したら,彼が出発しようとしていたのは,5月4日でした.つまり,聖ジョージの日は5月5日だったのですね.(時差を無視すれば,)日本では子供の日の午前零時が恐ろしい逢魔が時ということになります.(cf. Bram Stoker "DRACULA"(A Longman Cultural Edition edited by Andrew Elfenbein), Boston, New York et al., 2011, Longman, pp8f)

Tuesday, 2 April 2013

エチオピアで米生産に乗り出したインド資本が米の国際価格を支配する日

彼の名前は,Mr. Ram Karuturi.インドのバンガロール出身,Karuturi Global Ltd.の最高経営責任者で,エチオピアに進出した外国人ビジネスマンの中で最も成功を収めていると言われている人物です.1995年のバレンタインデーに,妻に贈るバラが手に入らなかったことがきっかけで始めたバラの栽培をより大規模に行いたいと,2004年,妻を連れてエチオピアに移住.その事業は順調に成長し,まもなくケニアに新しいバラ農園が完成し,そこの生産量も含めると,世界一のバラの生産業者となるそうです.

彼は,今,エチオピアのガンベラ州に米の一大生産地を造ることを計画していて,韓国のサムスン電気やインドの投資家たちに,彼の新たな事業への投資を呼びかけています.エチオピア政府から80年の賃貸契約で確保した耕作予定地は,長さ78km,幅40kmという広大なもの.そこで数年のうちに米の栽培を開始し,2010年には300万トンもの生産が可能になるといいます.仮にこの計画が実現した場合,現在の米の国際取引量は2,500万トンですから,Karuturi氏の会社が生産する米の量は,実にその10%以上になります.それが国際市場で売買されれば,当然,米の国際価格に大きな影響を及ぼすことになるでしょう.彼はまた,パーム油の生産にも乗り出す予定だそうですが,これらの耕作地を「緑の黄金」("Green gold")と呼ぶその言葉にもうなづけます.

現在,エチオピア政府は,海外資本が会社を設立する場合,その手続きが4時間程度で済んでしまうと言われる程,積極的にそれらを誘致する政策を推し進めています.エチオピアで事業を始める外国人実業家は,必要な機材を無税で持ち込むことができ,また,事業を始めてからの数年間,収益への課税は免除されます.こうした政策が功を奏したのか,今や,エチオピアは,年率7%という,アフリカでも有数の経済成長率を誇る国へと変身し,首都アジスアベバは,町全体が巨大な工事現場と思える程,建築ラッシュに沸いています.そして,Karuturi氏のように土地を必要とする事業者には,政府は信じられないよな好条件で土地を提供しています.例えば,同氏は上述の米の耕作予定地の他にも,エチオピアの別の地域に11,000ヘクタールの土地を政府から借り受けていますが,期間が80年というその賃貸契約における借地料は1ヘクタールあたり年間10ドル,しかも最初の6年間は無償です.

エチオピアというと,世界で最も貧しい国の一つであり,飢餓の問題が重く国民にのしかかっているというのが,これまで私たちがこの国に対して抱いていたイメージですが,今や,それは時代遅れのものとなってしまったのでしょうか.残念ながら答えは否です.飢餓は,現在も国民の多くを苛み続けていて,しかもさらに深刻度を増しているのです.2009年,世界食料計画はエチオピアで飢餓に苦しむ1,300万人に対し,食料支援を実施しましたが,もちろん問題の解決には至りませんでした.国民を十分に養えるだけの耕作可能地があるにも拘らず,今だに多くの人々が十分な食物を得る事ができないでいる.そうした状況を一層深刻化させているのが,実は,上述したような外国人の農業事業者への政府の土地提供なのです.この,あまりにも気前が良すぎるように思える政策ですが,それが現政権の積極的な開発政策の一環であることも事実ですが,それが可能なのは,国土のすべてを政府が所有しているからに他なりません.1970年代から80年代にかけての社会主義独裁政権の遺産と呼べるこの状況は,そのまま,同じく一党独裁の現政権に受け継がれているのです.

エチオピアの人口の80%は,農民と言われています.そして,耕作に利用されているのは国土の20%.多くの農民たちは,政府所有の土地のわずかな面積を無許可で利用し,生活の糧を得ています.土地の所有権が認められていないのですから,政府が外国企業に,そうした農民たちが利用している土地を提供しても,彼らは抗議する事もできません.土地摂収に対し,反抗した農民たちが警察により留置所に入れられた例もあります.中には土地に加えて,唯一の水源である川も外国資本の手にわたってしまい,飲み水さえ確保できなくなった村落も存在します.こうした状況に追い込まれた農家の人々に残された選択肢は,二つ.国外に逃れるか,あるいは進出して来た外国企業に直接雇用されるか,または,その下請け業者に間接的に雇用されるかのどちらかです.前者の実行には,まとまった資金が必要であり,後者の場合も,仮に雇用されたとしてもほとんどが日雇いです.

過去において,政府による外国資本への土地提供が民衆の暴動へと発展した例があります.2008年末,マダガスカルでそれは起こりました.政府が秘密裏に韓国の大宇グループに1,003,000ヘクタールという,この国の耕作地のほぼ半分もの土地を提供するという契約を後者との間に締結したことを知った住民たちは野党とともに抗議活動を開始,鎮圧しようとする軍隊との衝突では約10名の死者と多くの負傷者が出ました.やがて,軍隊が野党側に付いたことで事態は終結.大宇グループとの密約は廃棄され,大統領は国外に亡命するという事態に至ったのです.(このスキャンダルを明るみに出したのは,英Financial Times紙のJavier Blas記者.)韓国も日本同様,必要な食料を海外からの輸入に頼っている国のひとつであり,2007年末から2008年初めにかけての世界的食料不足の折,アルゼンチンやベトナムなどの一次農産物の輸出国が自国の食料確保のために輸出禁止策を講じたことをきっかけに食料生産地を積極的に海外に探すようになったという事情がありました.同様のことは,最近では,サウジ・アラビアなどの湾岸産油国によっても行なわれており,これらの国は特にエチオピアなどの東アフリカ諸国に対して互恵的な関係構築を提案していて,後者に対し,インフラ整備や技術支援,雇用の創出などを約束し,その見返りに自国の食料を生産する土地の提供や,そのために進出する企業に対する税制面での優遇措置を求めています.

外国資本による耕作地の確保およびそこでの農業経営は,アフリカに限ったことではありません.現在,世界の大部分がその対象となりつつあります.例えば,南米のウルグアイもそのうちのひとつです.今や,この国にも外国資本が進出し,広大な耕作地で大豆や食肉牛の生産が行われていますが,過去10年間に外国企業が取得した面積は,国土のほぼ1/3に相当します.ウルグアイの若い農学研究者のGabriel Oyhantçabal氏は,こうした状況が,一次農産物である大豆を輸出し,大豆製品を輸入するという,今日のウルグアイのパラドックスを生み出していると指摘しています.基本的に,外国企業が生産する農産物は輸出を目的としたものだからです.Oyhantçabal氏は,また,これらの企業は雇用の創出を謳い文句にやってくるが,実際にそうした効果があったかは確認出来ないと言っています.

ところで,効率化が至上命題であるこうした外国企業が生産するのは,干ばつなどに強いMGO作物(もともと南米で栽培されている農産物のほとんどすべてはMGO)や成長が早いハイブリッド種の食肉牛です.このような農業経営,すなわち,MGO作物の植え付け,化学肥料の大量使用,そして効率化のための機械による化石燃料の大量消費というビジネスモデルが,小規模農家の経営を破綻させ,生物の多様性を脅かし,ひいては今日の食料危機を招いていると訴えているのが,NGO Grainです.また,同団体のDevlin Kuyek氏によると,農地を使った投機のために使われた資金は,2000年の50億ドルから2007年の1750億ドルへと急増し,それが農産物の国際価格の変動や高騰を招いているといいます.いつまた崩壊するか判らない株式市場を離れた世界の投資資金は,新たな投資先としてより確実で巨大な収益を得られる可能性を秘めていると目される農業へとその対象を移したのです.

最後に,世界食料計画によると,飢饉に苦しむ貧困国の小規模農家の経営を近代化させ,彼らが健康的な生活が営めるようにするために必要な支援金の額は,年間300億ドルだそうですが,これは,世界の軍事予算の2.5%に相当する額です.しかし,今日,豊かな国の中でそうした支援を行う国はありません.

(以上は,ARTEによって3月26日に放送された"Planet à vendre"の内容の一部を再構成したものです.余談になりますが,リポートで取り上げられたKeruturi氏の様子を視ながら,同じくARTEによって先日放送された"GEO - 360°"で紹介されていた,バングラディシュのNGO Friendshipの病院船内に家族とともに暮らし,人々に無料で医療を施しているジェームズ医師のことを思い出したました.インド人とバングラディシュ人.二人とも同じ民族の同世代に属する人たちと思いますが,いろいろな生き方があるものだとつくづく考えさせられました.)

ドイツのSL好きの方へ - "Eisenbahn Romantik"お薦めビデオ

上記ビデオを全画面表示でご覧になる場合,予めブラウザを全画面表示にしてから再生を開始させ,再生画面上の全画面表示ボタンを押してください.音量調節やSD/HDの切り替えは再生開始前に可能です.(南西放送局のメディアテックに掲載されている他のビデオについても同様です.)